竹達香守庵綴り

ニャンコろう

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神装真姫 晶たん⑤

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 香澄高校に溢れる人、人、人。文化祭の幕が上がると同時に校舎全体が熱気に包まれた。

 すっきりとした青空の下、恋寄樹こいよりぎは来校者を歓迎するかのように、陽の光をたっぷり浴びた葉を大きくなびかせている。廊下では展示や出し物の呼び込みが飛び交い、漂ってくる匂いはすぐに焼きそばとわかる。体育館から聞こえる吹奏楽部の軽やかな旋律が祭りのざわめきに妙に合う。

 変装カフェに入ると客席が6セット用意されている。これは机4つを向かい合わせて組んだ後、単色のテーブルクロスを敷いたものだ。グループの人数に応じて机を増設できるのもポイント。『これはね、ただのクロスじゃないよ。表は汚れに強いし、裏には滑り止めがついてる』と澪が自慢げに話していた。

 客席に案内されると、澪お手製のメニュー表に目が行く。
DRINKS:コーヒー(HOT/ICE)、紅茶(HOT/ICE)、
     アップルジュース、オレンジジュース・・・
SNACKS:ポテトチップス、クッキー、キャンディ・・・

 などなど、いかにも文化祭らしいかわいいカフェメニューに目が行く。メニュー表はやかましいポップなものではなく、幅広い年齢層に合わせたシックな色合いを重視して、装飾も最低限に抑えている。ついでにラミネート加工のおまけ付きだ。『これ本当に委員長が作ったの?』と晶も舌を巻いていた。

 黒板の方を見ると今度は、お馴染みのテーブルクロスを敷いた机が横一列に並べられている。彩り良く整えられた袋入りのお菓子が『手に取って欲しい』とこちらを見ているようだ。その横には、氷水に浸された缶ジュースやらペットボトルやら、更にはグラスまでぎっしり詰め込まれたクーラーボックスが目立つ。カフェにはミスマッチだがコールドドリンクを提供するための工夫だ。そして奥には温かいコーヒーを淹れるバリスタが控えている。ティーパックに熱湯を注げる優れもので、わざわざ澪が家から持ってきてくれたらしい。

 変装カフェではテーブルサービス形式を採用した。

 変装した生徒は接客係として客席を巡る。その筆頭はメイド服姿の晶。

 ドリンク係は、接客係から注文を受けるとグラスや紙皿を並べて飲料と軽食を手際よく準備する。体操服にエプロン姿の琴弧はその一人だ。

 接客係は客席とドリンク係を往復しながら笑顔でサービスを届けていく。訪れた客たちは文化祭ならではの特別な雰囲気を存分に味わえる。

 変装カフェを仕切る澪は全体を見ながら指示を出す。晶を変装させるためだけに躍起になっていたとは到底思えない。誰も予想していなかった見事な仕上がりはクラスメイトの称賛をさらった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『変装カフェに訪れると可愛いメイドが迎えてくれる。』そんな噂が学校中に広がるまでに長い時間はかからなかった。文化祭が始まるとすぐに、イメージガールの晶を一目見ようと列をなして、変装カフェは瞬く間に大盛況となった。

 はじめこそ消えてしまいたい恥ずかしさがあった晶だが、来校者やクラスメイト、話したことのない生徒までも可愛いと褒めてくれたこともあって、徐々にイメージガールとしてのやりがいを見出していた。『本当に男の子?』こんな来客の第一声に対して、最初は機械的に『ハイ、ソウナンデス』と口をパクパクさせながら愛想良く返答していただけの晶だったが、第三者の評価を受け入れ『女の子でいる自分』も素直に好きになれそうな気がしていた。

 しかし思いがけない人気、即ち晶のメイドブーストの影響は『疲労』という形で徐々に表面化することになる。交代制のシフト営業を計画していたものの、晶目当ての来客がほとんどで、晶の休憩時間が削られてしまっていたのだ。当の本人は、はじめこそイメージガールとしての責任感で疲労をカバーしてはいた。とは言え普段からアルバイトをしているわけでもないのに、ただ授業を受けるだけの日々から突然都会のど真ん中にあるカフェのような混雑を捌くには少々荷が重い。それだけではない。初めての文化祭への緊張が疲労に形を変え、晶は体力的にも精神的にも限界を迎えていた。

「晶ちゃん、疲れた顔してるよ。なんかスカートのフリルも元気ないし。」

「それは元気のバロメーターじゃないから。」

 少し強がってみせた晶に琴弧がそっとトレーを差し出す。

「晶たん・・・これを出したら・・・休憩に入ろう・・・。」

 晶が小さく頷く。そして冷えたドリンクが並んだトレーを持った瞬間―——手元のバランスが崩れてグラスが派手に倒れてしまった。飲料が無残にもメイド服を汚していく。

「あっ!!!」

 機転を利かせてグラスまで落ちないようにトレーの上で咄嗟にバランスを取ったが、流れ落ちる飲料までは止めることはできない。後からグラスに入っていた氷も転がってきて予想以上の冷たさが晶を襲う。胸部から腹部の一帯に複数のドリンクが混ざった大きなシミになってしまった。これではまともに動くことができない。 

 まさかのトラブルで周囲は騒然となった。

「晶ちゃん、大丈夫⁉すぐに着替えないと!」

「うん、そうする。」

「晶たん、空き教室に行こう。」

 琴弧と澪に促され、晶は悔しさを滲ませながらステージを降りた。イメージガールの退場に周りから残念がる声が聞こえる。

 隣の空き教室には誰もいない。休憩時間を使って各々他の展示物やイベントの見物に行っているのだろう。空き教室の扉を閉めると、驚くほど文化祭のざわめきが遮断された。まるで祭りから途中帰宅したような後ろ髪を引かれる寂しさが三人を包む。

 晶はさっき座った椅子にもう一度腰を下ろし、急いで用意してくれたタオルを琴弧から受け取った。琴弧と澪も使われていない椅子に座って少しほっとした表情を見せている。

「委員長、せっかくの衣装なのに汚しちゃってごめんね。」

「ううん。こっちこそ・・・休憩のタイミングを・・・ずらしちゃって・・・   ごめん。・・・でも濡れている神も素敵です・・・。」

「・・・洗濯して返そうと思ったけどこのまま捨てちゃおうかな・・・。」

「それはお止めください!私がそのまま回収します。」

「えっいいよ。汗もかいちゃってるし。」

「・・・大した問題ではございません。」

「・・絶交じゃ足りないってことだね。」

 何かを察した晶はそう言って、外したエプロンを丸めて澪の顔目掛けてぶん投げた。飛んでくるとわかっていたはずだが、敢えて避けずにしっかりと顔で受け止める。顔から剝がしたエプロンをじっと見つめる澪が不気味で仕方ない。横にいる琴弧は怪訝な表情で澪を見ている。

「しょうがない。体操服に着替えて、少し休んでからカフェに戻ろう。」

 濡れたメイド服の着心地の悪さから早々と逃れるために、用意していた体操服を取り出そうとリュックに手をいれる。

「・・・えっ、なんか変な手触り・・・。」

 違和感を覚えた晶の顔が引きつる。そのまま手に触れた物を恐る恐る取り出す。

「なにコレ。」

 晶の目の前にはあるのは、昨日の内に自分で用意した香澄高校指定の体操服ではない。初めて見る色合いのカジュアルな服だ。混乱している晶の意識をかき分けて、聞き慣れた声が記憶から届く。

『あたしも服用意する。で、どっちが似合ってるか勝負ね。』

『まさか唯奈ちゃんが・・・』

 リュックを逆さまにしても体操服は落ちてこない。どうやら、唯奈がこっそり目の前の『コレ』にすり替えていたようだ。戦慄した晶の顔がみるみるうちに青ざめて行く。状況を掴めていない琴弧と澪が不思議そうに顔を見合わせていたが、先に琴弧が何かを察したようだ。

「なぁんだ。晶ちゃんも服を用意してたんじゃん。」

「まさか!これは妹のいたずらだよ!用意した体操服とすり替えられてる!」

「ほっほんと⁉まだ服あるの⁉えっ私服⁉それ私服⁉」

「委員長は一回黙って。」

「ふ~ん。自分で用意したって素直に言っても良いんだよ?」

「本当に違うんだって。お願いだから信じて。」

「晶たんが・・・自分で用意した・・・私服!」

「お願いだから委員長は一回黙って。」

 思い返してみてもいつすり替えられたのか全く見当もつかない。リュックを背負った時点で気づきそうではあるが、気づけずとも仕方ない。それほど今朝の晶は、澪が用意した衣装への不安で心がいっぱいだったのだ。

 あたふたしている晶は、唯奈がすり替えたタイミングの推理と、そもそもコレに着替えるべきかの判断を同時並行的に行っているせいで、いまいち考えがまとまらない。しかしちらっと二人を見ると、どちらも何か期待感に満ちた表情でこちらを見ている。

「よし・・・制服にしよう。」

「待って晶ちゃん、制服も可愛いけど、せっかくだからそれも着てみて欲しいな。」

「待って晶たん・・・制服も可愛いけど・・・せっかくだから・・・それも着てみて・・・・欲しいなあぁぁぁぁ。」

「何で委員長は目が血走ってるの・・・。あと涎拭いて。」

サッとティッシュを澪に渡す。

「・・・でもまぁ良いか。せっかくの文化祭だしね。」

「やった~!嬉しい!良かったね、お望ちゃん!」

「うん!・・・ありがとう・・・ございます!」

「じゃあ着替えようかな。・・ええっと・・・あれ、なんか首元が・・・えっ?これオフショルニット⁉・・・ミニのプリーツスカートに・・・ストラップ付のローヒールサンダル。イヤーカフもある。」

 一通り確認した晶が固まる。やはり唯奈が仕込んだと断定できる服のセンス。丁寧に畳まれていたニットを何気なく広げてみるとやたらと首元が広い。それにミニ丈のプリーツスカートとサンダルのおかげで脚がどうしても丸出しになってしまう。コーディネートを邪魔しないシンプルで小さなリングタイプのイヤーカフは『ショートカットの髪を耳にかけろ』という唯奈からのメッセージか。

「えっオフショル⁉晶ちゃんオフショルなんて知ってるの⁉

「えっ肩⁉・・・晶たん・・・肩出すの⁉・・・」

「ニーソもないから脚も見られるよ。」

「えっ脚も⁉・・・。晶たん・・・脚も見ていいの⁉」

「だから妹が用意したんだってば・・・。」

 盛り上がる女子二人に力なく抵抗しておいた。

 カジュアル服なら問題ないだろうとたかをくくっていたが、唯奈が用意した勝負服は、奇しくもさっきまで着ていたメイド服よりも総合的に布面積が小さくなってしまった。

「やっぱ、制服に・・・。」

「え~つまんない。すっっっごいつまんない。」

「晶たんの・・・肩・・・見たかった・・・」

 期待感を煽られて落とされた二人が横で言いたい放題している。

「わかったってば・・・着替えるから、ちょっと一人にしてもらえる?」

 晶は決して状況に折れるタイプではない。普段なら確実に拒否している。たとえその決断について周りから何と言われようと、心が圧迫される感覚を伴う行動を退けてきた。まして普段着などと私生活が垣間見える瞬間を不特定多数に向けて自ら開示することは、パーソナルスペースがちょっと広めの晶にとって悪手とも言える。そしてそれは琴弧ならまだしも、あれだけうんざりした香りで束縛してきた澪に『もっと見てほしい』と言っているようなものだ。

 しかし文化祭マジックなのかメイド服を着て人前に出た経験からなのか、少し逞しくなった晶の心に潜り込んだそれらが、文化祭という非日常の空間に立っている晶の気持ちを大きくしたのだろう。

 こうしてみると影の功労者は唯奈と言っても過言ではない。もし彼女が行動しなければ貴重な晶の普段着スタイルを誰も目にすることはできないからだ。唯奈は『変装カフェなのに普段着スタイル』という矛盾しているようで、晶だからこそ成立する状況を生んだのだ。

 空き教室で再び一人になった晶。

『どうして頷いちゃったんだろう。・・・』

 耳鳴りが聞こえるほどの静寂とは裏腹に、後悔の念が酷くうるさい。文化祭の雰囲気、琴弧と澪からのプレッシャー、唯奈の仕込み。その全てに吞み込まれてしまった。唯一の救いはこっそり身体を仕上げていたことだけ。

『ほんと・・・夜に走っておいて良かった~。』
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