なぜか私だけ、前世の記憶がありません!

紺野想太

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前世の記憶 -フロリアン②-

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「…ガリアナ嬢。フロリアン・ウェブスターです。婚約を承諾していただいたお礼を直接お伝えしたくて伺ったのですが…。」

扉越しに声を掛ける。しかし、返事はない。
部屋まで案内してくれた執事と顔を見合わせるけど、諦めたような表情で視線を下げられてしまった。

「あの……突然お部屋まで押しかけてごめんなさい。また手紙を書いて送ります。返事は…無理に書かなくても大丈夫です。ただ、読んでもらえたら嬉しいです。」

もちろんハルトマン侯爵家に出向く前に、侯爵と令嬢にそれぞれ手紙は出してあった。…令嬢からの返事はなかったけど。

返事がないまま10分が経った。
そろそろ諦めるか、と扉に背を向けた時。

「…………どうぞ。」

か細い、聞き逃してしまいそうな声が聞こえた。

「入っても良いのですか?」

「……はい。……扉の音を立てないで。」

「わ、分かりました。失礼します。」

どうしてそんなお願いをされたのか、あの時は全く分からなかったけど、言葉通りゆっくり扉を開けた。


「…………え?」

そこにいたのは、12歳とは思えないほど小さく細い少女。部屋の奥で、頭を床につけて縮こまっている。

「……ガリアナ…ハルトマンです。よ、よろしくお願い致します、ご主人様…。」

まるで従者、いや奴隷のような姿だ。
侯爵家の令嬢とは思えないほど薄く、繕いだらけのドレス。令嬢たちは髪の美しさを自慢し合うと聞くが、細すぎる髪はひとつにまとめられているだけで艶もない。それに、誰がどのような教育をしたら令嬢がこんな言葉を言うんだ。

慌てて駆け寄って肩に手を添え、頭をあげてもらった。
ベビーピンクの瞳と目が合ったけど、彼女の目が僕を捉えていたのかどうかは分からない。

「床は冷えるでしょう。立てますか?椅子…は……」

手を差し伸べてから部屋を見渡す。
ベッドと、小さなクローゼットと、本棚に数冊の絵本。
それだけしかない、広い部屋。ドレッサーやジュエリーボックスなんかも見当たらない。

彼女は僕が差し出した手に戸惑っているようだった。でもこんな、絨毯も擦り切れて禿げているような床に座らせるわけにはいかない。少し強引だと思いつつ、彼女の手を取った。

「…とりあえず、ベッドに座ってください。」

手を引いて立たせる。想像以上に軽くて、腕が細くて、言葉が出なかった。

僕の言葉に頷いてベッドに座る。
僕は初対面から横に座るのも違うな、と思って床に座った。

「あ、あの……私が、床に座りますので…」

「あなたはこの侯爵家のご令嬢で、僕は客ですから。それに、椅子がないとはいえ初対面でレディーのベッドに座るなんてできません。」

「でも……」

お互いに譲らないまま何度かやり取りをしていると、執事が慌てた様子で椅子を持ってきた。
他にも机やティーポットにケーキなどが続々と運ばれてくる。
令嬢は不思議そうな顔をしているだけだった。

セッティングが終わった後も部屋に残ろうとした執事に居心地の悪そうな彼女を見て、下がってもらうことにした。
椅子に座って向き合った僕らは、改めて自己紹介をし合った。

「……あの、あなたのことをリアと呼んでもいいですか?僕のことはフローでいいので…。」

「そ、そんな、ご主人様を愛称で呼ぶなんて…。」

「……その、“ご主人様”っていうの…どうして?僕らは初対面なのに…。」

「あ…その、気を悪くされたならごめんなさい。…ただ、そう呼ぶようにと…。」

「誰が言ったの?」

「……う、乳母様が…。あの、お願いします。この事は乳母様には言わないでください。お願いします…。」

あぁ、そうか。
色んな違和感が一気にすとんと落ちたようだった。
つまり、侯爵が言うメイド…というのが乳母で、その乳母が意図的に彼女と外界の関わりを絶っているのだろう。何故乳母をメイドと呼んだのか分からないが、問題はそこじゃない。…乳母は、侯爵や屋敷の者には「お嬢様が部屋から出たがらない」と言い、彼女を閉じ込めて虐待していたんだ。

「…わかったよ。君の乳母には絶対に言わない。今日会ったことも…本当は駄目って言われてたの?」

「…はい。こんなみすぼらしい格好で会える方ではないから…。で、でも、ここまでわざわざ来てくださったのに黙って帰すなんて…。」

「ありがとう、リアは優しい子なんだね。…ねぇ、これは飲んだことある?温まるよ。ほら、こっちは甘くて美味しいんだ。イチゴは好き?」

これまで聞いてきた全ての噂がくだらない憶測でしかなかったと分かった途端、僕は彼女を気にかけずにはいられなかった。
この頃は恋心なんかじゃなくて、たぶん同情心だった。それでも、結婚することになる彼女がこんな扱いを受けているなんて。こんな家は早く出て、すぐにでも結婚してしまいたい。それで彼女を守ることができるなら。

「……甘い…?」

砂糖がたっぷり入った紅茶を飲んでも、生クリームを食べても、彼女は“甘い”がはっきり分からないようだった。こんなに細いんだ。恐らく、ろくなものを食べてないんだろう。味覚が鈍ってしまうほどに。

「…ねぇリア。婚約が成立したし、リアが良ければもう僕の家に来ることもできるよ。…どうしたい?」

うちは公爵家だから、リアを格上の家に嫁ぐための教育期間として預かることもできる。僕としてはこのまま連れていってしまいたいくらいだ。

「……私は…まだ、至らないので…。…………それに、この家には、お母様の部屋があるから…。」

「…うん、そっか。リアが至らないなんて全く思わないけど、思い出は大事だよね。でも覚えておいて、君はいつだって僕のところに来ることができるんだ。」

「……はい。……あ、あの、……ありがとう、ございます。」

少し、ほんの少しだけ、彼女の口角が上がった。
歳不相応に大人びた言動をしていても、やはりたった12歳の少女なんだ。
注視していないと分からないくらい微かな微笑みに、僕の何かが変えられてしまった気がした。

「ねぇリア。これからは僕がここに通ってもいいかな?」

こんなことが不意に口をついて出てしまったくらいには。

「…あ…う、乳母様が、……今日はお疲れのようで休まれているのですが…その、」

乳母が勝手に休むという有り得ない状況にため息が出そうになった。
無理やり飲み込んで、笑顔を貼り付ける。

「大丈夫。僕が勝手に押しかけてるってことにするよ。あぁほら、僕は公爵の息子だから、君の乳母より偉いんだ。だから、ね?お菓子もドレスもアクセサリーも全部、君が望むものはきっと用意するから。…どうかな?」

普段は自分を“誰かより偉い”なんて絶対言わない。それに、僕は公爵の息子であって、公爵でもないのだからそんな権限はないのかもしれないけれど…。それでも、この言葉で彼女が少しでも罪悪感を覚えずに僕と会ってくれるなら。彼女を乳母から引き離し、尊重されるべき侯爵家の令嬢としての扱いに慣れてくれるなら。

遠慮がちに、それでも小さく頷いてくれた彼女を見て、無意識に強ばっていた自分の顔がゆるんだ。







この頃の、幼いゆえの強引な正義感はきっと正しかったのだと思いたい。
いまのリアはまだ、間に合う。侯爵達もみんなリアの過去を知っているし、長い間彼女を苦しめた乳母はとっくに消えた。

だからね、リア。
今度こそ、僕が君をちゃんと幸せにするから。
ずっとずっと君のことだけが好きな僕を、今回も受け入れてくれたら嬉しいな。



…君を深く傷付けておいて、虫がよすぎるかもしれないけど、それでも僕は君の横に立つ未来を諦められない。
これは我儘だ。傲慢だ。分かってる。だけど…僕は、やっぱり君が大好きなんだ。
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