記憶の泉~くたびれたおじさんはイケメンアンドロイドと理想郷の夢を見る~

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第六話 過去の傷

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マイケルはチェストの一番上の引き出しを久しぶりに開いた。普段は触ろうともしないし意識をしていない場所だ。恐らく自分で意識の外に無理やり追いやっているのだと思う。
中には写真立てが入っている。
その一つを手に取ってみた。写真に写るのは一組の男女。背景には山が広がっている。
そこにいるのは若い時の自分とローズ。ローズは自分の妻だった女性だ。
写真が得意でないマイケルはいつもの仏頂面だがローズは満面の笑みを浮かべている。
よく笑う女だった。初対面の印象は良くなかったけれど、マイケルは彼女の笑顔が好きだったのだ。
手に取った写真をチェストの上に置いた。
しばらく悩んでまた引き出しにしまう。

2人が出て行った部屋は静まり返っている。フリーザーのモーター音すら聞こえてしまうぐらいの静寂。
少し前までは慣れた静けさだったのにマイケルは落ち着かなくなる。
ホープがやってきてから彼がマイケルを残して外出するのが初めてである事に気が付いた。
それほどホープはいつもマイケルの傍にいたのだった。

寂しい。

と感じた。
そう思う事に驚いた。
ホープに妻がいた事を隠したかったわけじゃない。ただ話す機会がなかっただけだ。
いや違うな。と思い直す。それは言い訳だ。
話す機会がなかったのではなく、話せなかったのだ。
ローズの死はマイケルの人生にとってそれほど大きな衝撃だった。
人は死ぬ。その当たり前の事がマイケルの心に重くのしかかる。
幼いころに知った残酷さをマイケルはローズの死で改めて感じて怖くなった。
自分が死ぬことに対する恐怖ではない。自分だけが残される事が怖くなったのだ。

両親を事故で早くに亡くしたマイケルにとって孤独は慣れたものだった。
慣れはしても寂しさは消えない。だから荒れた生活をした。
元々身寄りのなかったマイケルは施設で育ち、そこから出た後はお決まりのパターンだ。
街で同じような奴等と暴れていた。他の悪童とちょっと違ったのは、マイケルは小柄だが類まれな身体能力が備わっていた事だ。
アスリート並みの瞬発力。目の良さと勘の良さ。それを生かしてマイケルは一帯のボスになり上がった。
マイケルは喧嘩がとにかく強かった。度胸もあった。度胸の裏にはマイケルの投げやりさがあった。
自分の命を顧みないマイケルの行動を周りの人間は恐れた。
20歳でローズに出会うまでマイケルは本当にクズだったと自分でも思っている。
ローズの護衛対象を襲って逆にコテンパンにやられた。
警察に突き出されてしまえばそのまま刑務所に放り込まれていただろうマイケルを救ったのは、マイケルをボコボコにした当人であるローズだった。
彼女は何を思ったのかマイケルを拾って会社に連れ帰ったのだ。
後々彼女に「どうして俺を拾った?」と尋ねたら「勘よ。あなたは悪人じゃないと思ったの」と言っていた。
それが真実なのかどうかは今も知らない。
そうしてマイケルはローズの在籍していたガーディアンズに就職した。

「あなた筋は良いけど動きが無駄すぎ。今のままだと弱いわよ。強くなりたくない?」
女に負けた事が悔しくて会社に入ってからマイケルは彼女の訓練を何度も受けたけれど中々彼女には勝てなかった。
数年後にはマイケルの方が彼女よりも強くなっていたと思う。間違いなく。
けれどマイケルは彼女には勝てなかった。
マイケルが知る限り彼女は誰よりも強くて優しい人間だった。
彼女は腕っぷし以上に心が強くまっすぐだった。

尊敬はいつしか思慕に。それは強烈な恋愛感情に発展した。
けれどマイケルはそれを彼女にどう伝えれば良いのかまったくわからなくて、結局最後はまた彼女がマイケルを導いてくれた。
驚いたのは彼女もマイケルを愛してくれた事だ。
自分はまったくもって彼女にふさわしい男ではなかったと思っていたから。
「完璧なものなんてないもの。私は不完全な貴方が好きよ。私も不完全だから二人で丁度いいと思う」
1年ほどの交際を経てマイケルとローズは結婚した。
だが幸せな結婚生活は突然の終わりを迎えたのだ。

「そろそろ出るのか?」
「ええ、行かなきゃ、昼までに現地に入ってくれって言われてる。そろそろ出ないとフライトに遅れちゃう」
身支度をしながら彼女はマイケルに答えた。
先日までマイケルが出張だった。だからその日からマイケルは1週間のオフだった。
「いつ帰るって?」
「3日後よ、その後は私もオフだから久しぶりに二人でゆっくりできる」
マイケルは頷いて「どっかいく?」と尋ねる。彼女は髪を結いながら「家でいい、あなたとゆっくりしたいもの」と笑って言った。
「そろそろ出るわ。ダーリン。またね、電話する」
「あぁ気を付けて」
軽いハグとキス。
にっこり笑い彼女は玄関を出ていった。
彼女を見送るとパジャマのままのマイケルはやれやれと珈琲を啜りながらTVを付けた。
昨日のベースボールの試合結果が流れていた。穏やかな朝だった。
3日後には彼女は帰ってくるだろう。久しぶりに二人で休暇を過ごす。
どこにも行かないと言っていたが、買い物ついでに映画ぐらいは見てもいい。
今は何が上映されているのだろうか?マイケルは端末を手に取って調べ始める。
初秋の風が、開いた窓から爽やかに吹き込んだ。随分と涼しくなったなと思った。
ローズとアクション映画を見てはいけない。あれはリアルじゃなかっただの、銃の扱いが甘いだのと文句を言うからだ。見るならサスペンスか王道のロマンス。
ロマンス映画はマイケルの趣味じゃないがローズは好きなのだ。
そんな事を考えていた。
まさか彼女が二度とこの家に歩いて戻る事がないなんて想像もしていなかった。
自分の世界が真っ黒になる瞬間なんて、思いもしなかったのだ。

マイケルは引き出しを再度開いた。そろそろ、きちんと進むべき頃合いなのかもしれない。
そう思うようになった。そう思えたのは多分ホープの存在があるからだ。自分はもう一人じゃない。
彼はきっと静かに話を聞いてくれるだろう。エミリアには言えない事だ。彼女もまた姉を失った痛みを抱えて生きている。だからマイケルの弱音を聞かせるなんてできないのだ。
ここまで見越してチャールズは自分にホープを託したのだろうか。
だとしたら少しだけ悔しい。

玄関の扉が開いた音がした。
マイケルは思い切って写真立てを引っ張り出し棚の上に並べていった。

写真の中のローズはとても幸せそうに笑っていた。




「交通事故だったんだ。居眠り運転の車から小さな男の子を庇ったそうだ」
写真を眺めているとマイケルが後ろからホープに声をかけた。
振り向くと小さな笑みを浮かべたマイケルが立っている。
ホープが帰ってくると棚の上にたくさんの写真立てが飾ってあった。若いころのマイケルと、隣で笑う女性が多分ローズだろうと思った。
エミリアとどことなく似ている。
ローズとマイケル、そしてエミリアが三人で写っているものもあった。エミリアは今より随分と幼い。
マイケルが何故この写真を並べたのか、ホープにはわからない。
ただ自分に見せていいのだと思ってくれたのだろう。それとも自分が知りたい素振りを見せたから、彼に無理をさせたのだろうか。
「・・・そうなんだ。綺麗な人、だね」
「聞きたい?俺の昔の話をもっと」
マイケルの事なら何でも知っておきたいけれどこれ以上無理強いしたくなかった。
「知りたいけど、マイケルが話したいと思った時に話せることだけ話してくれれば、嬉しい」
「嬉しい?」
「うん。だって好きな人の過去の話は知りたいよ?知って共有出来たら嬉しい。だから、ね?」
そう言ったホープの言葉にマイケルはとても驚いた顔をした。
「お前ってさ。すごく変わってる」
「だって俺は欠陥品だから」
自分が持っている”ゆらぎ”。それは欠陥だとチャールズは言った。完璧なアンドロイドになり切れない中途半場な自分。だからこんなにも知りたくなる。踏み込みたくなるんだろう。
「まさか!欠陥品じゃない、お前は多分唯一なんだよ」
「唯一?」
「ホープ。お前がいてくれて良かった。俺もお前が好きだよ。だから俺の話を聞いてくれるか?楽しい話ばかりじゃないけれどお前に知っておいてほしい」
マイケルの言葉にホープはなんだか泣きたくなった。信頼してくれている事がとても嬉しい。
彼を守りたい、いつだって笑っていて欲しい。その為ならどんな事でもできるような気がする。
「ねぇマイケル。ハグしてもいい?」
「なんでだよ」
「家族だから」
親愛のハグだよ。とホープが言うとマイケルは苦笑してから一歩ホープに歩み寄った。
拡がった腕がホープの首に回る。
ホープはマイケルよりも頭一つほど身長が高いからマイケルはホープにぶら下がるように抱き着いた。
マイケルの背中にホープが腕を回して力をこめる。
しっかりとした人の肉の感触がする。
生きている温かさ。横にあるマイケルの頬からほのかに香る彼の香り。

ぽん。

マイケルはホープの後頭部を優しく手で叩いて体を離した。
離れていくマイケルの体温に寂しさを感じたとき、ホープは何故自分に体温が与えられているのかを真に理解した。
他人の温かさに人間は安心する。それが愛おしい人なら殊更だ。
ホープはもっとマイケルの体温を感じたくなった。子供が母親の温もりを求めるように、あるいは。
恋人の温もりを求めるように。
同時にまた胸が痛くなる。
自分が人であったなら良かったのに。彼を本当の体温で癒せればいいのに。
「少し話そう」
マイケルの言葉にホープは頷いた。
「長い、話になるかもしれない」
「かまわないよ。僕も聞きたい」
ホープが言うとマイケルは小さく笑った。

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