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第七話 初めてのキス
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カラン。
マイケルのグラスに入れた氷の音が鳴った。
ソファーにゆったりと腰を掛けたマイケルの隣にホープは座って彼の話を聞いていた。
「じゃあ、相当無茶をしていたの?」
「そうだなぁ。その頃はどうでもいいやって思ってたし」
今マイケルがホープにしている話は彼が若い時のこと。
幼くして両親を亡くし、預けられた先の酷い環境の児童施設から逃げ出してストリートで生き抜いた彼は一時期相当荒れていたらしい。
「クズな大人しか知らなかったから、まともな大人なんていないって思ってたしな」
「そっか、大変だったんだね」
「まぁよくある話だよ」
彼は淡々と話した。きっとその時の痛みはもうマイケルの中では昇華されている事なのだろう。話は続く、ローズと出会って彼女に完膚なきまでに叩きのめされたところは思わず笑ってしまった。
「すごいね、ローズは」
「あぁすっごい女だった。マジで。容赦がないんだぜ。俺は腕を一本折られたんだぞ」
「本当に?」
「本当に」
「でも好きになったんだね」
「そうだな。気がついたら彼女以外見えなくなってた。ガキだったんだよ。俺は何もわかってないガキだった。けど本当に彼女の事、好きだったよ」
「うん・・・・」
どう答えて良いのかわからずホープはただ頷いた。
マイケルも黙ってしまって部屋に長い沈黙が落ちる。
カラン。とまた氷が鳴った。
ふと見るとマイケルが目を閉じている。時計を見るととっくに日付は変わっていた。
「ねちゃった?」
尋ねてもマイケルは答えない。しばらくそのままでいると、ずるりと頭をホープの肩にもたれかからせてきた。
ホープはマイケルの肩に腕を回して受け止める。
見た目より柔らかな金茶の髪がホープの頬を擽った。
「好き」
呟いてみたけどマイケルは起きない。
鼻先をマイケルの頭に突っ込んでそこにキスをしてみる。飲み始める前にシャワーをした彼からは清潔なシャンプーの香りがする。
ホープの優秀なAIはその成分までも反射的に導き出す。洗浄力のある洗剤の成分に人工の香料、成分の大部分の大元は石油だ。だが彼から立ち上る香りはマイケル自身の体臭と混じり合って全く違う物になる。
それを好ましく感じるのはホープがマイケルのことを好きだからだ。
ホープには特定の香りはない。当たり前だ。自分は特殊な人工合成物の集まりだ。骨にはファイバー繊維が組み込まれ肌は人工皮膚に強靭なコーティングが施されている。眼球は偽物で小型の高性能モニターが入ったガラス玉だ。
瞬きは人間の平均である15回~20回をランダムに繰り返す。すべては計算されたものだ。
目に潤いがないと「人らしく」見えないから涙腺にかわるものがあり、そのために瞳が潤っている。
だが「泣く」事はない。泣くのは感情に起因するものだ。だからアンドロイドは泣かない。
張り裂けそうな想いを抱えてもホープは泣くことはないだろう。
ホープは体の体勢を変えてマイケルを横抱きにして抱え立ちあがった。
制限があるといってもホープは一般成人男性よりもずっと強靭で力もある。
マイケル一人を持ち上げることぐらい簡単だった。
ホープはそのままマイケルの寝室に彼を運んだ。そのまま彼の寝室に向かう。
初めて入るマイケルの寝室はガランとしていた。部屋の端にベッドがあるだけだ。ベッドには青いシーツがかかっている。
ホープはそこにそっとマイケルを寝かせた。
「う・・・。う~ん」
眠る彼は穏やかだ。過去を語り嫌な夢を見ないかと心配していたが大丈夫のようだ。
「おやすみ、マイケル。続きはまた今度聞かせてね」
ホープはそうっと屈んで彼の頬にキスをした。
しばらくホープはマイケルの寝顔を見つめていた。それからゆっくりとその場を離れると寝室を後にする。
自分の部屋に入ってごろりとベッドに横になる。
体が熱い。体温の上昇と呼吸がいつもより少し早くなっている。
腰から下におかしな感覚がある。意図的に使う時以外に”そう”なった事がない場所が熱く感じた。
股間を押し上げているのは人と交わるときに必要な器官だ。
”そういう役目”を求められる時にだけそこが変化する。今ホープはそれを求められていないのに。
「これが、欲?」
人間が感じる劣情と呼ばれる欲をホープは初めて感じる事になった。
呼吸を深くして目を閉じる。
繰り返し思い出す彼の香りにしばらくそれは治まることはなかった。
★
ホープに過去の事を打ち明けた日。マイケルは少々飲みすぎたのかいつの間にか眠ってしまったらしい。
「俺、途中で寝た?」
尋ねるとホープに「うん、熟睡してたからベッドに運んだよ」と言われて少し恥ずかしかった。
40を過ぎた男がまさか寝落ちしてベッドに運ばれるとは・・・。
「すまん」
と謝ると「いいよ、珍しくマイケルの寝顔見れたし」とさらりと言われて余計に恥ずかしかった。
人に弱みを見せるのが苦手なマイケルは人前で眠る事がそもそも苦手だ。
ローズ以外の誰かの前で酒が入っていたにせよ寝入ってしまうとは信じられない。
自分がホープに寄せている信頼は思ったよりも大きなものらしい。
本当の家族のように彼に対して心がオープンになっている。
幼い頃に両親を亡くし、短い結婚生活しか経験のないマイケルにとって家族という定義は実に曖昧だった。
血の繋がり?それはマイケルにとって大切な事じゃない。
だらこそアンドロイドであるホープを偏見なしに受け入れられたのだと思う。
最初は気晴らしになればいいと思った。
人は心の根底に孤独を回避しようとする本能がある。人間は本来群れる動物だ。けれどそれを拒絶したい時もある。
寂しいくせに群れたくなくて、けれど孤独は辛い。
単に自分が天邪鬼なのかもしれないが、人ではなくアンドロイドなら自分に踏み込み過ぎてくる事はないから気楽だったのだ。
だが今やホープはそういう理由ではなくマイケルにとってかけがえのない人になりつつあった。
彼のいない生活が想像できないほど、ホープの気遣いや優しさは確実にマイケルを癒やしてくれる。
それから二人は生活を送る中で少しずつお互いの話をした。
それはマイケルにとっても自分の気持を整理する機会となっていった。
心が立ち直るというのは辛い事を誰かに話せるようになった時なのだ。長い時間を経てマイケルはやっとローズの死を正面から受け止めつつあった。
ホープも前に自分が居たステーションでの話をマイケルにしてくれる。
「知りたい」とマイケルが言ったからだ。マイケルもホープについて知りたくなった。
ホープには人と同じ感情が宿っている。それは魂だ。マイケルはそれを確信していた。
最初は人の感情を真似しているだけだと思っていたが、今は違うと思っている。
ホープには人間と同じように自我があった。だからこそお互いをもっと知り合う必要がある。
「アンドロイドは目が覚めた時にすでに生まれた意味がわかってるんだよ」
「そうなのか?」
「うん、絶対的な命令があるんだ。プログラムされている一番重要な仕事。人間を喜ばせる事。それが僕に与えられた仕事だった」
アンドロイドには様々な用途があるがホープのような高性能で見た目の良いヒューマイノイドの多くが【娯楽】のためのものであることはマイケルも承知していた。
セキュリティサービスを受けるVIPの中にはホープのようなヒューマノイドを愛人にして自慢する奴等もいたからだ。
彼らは総じて美しく、決して主人に逆らわない。なによりも老いずに永遠に若いままだ。
もしも飽きたらリセットするか顔を変えればいい、とてもお得な買い物だったと彼らは恥ずかしげもなくそう言っていた。
宇宙ステーションでは人々のストレス対策の一環としてヒューマノイドを使っていたのだとホープは言った。
「お前の他にもいたのか?」
「いたよ。僕を含めて8体いた。だってステーションには1000人ぐらい住んでるんだ。もちろん全員が僕達を利用するわけじゃなかった」
「そうか」
「ある日、一人の女性に”愛してる”って言われたんだ」
閉鎖的な空間で自分を寛大に受け止めてくれる美しい男がいれば愛してしまう気持ちはマイケルにもなんとなく理解できる。
その女はきっと寂しかったのだろう。自分と同じように。
その癒しをホープに求めた。それはマイケルも同じ事だ。
だがヒューマノイドには一般的に一人を愛する事はない。
プログラムされればその人物だけを「愛している」ように振舞う事はしてくれるだろうが。それは愛ではなく忠誠と呼ぶべきものだ。
「僕は、愛がわからなかったから。でもそういう時は愛してるよって言葉を返さなきゃいけないと思ってた。だからそうしたんだ。彼女はとても傷ついた顔をしていたよ。そして彼女はステーションから去ってしまった。僕のせいだったって今ならわかる」
「お前は悪くないよ」
マイケルはきっぱりと言った。
「そういうふうにお前たちを創った人間のエゴだ。だからお前がどうこう思う必要はない」
ホープは驚いた顔をした後に寂しそうに笑った。
それを見てマイケルは心臓が掴まれたように痛くなった。
アンドロイドに感情がないなんて嘘だ。少なくともやはりホープにはある。彼はその事を後ろめたく思っているのだ。
その女の望む愛を返せなかった事に。
「お前のせいじゃない」
マイケルはもう一度強くそう言った。
「ねぇ、マイケル。僕がもしあなたを愛しているって言ったら。あなたはどうする?」
「は?」
マイケルは言われた意味がよくわからずに聞き返した。「あいしてる」とホープは言ったのか。
「僕は貴方を愛してる」
「家族として、だろ?」
「僕が肉欲を持っていないならそうだろうけど」
にくよく?とマイケルはぼんやりとその言葉を聞いた。ホープが何を言いたいのかが、理解できなくて脳に到達するまでに時間がかかり、しばらくしてようやく言葉の意味を呑み込んだ。
「まて。ちょっと、まてよ。お前は俺をマスターとして登録されてるから、それで勘違いしてるんだ」
顔の前で掌をホープに向けて振りながら言うと彼は困ったように眉を下げる。
「マスター登録はしていない」
「けど、最初の日にマスターだって言ったじゃないか!」
「チャールズにそう言われたけど、登録はされていないんだよ。していたとしても肉欲を感じるのはおかしいでしょう」
「何回も肉欲って言うなよ・・・。じゃあ・・・どういうことなんだよ・・・」
困り切ったマイケルにホープは微笑んだ。
「前は知らなかった。愛するって事が苦しいってことも、愛する人に自分だけを見て欲しいって思う事も抱きしめてキスしたい、一つになりたいって思う事もなかった。でも今はわかるんだ。僕は貴方にそれを感じてる。だからこれは愛だ。受け入れられないのは仕方ないけど、否定しないで」
マイケルはホープが他のヒューマノイドとは何かが決定的に違うとずっと思っていた。
自我が彼の中には育っている。だがまさか自分にそういう感情が向けられるとは思っていなかった。
刷り込みかもしれない、とも思った。限られた人間しか知らないからマイケルに執着している可能性もある。
愛を知らずに育った自分もローズに愛を育ててもらった。その自分と今のホープとどう違うのだろうか。
マイケルもローズを愛した自分の気持ちは否定されたくないし、したくない。本物かどうかは自分にしかわからない。
ホープの事は好きだ。それが彼と同じように肉欲を伴うものか、まだわからない。そういうものからマイケルは遠のき過ぎていたのだ。
ホープの望むような愛し方ができるかどうかわからないけれど、彼を突き離すという選択肢はマイケルの中にはない。傍にいて欲しい。ホープにずっと自分の傍にいてほしい。
だって仕方ないじゃないか。
こんなに綺麗で優しくて一途な想いを受けて揺らがないなんてできないじゃないか。
進むべき道が目の前にあった。ずっと閉ざされていた暗闇しかなかった道に一筋の光明が差しこんで明るく照らされていた。
照らしたのはホープだった。その名前の通り彼はマイケルの希望の光としてそこに居た。
「わかった」
マイケルはそう答えた。
「え?」
「お前の気持ちは理解した。けど俺もさ、そういう事にはとんと縁が薄くてさ。お前の事は好きだけど同じように、その・・・肉欲?それを持てるのかわからないんだ」
「人間でもわからないんだね」
ホープがクスクスと楽しそうに笑うからマイケルも笑った。
「そりゃそうだよ。わからない事だらけだよ。でも俺はお前を手放したくない。それだけはわかる。だからさ、ゆっくりでいいなら試してみよう」
「試す?」
「デートをしてみるとか。それにもっと話をしてさ。それから・・・その内にそういう気分になれれば、そうする事もできるかもしれないし」
「そうって?」
「だから、アレだよ、アレ。セックスとか、まぁそういうやつ」
「あぁ成程ね。うん。わかった。つまり僕が頑張ってマイケルを口説けばいいってことでしょ?マイケルがその気になるまで僕はいつまでも待つからね」
「お前、そういう知識は豊富だよね・・・」
「そりゃあそうだよ。知ってたでしょ?ねぇマイケル。抱きしめていい?」
マイケルは思わず眉間に皺を寄せた。さっきまでしおらしくしていたくせに現金なやつだなと思うと同時に、その素直な思考に安心もする。まっすぐに向けられた好意はマイケルを優しく包んでくれる。
あぁ、この勝負はどうやら自分に分が悪いような気がする。もうすでにマイケルはホープがかなり好きだ。
黙ったまま小さく頷くとホープはまるで壊れ物を扱うかのようにマイケルをふんわりと抱きしめた。
ホープの腕の中は温かく気持ちがいい。
「キス、していい?」
おずおずと尋ねてきたホープにマイケルは思わず笑った。本当に現金な奴。さっきまでは待つとか言ってたくせに。でも憎めないし素直に強請るホープが可愛くて仕方ない。必死な顔のホープを見ているだけでなんだかくすぐったくて面映ゆい。
だから照れ隠しと意趣返しの意味を込めてマイケルは無言でホープの胸倉をつかむと、強く引き寄せて噛みつくようにキスをした。
初めて味わうホープの唇は温かく湿っていた。
マイケルのグラスに入れた氷の音が鳴った。
ソファーにゆったりと腰を掛けたマイケルの隣にホープは座って彼の話を聞いていた。
「じゃあ、相当無茶をしていたの?」
「そうだなぁ。その頃はどうでもいいやって思ってたし」
今マイケルがホープにしている話は彼が若い時のこと。
幼くして両親を亡くし、預けられた先の酷い環境の児童施設から逃げ出してストリートで生き抜いた彼は一時期相当荒れていたらしい。
「クズな大人しか知らなかったから、まともな大人なんていないって思ってたしな」
「そっか、大変だったんだね」
「まぁよくある話だよ」
彼は淡々と話した。きっとその時の痛みはもうマイケルの中では昇華されている事なのだろう。話は続く、ローズと出会って彼女に完膚なきまでに叩きのめされたところは思わず笑ってしまった。
「すごいね、ローズは」
「あぁすっごい女だった。マジで。容赦がないんだぜ。俺は腕を一本折られたんだぞ」
「本当に?」
「本当に」
「でも好きになったんだね」
「そうだな。気がついたら彼女以外見えなくなってた。ガキだったんだよ。俺は何もわかってないガキだった。けど本当に彼女の事、好きだったよ」
「うん・・・・」
どう答えて良いのかわからずホープはただ頷いた。
マイケルも黙ってしまって部屋に長い沈黙が落ちる。
カラン。とまた氷が鳴った。
ふと見るとマイケルが目を閉じている。時計を見るととっくに日付は変わっていた。
「ねちゃった?」
尋ねてもマイケルは答えない。しばらくそのままでいると、ずるりと頭をホープの肩にもたれかからせてきた。
ホープはマイケルの肩に腕を回して受け止める。
見た目より柔らかな金茶の髪がホープの頬を擽った。
「好き」
呟いてみたけどマイケルは起きない。
鼻先をマイケルの頭に突っ込んでそこにキスをしてみる。飲み始める前にシャワーをした彼からは清潔なシャンプーの香りがする。
ホープの優秀なAIはその成分までも反射的に導き出す。洗浄力のある洗剤の成分に人工の香料、成分の大部分の大元は石油だ。だが彼から立ち上る香りはマイケル自身の体臭と混じり合って全く違う物になる。
それを好ましく感じるのはホープがマイケルのことを好きだからだ。
ホープには特定の香りはない。当たり前だ。自分は特殊な人工合成物の集まりだ。骨にはファイバー繊維が組み込まれ肌は人工皮膚に強靭なコーティングが施されている。眼球は偽物で小型の高性能モニターが入ったガラス玉だ。
瞬きは人間の平均である15回~20回をランダムに繰り返す。すべては計算されたものだ。
目に潤いがないと「人らしく」見えないから涙腺にかわるものがあり、そのために瞳が潤っている。
だが「泣く」事はない。泣くのは感情に起因するものだ。だからアンドロイドは泣かない。
張り裂けそうな想いを抱えてもホープは泣くことはないだろう。
ホープは体の体勢を変えてマイケルを横抱きにして抱え立ちあがった。
制限があるといってもホープは一般成人男性よりもずっと強靭で力もある。
マイケル一人を持ち上げることぐらい簡単だった。
ホープはそのままマイケルの寝室に彼を運んだ。そのまま彼の寝室に向かう。
初めて入るマイケルの寝室はガランとしていた。部屋の端にベッドがあるだけだ。ベッドには青いシーツがかかっている。
ホープはそこにそっとマイケルを寝かせた。
「う・・・。う~ん」
眠る彼は穏やかだ。過去を語り嫌な夢を見ないかと心配していたが大丈夫のようだ。
「おやすみ、マイケル。続きはまた今度聞かせてね」
ホープはそうっと屈んで彼の頬にキスをした。
しばらくホープはマイケルの寝顔を見つめていた。それからゆっくりとその場を離れると寝室を後にする。
自分の部屋に入ってごろりとベッドに横になる。
体が熱い。体温の上昇と呼吸がいつもより少し早くなっている。
腰から下におかしな感覚がある。意図的に使う時以外に”そう”なった事がない場所が熱く感じた。
股間を押し上げているのは人と交わるときに必要な器官だ。
”そういう役目”を求められる時にだけそこが変化する。今ホープはそれを求められていないのに。
「これが、欲?」
人間が感じる劣情と呼ばれる欲をホープは初めて感じる事になった。
呼吸を深くして目を閉じる。
繰り返し思い出す彼の香りにしばらくそれは治まることはなかった。
★
ホープに過去の事を打ち明けた日。マイケルは少々飲みすぎたのかいつの間にか眠ってしまったらしい。
「俺、途中で寝た?」
尋ねるとホープに「うん、熟睡してたからベッドに運んだよ」と言われて少し恥ずかしかった。
40を過ぎた男がまさか寝落ちしてベッドに運ばれるとは・・・。
「すまん」
と謝ると「いいよ、珍しくマイケルの寝顔見れたし」とさらりと言われて余計に恥ずかしかった。
人に弱みを見せるのが苦手なマイケルは人前で眠る事がそもそも苦手だ。
ローズ以外の誰かの前で酒が入っていたにせよ寝入ってしまうとは信じられない。
自分がホープに寄せている信頼は思ったよりも大きなものらしい。
本当の家族のように彼に対して心がオープンになっている。
幼い頃に両親を亡くし、短い結婚生活しか経験のないマイケルにとって家族という定義は実に曖昧だった。
血の繋がり?それはマイケルにとって大切な事じゃない。
だらこそアンドロイドであるホープを偏見なしに受け入れられたのだと思う。
最初は気晴らしになればいいと思った。
人は心の根底に孤独を回避しようとする本能がある。人間は本来群れる動物だ。けれどそれを拒絶したい時もある。
寂しいくせに群れたくなくて、けれど孤独は辛い。
単に自分が天邪鬼なのかもしれないが、人ではなくアンドロイドなら自分に踏み込み過ぎてくる事はないから気楽だったのだ。
だが今やホープはそういう理由ではなくマイケルにとってかけがえのない人になりつつあった。
彼のいない生活が想像できないほど、ホープの気遣いや優しさは確実にマイケルを癒やしてくれる。
それから二人は生活を送る中で少しずつお互いの話をした。
それはマイケルにとっても自分の気持を整理する機会となっていった。
心が立ち直るというのは辛い事を誰かに話せるようになった時なのだ。長い時間を経てマイケルはやっとローズの死を正面から受け止めつつあった。
ホープも前に自分が居たステーションでの話をマイケルにしてくれる。
「知りたい」とマイケルが言ったからだ。マイケルもホープについて知りたくなった。
ホープには人と同じ感情が宿っている。それは魂だ。マイケルはそれを確信していた。
最初は人の感情を真似しているだけだと思っていたが、今は違うと思っている。
ホープには人間と同じように自我があった。だからこそお互いをもっと知り合う必要がある。
「アンドロイドは目が覚めた時にすでに生まれた意味がわかってるんだよ」
「そうなのか?」
「うん、絶対的な命令があるんだ。プログラムされている一番重要な仕事。人間を喜ばせる事。それが僕に与えられた仕事だった」
アンドロイドには様々な用途があるがホープのような高性能で見た目の良いヒューマイノイドの多くが【娯楽】のためのものであることはマイケルも承知していた。
セキュリティサービスを受けるVIPの中にはホープのようなヒューマノイドを愛人にして自慢する奴等もいたからだ。
彼らは総じて美しく、決して主人に逆らわない。なによりも老いずに永遠に若いままだ。
もしも飽きたらリセットするか顔を変えればいい、とてもお得な買い物だったと彼らは恥ずかしげもなくそう言っていた。
宇宙ステーションでは人々のストレス対策の一環としてヒューマノイドを使っていたのだとホープは言った。
「お前の他にもいたのか?」
「いたよ。僕を含めて8体いた。だってステーションには1000人ぐらい住んでるんだ。もちろん全員が僕達を利用するわけじゃなかった」
「そうか」
「ある日、一人の女性に”愛してる”って言われたんだ」
閉鎖的な空間で自分を寛大に受け止めてくれる美しい男がいれば愛してしまう気持ちはマイケルにもなんとなく理解できる。
その女はきっと寂しかったのだろう。自分と同じように。
その癒しをホープに求めた。それはマイケルも同じ事だ。
だがヒューマノイドには一般的に一人を愛する事はない。
プログラムされればその人物だけを「愛している」ように振舞う事はしてくれるだろうが。それは愛ではなく忠誠と呼ぶべきものだ。
「僕は、愛がわからなかったから。でもそういう時は愛してるよって言葉を返さなきゃいけないと思ってた。だからそうしたんだ。彼女はとても傷ついた顔をしていたよ。そして彼女はステーションから去ってしまった。僕のせいだったって今ならわかる」
「お前は悪くないよ」
マイケルはきっぱりと言った。
「そういうふうにお前たちを創った人間のエゴだ。だからお前がどうこう思う必要はない」
ホープは驚いた顔をした後に寂しそうに笑った。
それを見てマイケルは心臓が掴まれたように痛くなった。
アンドロイドに感情がないなんて嘘だ。少なくともやはりホープにはある。彼はその事を後ろめたく思っているのだ。
その女の望む愛を返せなかった事に。
「お前のせいじゃない」
マイケルはもう一度強くそう言った。
「ねぇ、マイケル。僕がもしあなたを愛しているって言ったら。あなたはどうする?」
「は?」
マイケルは言われた意味がよくわからずに聞き返した。「あいしてる」とホープは言ったのか。
「僕は貴方を愛してる」
「家族として、だろ?」
「僕が肉欲を持っていないならそうだろうけど」
にくよく?とマイケルはぼんやりとその言葉を聞いた。ホープが何を言いたいのかが、理解できなくて脳に到達するまでに時間がかかり、しばらくしてようやく言葉の意味を呑み込んだ。
「まて。ちょっと、まてよ。お前は俺をマスターとして登録されてるから、それで勘違いしてるんだ」
顔の前で掌をホープに向けて振りながら言うと彼は困ったように眉を下げる。
「マスター登録はしていない」
「けど、最初の日にマスターだって言ったじゃないか!」
「チャールズにそう言われたけど、登録はされていないんだよ。していたとしても肉欲を感じるのはおかしいでしょう」
「何回も肉欲って言うなよ・・・。じゃあ・・・どういうことなんだよ・・・」
困り切ったマイケルにホープは微笑んだ。
「前は知らなかった。愛するって事が苦しいってことも、愛する人に自分だけを見て欲しいって思う事も抱きしめてキスしたい、一つになりたいって思う事もなかった。でも今はわかるんだ。僕は貴方にそれを感じてる。だからこれは愛だ。受け入れられないのは仕方ないけど、否定しないで」
マイケルはホープが他のヒューマノイドとは何かが決定的に違うとずっと思っていた。
自我が彼の中には育っている。だがまさか自分にそういう感情が向けられるとは思っていなかった。
刷り込みかもしれない、とも思った。限られた人間しか知らないからマイケルに執着している可能性もある。
愛を知らずに育った自分もローズに愛を育ててもらった。その自分と今のホープとどう違うのだろうか。
マイケルもローズを愛した自分の気持ちは否定されたくないし、したくない。本物かどうかは自分にしかわからない。
ホープの事は好きだ。それが彼と同じように肉欲を伴うものか、まだわからない。そういうものからマイケルは遠のき過ぎていたのだ。
ホープの望むような愛し方ができるかどうかわからないけれど、彼を突き離すという選択肢はマイケルの中にはない。傍にいて欲しい。ホープにずっと自分の傍にいてほしい。
だって仕方ないじゃないか。
こんなに綺麗で優しくて一途な想いを受けて揺らがないなんてできないじゃないか。
進むべき道が目の前にあった。ずっと閉ざされていた暗闇しかなかった道に一筋の光明が差しこんで明るく照らされていた。
照らしたのはホープだった。その名前の通り彼はマイケルの希望の光としてそこに居た。
「わかった」
マイケルはそう答えた。
「え?」
「お前の気持ちは理解した。けど俺もさ、そういう事にはとんと縁が薄くてさ。お前の事は好きだけど同じように、その・・・肉欲?それを持てるのかわからないんだ」
「人間でもわからないんだね」
ホープがクスクスと楽しそうに笑うからマイケルも笑った。
「そりゃそうだよ。わからない事だらけだよ。でも俺はお前を手放したくない。それだけはわかる。だからさ、ゆっくりでいいなら試してみよう」
「試す?」
「デートをしてみるとか。それにもっと話をしてさ。それから・・・その内にそういう気分になれれば、そうする事もできるかもしれないし」
「そうって?」
「だから、アレだよ、アレ。セックスとか、まぁそういうやつ」
「あぁ成程ね。うん。わかった。つまり僕が頑張ってマイケルを口説けばいいってことでしょ?マイケルがその気になるまで僕はいつまでも待つからね」
「お前、そういう知識は豊富だよね・・・」
「そりゃあそうだよ。知ってたでしょ?ねぇマイケル。抱きしめていい?」
マイケルは思わず眉間に皺を寄せた。さっきまでしおらしくしていたくせに現金なやつだなと思うと同時に、その素直な思考に安心もする。まっすぐに向けられた好意はマイケルを優しく包んでくれる。
あぁ、この勝負はどうやら自分に分が悪いような気がする。もうすでにマイケルはホープがかなり好きだ。
黙ったまま小さく頷くとホープはまるで壊れ物を扱うかのようにマイケルをふんわりと抱きしめた。
ホープの腕の中は温かく気持ちがいい。
「キス、していい?」
おずおずと尋ねてきたホープにマイケルは思わず笑った。本当に現金な奴。さっきまでは待つとか言ってたくせに。でも憎めないし素直に強請るホープが可愛くて仕方ない。必死な顔のホープを見ているだけでなんだかくすぐったくて面映ゆい。
だから照れ隠しと意趣返しの意味を込めてマイケルは無言でホープの胸倉をつかむと、強く引き寄せて噛みつくようにキスをした。
初めて味わうホープの唇は温かく湿っていた。
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ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
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