記憶の泉~くたびれたおじさんはイケメンアンドロイドと理想郷の夢を見る~

magu

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第十一話 不穏な気配

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瞬く間に月日は流れていった。
ホープを見ているとそこだけ時間が止まっているように感じるが鏡の中の自分はどんどん年老いる。
ホープとマイケルが本当の家族になって5年の月日が流れていた。
「マイケル。今日はメンテナンスだからチャールズのところに行くけど一緒に行く?」
「いや俺は家にいる、チャールズにはよろしく言っておいてくれ」
「わかった」
ホープは半年に一度、チャールズのところに行く。定期メンテナンスのためだ。
チャールズには早々にホープとマイケルの関係は露見している。隠しておくつもりもなかったがチャールズに知れるといろいろな意味で厄介だろうと思っていた。だがチャールズは予想に反して二人のことを静観してくれている。
だがマイケルはホープのメンテナンスには付き合わないようになった。単純になんだか照れ臭かったのだ。
ホープが”心”を持ったことについてチャールズは今も研究を重ねているらしい。
マイケルにはよく分からないが、ホープはかなり特別なアンドロイドなのだそうだ。ホープはチャールズの祖父と父親が手がけた最後のアンドロイドで、特殊なAIが搭載されているそうだがマイケルは説明されてもよくわからなかった。
マイケルにとってホープはただホープだ。
自分を掛け値なしに愛してくれていて、自分も同じようにホープを愛している。それだけがわかっていればいい。

エミリアはそんなマイケルの変化を喜んだ。
彼女は時々二人を訪ねてくる。頻度はそう多くない。せいぜい一年に数度だ。
彼女を見てローズを思い出すことはあっても、それを苦しいと思う事はなくなった。
ローズの事を忘れたわけじゃない。想い出としてマイケルの中に彼女はしっかりといる。
ホープと二人で彼女の墓前に二人のことを報告した。彼女はきっと見守ってくれていると今は思える。

ホープが出かけた後に細々とした用事を片付ける。
最近は仕事が休みの時はこうやって家で過ごす事が多い。シーツでも洗うかと思い立ちシーツを剥がして洗濯機に放り込む。
やる気になると次々にあちこちが気になり始める。
掃除をしていると昼になっていた。ホープはまだ戻らない。
マイケルは少し体のだるさを感じてソファーに横になった。
最近疲れるのが以前より早いように感じる。
ホープが年を取らないからついつい忘れそうになるがもう自分も50に手が届く年齢になったのだ。
こうして穏やかに老いるのか、と思うとそれも悪くないと思う。
だがホープは20代後半から30代前半の肉体年齢だ。
見た目の歳の差はどんどん広がっている。気にしないと思っていても少し気になる。
彼とのセックスの頻度はそう多くないが、週に一度ぐらいは肌を重ね合っている。
さすがに毎日勤しむ事ができる年齢ではない。時々ホープには悪い事をしている気分になるが、ホープからは特に苦情は言われていない。
ただそのせいか抱き合う時はかなり執拗になる事があった。
昨日久しぶりに張り切ったからかな?とマイケルは思った。
セックスの時にホープはマイケルを丁寧に扱おうとする。それは相変わらずだがここ数年で随分自分のワガママを押し通すことも覚えた。
「ね、まだ、足りない・・・」
熱く耳朶に吹き込むように言うホープの声を思い出してマイケルは肌が泡立った。
まったくガキでもないのに恋人との情事を思い出してどうしようもなくなるなんて、いい加減にしてほしいものだ。
激しく求められることは嫌いではない。自分の存在価値を認めてもらっているようでもあり、それからホープの想いを確かめているようでもある。
ずき、と腰が痛むのも多分そのせいだと思う。
年齢を重ねるのは怖くないがホープの事を思うと切なくなる。
自分はいずれ老いて死ぬ。彼を一人残して。
その時のホープの身の振り方をそろそろ真剣に考えておくべきかもしれない。
今はいい。だが後10年、また次の10年にマイケルが生きている保証はない。
ホープを初期化してもらう事をチャールズに託しておくというのも一つの手だ。
だがそれを以前ホープに提案したら「貴方の事を忘れるぐらいなら廃棄された方がましだ」と言われてしまった。
「ずっと覚えていたいんだ」とホープは言う。
怖いほど真剣なホープの言葉にマイケルはその選択肢を諦めた。彼の意思はできるだけ尊重してやりたい。
けれど永遠に忘れないまま存在するなんて耐えうる事ができるものなのだろうか。
それとも彼にはまた人生を一緒に歩むべき存在が現れるのだろうか。

永遠なんて、経験できない人間にはよくわからない。

それにしても体がだるい。
マイケルは目を閉じた。するとすぐに眠気がやってきた。



疲れやすいという自覚症状は日を追ってひどくなっていった。
さすがに自分の体がおかしいとマイケルは認めざるを得なくなった。
今までに大きな病気をしたことがなかったし風邪すら滅多にひかない自分は頑丈なのが取り柄だと思っていた。
ため息をついたマイケルをホープは心配そうに覗き込んでくる。
「どうしたの?」
なんでもない、と言おうとしてやめた。家族に強がっても仕方ない。
彼は自分を支えてくれる存在なのだから。
「ちょっと疲れがひどくてな」
「僕が無理させてるのかな?」
ホープが言っているのは主に夜の営みの事だが、最近はそれすらも頻度が減っているのだ。
「いや、違うと思うけど、そう思うなら手加減してくれよ」
安心させるように茶化して言ったが彼の眉間の皺はなくならなかった。
「マイケルが元気になるまで我慢するよ?」
彼の癖のある髪をマイケルはがしがしと掻きまわした。
しょんぼりする彼が愛しかった。
「大丈夫。無理なら言うから。けど、さすがにそろそろ病院に行くかな・・・」
「どこか悪いの?」
「わからん。だから調べるんだよ」
「チャールズに相談してみる?」
彼なら最高の医者を用意してくれるだろうが、取り越し苦労の可能性もある。
「あんま大袈裟にしたくないし、とりあえず近所の病院に行くから心配すんな。俺も若くないって事だよ」
「マイケルはずっと素敵だよ」
真顔で言うホープに肩を竦めて答えると、マイケルは電話をかけるために立ちあがった。


マイケルは病院からの帰り道をとぼとぼと歩いていた。
騒がしく大声を上げながら小さな男の子が歩道を走りそれを母親が追いかけていくのをぼんやりと眺めながら足を機械的に前に繰り出した。
バス停が見えてきたがバスはまだ到着していない。
ベンチに腰をかけると後からやってきた年老いた男がマイケルと同じようにベンチに腰を下ろした。
ベンチの座り心地が大層悪いのは自分の気持ちのせいだろう。
夏の到来を告げるような蒸し暑さに辟易とした。日はまだ落ちておらず通りは人で賑わっている。
それをぼんやりと見ているとやがて目の前にバスが止まった。

バスの運転手はアンドロイドだ。だが運転手はホープのように人間らしい容姿は持っていない。
丸い白い頭に帽子を乗せて眼鏡のような目をつけている。
金属がむき出しの腕は人工皮膚で覆われておらず下半身は運転席の前の台座と一体だ。
バスのようなルートの決まっている場所を走行する車が自動化されたのは随分と前だが、アンドロイドを乗せているのは一種の安全性の担保のためと犯罪抑止ためだ。彼らは人を見張り、人を守る為に配置されている。
「こんにちは」
という穏やかな声で運転手は乗客に挨拶をするとバスを発進させた。
中途半端な時間帯のバスは空いていた。
マイケルは一番後ろの席に座って天を仰いだ。

「手術をしても50%程度の確率でしょう」
渋面の医者はマイケルにそう告げた。
なんという名前だっただろうか。ネームカードは貰ったが覚えていないし、確かめる気にもなれない。
黒縁の眼鏡をかけた穏やかそうな若い医者だった。
彼の目の前にあったペーパーウェイトをマイケルはぼんやりと見ていた。
医者のオフィスで言われた病名にマイケルは無感動に「そうだったのか」と思った。
取り乱したりはしなかった。今度は自分の番になった。それだけの事だ。
「もうすこし踏み込んだ検査をしましょう。もし手術を希望されるなら早い方がよいでしょうし、ご家族がおられるなら一緒に来ていただいたほうが」
「家族はいません」
ホープの顔を思い出しながらマイケルはそう言った。ホープは家族だ。だが世間ではそう見なされない。
「手術の同意書に保証人のサインが必要ですが、これはどなたか親しいご友人か、もしくは勤め先の方でも大丈夫ですよ」
医者はとても優しい声でマイケルにそう告げた。
医者には寂しい中年男だと思われたのだろう。家族のいない孤独な男だと思っているに違いない。
気落ちしている患者を励まそうと彼は大丈夫ですと繰り返す。
だがマイケルは自分の現実感の薄い死よりもホープの事ばかり考えていた。
「手術しなければ、どうなりますかね?」
そう尋ねると彼は困ったように眉を下げた。
「おすすめはしかねます・・・はっきり言って年齢的にもまだ進行は早いですから、手術しなければ2年・・・いや1年ということもあり得ます」
つまりは手術をしても50%の確率で助からず、しなければ2年、或いは1年で死ぬという訳だ。

死。

死ぬ。

マイケルは普通の人よりも少しばかり死が近くにあった。
両親、そしてローズ。マイケルはいつだって置いて逝かれた人間だった。
その自分が、今度は愛するものを置いて逝かねばならないのだ。
それがいつかはくる別れだったとしても・・・・。
「早すぎるだろ・・・」
マイケルは一人呟く。
自分が死ぬという現実をホープは受け止める事ができるだろうか。
ずっと忘れない。と言い切った彼はマイケルが死ぬ事をどう思うのだろう。
自分が死んだ後、彼はどうするのか。
アンドロイドがたった一人を愛する事は人間が誰かを愛する事と根本的に違う、とチャールズはマイケルに言った。
何故なら彼らは「忘却」しないからだ。愛しいと思えばそれが永遠に刻まれる。
「そもそもアンドロイドが恋をする事自体が”奇跡”なんだぞ、そうそうある事ではない」
チャールズの言葉をマイケルは思い出す。
ならば。
ホープはマイケルを想ったままずっと存在し続けるしかない。

胸の奥から痛みが込み上げた。それはまるで大きな球体が喉にせり上がってくるようだった。
どっと涙が溢れた。
まだホープを一人にしたくない。まだ彼を残して逝ってしまいたくない。
手術に賭けるしかないのはわかっている。
それで助かれば・・・数年、もしかすれば十数年られるかもしれない。
だがもし、ダメだったら?

帰ってホープのスイッチを強制的に切ってしまおうかと考えた。
そうすれば、彼はもう痛みを感じる事も喪失感に苦しむこともない。

だが。

彼の記憶は彼のものだった。
だからできない。人が人の記憶を勝手に消し去るなんてしてはいけない。
それほどマイケルにとってホープは人間だった。

降りるバス停が近づいてきている。
腰をあげて降りないと。そう思うのにまるでシートに縫い付けられたみたいに体が動かなかった。


もう少しだけ。

考える時間が欲しかった。

降りるべきバス停が流れ過ぎていく。マイケルはバスに揺られ続けていた。

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