記憶の泉~くたびれたおじさんはイケメンアンドロイドと理想郷の夢を見る~

magu

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第十五話 こころの住処

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あの日。

鳴り響く血圧計の音の中で淡々と作業が進んでいった。
転送装置に寝かされたマイケルの呼吸が止まったのは装置に繋ぐ寸前だった。
「くそっ!」
チャールズの手が素早く動いて装置を起動した。マイケルの寝ている寝台が青白く光る。どうやら装置が起動したようだ。
マイケルの隣の寝台にはマイケルの新しい体がある。モニターには色々な数値が映し出されていた。
それらをチャールズはしばらく凝視して納得したように頷いた。
「装置は正常に起動した。転送処置は恐らく数時間で終わるだろうが、記憶がうまく移植されるかは正直わからん。なにせ臨床実験はできなかったからな」
ホープはその言葉に神妙に頷いた。
マイケルに人間としての人生を捨てさせたのは自分だ。例え彼の記憶がなくなってもマイケルを愛している事実は揺らがない。彼が自分を愛した事を忘れてしまっても、ホープはマイケルの傍にあり続ける決意をしている。
だが本音を言えば、またあの優しい声で「ホープ」と甘く呼ばれたい。
彼の手に、彼の顔に触れる権利をもう一度与えてほしい。

「よし、いいぞ。いいぞ。安定している」
チャールズが計器を見ながらそう言った。
「あっちで待っていてくれ」
チャールズに言われたのでホープはラボから出て扉の脇に用意された椅子に座った。
ホープは待った。じっと扉を見つめて祈るような気持ちでマイケルを待っていた。

「ホープ。待たせたな、終わったぞ」
チャールズがホープを呼んだのはマイケルが運び込まれてから10時間ほど経ってからだった。
ホープが入室すると寝台にはマイケルと新しいマイケルが横たわっている。
二人共眠っているように穏やかな顔で目を閉じているが、元のマイケルはもう呼吸をしていない。
彼の魂も記憶もすでにこの肉体には宿っていないのだ。
新しいマイケルの人造の肉体にはまだいくつものセンサーが付けられたままだ。
転送した時のセンサーではなく別の物のようだった。
彼の頭元には小さなモニターがあって、そこには青い波と赤い波がゆらゆらと波打っていた。
「これが脳波だ。脳が正常に活動している証拠だ。きちんと波打っているだろう?一応成功したと言っていい」
チャールズは少しだけ疲れた顔でそう言った。
思えば彼はマイケルの体調が悪くなってからはほとんど寝ずに研究をしていたのだ。疲れているのも無理はない。
「チャールズ。貴方は大丈夫?」
ホープが気遣って言うとチャールズは頷いた。
「問題ない。新しいマイケルが目覚めるのはまだのようだ。青い波を見たまえ、彼は深く眠っている」
チャールズの指す波は小さく幅が大きい。
「これがもう少し細かく波打てば目覚めるはずだ」
チャールズはそう言ってから、マイケルの元の体に歩み寄った。
「それから、マイケルの肉体はきちんと葬儀を出さねばなるまい。私が取り仕切るがいいな?」
「うん。お願いします」
「墓石はいらないとマイケルは言っていたがな。そういうわけにもいかない。そちらも私が手配する」
マイケルの肉体だったものはそこにあるが、そこにマイケルはいない。
だが彼の50年近い年月を刻んだ肉体はまるで聖櫃のように思えてホープは祈るように手を組んだ。

ホープにとって「死」は肉体の「死」ではなかった。
不死の肉体を持つアンドロイドにとっては「死」とは自我の喪失だった。
AIのリセット。メモリーの消去。「無」になることが「死」だ。
そういう意味ではマイケルは死んでいない。だからホープにとってマイケルの葬儀は意味がない。だってマイケルは目の前で眠っている若い男の肉体の中にいるのだから。
だが人にとって肉体の死滅と精神の死は同一だ。彼に別れを告げたい人たちもいるだろうと思う。
「マイケルの葬儀、頼むよ」
「もちろんだ。アンドリュー、手配は終わっているか?」
「全て終わっております。ご心配なく」

アンドリューの言葉通りマイケルの肉体はチャールズがきちんと弔ってくれた。
簡素な葬儀だった。埋葬だけでセレモニーはない。マイケルの心は別の入れ物に宿ったのだから、それが良いのかもしれない。
エミリアがやってきて葬儀に参列した。マイケルの会社の同僚もちらほらと顔を出した。
その中でマイケルがアンドロイドに転送された事を知っているのはエミリアだけだ。
葬儀の後でエミリアはラボにやってきた。
「まるで私が初めて出会ったときの彼みたいだわ」
エミリアは新しいマイケルを見てそう言った。
マイケルはエミリアに今回の決断を事前に相談していた。彼女は止めたがマイケルは聞かなかった。
「これと決めたら頑固な人だから」
エミリアはそう言って、新しいマイケルをじっと見つめて静かに泣いた。
「私にとっての義兄は埋葬されたマイケルだから、だから悲しい」
と彼女は言った。
では、この横たわるマイケルは彼女にとって何者なのだろうか。
ホープにとってはマイケルだ。だから早く目覚めて欲しい。

それから1週間が経ってもマイケルはこんこんと眠り続けていた。
「脳の波長はある。ボディの構造的な問題もない。眠っているだけのようだ」
というのがチャールズの出した結論だ。だが不思議な事があった。
眠るマイケルの瞼が時々ぴくぴくと動くのだ。
「夢をみているのかもしれない」とチャールズは言った。
マイケルのAIは人間のマイケルの脳のコピーだ。人の脳に蓄えられた膨大な量の記憶が収められている。
だから眠るし、夢も見るのだろう。
「もしかするとデータを整理しているのかもな」
人は過去を忘れる。完璧に忘れるのではなく仕舞い込む。表層には出てこない深層の部分は無意識の領域だ。
マイケルの脳であるAIは今それが混在していて、だからこそ意識下と無意識下を選別する作業をしているのだろうとチャールズは推測した。それが正解かどうかはわからないが、とにかくマイケルは”生きている”。
待つしかない。彼の瞳が開くのを。彼がホープと自分を呼ぶその時を。
マイケルの部屋のベッドの横に椅子を置いてホープは待った。

彼が初めて瞳を開いた時に彼の瞳が映すものは自分でありたかった。

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