15 / 26
第十五話 こころの住処
しおりを挟む
あの日。
鳴り響く血圧計の音の中で淡々と作業が進んでいった。
転送装置に寝かされたマイケルの呼吸が止まったのは装置に繋ぐ寸前だった。
「くそっ!」
チャールズの手が素早く動いて装置を起動した。マイケルの寝ている寝台が青白く光る。どうやら装置が起動したようだ。
マイケルの隣の寝台にはマイケルの新しい体がある。モニターには色々な数値が映し出されていた。
それらをチャールズはしばらく凝視して納得したように頷いた。
「装置は正常に起動した。転送処置は恐らく数時間で終わるだろうが、記憶がうまく移植されるかは正直わからん。なにせ臨床実験はできなかったからな」
ホープはその言葉に神妙に頷いた。
マイケルに人間としての人生を捨てさせたのは自分だ。例え彼の記憶がなくなってもマイケルを愛している事実は揺らがない。彼が自分を愛した事を忘れてしまっても、ホープはマイケルの傍にあり続ける決意をしている。
だが本音を言えば、またあの優しい声で「ホープ」と甘く呼ばれたい。
彼の手に、彼の顔に触れる権利をもう一度与えてほしい。
「よし、いいぞ。いいぞ。安定している」
チャールズが計器を見ながらそう言った。
「あっちで待っていてくれ」
チャールズに言われたのでホープはラボから出て扉の脇に用意された椅子に座った。
ホープは待った。じっと扉を見つめて祈るような気持ちでマイケルを待っていた。
「ホープ。待たせたな、終わったぞ」
チャールズがホープを呼んだのはマイケルが運び込まれてから10時間ほど経ってからだった。
ホープが入室すると寝台にはマイケルと新しいマイケルが横たわっている。
二人共眠っているように穏やかな顔で目を閉じているが、元のマイケルはもう呼吸をしていない。
彼の魂も記憶もすでにこの肉体には宿っていないのだ。
新しいマイケルの人造の肉体にはまだいくつものセンサーが付けられたままだ。
転送した時のセンサーではなく別の物のようだった。
彼の頭元には小さなモニターがあって、そこには青い波と赤い波がゆらゆらと波打っていた。
「これが脳波だ。脳が正常に活動している証拠だ。きちんと波打っているだろう?一応成功したと言っていい」
チャールズは少しだけ疲れた顔でそう言った。
思えば彼はマイケルの体調が悪くなってからはほとんど寝ずに研究をしていたのだ。疲れているのも無理はない。
「チャールズ。貴方は大丈夫?」
ホープが気遣って言うとチャールズは頷いた。
「問題ない。新しいマイケルが目覚めるのはまだのようだ。青い波を見たまえ、彼は深く眠っている」
チャールズの指す波は小さく幅が大きい。
「これがもう少し細かく波打てば目覚めるはずだ」
チャールズはそう言ってから、マイケルの元の体に歩み寄った。
「それから、マイケルの肉体はきちんと葬儀を出さねばなるまい。私が取り仕切るがいいな?」
「うん。お願いします」
「墓石はいらないとマイケルは言っていたがな。そういうわけにもいかない。そちらも私が手配する」
マイケルの肉体だったものはそこにあるが、そこにマイケルはいない。
だが彼の50年近い年月を刻んだ肉体はまるで聖櫃のように思えてホープは祈るように手を組んだ。
ホープにとって「死」は肉体の「死」ではなかった。
不死の肉体を持つアンドロイドにとっては「死」とは自我の喪失だった。
AIのリセット。メモリーの消去。「無」になることが「死」だ。
そういう意味ではマイケルは死んでいない。だからホープにとってマイケルの葬儀は意味がない。だってマイケルは目の前で眠っている若い男の肉体の中にいるのだから。
だが人にとって肉体の死滅と精神の死は同一だ。彼に別れを告げたい人たちもいるだろうと思う。
「マイケルの葬儀、頼むよ」
「もちろんだ。アンドリュー、手配は終わっているか?」
「全て終わっております。ご心配なく」
アンドリューの言葉通りマイケルの肉体はチャールズがきちんと弔ってくれた。
簡素な葬儀だった。埋葬だけでセレモニーはない。マイケルの心は別の入れ物に宿ったのだから、それが良いのかもしれない。
エミリアがやってきて葬儀に参列した。マイケルの会社の同僚もちらほらと顔を出した。
その中でマイケルがアンドロイドに転送された事を知っているのはエミリアだけだ。
葬儀の後でエミリアはラボにやってきた。
「まるで私が初めて出会ったときの彼みたいだわ」
エミリアは新しいマイケルを見てそう言った。
マイケルはエミリアに今回の決断を事前に相談していた。彼女は止めたがマイケルは聞かなかった。
「これと決めたら頑固な人だから」
エミリアはそう言って、新しいマイケルをじっと見つめて静かに泣いた。
「私にとっての義兄は埋葬されたマイケルだから、だから悲しい」
と彼女は言った。
では、この横たわるマイケルは彼女にとって何者なのだろうか。
ホープにとってはマイケルだ。だから早く目覚めて欲しい。
それから1週間が経ってもマイケルはこんこんと眠り続けていた。
「脳の波長はある。ボディの構造的な問題もない。眠っているだけのようだ」
というのがチャールズの出した結論だ。だが不思議な事があった。
眠るマイケルの瞼が時々ぴくぴくと動くのだ。
「夢をみているのかもしれない」とチャールズは言った。
マイケルのAIは人間のマイケルの脳のコピーだ。人の脳に蓄えられた膨大な量の記憶が収められている。
だから眠るし、夢も見るのだろう。
「もしかするとデータを整理しているのかもな」
人は過去を忘れる。完璧に忘れるのではなく仕舞い込む。表層には出てこない深層の部分は無意識の領域だ。
マイケルの脳であるAIは今それが混在していて、だからこそ意識下と無意識下を選別する作業をしているのだろうとチャールズは推測した。それが正解かどうかはわからないが、とにかくマイケルは”生きている”。
待つしかない。彼の瞳が開くのを。彼がホープと自分を呼ぶその時を。
マイケルの部屋のベッドの横に椅子を置いてホープは待った。
彼が初めて瞳を開いた時に彼の瞳が映すものは自分でありたかった。
鳴り響く血圧計の音の中で淡々と作業が進んでいった。
転送装置に寝かされたマイケルの呼吸が止まったのは装置に繋ぐ寸前だった。
「くそっ!」
チャールズの手が素早く動いて装置を起動した。マイケルの寝ている寝台が青白く光る。どうやら装置が起動したようだ。
マイケルの隣の寝台にはマイケルの新しい体がある。モニターには色々な数値が映し出されていた。
それらをチャールズはしばらく凝視して納得したように頷いた。
「装置は正常に起動した。転送処置は恐らく数時間で終わるだろうが、記憶がうまく移植されるかは正直わからん。なにせ臨床実験はできなかったからな」
ホープはその言葉に神妙に頷いた。
マイケルに人間としての人生を捨てさせたのは自分だ。例え彼の記憶がなくなってもマイケルを愛している事実は揺らがない。彼が自分を愛した事を忘れてしまっても、ホープはマイケルの傍にあり続ける決意をしている。
だが本音を言えば、またあの優しい声で「ホープ」と甘く呼ばれたい。
彼の手に、彼の顔に触れる権利をもう一度与えてほしい。
「よし、いいぞ。いいぞ。安定している」
チャールズが計器を見ながらそう言った。
「あっちで待っていてくれ」
チャールズに言われたのでホープはラボから出て扉の脇に用意された椅子に座った。
ホープは待った。じっと扉を見つめて祈るような気持ちでマイケルを待っていた。
「ホープ。待たせたな、終わったぞ」
チャールズがホープを呼んだのはマイケルが運び込まれてから10時間ほど経ってからだった。
ホープが入室すると寝台にはマイケルと新しいマイケルが横たわっている。
二人共眠っているように穏やかな顔で目を閉じているが、元のマイケルはもう呼吸をしていない。
彼の魂も記憶もすでにこの肉体には宿っていないのだ。
新しいマイケルの人造の肉体にはまだいくつものセンサーが付けられたままだ。
転送した時のセンサーではなく別の物のようだった。
彼の頭元には小さなモニターがあって、そこには青い波と赤い波がゆらゆらと波打っていた。
「これが脳波だ。脳が正常に活動している証拠だ。きちんと波打っているだろう?一応成功したと言っていい」
チャールズは少しだけ疲れた顔でそう言った。
思えば彼はマイケルの体調が悪くなってからはほとんど寝ずに研究をしていたのだ。疲れているのも無理はない。
「チャールズ。貴方は大丈夫?」
ホープが気遣って言うとチャールズは頷いた。
「問題ない。新しいマイケルが目覚めるのはまだのようだ。青い波を見たまえ、彼は深く眠っている」
チャールズの指す波は小さく幅が大きい。
「これがもう少し細かく波打てば目覚めるはずだ」
チャールズはそう言ってから、マイケルの元の体に歩み寄った。
「それから、マイケルの肉体はきちんと葬儀を出さねばなるまい。私が取り仕切るがいいな?」
「うん。お願いします」
「墓石はいらないとマイケルは言っていたがな。そういうわけにもいかない。そちらも私が手配する」
マイケルの肉体だったものはそこにあるが、そこにマイケルはいない。
だが彼の50年近い年月を刻んだ肉体はまるで聖櫃のように思えてホープは祈るように手を組んだ。
ホープにとって「死」は肉体の「死」ではなかった。
不死の肉体を持つアンドロイドにとっては「死」とは自我の喪失だった。
AIのリセット。メモリーの消去。「無」になることが「死」だ。
そういう意味ではマイケルは死んでいない。だからホープにとってマイケルの葬儀は意味がない。だってマイケルは目の前で眠っている若い男の肉体の中にいるのだから。
だが人にとって肉体の死滅と精神の死は同一だ。彼に別れを告げたい人たちもいるだろうと思う。
「マイケルの葬儀、頼むよ」
「もちろんだ。アンドリュー、手配は終わっているか?」
「全て終わっております。ご心配なく」
アンドリューの言葉通りマイケルの肉体はチャールズがきちんと弔ってくれた。
簡素な葬儀だった。埋葬だけでセレモニーはない。マイケルの心は別の入れ物に宿ったのだから、それが良いのかもしれない。
エミリアがやってきて葬儀に参列した。マイケルの会社の同僚もちらほらと顔を出した。
その中でマイケルがアンドロイドに転送された事を知っているのはエミリアだけだ。
葬儀の後でエミリアはラボにやってきた。
「まるで私が初めて出会ったときの彼みたいだわ」
エミリアは新しいマイケルを見てそう言った。
マイケルはエミリアに今回の決断を事前に相談していた。彼女は止めたがマイケルは聞かなかった。
「これと決めたら頑固な人だから」
エミリアはそう言って、新しいマイケルをじっと見つめて静かに泣いた。
「私にとっての義兄は埋葬されたマイケルだから、だから悲しい」
と彼女は言った。
では、この横たわるマイケルは彼女にとって何者なのだろうか。
ホープにとってはマイケルだ。だから早く目覚めて欲しい。
それから1週間が経ってもマイケルはこんこんと眠り続けていた。
「脳の波長はある。ボディの構造的な問題もない。眠っているだけのようだ」
というのがチャールズの出した結論だ。だが不思議な事があった。
眠るマイケルの瞼が時々ぴくぴくと動くのだ。
「夢をみているのかもしれない」とチャールズは言った。
マイケルのAIは人間のマイケルの脳のコピーだ。人の脳に蓄えられた膨大な量の記憶が収められている。
だから眠るし、夢も見るのだろう。
「もしかするとデータを整理しているのかもな」
人は過去を忘れる。完璧に忘れるのではなく仕舞い込む。表層には出てこない深層の部分は無意識の領域だ。
マイケルの脳であるAIは今それが混在していて、だからこそ意識下と無意識下を選別する作業をしているのだろうとチャールズは推測した。それが正解かどうかはわからないが、とにかくマイケルは”生きている”。
待つしかない。彼の瞳が開くのを。彼がホープと自分を呼ぶその時を。
マイケルの部屋のベッドの横に椅子を置いてホープは待った。
彼が初めて瞳を開いた時に彼の瞳が映すものは自分でありたかった。
20
あなたにおすすめの小説
俺にだけ厳しい幼馴染とストーカー事件を調査した結果、結果、とんでもない事実が判明した
あと
BL
「また物が置かれてる!」
最近ポストやバイト先に物が贈られるなどストーカー行為に悩まされている主人公。物理的被害はないため、警察は動かないだろうから、自分にだけ厳しいチャラ男幼馴染を味方につけ、自分たちだけで調査することに。なんとかストーカーを捕まえるが、違和感は残り、物語は意外な方向に…?
⚠️ヤンデレ、ストーカー要素が含まれています。
攻めが重度のヤンデレです。自衛してください。
ちょっと怖い場面が含まれています。
ミステリー要素があります。
一応ハピエンです。
主人公:七瀬明
幼馴染:月城颯
ストーカー:不明
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
内容も時々サイレント修正するかもです。
定期的にタグ整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話に、真紀ちゃん(攻)視点を追加して、倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
Sランク冒険者クロードは吸血鬼に愛される
あさざきゆずき
BL
ダンジョンで僕は死にかけていた。傷口から大量に出血していて、もう助かりそうにない。そんなとき、人間とは思えないほど美しくて強い男性が現れた。
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる