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5章(1)
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彩鳥の部屋から出ると、時刻は午前2時を回っていた。普段なら寝ているか、当直中なら睡魔と戦うような時間なのに眠気はまったくない。それは隣を歩く菱目も同じようだ。
将太は暁と彩鳥の話に呼応するように過去の記憶を引き出し、兄が亡くなってからの日々を語った。兄の葬儀へ張りついていたマスコミの中に、暁はいなかったように思う。当時からあんな奇抜な髪をしていたなら、絶対に気づいたはずだ。
迅の葬儀で出会ったふたりは、一体これからなにをしようとしているのだろう? なにをもってふたりはビジネスパートナーなんて名乗っているのか?
5年前の顛末は分かったものの、暁の彩鳥の関係について分かったことはほとんどない。ただ、5年前の銀行強盗事件がきっかけで出会い、彩鳥は宝井に少なからず恨みを持っているということが分かっただけだ。暁は彩鳥に情報を提供し、そこから先どうしようというのか。
将太は際限なく考えを巡らせてながら歩いていたが、隣を歩いていたはずの菱目がいなくなっていることに気づいた。
足を止めて、振り返ると、はるか後方で菱目は立ち止まったままうつむいている。
街灯の明かりを受けて、菱目の顔が青白く映る。
将太がきた道を引き返し、菱目の前に立つと、彼女は彼女らしくない弱々しい声でつぶやいた。
「相沢さんが、そんなことする人だとは思わなかったな……」
菱目のつぶやきはほとんど願望に近かった。無理もないだろう。尊敬していた先輩が、裏では海廊社の人間とつながって捜査資料の横流しをしていたのだから。
暁がなぜ5年前の事件について、警察側の動きを詳細に把握していたのか。なんのことはない、相沢が当時の捜査資料や報告書を暁に見せていたからだ。幸いだったのは、そのことによって暁が相沢へ金銭を渡したことはなく、また相沢もこれといった見返りを求めていないことだった。
だったらなぜ、相沢は暁に協力したのだろう? 暁の語るところによれば相沢は、迅が宝井の警護につくことを最後まで反対していた。宝井のことを快く思っていないことも分かった。けれど、バレれば処分されるような危険を冒してまで、やることだったのだろうか?
将太はなおもうつむいたままの菱目に、どう声をかければいいのか戸惑った。なにを言っても、気休めにしかならなさそうだ。
「とりあえず、家に帰りましょう。送りますよ」
結局、将太はそんなありきたりな言葉を吐いて、菱目をその場から動かした。将太と菱目以外に、人はひとりも歩いていない。時折、窓が開け放たれた家々から酔っ払いのはしゃいだ声が響いているだけだ。
「そうしなきゃいけない理由が、あったのかな」
菱目は将太の少し前を歩きながら、ぽつりとつぶやいた。将太に返答を求めているような様子はなく、単なる独り言のようだ。
将太にはなにも分からない。彩鳥の気持ちも、暁の思惑も、相沢の理由も、菱目の葛藤も。すべてがどこか、遠い国のできごとのように感じられる。将太は無意識に、当事者から外れたいと願っていた。
もう二度と、兄を失った時の苦しみは味わいたくないし、あの苦痛に満ちた日々を思い出したくもなかった。ただ黙って、時間が解決するのを眺めていたかった。
菱目が相沢の行動にショックを受けたように、将太も兄のことを思い出してナーバスになっているのかもしれない。深く暗い闇に引きずり込まれる前に、なんとか元の場所へ戻る必要があった。
「ここで、いい」
15分ほど歩いたところで、菱目は立ち止まった。少し古ぼけた3階建てのアパートの前で、ふたりは顔を見合わせる。寮に住めない女性隊員向けに警察が借り上げているアパートだが、思いのほか老朽化の進んだ建物だ。それこそ、隙間から虫でも入ってきそうな。
将太はそこでようやく、菱目に聞こうとしていたことを思い出し、背を向けはじめていた彼女を呼び止めた。
「特練なし、ってなんかあったんすか?」
菱目も将太に宛てたメッセージの内容を思い出したようだ。確認するようにスマホを見るが、ゆるりと首を振る。
「あたしも詳しくは聞いてない。ただ、緊急事態だから特練なしって相沢さんから連絡がきたから他の人にも伝えただけ」
将太はおざなりに菱目へ礼を言って、歩いてきた道を戻りはじめた。寮は逆方向にあるのだ。歩きながら頭の中が整理され、考えがまとまっていく。なにかよくないことが起こりそうな、そんな予感がしていた。
◇ ◇ ◇
菱目の住むアパートから10分ほどかけて、将太は寮まで戻ってきた。寮の窓に明かりは少なく、みな寝静まっているようだ。汗で張りついたTシャツを鬱陶しく思いながら玄関に向かったところで、将太はぴたりと足を止めた。
玄関前の石段に、相沢が座り込んでいる。玄関の明かりが逆光になっていて、表情はよく分からない。その手には煙草の箱が握られていたが、吸ってはいないようだ。
将太に気づいた相沢が立ち上がり、尻についた砂を払う。
「外泊届もなしに、こんな時間まで出かけているのは感心しないな」
「すみません」と将太は素直に謝る。言い訳無用、ここは大人しく謝るしかない。それが、先輩に対する礼儀というものだ。
相沢は手の中で煙草の箱を転がしながら、なにかを言いかけるように口を開き、また閉じた。言いにくいことを口にしようとする人の、決心のようなものが見え隠れしている。将太も黙って、相沢が切り出すのを待つしかない。
相沢はたっぷり迷いに迷ってから、将太を顔をぐっと見据えた。
「こんな時間で悪いが、話がある」
迷ったわりには、やけにあっさりした言葉だった。将太も拍子抜けして、ぎこちなく頷く。
相沢はふいと将太から目をそらすと、踵を返して玄関に吸い込まれていった。将太も後に続く。相沢の手の中で、煙草の箱はくしゃくしゃになっていた。ロゴを見るに、おそらくラッキーストライクだろう。相沢は喫煙者ではなかったはずだが。赤い丸が、やけにその存在を主張していた。
将太は暁と彩鳥の話に呼応するように過去の記憶を引き出し、兄が亡くなってからの日々を語った。兄の葬儀へ張りついていたマスコミの中に、暁はいなかったように思う。当時からあんな奇抜な髪をしていたなら、絶対に気づいたはずだ。
迅の葬儀で出会ったふたりは、一体これからなにをしようとしているのだろう? なにをもってふたりはビジネスパートナーなんて名乗っているのか?
5年前の顛末は分かったものの、暁の彩鳥の関係について分かったことはほとんどない。ただ、5年前の銀行強盗事件がきっかけで出会い、彩鳥は宝井に少なからず恨みを持っているということが分かっただけだ。暁は彩鳥に情報を提供し、そこから先どうしようというのか。
将太は際限なく考えを巡らせてながら歩いていたが、隣を歩いていたはずの菱目がいなくなっていることに気づいた。
足を止めて、振り返ると、はるか後方で菱目は立ち止まったままうつむいている。
街灯の明かりを受けて、菱目の顔が青白く映る。
将太がきた道を引き返し、菱目の前に立つと、彼女は彼女らしくない弱々しい声でつぶやいた。
「相沢さんが、そんなことする人だとは思わなかったな……」
菱目のつぶやきはほとんど願望に近かった。無理もないだろう。尊敬していた先輩が、裏では海廊社の人間とつながって捜査資料の横流しをしていたのだから。
暁がなぜ5年前の事件について、警察側の動きを詳細に把握していたのか。なんのことはない、相沢が当時の捜査資料や報告書を暁に見せていたからだ。幸いだったのは、そのことによって暁が相沢へ金銭を渡したことはなく、また相沢もこれといった見返りを求めていないことだった。
だったらなぜ、相沢は暁に協力したのだろう? 暁の語るところによれば相沢は、迅が宝井の警護につくことを最後まで反対していた。宝井のことを快く思っていないことも分かった。けれど、バレれば処分されるような危険を冒してまで、やることだったのだろうか?
将太はなおもうつむいたままの菱目に、どう声をかければいいのか戸惑った。なにを言っても、気休めにしかならなさそうだ。
「とりあえず、家に帰りましょう。送りますよ」
結局、将太はそんなありきたりな言葉を吐いて、菱目をその場から動かした。将太と菱目以外に、人はひとりも歩いていない。時折、窓が開け放たれた家々から酔っ払いのはしゃいだ声が響いているだけだ。
「そうしなきゃいけない理由が、あったのかな」
菱目は将太の少し前を歩きながら、ぽつりとつぶやいた。将太に返答を求めているような様子はなく、単なる独り言のようだ。
将太にはなにも分からない。彩鳥の気持ちも、暁の思惑も、相沢の理由も、菱目の葛藤も。すべてがどこか、遠い国のできごとのように感じられる。将太は無意識に、当事者から外れたいと願っていた。
もう二度と、兄を失った時の苦しみは味わいたくないし、あの苦痛に満ちた日々を思い出したくもなかった。ただ黙って、時間が解決するのを眺めていたかった。
菱目が相沢の行動にショックを受けたように、将太も兄のことを思い出してナーバスになっているのかもしれない。深く暗い闇に引きずり込まれる前に、なんとか元の場所へ戻る必要があった。
「ここで、いい」
15分ほど歩いたところで、菱目は立ち止まった。少し古ぼけた3階建てのアパートの前で、ふたりは顔を見合わせる。寮に住めない女性隊員向けに警察が借り上げているアパートだが、思いのほか老朽化の進んだ建物だ。それこそ、隙間から虫でも入ってきそうな。
将太はそこでようやく、菱目に聞こうとしていたことを思い出し、背を向けはじめていた彼女を呼び止めた。
「特練なし、ってなんかあったんすか?」
菱目も将太に宛てたメッセージの内容を思い出したようだ。確認するようにスマホを見るが、ゆるりと首を振る。
「あたしも詳しくは聞いてない。ただ、緊急事態だから特練なしって相沢さんから連絡がきたから他の人にも伝えただけ」
将太はおざなりに菱目へ礼を言って、歩いてきた道を戻りはじめた。寮は逆方向にあるのだ。歩きながら頭の中が整理され、考えがまとまっていく。なにかよくないことが起こりそうな、そんな予感がしていた。
◇ ◇ ◇
菱目の住むアパートから10分ほどかけて、将太は寮まで戻ってきた。寮の窓に明かりは少なく、みな寝静まっているようだ。汗で張りついたTシャツを鬱陶しく思いながら玄関に向かったところで、将太はぴたりと足を止めた。
玄関前の石段に、相沢が座り込んでいる。玄関の明かりが逆光になっていて、表情はよく分からない。その手には煙草の箱が握られていたが、吸ってはいないようだ。
将太に気づいた相沢が立ち上がり、尻についた砂を払う。
「外泊届もなしに、こんな時間まで出かけているのは感心しないな」
「すみません」と将太は素直に謝る。言い訳無用、ここは大人しく謝るしかない。それが、先輩に対する礼儀というものだ。
相沢は手の中で煙草の箱を転がしながら、なにかを言いかけるように口を開き、また閉じた。言いにくいことを口にしようとする人の、決心のようなものが見え隠れしている。将太も黙って、相沢が切り出すのを待つしかない。
相沢はたっぷり迷いに迷ってから、将太を顔をぐっと見据えた。
「こんな時間で悪いが、話がある」
迷ったわりには、やけにあっさりした言葉だった。将太も拍子抜けして、ぎこちなく頷く。
相沢はふいと将太から目をそらすと、踵を返して玄関に吸い込まれていった。将太も後に続く。相沢の手の中で、煙草の箱はくしゃくしゃになっていた。ロゴを見るに、おそらくラッキーストライクだろう。相沢は喫煙者ではなかったはずだが。赤い丸が、やけにその存在を主張していた。
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