【完結】新人機動隊員と弁当屋のお姉さん。あるいは失われた五年間の話

古都まとい

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7章(8)

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 動揺を悟られないように顔を伏せ、彩鳥さとりの後に続いて部屋へ入る。将太の後ろでドアがゆっくりと閉まった。

 伏せた視線の先で、手足の自由を奪われ、床に転がる宝井たからいを目が合った。口には布が詰め込まれ、顔は血や汗で汚れているものの、大きな怪我は見当たらない。宝井のすがるような視線を振り切って、さっと体へ目を滑らせる。結束バンドの食い込む手首や足首に擦り傷ができて出血が見られる以外は特に問題ない。刺されたり、撃たれたりといったこともないようだ。たとえ時間がかかったとしても失血死するリスクはないように思う。

 宝井の安否を確認し、将太は声に出して「大きな怪我はないみたいですね」と言った。宝井が心外だとばかりに目を見開くが、気にしない。無線越しの相沢へ報告するためである。宝井の心情を慮っている余裕はない。将太の耳にはひっきりなしに様々な指示が飛び込んでくる。どうやら中央署の署長や、警備部の部長まで現場に出てきたらしい。

 お偉いさん方の身勝手な叱咤とともに、制圧計画に向けた配備の指示も飛んできていた。本部長を人質とした立てこもり事件など、前代未聞だ。命に代えてでも本部長を助けろ、と檄が飛ぶ。
 将太は少なくとも、制圧計画に基づいて隊員が配置に就くまでの時間を稼がなければならない。素早く窓の外に目を向けると、向かいのビルの中で機動隊の制服を着た人影が動いているのが確認できた。なるべく彩鳥を窓際に立たせ、狙いやすくする必要がある。

「さすが、装備を着ていると男前に見えるね」

 宝井のすぐ近くに立つあかつきが、へらへらとした笑顔を浮かべながら言った。手には拳銃。それも、38口径の回転式だ。
 将太は考えるまでもなく、盾を捨て、胸に抱いていた自動小銃を構えた。銃口はぴたりと暁に合わせられている。

「銃を捨ててください。指示に従わない場合は、発砲します」

 押し殺した声で指示するが、暁は動く気配を見せない。撃たずに済めばよいが、そう呑気なことを言っている場合ではなさそうだ。照準を暁の足元に向ける。まずは一発。威嚇射撃をする構えに入る。

『やめろ! 弾が跳ねて本部長に当たったらどうするんだ!』

 引き金に指をかけようか、というところで警備部の部長が喚いた。
 将太がひるんだ一瞬の隙を、暁は見逃さなかった。片手で床から宝井を引き上げると、宝井を盾にするように窓際に立つ。彩鳥も滑るように移動して、暁とふたりで宝井を挟むような形になる。ふたりの間に挟まれた宝井は汚れた顔面を蒼白にし、震えている。将太を見る目は、絶対に撃つなと訴えているようだ。目からあふれた涙が落ちて、たちまちコンクリートの床に吸い込まれていく。

「それ、返して。あなたが将太くんを撃ったら困るから」

 彩鳥は取られたおもちゃを取り返すみたいな、軽い調子で暁に拳銃を寄越すよう催促した。暁は手元の拳銃と、片手で引き立てた宝井を交互に見る。

「手放した瞬間、加藤くんに撃たれなきゃいいけど」

 そう言って暁は将太に気遣わしげな視線を送る。暁との距離は3メートルほど。将太の腕をもってすれば外す心配はないが、宝井の行動が予測できないため、撃つことは避けたい。もしパニックになった宝井が少しでも暁の方へ身をよじるようなことがあれば、弾はまちがいなく宝井に当たってしまう。距離が近すぎる。

「わたしは将太くんを信じてる。そんな卑怯なことをする人じゃない」

 彩鳥ははっきりと言い切った。信頼を寄せてくれているのは嬉しいが、遠まわしに腰抜けだと言われているようでもあって、複雑な気持ちである。暁の方は、まだ態度を決めかねているようだ。探るような目つきで、じっくりとこちらを観察している。

「その銃を下ろしてくれたら、考えよう。どうせこの距離じゃ射撃命令も出ないだろう?」

 暁は全部分かっている。将太は指示がなければ暁を撃てないことも、上層部の人間が誤射で宝井に当たるのを恐れて、指示を出すはずがないということも。
 けれど、銃口を下ろすことはできない。盾を手放した今、将太の身を守るのはこの手に握った自動小銃ひとつだ。将太が照準をずらした瞬間、暁が発砲してくる可能性がある。相沢に、必ず生きて戻ると約束した。危険に飛び込むような真似はしたくない。
 彩鳥が一歩身を引き、窓枠に手をかけた。憎悪のこもる目で暁を睨む。

「渡してくれないなら、ここから飛び降りる」

 これには暁もぎょっとして、驚きの表情を見せた。彩鳥は淡々と窓の鍵を開け、大きく開け放つ。彩鳥の動きを確認した射撃班が、無線の向こうで一気に騒がしくなる。けれど射撃班も将太と同じく、宝井が近すぎることでなかなか引き金を引けないでいた。
 彩鳥が窓枠に両手をつき、ワンピースをたくし上げながら片足を窓枠にかける。抜けるほどに白い太ももが夕方の鈍い陽光にさらされた。

 彩鳥が足に力を込め、ぐっと身を乗り出したのを見て、将太は思わず駆け寄りそうになった。窓に背を預けるようにして立たされている宝井も、首をめいいっぱい曲げてその行く末を見ようとしている。

「分かった! 渡すよ!」

 彩鳥の半身が外へ投げ出されかけた瞬間、暁が音を上げた。暁は慣れた手つきで、拳銃から弾を抜いた。吐き出された弾が床に飛び散る。将太は暁から目を離すことなく、弾の行方を追った。床に落ちたのは4発。彩鳥の言葉が正しければ、あと1発は拳銃の中に残っている。
 彩鳥は窓を元通りに閉じると、弾が1発だけ残っているであろう拳銃を手に取った。将太もやむを得ず、自動小銃の照準を彩鳥に合わせる。
 彩鳥は重さを確かめるように手の中で拳銃を転がすと、おもむろにその銃口を将太へ向けた。指はしっかりと、引き金にかかっている。

 自動小銃を握る手が、細かく震える。手のひらに吹き出した冷や汗は装備品の手袋に吸われて、じっとりと重たい感覚すらある。
 ハロウィンの喧騒は遠く、まるでここだけ世界が切り取られ、別の場所へと移動させられたようだ。これが夢であれば、これほど嬉しいことはない。無線からは逼迫した指示が飛んでくる。大きく息を吸う。

「どうしたの? 早く撃ってくれないと――」

 彩鳥がこちらにぴたりと照準を合わせてくる。38口径の回転式拳銃。交番勤めの警察官が携帯するものだ。どこかで警察官から奪ったのだろうか。およそ一般人が手にしていい代物ではない。警察官相手に銃を向けているのだから、もう一般人とは呼べないのかもしれないが。

『こっちからじゃ本部長との距離が近すぎて撃てない!』
『最悪、殺しても構わん! とにかく本部長を守れ! いざという時はお前が盾になるんだ、いいな!?』

 こちらの緊張など知らないように、無線は適当な指示ばかり飛ばしてくる。いっそインカムを引き抜きたかったが、装備が邪魔をして取れない。それに、銃から手を離すわけにはいかない。
 一瞬、目が合った。こちらに照準を合わせたまま、かすかに唇を吊り上げる。それが笑顔だと気づいた時、ぞくりと肌が粟立ち、そしていくつもの思い出が頭の中を駆け抜けていった。

「俺、は……」

 撃てるだろう、俺。たとえそれが、自分が想いを寄せた人であっても。私情を挟むな。だって俺は、正義の味方になりたかったのだから――。
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