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15.因縁
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昼過ぎに起きたカルナを捕まえて、カルナが食事を取っている横で、字の練習をしていると、来客を告げる鐘が鳴った。
「わたし、出てきますね」
リオが来るのは五日後のはずだが、見張りのドルシーが鐘を鳴らしたということは、見知った顔なのだろう。
居住館を出て階段を下りると、ドルシーが跳ね橋を架け終えたところだった。
きっちりと撫でつけ、固めた金髪が目に入る。相手は橋の向こうからでもアルマに気づいたらしく、やわらかな笑みを浮かべて、ゆるやかに手を振った。
「やあ、アルマ。元気にしていましたか?」
跳ね橋を渡りながら、カルナに負けるとも劣らない長身の男、レスターが声をかけてくる。
砦へ送ってもらった日以来、顔を合わせる機会がなかったが、レスターはアルマの顔をきちんと覚えていたらしい。
「レスター様! お久しぶりです。カルナさんにも、ドルシーさんにも、とてもよくしていただいています」
「それは結構なことですね」
レスターが橋を渡り終えると、ドルシーがすかさず鎖を巻き取りはじめる。レスターはドルシーを見て一瞬、怪訝な顔をしたものの、すぐに微笑みを取り戻してアルマと向き合った。
「今日はどういったご用件ですか?」
「特に用件はないんですがね。近くに寄ったので、様子でも見ておこうと思いまして」
「そうですか。あ、カルナさんを呼んだ方がいいですか?」
「いえ、お構いなく。ちなみに彼は、いまなにを?」
「まだ食事中だと思いますが……」
レスターは意外だというように、目を見張った。
「カルナが食事……」
「わたしが毎日作っているんです。料理の腕は、まだまだですけど……」
見上げた顔がみるみるうちに崩れる。レスターは堪えきれないといった様子で、大きな笑い声を上げた。
自分のことを笑われているのだと思い、アルマの顔はますます赤く、肩はどんどん落ちていく。
「やっぱり、わたしみたいな人間が料理なんて……」
レスターはなおも肩を揺らしながら、アルマの視線を受け止める。
「失礼……君のことを笑ったのではありません」
レスターが大きく息を吐いて、呼吸を整える。
「竜など、なにを食べても分かりませんからね、馬の骨でも与えておけばよいのです。……アルマ、君がわざわざ彼のために、その清らかな手に傷をつけてまで働く必要はないのですよ」
レスターは恭しくアルマの手を取って、指先についた細かい切り傷に口づける。ひんやりと乾いた唇の感触が、生々しく肌へ残る。
わけが分からないまま、アルマはするりとレスターの手から抜け出した。
混乱する頭で言うべきことを探すが、考えはまとまらない。頭の中は糸が絡まるように複雑で、解き目も分からない。
ぱくぱくと口を動かすだけのアルマを見て、レスターは一層笑みを深くした。
「もしよければ、これから――」
「味音痴で悪かったな」
不機嫌な声と共に、首根っこをぐいと引かれて、レスターから引きはがされる。
「カルナ、さん……!」
「お前の耳はなんでも聞いていますね」
「お前は女にばかりいい顔をしてるな」
二人がじりじりと睨み合う音が聞こえてくるようだ。意図せず二人の間に閉じ込められたアルマは、必死に気配を消そうと試みる。
レスターは先ほどまでの甘い笑みが消え失せ、侮蔑のこもったまなざしをカルナに向けている。
カルナも声はとことん不機嫌そうだが、振り返って表情を確認する勇気は、アルマにはなかった。
「お前がまだ彼女を食べていなくて安心しました」
「俺は人間を喰わないって、何度も言ってるだろ」
「……私の母を食べたくせに?」
「え……?」
息を潜めていたのも忘れて、カルナを振り返る。
アルマの驚きとは裏腹に、カルナの表情からは、なにも読み取れない。レスターに対する声は明らかに不機嫌そのものなのに、表情にはまったくと言っていいほど、機微がない。人形の顔を見ているようである。
「あれは人間じゃない。魔女の――」
気づいたときには、アルマは突き飛ばされ、冷えた地面に尻を打ちつけていた。
カルナの胸倉を乱暴に掴み上げたレスターが、怒りでギラギラと目を輝かせている。
「竜の貴様が、それを言うのか?」
殺気に輝く瞳とは対照的に、その声はぞっとするほど冷たく、地を這う。
レスターの激情もカルナにはまるで通用していないようで、面倒そうにため息をつく音が聞こえる。
「俺がいなけりゃ、お前も、アルフォンラインの家も領土も、三十二年前に潰えただろうよ」
違うか? とカルナが目で問いかける。
アルマが産まれるもっと前から、二人には決定的な確執があったとみえる。
レスターは丸腰だが、カルナは常に帯剣している。腰に下がる短剣が、抜かれはしないかと、アルマは地面に座り込んだまま、行く末を見守る。
「私の母は家のために犠牲になったと……貴様は、そう主張するのだな」
レスターが投げ飛ばすようにして、カルナの外套から手を放す。怒りを抑えるように、何度か拳を握ったり、開いたりを繰り返す。
カルナは話が終わったとみて、アルマのことも振り返らずに居住館へと引っ込んでいった。
呆然と座り込むアルマの前に、大きな手のひらが差し出される。カルナに掴みかかる直前、アルマを突き飛ばしたのはレスターだった気がするが、大人しく差し出されたレスターの手を取り、立ち上がる。
「お見苦しいところを……失礼しました」
レスターはアルマのワンピースについた土を丁寧に払う。手についた土は、絹のようになめらかな手巾で、綺麗に拭われた。
「あの、レスター様のお母さまが、カルナさんに、その……」
「私の母は一度、魔女狩りに遭いましてね。私は母が一人の人間だったと、そう信じていますが」
レスターが、ぼんやりと居住館を見上げる。
「とにかく、些細な問題ですよ。私とカルナの、ね」
暗にアルマには関係のない話だと言われているようだ。レスターの問いを許さない笑みに、なにも聞けなくなってしまう。
手巾をポケットにしまったレスターは、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、君のお母さんは行方知らずと言っていましたね」
「はい。十二年前に出たきりで」
「君はまだ、お母さんが生きていると思いますか?」
「わたし、出てきますね」
リオが来るのは五日後のはずだが、見張りのドルシーが鐘を鳴らしたということは、見知った顔なのだろう。
居住館を出て階段を下りると、ドルシーが跳ね橋を架け終えたところだった。
きっちりと撫でつけ、固めた金髪が目に入る。相手は橋の向こうからでもアルマに気づいたらしく、やわらかな笑みを浮かべて、ゆるやかに手を振った。
「やあ、アルマ。元気にしていましたか?」
跳ね橋を渡りながら、カルナに負けるとも劣らない長身の男、レスターが声をかけてくる。
砦へ送ってもらった日以来、顔を合わせる機会がなかったが、レスターはアルマの顔をきちんと覚えていたらしい。
「レスター様! お久しぶりです。カルナさんにも、ドルシーさんにも、とてもよくしていただいています」
「それは結構なことですね」
レスターが橋を渡り終えると、ドルシーがすかさず鎖を巻き取りはじめる。レスターはドルシーを見て一瞬、怪訝な顔をしたものの、すぐに微笑みを取り戻してアルマと向き合った。
「今日はどういったご用件ですか?」
「特に用件はないんですがね。近くに寄ったので、様子でも見ておこうと思いまして」
「そうですか。あ、カルナさんを呼んだ方がいいですか?」
「いえ、お構いなく。ちなみに彼は、いまなにを?」
「まだ食事中だと思いますが……」
レスターは意外だというように、目を見張った。
「カルナが食事……」
「わたしが毎日作っているんです。料理の腕は、まだまだですけど……」
見上げた顔がみるみるうちに崩れる。レスターは堪えきれないといった様子で、大きな笑い声を上げた。
自分のことを笑われているのだと思い、アルマの顔はますます赤く、肩はどんどん落ちていく。
「やっぱり、わたしみたいな人間が料理なんて……」
レスターはなおも肩を揺らしながら、アルマの視線を受け止める。
「失礼……君のことを笑ったのではありません」
レスターが大きく息を吐いて、呼吸を整える。
「竜など、なにを食べても分かりませんからね、馬の骨でも与えておけばよいのです。……アルマ、君がわざわざ彼のために、その清らかな手に傷をつけてまで働く必要はないのですよ」
レスターは恭しくアルマの手を取って、指先についた細かい切り傷に口づける。ひんやりと乾いた唇の感触が、生々しく肌へ残る。
わけが分からないまま、アルマはするりとレスターの手から抜け出した。
混乱する頭で言うべきことを探すが、考えはまとまらない。頭の中は糸が絡まるように複雑で、解き目も分からない。
ぱくぱくと口を動かすだけのアルマを見て、レスターは一層笑みを深くした。
「もしよければ、これから――」
「味音痴で悪かったな」
不機嫌な声と共に、首根っこをぐいと引かれて、レスターから引きはがされる。
「カルナ、さん……!」
「お前の耳はなんでも聞いていますね」
「お前は女にばかりいい顔をしてるな」
二人がじりじりと睨み合う音が聞こえてくるようだ。意図せず二人の間に閉じ込められたアルマは、必死に気配を消そうと試みる。
レスターは先ほどまでの甘い笑みが消え失せ、侮蔑のこもったまなざしをカルナに向けている。
カルナも声はとことん不機嫌そうだが、振り返って表情を確認する勇気は、アルマにはなかった。
「お前がまだ彼女を食べていなくて安心しました」
「俺は人間を喰わないって、何度も言ってるだろ」
「……私の母を食べたくせに?」
「え……?」
息を潜めていたのも忘れて、カルナを振り返る。
アルマの驚きとは裏腹に、カルナの表情からは、なにも読み取れない。レスターに対する声は明らかに不機嫌そのものなのに、表情にはまったくと言っていいほど、機微がない。人形の顔を見ているようである。
「あれは人間じゃない。魔女の――」
気づいたときには、アルマは突き飛ばされ、冷えた地面に尻を打ちつけていた。
カルナの胸倉を乱暴に掴み上げたレスターが、怒りでギラギラと目を輝かせている。
「竜の貴様が、それを言うのか?」
殺気に輝く瞳とは対照的に、その声はぞっとするほど冷たく、地を這う。
レスターの激情もカルナにはまるで通用していないようで、面倒そうにため息をつく音が聞こえる。
「俺がいなけりゃ、お前も、アルフォンラインの家も領土も、三十二年前に潰えただろうよ」
違うか? とカルナが目で問いかける。
アルマが産まれるもっと前から、二人には決定的な確執があったとみえる。
レスターは丸腰だが、カルナは常に帯剣している。腰に下がる短剣が、抜かれはしないかと、アルマは地面に座り込んだまま、行く末を見守る。
「私の母は家のために犠牲になったと……貴様は、そう主張するのだな」
レスターが投げ飛ばすようにして、カルナの外套から手を放す。怒りを抑えるように、何度か拳を握ったり、開いたりを繰り返す。
カルナは話が終わったとみて、アルマのことも振り返らずに居住館へと引っ込んでいった。
呆然と座り込むアルマの前に、大きな手のひらが差し出される。カルナに掴みかかる直前、アルマを突き飛ばしたのはレスターだった気がするが、大人しく差し出されたレスターの手を取り、立ち上がる。
「お見苦しいところを……失礼しました」
レスターはアルマのワンピースについた土を丁寧に払う。手についた土は、絹のようになめらかな手巾で、綺麗に拭われた。
「あの、レスター様のお母さまが、カルナさんに、その……」
「私の母は一度、魔女狩りに遭いましてね。私は母が一人の人間だったと、そう信じていますが」
レスターが、ぼんやりと居住館を見上げる。
「とにかく、些細な問題ですよ。私とカルナの、ね」
暗にアルマには関係のない話だと言われているようだ。レスターの問いを許さない笑みに、なにも聞けなくなってしまう。
手巾をポケットにしまったレスターは、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、君のお母さんは行方知らずと言っていましたね」
「はい。十二年前に出たきりで」
「君はまだ、お母さんが生きていると思いますか?」
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