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25.囚われた瞳

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「……騙した、とは?」
「母もカルナさんも、本当はここにはいないんでしょう?」

 レスターが笑ったのか、隣から小刻みな振動が伝わる。
 確証はなかった。しかし、レスターの言葉をそのまま鵜呑みにするほど、アルマも幼くなかった。

「そんなに疑うなら、自分で捜してもいいですよ。あそこの扉に鍵はかかっていません」

 そう言って奥に備わる木造りの扉を指す。確かにレスターの言う通り、鍵がかかっている形跡はない。入口の扉と違って簡素で、疑うような点は少なく見える。
 アルマはレスターから目を離さないように注意しながら席を立った。ミーシャが尻尾をピンと立てて、後ろをついてくる。

 レスターを睨みつけたまま、じりじりと壁伝いに移動して、アルマは扉の前までやってきた。
 ひんやりとした扉の取っ手に手をかける。レスターを注視したまま扉を開けるのは、あまり得策ではない。中の様子が窺えず、扉の向こうからなにが飛び出してくるか分からないからだ。けれど、レスターから目を離すのも抵抗がある。ほとんど密室に近いこの地下で、レスター相手に自分が対抗できるなどとは露ほども思わない。
 そしてアルマの直感が、絶えず危険を知らせている。自分の直感を過信するわけでないが、この状況で呑気にレスターにつき合っていられるほど肝は据わっていない。

 アルマは意を決してレスターから目を離し、一瞬のうちに扉を思いきり開け放った。
 開け放たれた扉から濃い臭気が漏れ出す。夏の腐敗がはじまった遺体の腐臭と、腐敗に打ち勝とうとする薬品の混ざった、なんとも形容しがたい臭いである。アルマが墓地で遺体の臭いを嗅ぎ慣れていなければ、とっくにこの場から逃げ出していただろう。
 あまりにも強い臭いで鼻も目もやられ、とてもじゃないが部屋の中を覗く気にはなれない。部屋の中は光源がなく、目をこらしても扉に近い足元の床板が見えるだけだった。

 ランタンを取ろうと後ろを振り返る。レスターはあいかわらずソファに腰かけ、意図の読めない笑みを顔に貼りつけている。
 足元で腐臭に晒されたミーシャは、不機嫌なのか、レスターに牙を剥き、鋭く威嚇の鳴き声を発した。

「この部屋には、なにがあるんですか?」

 正しい答えが聞けるとは期待していないが、儀礼的に尋ねる。レスターは鷹揚に微笑んだまま「死体ですよ」とのたまった。
 部屋から流れ出る臭いで、なんとなく予想はついていたものの、ここまで清々しく告げられると対応に困る。

 アルマは確認したいことを頭の中で、ひとつずつ整理する。その間もレスターからは決して目を離さない。聞いたところでレスターが正直に答えてくれるとは限らない。だが、なにも聞かないで、どんな形であれ、この場を後にするのは夢見が悪い。
 臭気が思考を邪魔するため、扉を元通りに閉じる。残り香は非常に気分が悪くなるものだった。

「わたしの母は、この中の死体に含まれていますか?」
「……一部は」

 一部? ということは、生存している可能性もいちおうは残っている。限りなく低いけれど。もっとも生命維持にはさほど重要ではない手足や、耳などを切り取って一部と称しているのなら、五体満足ではないかもしれないが、生存率はぐっと上がる。

「では、ドルシーさんの奥様は?」
「ドルシー?」
「砦の見張り塔にいる大男です。ドルシーさんの奥様も、砦の生贄になったようですが」
「ああ……ドルシーという名の死体はありますよ。そして、ドルシーの夫の名前はセリモッドです。妻の名を騙って砦にいるとは、不思議な人ですね」
「ドルシー……セリモッドさんが魔女の呪いにかけられているのも、レスター様が関わっているのではないですか?」

 アルマは一種の賭けに出た。ここまでの事象で、レスターが直接関わっているという証拠は、ほとんどないに等しい。知らないと言われてしまえば、道は閉ざされる。
 けれど、アルマには確信めいたものがあった。レスターは自分になにもかも話すはずだ。冥途の土産として。
 レスターは長い息を吐いた後、おもむろに立ち上がり、意味もなく部屋の中をうろつきはじめた。

「彼は邪魔だったのですよ……私がドルシーを殺したことに気づいて、屋敷までやってきたのですから。それにあの巨体でしょう? 私一人で仕留めるのは無理だと思いましてね。知人の魔女を金で雇って、呪いで不能にして、私の目の届く砦へ捨ててきました。彼が余計なことを口にしないよう砦に入れ、いざとなれば竜の力で彼を殺してもらう、完璧な筋書きです。君は気づいてしまったようですが」

 自分の論説に酔っているかのような勢いで、まくし立てる。あまりレスターを興奮させてはいけない。
 アルマはドルシーもといセリモッドよりも、はるかに小柄だ。男女の体格差もあり、レスターには勝てる見込みがない。なるべく刺激しないように話を進める必要がある。

 アルマはレスターとの距離を不用意に縮めないように、気を配る。
 じりじりと後ずさり、臭気の渦から逃れながら、レスターの手が届く範囲からも離れる。
 アルマには、もうひとつ確認しなければいけないことがある。

「カルナさんは、どこにいるんですか?」

 レスターの蜂蜜色に輝く瞳を睨みつける。アルマと視線が交差していることに気づくと、レスターは歯をむき出しにして笑った。
 意味を持たないおぞましさが全身を支配する。アルマは蛇に睨まれた蛙のように、その場を動くことができなかった。

「彼には、偽の情報を掴ませています。今頃、荒野で君を探してさまよっているでしょう」

 レスターはあくまで自分の余裕を崩さない。罪の告白をしているにも関わらず、優位性を保ったまま、アルマににじり寄ってくる。
 アルマがこの地下を逃げ出して、すべてを告発できるなどとは、微塵も思っていないようだ。

 確かに、アルマの方が圧倒的に不利である。目の色が違う人間が村まで下りていって領主の罪を訴えたところで、妄言だと取られかねない。下手すれば領主を侮辱したとみなされ、自分の命がなくなるだろう。
 カルナがここにいないなら、頼れるのは自分の力だけである。墓地にいた頃の孤独を思い出す。頼るものがほとんどなかった、あの頃の自分は、どうやって日々を生き抜いていたのだろうか。

 レスターが大股でアルマとの距離を詰めてくる。反応が数拍遅れたことで、アルマの細い手首がたちまちレスターの手中に収まる。
 膝が震えてへたり込みそうになったが、アルマは意志を込めてレスターを見上げた。手首にレスターのしなやかな指が食い込む。

「なにが目的で、こんなことを?」

 最大限の侮蔑を込める。レスターに惑わされ、死んでいった女たちの無念を、アルマは晴らさなければならない。
 服がこすれ合うほど近づかれて、アルマが後退するしかなかった。
 じわじわと追い詰められて、すぐに背が壁に当たる。レスターに取られた右腕は、そのまま壁に縫いつけられた。レスターがアルマの頬を愛おしむように撫でて、うっとりと呟く。

「君の瞳は本当に美しい……君のお母さまの瞳はエメラルドのように華やかな光があったが、君の瞳は人を拒絶する冷たい光がありますね……人を寄せつけず、汚れを知らない、無垢の色です」

 レスターの親指は、ゆっくりと目の淵をなぞる。恐怖から反射的に目を閉じると、強く頬を張られた。強い衝撃と痛みで混乱するなか、「目を開けなさい」と命令するレスターの声が降ってくる。
 痛みをこらえて目を開ける。満足そうなレスターの笑みに、意図せずとも涙がこぼれた。
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