【完結】九龍街区の売人は偽りの少年と極彩色の夢を見ない【R18】

古都まとい

文字の大きさ
6 / 40

1章(6)

 少年が目を覚ましたのは、藍豪ランハオの部屋に運び込んでから三日目の朝だった。
 朝食を買いに外へ出て、粥を手に戻ってくると少年が布団の上で躰を起こしていたのだ。見つめれば吸い込まれそうなほど大きな瞳は、突然部屋に戻ってきた藍豪を凝視している。
 藍豪は自分の部屋だというのに、急に居心地の悪さを感じる。

「あー……起きたか」

 なにか上手い言葉のひとつでも言えたらいいものの、あいにく藍豪は話し上手ではない。漆黒に薄紫の混じった不思議な色の瞳に見つめられて、少年が起きたらかけようと思っていた言葉の数々がすべて吹き飛んでいってしまった。
 少年はまだ、一言も発しない。ひび割れた唇がかすかに動いて、なにかを言おうとしていることは伝わる。
 ひゅうっと息の抜ける音がして、少年は軽く咳き込んだ。カラカラに乾いた咳に、藍豪ははっと思い至る。

「待ってろ、飲み物持ってきてやるから」

 藍豪は言うが早いか、部屋を飛び出した。地下まで水道を汲みに行って沸かすのでは時間がかかってしまう。長い時間、少年を部屋に一人にしておくこともできない。
 藍豪は迷うことなく、隣室の扉を叩いた。今まさに眠ろうとしていた寝ぼけ眼の静月ジンユエが、気怠げに扉の隙間から顔を出す。

「なんでもいい、飲めるもんないか?」
「酒?」
「いや……子どもが飲めるもので、ちゃんと煮沸されてるやつ」

 その一言で、静月にはすべてが伝わったのだろう。彼は就寝直前とは思えない素早い身のこなしで、プラスチックのコップに冷えた茉莉花ジャスミン茶を入れてきた。

「ごめん、昨日の夜に淹れたやつだから冷えてる」
「助かった」と言いながら、藍豪はコップをひったくるようにして受け取り、半歩で自分の部屋に舞い戻った。

 少年は先ほどと寸分違わない体勢で、じっと入り口のほうを見つめている。
 藍豪は少年のそばに膝を着くと、布団から投げ出された白い手にコップを握らせた。少年の手が震え、茉莉花茶が布団の上にこぼれる。
 藍豪は少年の手に自分の手を添えて、ゆっくりとコップを口元へ持って行った。こくりと細い喉が鳴って、少年が二口ほどお茶を飲み下す。
「まだ飲むか?」と尋ねると、少年は首を振って拒否した。中身の残っているコップを金庫の上に置いて、少年に視線を戻す。

「ここ、は」

 変声期前のふんわりと高い少年の声が、掠れて聞こえてくる。綺麗な顔にふさわしい、小鳥のさえずりのようにひそやかな声だ。
 藍豪が黙っていると、少年はまた咳き込んでから続ける。

「ここは、どこですか」

 彼なりにきちんと事態を飲み込もうとしているのだろう。あいかわらず手は震えたままだが、大きな目はしっかりと藍豪を見ている。
 藍豪はなるべく少年を刺激しないよう、努めてゆっくり、はっきりと喋った。

「ここは、九龍街区のアパートだ」
「九龍街区?」
「そうだ。ここは香港にある九龍という街で、お前はアパート近くの路地に倒れていたんだ」

 少年の目が記憶をたどるように宙をさまよう。裸電球の明かりを受けて、その目の色が黒から紫へと移り変わる。きっと日光の下で見たら、さらに美しい色を見せるのだろう。藍豪はまるで新しいおもちゃを買ってもらった子どものように、飽きもせず少年の瞳を見つめていた。
 宙をふらふらしていた少年の視線が戻ってきて、藍豪の前で像が結ばれる。

「あなたが、助けてくれたのですか?」

 はっきりそう言われると、認めるのが気恥ずかしかった。阿片の売人という、およそ子どもに自慢できるはずもない仕事をやっている自分が、路地で倒れていた子どもを助けて治療費を払い、もう三日も一枚しかない布団を譲っている。
 藍豪は急に自分が汚らしい人間に思えて、少年から目をらした。

「ありがとうございます」

 少年は布団の上に手をついたかと思うと、藍豪に向かって深々と頭を下げた。目を伏せても少年の丸っこい頭が目に入ってきてしまって、どうしたらいいかわからなくなる。
 俺はそんな、お前に感謝されるような人間じゃない。大声でそう叫びたかった。本当に、ただの気の迷いだったのだ。無理やり理由をつけるとするならば、目の色が宇宙みたいで綺麗だったから。そうとしか言えない。
 藍豪は所在なさげに腕を組むと、わけもなくきょろきょろしながら尋ねた。

「名前は? 家族も、お前のこと捜してるんじゃねぇの?」

 細い肩がふるりと震えた気がして、さまよわせていた視線を戻す。
 少年は、大きな目をめいいっぱい開いて、ぽろぽろと涙をこぼしていた。大声を上げて、ギャンギャン泣きわめくような子どもらしい泣き方ではない。両手をぎゅっと握り合わせて、まるで一時の感情の揺らぎだとでもいうように、黙って涙が落ちるに任せている。
 こんな泣き方をする子どもは、はじめてだった。
 喉から絞り出すような嗚咽が漏れて、藍豪は衝動的に少年の肩を抱いた。少年の肩は藍豪の手のひらにすっぽりと収まってしまうほど細く、頼りない。

「言いたくないなら、言わなくていい」

 藍豪に抱かれて肩を震わせていた少年が、ふるふると首を振る。
 少年が顔を上げる。涙で濡れた目は、この世のどんな宝石にも敵わぬほど美しかった。

「僕は、レイ。家族はたぶん……皆、死んだと思います」

 半分は、予想していたことだ。しかしなんと尋ねたらよいものか、思案する。藍豪の迷いに気づかず、類は続ける。

「村が、襲われたんです。雲南うんなんの――阿片の畑を作るから、って。皆、焼かれて……」

 すうっと、腹の底が冷えていく感覚がした。

「それは、いつのことだ?」
「十一月の、終わり頃だったと、思います」

 間違いない。一週間前のクソみたいな仕事を思い出す。ウー星宇シンユーに人手が足りないと呼び出されて、山奥に連れて行かれて――。

 類の村を焼いたのは、俺だ。
感想 0

あなたにおすすめの小説

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【創作BL】溺愛攻め短編集

めめもっち
BL
基本名無し。多くがクール受け。各章独立した世界観です。単発投稿まとめ。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。