18 / 40
3章(2)
しおりを挟む
「美雨や他の娼婦にも言われたんです。これだけ多くの女性に囲まれて働いてるのに、一回も女の人を好きになったことがないのはおかしいって……」
類は縋るような目つきで藍豪を見てくる。
先ほど少女と一緒にいたのは、彼女とつき会っているからではないのか?
「僕はおかしいんでしょうか? 藍豪は、女性を好きになったことがありますか?」
類の問いは、切実な響きを帯びていた。ずっと答えを追い求めて、それでも見つからなくて、いよいよ藍豪に尋ねるしかなくなったのだ。
藍豪はずっと封じてきた、遠い記憶を呼び起こした。思い出すだけで胸が苦しくなる。けれど、類の問いに真剣に答えてやるためには話さなければならない。
息を整えて、乾ききった唇を舐める。
「一度だけ、好きになったことがある。子どもの頃の話だ」
一瞬、類の目に失望が見えたのは気のせいだろうか。
藍豪は気づかないふりをして、続ける。
「俺が好きになったのは、姉だった。姉といっても、血の繋がりはなかったが」
「藍豪の、お姉さんは……」
類の視線に同情が混ざった気がして、目を逸らす。
「そうだ、俺が十六の時に死んだ。俺は売人になってやると言ったのに――あいつは姉を殺したんだ」
まぶたの裏に、今でもありありと思い出すことができる。殺しを辞めて瑞蜜会を抜けると言った瞬間、星宇は逆上した。藍豪の姉を人質に取り、顔の形が変わるほど殴られまくって瀕死の藍豪に向かい、言い放ったのだ。
――百歩譲って、殺しを辞めることは認めてあげよう。でも、君が瑞蜜会を抜けると言うのなら、俺は今すぐ彼女の喉を掻き切る。
そして星宇は藍豪に二つの条件を出した。瑞蜜会を辞めないこと、殺しの代わりに阿片の売人となって組織のために働くこと。
藍豪はすぐさま了承した。死ぬまで働くから、彼女だけはどうか助けてくれと星宇の足に縋りついた。
頭を垂れる藍豪に、姉の喉から迸った血が降り注いだ。生温かく、鉄臭い真っ赤な血を浴びながら藍豪は誓った。いつか、吴星宇を殺す。王老板を殺して、瑞蜜会を壊滅させる。
藍豪が語るのを、類は黙って聞いていた。ずっと胸に抱え込んできた秘密を子ども相手に話すのは、些か抵抗があった。それでも最後まで話せたのは、類が藍豪に悩みを打ち明け、真剣に答えを求めてきたからだろう。
三年間同じ部屋に暮らしてきて、ここまで深い話をするのははじめてだった。
「姉以外、好きになれそうな人はいないな。それに、お前はまだ自分の村と九龍街区の中しか知らないようなもんだ。大人になって外の世界を見れば、好きになれる女の一人や二人、簡単に見つかるだろ」
藍豪はそう締めくくって、手元に目を落とした。小指と薬指がなくなった左手。類を安全に十九歳まで育てるために、払った代償。
あの時、藍豪が命を投げ出せば――姉を助けることができたのだろうか。類の七年が指二本なら、姉の一生は藍豪の命だけでは足りないかもしれない。
取り留めもない想像を断ち切ったのは、類の苦悩に満ちたため息だった。
「藍豪は――僕が男の人を好きだと言ったら、笑いますか」
藍豪はようやく、類が本当に聞きたかったことはこれなのだと悟った。女性を好きになるかどうかは、ただの世間話のようなものだったのだ。
藍豪は努めて、いつもと同じ口調で言った。
「笑うわけないだろ。誰を好きになろうが、自由だ」
藍豪が同性愛に偏見を持つ人間なら、とっくに隣人の張静月とは縁を切っている。彼は男娼として、男性相手の商売をしている。もしかしたら藍豪よりよほど、静月のほうが類の相談相手としてふさわしいかもしれない。
今日の飯にありつけるかもわからない九龍街区で、他人の趣味嗜好を気にしている暇はない。藍豪だけでなく、九龍街区全体がそうなのだ。いちいち他人の恋愛事情に首を突っ込むような暇人はいないし、そんな暇があったら缶拾いでもしたほうがいい。
類はなにかを決心したように大きく息を吸い、まっすぐに藍豪を見つめた。瞳の中で黒と紫が混じり合い、電球の明かりでみるみる色が変化していく。
「李藍豪」
類が決意のこもった声で、藍豪の名を呼ぶ。
「僕は、藍豪のことが好きです」
「それは――」
「命の恩人として、家族として、ということではありません。僕はあなたの、恋人になりたいのです」
急に空気の流れがゆったりと感じられた。類は熱のこもったまなざしで藍豪を見ている。
藍豪はどうすれば類を傷つけずに済むか、必死に頭の中で言葉を巡らせながら戸惑いがちに唇を開いた。
「まず、俺とお前とじゃ歳が離れすぎてる。十五歳のお前から見たら、二十九歳なんか爺もいいところだろ?」
「珠蘭はもう四十代ですが、二十歳の男性とつき合っています」
「じゃあ、あれだ。その……まだだめだ」
「まだ?」
期待を持たせるようなことは言ってはいけない。しかし、類を傷つけずにこの場を切り抜けるにはこうするしかないのだ。
醜い言い訳と嘘ばかりを重ね続ける類との関係は、日毎に重みを増していた。それでも藍豪は嘘をつき続けなければならない。嘘の上に嘘を塗り重ねて、完璧な偶像である李藍豪を作り上げるのだ。
「お前が大人になったら、考えてやる。いいか、二十九のおっさんが十五歳に手出してみろ。それこそ珠蘭に九龍街区を追い出されかねない」
類の顔にじわじわと喜びが広がるのを、藍豪は見ていられなかった。
こうしてまた、本当のことが言えなくなる。類の家族を殺し、村を焼いたのは藍豪だ。類に慕われるような人間では、到底ない。
類は縋るような目つきで藍豪を見てくる。
先ほど少女と一緒にいたのは、彼女とつき会っているからではないのか?
「僕はおかしいんでしょうか? 藍豪は、女性を好きになったことがありますか?」
類の問いは、切実な響きを帯びていた。ずっと答えを追い求めて、それでも見つからなくて、いよいよ藍豪に尋ねるしかなくなったのだ。
藍豪はずっと封じてきた、遠い記憶を呼び起こした。思い出すだけで胸が苦しくなる。けれど、類の問いに真剣に答えてやるためには話さなければならない。
息を整えて、乾ききった唇を舐める。
「一度だけ、好きになったことがある。子どもの頃の話だ」
一瞬、類の目に失望が見えたのは気のせいだろうか。
藍豪は気づかないふりをして、続ける。
「俺が好きになったのは、姉だった。姉といっても、血の繋がりはなかったが」
「藍豪の、お姉さんは……」
類の視線に同情が混ざった気がして、目を逸らす。
「そうだ、俺が十六の時に死んだ。俺は売人になってやると言ったのに――あいつは姉を殺したんだ」
まぶたの裏に、今でもありありと思い出すことができる。殺しを辞めて瑞蜜会を抜けると言った瞬間、星宇は逆上した。藍豪の姉を人質に取り、顔の形が変わるほど殴られまくって瀕死の藍豪に向かい、言い放ったのだ。
――百歩譲って、殺しを辞めることは認めてあげよう。でも、君が瑞蜜会を抜けると言うのなら、俺は今すぐ彼女の喉を掻き切る。
そして星宇は藍豪に二つの条件を出した。瑞蜜会を辞めないこと、殺しの代わりに阿片の売人となって組織のために働くこと。
藍豪はすぐさま了承した。死ぬまで働くから、彼女だけはどうか助けてくれと星宇の足に縋りついた。
頭を垂れる藍豪に、姉の喉から迸った血が降り注いだ。生温かく、鉄臭い真っ赤な血を浴びながら藍豪は誓った。いつか、吴星宇を殺す。王老板を殺して、瑞蜜会を壊滅させる。
藍豪が語るのを、類は黙って聞いていた。ずっと胸に抱え込んできた秘密を子ども相手に話すのは、些か抵抗があった。それでも最後まで話せたのは、類が藍豪に悩みを打ち明け、真剣に答えを求めてきたからだろう。
三年間同じ部屋に暮らしてきて、ここまで深い話をするのははじめてだった。
「姉以外、好きになれそうな人はいないな。それに、お前はまだ自分の村と九龍街区の中しか知らないようなもんだ。大人になって外の世界を見れば、好きになれる女の一人や二人、簡単に見つかるだろ」
藍豪はそう締めくくって、手元に目を落とした。小指と薬指がなくなった左手。類を安全に十九歳まで育てるために、払った代償。
あの時、藍豪が命を投げ出せば――姉を助けることができたのだろうか。類の七年が指二本なら、姉の一生は藍豪の命だけでは足りないかもしれない。
取り留めもない想像を断ち切ったのは、類の苦悩に満ちたため息だった。
「藍豪は――僕が男の人を好きだと言ったら、笑いますか」
藍豪はようやく、類が本当に聞きたかったことはこれなのだと悟った。女性を好きになるかどうかは、ただの世間話のようなものだったのだ。
藍豪は努めて、いつもと同じ口調で言った。
「笑うわけないだろ。誰を好きになろうが、自由だ」
藍豪が同性愛に偏見を持つ人間なら、とっくに隣人の張静月とは縁を切っている。彼は男娼として、男性相手の商売をしている。もしかしたら藍豪よりよほど、静月のほうが類の相談相手としてふさわしいかもしれない。
今日の飯にありつけるかもわからない九龍街区で、他人の趣味嗜好を気にしている暇はない。藍豪だけでなく、九龍街区全体がそうなのだ。いちいち他人の恋愛事情に首を突っ込むような暇人はいないし、そんな暇があったら缶拾いでもしたほうがいい。
類はなにかを決心したように大きく息を吸い、まっすぐに藍豪を見つめた。瞳の中で黒と紫が混じり合い、電球の明かりでみるみる色が変化していく。
「李藍豪」
類が決意のこもった声で、藍豪の名を呼ぶ。
「僕は、藍豪のことが好きです」
「それは――」
「命の恩人として、家族として、ということではありません。僕はあなたの、恋人になりたいのです」
急に空気の流れがゆったりと感じられた。類は熱のこもったまなざしで藍豪を見ている。
藍豪はどうすれば類を傷つけずに済むか、必死に頭の中で言葉を巡らせながら戸惑いがちに唇を開いた。
「まず、俺とお前とじゃ歳が離れすぎてる。十五歳のお前から見たら、二十九歳なんか爺もいいところだろ?」
「珠蘭はもう四十代ですが、二十歳の男性とつき合っています」
「じゃあ、あれだ。その……まだだめだ」
「まだ?」
期待を持たせるようなことは言ってはいけない。しかし、類を傷つけずにこの場を切り抜けるにはこうするしかないのだ。
醜い言い訳と嘘ばかりを重ね続ける類との関係は、日毎に重みを増していた。それでも藍豪は嘘をつき続けなければならない。嘘の上に嘘を塗り重ねて、完璧な偶像である李藍豪を作り上げるのだ。
「お前が大人になったら、考えてやる。いいか、二十九のおっさんが十五歳に手出してみろ。それこそ珠蘭に九龍街区を追い出されかねない」
類の顔にじわじわと喜びが広がるのを、藍豪は見ていられなかった。
こうしてまた、本当のことが言えなくなる。類の家族を殺し、村を焼いたのは藍豪だ。類に慕われるような人間では、到底ない。
20
あなたにおすすめの小説
レンレンは可愛い(*´×`*)四十路のおじさん♡Ωに覚醒しました!〜とにかく元気なおバカちゃん♡たぁくん爆誕です〜
志村研
BL
あるところに、高生さんという駄目なおじさんがおりました♡
このおじさん、四方八方に怒られてます。
でもちっとも懲りません。
自分らしさ炸裂にしか生きられなくて、分かっちゃいるけどやめられないんです。
でも、そんな人生だってソコソコ満喫してました。
\\\\٩( 'ω' )و ////
…何だけど、やっぱりね。
色々もの足りなくて、淋しくて。
…愛されたくて、たまらなかったんです。
そんな時、Ωに覚醒♡
高生さんの国では正斎子といいます。
これに成っちゃうと不幸になりがちです。
そんな訳で。
ろくな事をしない割に憎めないおじさんは、心配されてます。
だけど本人は気づきもせずに、ボケっとしてました。
そんなんだから、やらかしました。
そんな時に限って、不運を重ねました。
そんなこんなで、囚われました。
人生、終わった!
もう、何もかもドン底だ!
。・゜・(ノД`)・゜・。
いや、ここからですよ♡
とにかく元気なおバカちゃん♡
中欧のΩおじさん、たぁくん♡爆誕です!
\\\٩(๑`^´๑)۶////
聖者の愛はお前だけのもの
いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。
<あらすじ>
ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。
ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
たしかなこと
大波小波
BL
白洲 沙穂(しらす さほ)は、カフェでアルバイトをする平凡なオメガだ。
ある日カフェに現れたアルファ男性・源 真輝(みなもと まさき)が体調不良を訴えた。
彼を介抱し見送った沙穂だったが、再び現れた真輝が大富豪だと知る。
そんな彼が言うことには。
「すでに私たちは、恋人同士なのだから」
僕なんかすぐに飽きるよね、と考えていた沙穂だったが、やがて二人は深い愛情で結ばれてゆく……。
【完結】恋愛経験ゼロ、モテ要素もないので恋愛はあきらめていたオメガ男性が運命の番に出会う話
十海 碧
BL
桐生蓮、オメガ男性は桜華学園というオメガのみの中高一貫に通っていたので恋愛経験ゼロ。好きなのは男性なのだけど、周囲のオメガ美少女には勝てないのはわかってる。高校卒業して、漫画家になり自立しようと頑張っている。蓮の父、桐生柊里、ベータ男性はイケメン恋愛小説家として活躍している。母はいないが、何か理由があるらしい。蓮が20歳になったら母のことを教えてくれる約束になっている。
ある日、沢渡優斗というアルファ男性に出会い、お互い運命の番ということに気付く。しかし、優斗は既に伊集院美月という恋人がいた。美月はIQ200の天才で美人なアルファ女性、大手出版社である伊集社の跡取り娘。かなわない恋なのかとあきらめたが……ハッピーエンドになります。
失恋した美月も運命の番に出会って幸せになります。
蓮の母は誰なのか、20歳の誕生日に柊里が説明します。柊里の過去の話をします。
初めての小説です。オメガバース、運命の番が好きで作品を書きました。業界話は取材せず空想で書いておりますので、現実とは異なることが多いと思います。空想の世界の話と許して下さい。
うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】
まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。
試情のΩは番えない
metta
BL
発情時の匂いが強すぎる体質のフィアルカは、オメガであるにもかかわらず、アルファに拒絶され続け「政略婚に使えないオメガはいらない」と家から放逐されることになった。寄る辺のなかったフィアルカは、幼い頃から主治医だった医師に誘われ、その強い匂いを利用して他のアルファとオメガが番になる手助けをしながら暮らしていた。
しかし医師が金を貰って、オメガ達を望まない番にしていたいう罪で捕まり、フィアルカは自分の匂いで望まない番となってしまった者がいるということを知る。
その事実に打ちひしがれるフィアルカに命じられた罰は、病にかかったアルファの青年の世話、そして青年との間に子を設けることだった。
フィアルカは青年に「罪びとのオメガ」だと罵られ拒絶されてしまうが、青年の拒絶は病をフィアルカに移さないためのものだと気づいたフィアルカは献身的に青年に仕え、やがて心を通わせていくがー一
病の青年α×発情の強すぎるΩ
紆余曲折ありますがハピエンです。
imooo(@imodayosagyo )さんの「再会年下攻め創作BL」の1次創作タグ企画に参加させていただいたツイノベをお話にしたものになります。素敵な表紙絵もimoooさんに描いていただいております。
君に会いに行こう
大波小波
BL
第二性がアルファの九丈 玄馬(くじょう げんま)は、若くして組の頭となった極道だ。
さびれた商店街を再開発するため、玄馬はあるカフェに立ち退きを迫り始める。
ところが、そこで出会ったオメガの桂 幸樹(かつら こうき)に、惹かれてしまう。
立ち退きを拒むマスターの弱みを握ろうと、幸樹に近づいた玄馬だったが、次第に本気になってゆく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる