【完結】九龍街区の売人は偽りの少年と極彩色の夢を見ない【R18】

古都まとい

文字の大きさ
25 / 40

4章(2)

しおりを挟む
 稀豆粉シドウフンの店は、飲食店が立ち並ぶ通りの一角にあった。九龍街区とウー星宇シンユーの屋敷のちょうど中間地点になるだろう。レイはすでに何度か食べに来ているらしく慣れた様子で店に入り、店主らしき中年の男と挨拶を交わしながら、注文まで終えたようだった。類がグラスに水を注ぎ、藍豪に手渡す。
 財布を出そうとする藍豪ランハオの手を、類がやんわりと押しとどめた。

「僕が誘ったんだから、僕が払います」

 藍豪は舌打ちをして、財布をポケットにしまった。類はどことなく、吴星宇に似てきた気がする。自分の中の類は、いつまでも藍豪の後ろをついて回る子どもだ。日に日に、現実と理想の乖離が大きくなっていく。類が大人になっていくことを受け入れられない。立派に育てたんだから、もう十分だろうと呆れ返った様子で珠蘭シュランに言われたことを、藍豪はずっと引きずっていた。

ウー大人ターレンが、藍豪のことを心配していましたよ」
「明日の香港は秋の豪雨だろうな」
「働きすぎて躰を壊されたら困るって」

 星宇が心配しているのは藍豪の躰ではない。瑞蜜会ルイミーフイの未来だ。シェン殺しを請け負ったのが藍豪しかいない今、藍豪に脱落されては困るということだろう。類が星宇のことを吴大人なんて敬称をつけて呼んでいるのも気に入らない。類にとって星宇はたしかに目上の人間ではあるが、類が裏社会に染まってしまったような感じがして、どうにも好きになれないのだった。

「そういえば静月ジンユエが死んだ時のこと、覚えていますか」

 懐かしい名前だった。ジャン静月ジンユエの死後、隣室はずっと空いたままだ。ふいに、死に際に書かれた文字のことを思い出した。彼は藍豪に、どんな言葉を遺したのだろう。

「藍豪の手のひらに書かれていた文字のことを、この前急に思い出したんです」
「あれは、なんて書いてあったんだ?」

 内心、気が急いている。あの文字の意味がわかれば、静月の仇を取れるかもしれない。
 しかし藍豪の思いとは裏腹に、類は肩をすくめてさらりと言い放った。

「別に、特別なことじゃありません。『水滴石穿すいてきせきせん』ですよ」
「水滴石穿?」
「小さな水滴が、やがて大きな石を貫く。そういう意味のことわざです」

 藍豪にはなんのことかわからなかった。自分の学がないせいだろうか。静月が命がけで遺したものを、すこしもわかってやれないなんて。
 静月に心の中で詫びながら類と二、三言会話を交わしていると、テーブルの上に次々に皿が並べられていく。一番大きな皿に入った、淡い黄色のどろりとしたものが稀豆粉だろう。スプーンですくうともったりとしていて、そのまま食べるものなのか迷うところだ。

「はじめてなら、薬味を混ぜて食べるといいですよ。麺も追加できますけど、注文しますか?」
「いや、いい」

 なかなか手をつけようとしない藍豪を見かねた類が、食べ方を見せてくれる。類は稀豆粉に刻まれた青菜や唐辛子、にんにくなどをどっさり入れると、ぐるぐるとスプーンでかき混ぜてから口に運んだ。
 藍豪は試しにすこしだけスプーンですくい、舐めてみた。ほとんど味がしない。うっすらと塩味を感じるだけだ。見よう見まねで薬味を入れ、混ぜてみる。店の壁に稀豆粉の作り方らしきものが書かれていたが、文字の読めない藍豪にとってはまるで意味のないものだった。
 薬味を混ぜてから食べてみると、雲南名物といわれるのもよくわかる味だ。薬味によってほんのりと豆の味が引き立ち、油っぽさもなくて食べやすい。朝からなにも食べていない空っぽの胃にはちょうどいい代物だった。

「うまいな、これ」
「でしょう? 僕の姉も、稀豆粉を作るのがとても上手かったんです」

 類の無邪気な思い出話で、胃に入った稀豆粉が重たくなるのを感じた。グラスの水を飲んで、息を整える。
 やはり、今すぐにでも類に本当のことを言わなければならない。類の村は瑞蜜会ルイミーフイの阿片栽培地として、変わり果てている。その片棒を担いだのは藍豪だ。いくらウー星宇シンユーの指示でやったことだとしても、藍豪が加担した事実は変わらない。
 懸念はもうひとつある。それは類が藍豪の「三千龍団サンチェンロンが類の村を焼いた」という言葉を信じて、瑞蜜会に入ったのではないかということだ。瑞蜜会に入り、自分の村を焼いた三千龍団に復讐する。今後、両者が抗争になった時、類の復讐心が瑞蜜会にとって都合のいいように使われてしまうのではないか。
 本当は、類と三千龍団にはなんの関係もない。藍豪のついた嘘が、類の将来を歪めたのだとしたら。
 話すなら、今しかない。シェン殺しを決行する前に、藍豪は類と向き合うことに決めた。
 スプーンを置いた藍豪を見て、類が首をかしげる。

「お前に、話があるんだ」

 なんとか絞り出した声は、固く強張っていた。藍豪の緊張が伝播したように、類もスプーンを置いて姿勢を正す。

「俺はお前に――ずっと、嘘をついてきた」

 喉元まで出かかった言葉が、ぐっと腹の底に沈み込む。唇が上手く動かない。舌が張りつき、藍豪は気持ちをなだめるようにグラスに残った水を飲み干した。緊張のせいか、手が震えて落ち着かない。

「藍豪?」

 異変を感じ取った類が、怪訝そうに藍豪の名前を呼ぶ。
 躰の底から湧き上がってきたのは、強烈な睡魔だった。先ほどまでの緊張はどこかに吹っ飛び、眠くて仕方がない。意志の力でなんとかまぶたを持ち上げているが、自分でも本当に目が開いているのかすらわからない。
 落ちそうになる頭を持ち上げ、向かいに座る類を見る。

「なん、で――」

 類は、笑っていた。子どもの頃のように、藍豪に遠慮しているようなぎこちない微笑みではない。獰猛で、冷酷で、吴星宇がまれに見せる笑みにそっくりだった。
 躰が鉛のように重い。立ち上がろうにも、指一本さえ満足に動かせない。自分の意思とは裏腹に頭を持ち上げることができず、テーブルに突っ伏す。足の先からずるずると気力が抜けていくような感覚がある。

「藍豪。家に帰りましょう」

 類に嵌められたと気づいた時には、もう遅かった。藍豪はまぶたを下ろし、泥のような眠りに身を落とした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヒメ様が賊にさらわれました!

はやしかわともえ
BL
BLです。 11月のBL大賞用の作品です。 10/31に全話公開予定です。 宜しくお願いします。

レンレンは可愛い(*´×`*)四十路のおじさん♡Ωに覚醒しました!〜とにかく元気なおバカちゃん♡たぁくん爆誕です〜

志村研
BL
あるところに、高生さんという駄目なおじさんがおりました♡ このおじさん、四方八方に怒られてます。 でもちっとも懲りません。 自分らしさ炸裂にしか生きられなくて、分かっちゃいるけどやめられないんです。 でも、そんな人生だってソコソコ満喫してました。 \\\\٩( 'ω' )و //// …何だけど、やっぱりね。 色々もの足りなくて、淋しくて。 …愛されたくて、たまらなかったんです。 そんな時、Ωに覚醒♡ 高生さんの国では正斎子といいます。 これに成っちゃうと不幸になりがちです。 そんな訳で。 ろくな事をしない割に憎めないおじさんは、心配されてます。 だけど本人は気づきもせずに、ボケっとしてました。 そんなんだから、やらかしました。 そんな時に限って、不運を重ねました。 そんなこんなで、囚われました。 人生、終わった! もう、何もかもドン底だ! 。・゜・(ノД`)・゜・。 いや、ここからですよ♡ とにかく元気なおバカちゃん♡ 中欧のΩおじさん、たぁくん♡爆誕です! \\\٩(๑`^´๑)۶////

聖者の愛はお前だけのもの

いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。 <あらすじ> ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。 ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。 意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。 全年齢対象。

たしかなこと

大波小波
BL
 白洲 沙穂(しらす さほ)は、カフェでアルバイトをする平凡なオメガだ。  ある日カフェに現れたアルファ男性・源 真輝(みなもと まさき)が体調不良を訴えた。  彼を介抱し見送った沙穂だったが、再び現れた真輝が大富豪だと知る。  そんな彼が言うことには。 「すでに私たちは、恋人同士なのだから」  僕なんかすぐに飽きるよね、と考えていた沙穂だったが、やがて二人は深い愛情で結ばれてゆく……。

【完結】恋愛経験ゼロ、モテ要素もないので恋愛はあきらめていたオメガ男性が運命の番に出会う話

十海 碧
BL
桐生蓮、オメガ男性は桜華学園というオメガのみの中高一貫に通っていたので恋愛経験ゼロ。好きなのは男性なのだけど、周囲のオメガ美少女には勝てないのはわかってる。高校卒業して、漫画家になり自立しようと頑張っている。蓮の父、桐生柊里、ベータ男性はイケメン恋愛小説家として活躍している。母はいないが、何か理由があるらしい。蓮が20歳になったら母のことを教えてくれる約束になっている。 ある日、沢渡優斗というアルファ男性に出会い、お互い運命の番ということに気付く。しかし、優斗は既に伊集院美月という恋人がいた。美月はIQ200の天才で美人なアルファ女性、大手出版社である伊集社の跡取り娘。かなわない恋なのかとあきらめたが……ハッピーエンドになります。 失恋した美月も運命の番に出会って幸せになります。 蓮の母は誰なのか、20歳の誕生日に柊里が説明します。柊里の過去の話をします。 初めての小説です。オメガバース、運命の番が好きで作品を書きました。業界話は取材せず空想で書いておりますので、現実とは異なることが多いと思います。空想の世界の話と許して下さい。

うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】

まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。

試情のΩは番えない

metta
BL
発情時の匂いが強すぎる体質のフィアルカは、オメガであるにもかかわらず、アルファに拒絶され続け「政略婚に使えないオメガはいらない」と家から放逐されることになった。寄る辺のなかったフィアルカは、幼い頃から主治医だった医師に誘われ、その強い匂いを利用して他のアルファとオメガが番になる手助けをしながら暮らしていた。 しかし医師が金を貰って、オメガ達を望まない番にしていたいう罪で捕まり、フィアルカは自分の匂いで望まない番となってしまった者がいるということを知る。 その事実に打ちひしがれるフィアルカに命じられた罰は、病にかかったアルファの青年の世話、そして青年との間に子を設けることだった。 フィアルカは青年に「罪びとのオメガ」だと罵られ拒絶されてしまうが、青年の拒絶は病をフィアルカに移さないためのものだと気づいたフィアルカは献身的に青年に仕え、やがて心を通わせていくがー一 病の青年‪α‬×発情の強すぎるΩ 紆余曲折ありますがハピエンです。 imooo(@imodayosagyo )さんの「再会年下攻め創作BL」の1次創作タグ企画に参加させていただいたツイノベをお話にしたものになります。素敵な表紙絵もimoooさんに描いていただいております。

君に会いに行こう

大波小波
BL
 第二性がアルファの九丈 玄馬(くじょう げんま)は、若くして組の頭となった極道だ。  さびれた商店街を再開発するため、玄馬はあるカフェに立ち退きを迫り始める。  ところが、そこで出会ったオメガの桂 幸樹(かつら こうき)に、惹かれてしまう。  立ち退きを拒むマスターの弱みを握ろうと、幸樹に近づいた玄馬だったが、次第に本気になってゆく……。

処理中です...