【完結】九龍街区の売人は偽りの少年と極彩色の夢を見ない【R18】

古都まとい

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4章(4)

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 考えに耽り、誰かが来るのを待っているうちにすこし眠ってしまったらしい。太陽はまっすぐ天から降り注ぎ、室内を明るく照らしていた。
 座ったままのような変な体勢で眠ってしまったせいで、躰の節々が痛む。藍豪ランハオは強張った躰をほぐすために大きく伸びようとしたが、肩が引きつり、手首がぎしぎしと痛んだ。この感覚には覚えがある。指をめいいっぱい曲げて、手首に触れた。思った通り、手首にはがっちりと縄が食い込んでいる。後ろ手に縛られているせいで、藍豪はずっと横向きで眠っていたようだ。体重のかかる右肩がひどく痛んだ。
 躰を起こすことも難しく、首だけを回して室内を見やる。藍豪は寝台の縁に腰掛けている人影に目を留めた。
 黒いTシャツとラフなジーンズに身を包んだレイが、気配を感じたように振り向く。開け放たれた窓から吹き込む涼しい風で、類の黒髪がさらさらと揺れていた。

「類?」

 なぜ類が、なぜ自分が、なぜばかりが頭に浮かび、消えていく。
 類はなにも言わず、藍豪の躰をそっと抱き起こした。鏡台に置かれた水差しからグラスに水を注ぎ、藍豪の口元へ近づける。藍豪は頑なに口を開けなかった。稀豆粉シドウフン屋で口にしたもののせいで、こんなことになっているのだ。相手が類だからといって信用できないことを、藍豪はよく学んでいた。

「大丈夫。なにも入っていませんよ」

 類はそう言って、グラスを傾けると中身を飲み干してみせた。類の挙動をくまなく観察する。怪しいところはない。五分が経ち、十分が経っても、類に変化はなかった。藍豪はようやく、類にグラスを傾けてもらって水を飲んだ。
 自分では気づかなかったが、躰はカラカラに渇いていたらしい。すこしだけ飲むつもりが、結局水差しに入っている分の半分ほどを一人で飲み干してしまった。
 渇きが収まると、今度は急速に飢えを感じた。まるで何日も食事にありつけなかった時のように、強烈な空腹感が襲ってくる。今にも空っぽの胃が音を立てそうで、藍豪はじっとうつむいて耐えた。

「お腹、空きましたよね? もう三日も眠っているんですから」
「……三日?」

 三日も眠っていた? 類は、たしかにそう言ったのか?
 藍豪は立ち上がろうとしてバランスを崩し、手をつくこともできずに顔面から寝台に倒れ伏した。縄を解こうともがくが、もがけばもがくほどに手首に縄が食い込み、皮膚が擦れて痛みを発する。
 ぐいと肩を押されて、藍豪は寝台の上で仰向けになった。自身の体重が後ろ手に縛られた腕や手首にのしかかり、肩の関節が限界を訴えるように軋む。
 類は寝台の上で芋虫のようにのたうつ藍豪を見下ろし、軽い調子で事実を認めた。

稀豆粉シドウフンのお店を出てから、三日経っているんですよ。気づきませんでした?」

 類が証拠を提示するように鏡台の上に投げ出されていた新聞を見せてくる。たしかに三日経っている。一面の隅に小さく、香港で起こった殺人事件の記事が載っていた。
 藍豪が数時間前に目覚めて見た朝日は、一晩眠った後のものではなかったのだ。まさか自分が、そんなにぐっすりと寝込んでいるとは思ってもみなかった。
 藍豪は、気づきたくないことに気づいてしまった。自分が請け負った、三千龍団サンチェンロンシェン殺しについてだ。もし類の言うように自分が三日も寝ていたというなら、ウー星宇シンユーと取り決めた沈殺し決行の日を過ぎていることになる。

「三千龍団の沈は……どうなった」

 こんなこと、類に聞いたところでなんのことを言っているか理解できないだろう。
 そう思っていたのに、類はあっさりと「死にましたよ」となんてことないように告げた。

「死んだ? 誰がやったんだ?」

 まさか吴星宇が自ら手を下しに行ったとは考えにくい。藍豪の代わりに、誰が――。

「三千龍団の内輪揉めを利用させてもらいました。老板ラオバンなんていう偉い人でも、味方の弾でぽっくり死ぬんですね」

 飄々と語る類に、藍豪は空腹も忘れて身が怖気立つのを感じた。ここにいるのは藍豪の知っているレイではない。類のふりをした、なにかだ。類は人が死ぬことを、今日の夕食を決めるかのように軽々しく語る人間ではない。指の縫合痕でさえ、痛々しく見えると目を逸らすような子どもなのだ。
 窓から差し込む陽の光を受けて、類の瞳がスミレ色に輝く。こんな――こんな、人を人とも思わないような冷酷な目をするような子だっただろうか? すべては、藍豪の幻想でしかないのか?
 藍豪の後をついて回った、無垢な少年だった頃の類は、もうどこにもいない。
 藍豪は類から目を逸らすように、窓の外へ視線を向けた。

「どこなんだ、ここは」

 まるですべてを諦めたような、老人のような声が漏れた。目覚めた時と変わらない。山と、山を走る細い道と、だだっ広い畑が見えるだけだ。
 藍豪は寝台に寝転がったまま、類が窓を閉めるのをぼんやりと見ていた。

「雲南ですよ。元々、僕の家があった村です」

 類の声に感慨らしきものはない。

「下に見える畑は全部、阿片畑か」
「はい。今は種まき前で、なにも植わってませんけど」

 類がここに藍豪を連れて来たなら、やることはひとつしかない。類はきっと、すべてを知ったのだ。自分の村を燃やしたのが瑞蜜会ルイミーフイであることも、藍豪が加担したことも。瑞蜜会に入ったのは、阿片栽培地として変わり果てた自分の村に帰るためだったのか――。
 瑞蜜会の構成員で吴星宇の許可があれば、阿片栽培に携わることを理由として栽培地へ出入りすることができる。類は藍豪も知らないうちに、阿片の栽培管理に関われるほどの地位に登りつめていたのだ。
 すべては嘘を吐き、自分を救った藍豪に復讐するために。

「殺すんだろう、俺を」

 藍豪は目を閉じた。

「俺はお前の家族を殺した。この村を瑞蜜会の仕事場に作り替えた」

 類に聞きたいことは山ほどあったが、なにも聞く気になれなかった。
 深く息を吸い込み、そして吐き出す。

リー藍豪ランハオ

 透き通った低音が、藍豪の名を呼ぶ。
 ぎしり、と寝台の軋む音がして、目を開ける。
 すぐ近くに、類の顔があった。わずかな憂いの残る美しい顔に微笑みを浮かべて、類は藍豪の顔の両脇に手をつく。
 藍豪の顔に濃い影が落ちる。

「僕はあなたをずっと、殺したいほど憎んで――でも、愛してきました」

 愛を囁くにはふさわしくない、激しい憎悪を顔に浮かべて類は言う。
 藍豪は意味がわからず、類を見つめ返した。憎まれるのは理解できる。類から家族や家を奪い、素知らぬ顔をして面倒を見てきたのだから。いつ殺されたっておかしくないことを、藍豪は類にしてきた。
 けれど、それがなぜ愛と繋がるのかはわからない。類は昔、藍豪のことが好きだと言った。まさかすべてを知ってもなお、その情は消えなかったというのだろうか。

「本当にわかってんのか? 俺は、お前の家族を――」
「わかっていますよ。全部わかったうえで、それでも僕は藍豪のことが好きなんです」

 でも、と類は苦しそうに呟く。

「あなたのしたことは許せません。だからこそ、僕は迷ってる。好きな人が、自分の家族を殺したなんて――どうして信じられるでしょう?」

 類は相反する二つの感情の間で苦しんでいた。藍豪のことを好ましく思う一方で、彼のやったことを許すことはできない。愛情と、憎悪とが共存する心の内が、日に日に類を蝕んでいく。
 藍豪も、できれば類を解放してやりたい。自分が死ぬことで類が救われるなら、いくらでも殺してくれて構わない。しかし話はそう簡単なものではないようだ。
 類がぎゅっと眉根を寄せる。

「だから、こうするしかなかったんです」

 まるで自分に言い聞かせるような口調で呟いた類は、藍豪の首に手を伸ばした。
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