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第3章 二人の覚悟
恋闇の侵入者 ii(Selina)
しおりを挟む「……これ、寝るときも着けてくれてるのか」
セリーナの寝間着の襟刳から覗いていた華奢な鎖を持ち上げたウィリアムが、内側に隠されていたペンダントを取り出しながら驚き混じりに呟いた。
月明かりを背にして暗がりの中で見るそれは、細かな煌めきが浮かんでは消え……揺蕩う夜の海を思わせる。
「そうよ。だってウィルからの贈り物だもの。それにこれは守護石ですもの、肌身離さず持っていないと意味がないでしょう?」
「そうだな。ありがとう」
「ふふっ、お礼を言うのは私の方よ。こっちで座って待ってて? いまウィルの分のお茶を淹れるわ」
「ああ……」
ウィリアムはセリーナの言に従って、斜め向かいにある長椅子へと進む。ベッド脇を通過する際にそこに置かれた飲みかけの茶器を見て、もしや自分と同じように眠れずにいたのかと問うが、セリーナは先ほどまでずっと眠っていたことを説明した。
そのまま大人しく進んで椅子に腰掛けたウィリアムは、無意識なのか短い間に何度も溜め息を漏らしている。
セリーナはウィリアムの疲労感ただよう様子を片手間に眺めつつ、淹れたばかりでまだ温かいお茶を新しい杯に注いで差し出した。
「ねぇ、ウィル。顔色が悪いわ、大丈夫? もしかしてずっと寝てないの?」
セリーナは彼の隣に座って問いかけた。外から来たばかりなのだから当然かもしれないが、体も冷えていたので心配になる。
受け取ったウィリアムはセリーナが手ずから淹れた久しぶりのそれを喜んだ。
「大丈夫、ちょっと疲れてるだけだ。今日はいろいろあったから……」
「そう。大変だったのね……」
一息に杯の中身を飲み干して脇に置くと、ウィリアムはセリーナの片手を取って包み込み、握りしめながら話しかける。こんな時間にこんな場所で会っている事実がそう感じさせるのか……夢ではないと言いながらも今ひとつ現実味のない現状に少しばかり怯んでいた。
「リーナは思ってたより元気そうだな。安心したよ。だけど、その……僕との婚約のことで、君の父上からなにか聞かされなかったか?」
「聞いたわ。私たち、また破談になってしまったんですってね……残念だわ」
「…………それだけ?」
ウィリアムが悲しげに顔を歪ませて、責めるような口調で不満を露にした。
「聞きたいのは、私の方だわ。ウィルはどう思ってるの?」
セリーナが問い返すと目を伏せて「そうだな。ごめん……」と謝罪を口にする。
「僕は、勿論、嫌だったよ。勝手に決められてしまって、正直とても苛ついた……でも、今の方が苦しいかもしれない。リーナは、僕と結婚できなくても平気なのか?」
「そんなわけないじゃない。私だってようやく夢がかなうんだわって、ずっと楽しみにしていたのよ? それなのに……」
「……そうだよな。こんなことになって、本当に悪かったと思ってる」
「ねぇ、留学だなんて……いつからそんな話になっていたの? 向こうに行ったら、ずっと帰ってこられないの?」
「……僕も、つい昨日まで、詳しいことはなにも知らされてなかったんだ。本当に急な決定で……自分のことなのに、知らないうちに色々決まってて。いつ帰って来られるのかも分からないし、帰ったあとも同じ仕事に戻れるのかどうかも怪しいと思ってる。だからセリーナと結婚できるのも、いつになるのか本当に判らない…! せっかくあと、もう少しだったのに…!!」
「……ウィル……」
だんだんと声を荒げていき、まるで泣きながら怒っているような声色で……やがて蹲るように背を丸めてしまったウィリアムの背中をゆっくりとさする。セリーナは言葉が出なかった。自分に執着して取り乱す彼を前に仄暗い喜びが浮かんで、感じていたはずの悲しみや悔しさに浸ることができない。そんな自分に戸惑った。
(不謹慎よね。嬉しいだなんて……)
いつも冷静で穏やかなウィリアムが、理不尽な決定に対してこれほど憤っているのは、それが著しくセリーナとの約束に関わるからだ。
纏まっていた縁談が覆されて無期延期になってしまった事実、保証のない未来に怯えている――数時間前のセリーナと同じように。
「ねぇ、ウィル。いつかは分からなくても、必ず帰ってくるのよね? 永遠に会えないわけじゃないのよね? だったら……きっと大丈夫よ。たとえ十年かかったとしても、ウィルなら変わらずに私を好きでいてくれるでしょ? 私だってそうよ? だって今日までの十年間ずっと好きだったんだもの、明日からの十年間だって変わらないわ。そう思わない?」
ウィリアムが視線を持ち上げて、ふっ…と哀しげに微笑む。
「そうだな。僕もリーナは変わらないと思う。でも……」
「……でも?」
「僕が本当に恐いのは、リーナが誰かに奪われてしまうんじゃないかってことなんだよ」
「それって私が変わってしまうと言ってない? 私のことが信じられないの?」
セリーナは少し傷ついた。
「そうではなくて……自分から〝変わる〟のではなく、誰かによって〝変えられて〟しまうということ。リーナの意思とは関係なくね……」
「そんなことってあるかしら。誰を前にしても揺らがない自信があるのだけど……私が変われるはずがないって、ウィルは思ってくれないの?」
「リーナを疑ってるわけじゃない。信じていないわけじゃない。だけどリーナは〝女の人〟だから……力で捩じ伏せられてしまったら、いくらリーナでも敵わない。心が折れてしまうこともあると思う……ああ、そういう意味では信じられないのかもしれないな。疑っているのかも……」
「ウィル……」
「これから益々リーナは魅力的になっていくのに、離れたところに居たくない。婚約者のいないリーナが狙われないはずがないだろう? 男なんてみんな同じだ。大なり小なり獣のような本性を持っている。それを隠しているかいないかの違いがあるだけで、本心では好きな女性を意のままにしたいと願ってる。僕はそれが恐くて堪らない……」
なんと答えたら良いのだろうかとセリーナは悩む。つまりウィリアムはセリーナが罠に嵌められるなどの無理矢理な流れで嫁がされてしまうとか、腕力や権力を持った誰かに手篭めにされるとか、そういう可能性を恐れているのだ。側にいなければ守れないということだろう。
確かにそういう可能性が全く無いとは言い切れないが、いったいそれはどれほど低い確率だろうか。
そんなものは事故や病気と同じように、起こらないように警戒していても降りかかることがあるのと同じではないのだろうか。
例えば出向先の外国で、ウィリアムが何かしらのトラブルに巻き込まれて怪我を負う……そういう確率と同じなのではないのか。
セリーナのことだけをやたらと心配するのはおかしい……同じように自分の身も案じて、日頃から十分に注意して過ごして欲しい。
そう思うセリーナの考えは間違っているのだろうか。
(これが男心というものなのかしら……)
なにやら非常に繊細で、難しい……
気持ちは嬉しいけれど過剰に思う。だからといって彼の真剣な気持ち簡単に否定することは出来ない。
常にないもどかしさを感じるセリーナだった。
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