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第3章 二人の覚悟
匂い立つ記憶 vi(William and Selina)
しおりを挟むセリーナをここへ連れて来るのは二度目だが、今日は最初の時とはまた違う緊張感の中にある。
彼女のために整え、工夫したあれこれが気に入ってもらえるかどうか……結果次第ではそのあとの雰囲気作りに大きく影響するだろう。失敗は許されない。
協力者を総動員して拵えたのは、彼ら曰く〝愛の巣〟だそうだ――何度それを言い換えるように詳しく説明しても、結局そこに落ち着いてしまう。
あながち間違ってはいないのだが、いかにも動物的な〝巣〟になっていないか……それがとにかく心配だ。
彼らは〝安心して任せろ〟〝期待しておけ〟と口々に、自信ありげな様子でプランを語っていたが……時間がなくて最後まで聞いていられなかった。
何を隠そう、僕も今日が初めてなのだ――完成したらしい改装されたこの部屋に入るのは。
「…………」
「え、ウィル? どうし…きゃっ」
扉を開いて早々、立ち止まる。ザーッと流れるような音がして、肩から下の体にめがけて無数の固い、小さな粒が落ちてきたのだ――というよりも、頭上から投げつけるようにして振りかけられている。僕に続いて入ってきたセリーナにも、少しかかってしまったようだった。
足元を見ると、床一面に白っぽい豆のような極小の粒がバラバラになって散らばっている。
(なんだこれは。しかも微妙に痛いのだが……)
一体どういう了見かと思って見渡せば、入り口脇にある棚の上で、布を咥えたまま構えている鳥たちは満足そうな声色だ。彼ら流の歓迎かなにかの作法なのだろうか……理解に苦しむ。
「まぁ。これは麦……ではないわね。米粒みたい。珍しいものを集めてきたのね」
意外と状況に慣れるのが早いセリーナが床に散らばった粒を拾い上げてしげしげと眺めていた。
「本当だ。暗くてよく見えなかったが、これは米か……でも何だって集めた米を僕らに投げるんだ?」
不思議に思って問いかければ、あちらも不思議そうに返答した。ひらりと咥えていた包み布が落ちていく――
「リーナ……これ、ライスシャワーと呼ばれる結婚の儀式?らしい」
「あぁ! それなら聞いたことがあるわ。確か南の方の伝統的な風習で……米は豊穣や子孫繁栄の象徴だから、実りある豊かな未来をという意味で夫婦の幸福を願って撒かれるのよね」
「なるほど。子宝を願う儀式か……」
「……私たちには、ちょっと気が早いかしらね」
「いや、タイミングとしては正しいよ。意外としっかり理解していたんだな……」
「……ウィル? どういう意味?」
「ほら、あっちを見てごらんよリーナ。意味が分かるから……」
セリーナが僕の示した方を向く。そこにあるのは散らかった――否、彼らなりに飾り立てられたベッドだった。
「あっち? あら。今度は花びらが撒かれているわ……綺麗ね」
「そうだね。ばら撒かれている場所が意味するものが彼らの取り組みの本題だと思うよ」
「…………そうね。ベッドの上だものね。でも、暖炉前にも続いているわよ?」
「先日の様子を踏まえて、じゃないか?」
「……そう。気づいてて……知っていての周到さなのね」
セリーナは少しだけ頬を染めながら、困ったような顔をしていた。多分だが、動物相手とはいえ事情を知られているのが恥ずかしいのだと思う――
「一応、歓迎されている……と、思って良いのよね。私が、その……ウィルのお嫁さんになることを。あの子達は嫌がってはいないのでしょう?」
不安そうな声色に、驚いてセリーナをまじまじと見る。そんなことを気にしていたのだろうか。
「……当たり前だろう? 彼らがリーナを嫌がる理由なんて、あるわけないよ。アイツらは僕のことを半人前だと思っていたし、ようやく番う時がきたって……あ、いや。とにかくリーナのことはみんな歓迎してるから!」
「番……」
セリーナが何事かを考えこむように、遠くを見るような目をして固まっている。
「……交尾相手って、やっぱり夫婦とは違うのかしら」
「違わないから!」
慌ててセリーナの呟きを否定する。彼らにとって〝番〟とは、夫婦であり恋人でもあるのだと(往々にして)交尾相手は生涯のパートナーだという話を聞かせると、ようやくホッとした表情になり、セリーナは「よかった」と微笑んでくれた。その間ずっと僕はハラハラしていたが。
改めて部屋を見渡してみると、以前からあった物が減り、無かったはずの物がいくつも増えている。よく分からないが、布や羽根や綿のような束で天井や壁が飾られていて、何かのシンボルのように角や石――というより岩山が置かれていたりする。僕としては飾りよりも掃除に力を入れて欲しかったのだが……水に濡れ、磨かれた形跡もあるので文句は言いづらい。
ひたすらセリーナが不快に思う物がないよう祈るばかりだが、今のところ楽しそうにあちこち眺めている。つくづく彼女に度胸や物事を見る目があって良かったと思う。優しくて強い――僕のセリーナはやはり美しい人だ。
* * *
セリーナは緊張しながらその様子を眺めていた。
ウィリアムに手を引かれて腰を下ろしたベッドの端で、お互いをじっと見つめていると、嫌でも胸が高鳴った。何年も一緒に過ごした仲なのに、急に何を話すべきかが分からなくなって、視線を逸らした先にある籠を見て、どうにか落ち着こうと試みる。そして籠を眺めていると、忘れていた大事なことを思い出す――セリーナが手渡したプレゼントを受け取ると、彼は丁寧に開封していった。
「これ……すごいな、名前が入ってる。いつから用意してたんだ?」
はにかんだように笑うウィリアムに、照れた笑顔を向けるセリーナ。
彼が喜ぶと、自分はこんなにも嬉しくて、幸せな気持ちに包まれる。大好きなのだ。もっとずっと、こうしていたい……できることならこれから先も、何度でも喜んでもらいたかった。
本当に、何のやり取りもできないのだろうか……困らせるだけなので言うつもりは無いけれど、それを考えるとやはり苦しい。淋しくてたまらない。
「なにかお礼をと思って……昇進のお祝いもまだだったし。私ばっかり貰っていたから……こんなことになるなんて考えてもいなかったけど、間に合って良かったわ」
「これでリーナに手紙が書けないのが残念だな……でも、仕事にも使えそうだ。ありがとう」
「実はそれ、最初は誕生日プレゼントになる予定だったの」
「随分気が早いな……」
「でも、早めに用意していたおかげで今日に間に合ったわ」
「うん……ありがとう、リーナ。いつも僕の誕生日を一番に祝ってくれて」
「今年からしばらくは無理そうだけれど……ちゃんと、心の中で祝ってるわ。絶対に――だから、ウィルも私のこと思い出してね?」
「当たり前だろう。リーナも、自分の誕生日には僕のことを思い出して……僕だって一番に君を祝う男でいたいんだ」
「…………ありがとう。ウィルが一番よ」
ウィリアムに送ったのは、星空のような瞬きを含んだ黒いボディーの万年筆。軸の部分は取替えられるようになっているから、先ほど購入した軸と付け替えて楽しむこともできる。
特注品で、キャップリングには小さく彼の名前が彫ってあり、天冠には同系色の濃紫に見えて目立たないけれど、ウィリアムの守護石である藍緑色の緑柱石がはめてある。緑柱石は翠緑色が誕生石として有名だけど、アクアマリンも透明感が際立ったとても美しい色なのだ。迷ったけれど、最初はこちらで作ることにした。昔の彼の、澄んだ瞳の色のようだと思う。
沈着・聡明・勇敢――石言葉のどれもが彼にピッタリだと思ったし、仕事用にはこちらが良いと考えたのだ。以前贈った護符の効力とあわせて、少しでも危険を避けられたら嬉しい。
「無理に使わなくてもいいの。お守りみたいなものだから、持ち歩いてくれたら嬉しいわ」
「そうさせてもらう……大事にするよ。リーナと同じように首からさげても良いかもしれないな」
「万年筆を?」
わざわざそんなことをしてまで肌身離さず持ち歩くウィリアムの姿を思い浮かべ、くすくすと笑い声をてる。なんて愛しい、なんて優しい……私の婚約者。私の愛する夫。
幸運・幸福・調和を意味するエメラルドは、彼がそうしたように指輪にして贈りたかった。間に合わなかったけれど、結婚指輪でも良いかもしれないと……むしろそちらの方が最適なのではないかと今では思っている。
ウィリアムが私の頬に手を伸ばす。頬から首に向かって撫でたあと、鎖を辿って胸元を探る。
ぞくりとした。感じてしまいそうになるのを堪えていると、彼が私のペンダントを取り出して触れる。
「……外してもいいか?」
頷くと同時にウィリアムの手が首の後ろに回る。彼は留め具を器用に外し、手のひらに乗せたそれをベッドサイドにある小さなシェルフの上に、万年筆と並べて置いた。
私の贈った彼の守護石と、彼に贈られた私の守護石――まるで自分たちの分身のようなそれは、青いドレスを着た自分と黒い官服姿の彼を彷彿とさせた。今日だけは一緒にいられる二つ――明日からは離れ離れになる二つ。さりげなく軸に重なっている鎖の姿が、離れたくないと嘆いている我が身のようだった。
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