グラシアース物語

文月・F・アキオ

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Part 1. 青い瞳のあなた

青い瞳のあなたとともに

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「えーっ、それでおしまい? エリカお祖母様はなんて言って叱ったの?!」

 最近しきりに遊びに来るようになった曾孫たちにせがまれるまま、夫婦の馴れ初めの続きを話して聞かせるドミニク。
 エリカとドミニクのような異種族婚は今に至るも珍しいと言われている。
 余程の強い意思や他国への興味関心がなければ自国を離れようと思うことすらない他人にドライな国民性と、同種族で番うことが圧倒的に多いということ、直情的で面倒臭がる獣気質が関係していると思われた。
 なので、エリカとドミニクのような海を越えた巡り合わせは、より運命的な出会いに聞こえるようで〝己の番〟に憧れる年頃の子供たちは、こぞっておとぎ話のような実話を聞きたがるのだった。

「お祖母様は私が発音や語尾を間違えて、意味が正反対になっていると怒ってねぇ……その時は意味が分からなくて驚くばかりだった。だか、見本を言うからよく聞きなさいと言って私の言葉をくり返してくれてねぇ。あれほど感動したことはなかったよ。彼女は私に――なんだい、エリカ? あの時の話をされるのが嫌なのか?」

 ドミニクの膝上で丸くなっていたエリカが怒ったような仕草でドミニクの服を引っ掻いたのである。

「わっ、エリカお祖母様! いらっしゃったの?! ぜんぜん気づかなかっ――」
「マリナ!」
「あっ、ごめんなさい……」

 またたく間にしゅんと項垂れる孫娘の頭を撫でるドミニク。彼女の言いかけたことは事実であり、エリカは獣化しているにも関わらず、その身にほとんど匂いをまとわせていなかった。言葉少なく、威勢もない。
 ようするに、死期が近いのだ。それもあって、こうして曾孫や孫たちが入れ代わり立ち代わりで頻繁に出入りしている昨今なのである。

 それでもドミニクの目に映るエリカは美しいと思う。そういうふうに特別に見える仕組みが初めから、出会う前から備わっているのだと彼は思う。
 不思議な仕組みではあるが、誰にでも運命の相手が必ずいるというのは生きる希望そのものだ。それが世界にたった一人だけだとしても。
 なかには出会う順番を間違えたために勘違いして、異なる人と連れ添って途中で別れを選ぶ人もいる。死ぬまで番に会えない人もいる……どちらが幸せかは分からないが、身近で出会えた人々も違う土地で出会った自分たちも、等しく幸運だ。
 隣にいるだけで満たされる唯一の存在に求められて生きるのだから。

 眠たそうなエリカをそっと抱きあげて、ドミニクは立ち上がる。

「どうやらお祖母様は二人だけの秘密にしたいらしい。やはりプロポーズの言葉は特別な思い出だからねぇ……きっと内緒にしたいのだよ。エリカは独占欲が強いからなぁ」

 にやにやしながら嬉しそうに語るドミニクを見上げる曾孫たちが呆れ顔であることに、彼は気づいていない。
 自分たちの存在を忘れたように寝室に向かっていくドミニクの背を見送りながら、お爺様は相変わらずだねと子供たちは頷きあうのだった。



 *



 巨大なベッドにエリカを寝かせ、自分も隣に横たわるドミニク。
 茶色い毛並みを指先で撫でる。ふわふわの尻尾、小さな手、鼻をヒクヒクと動かして何かを確かめているような仕草、つぶらな瞳は今は閉じられていて見えないが、美しい空色をしている。

 獣化している時の姿に変化はほとんどみられない。ちょっと毛艶が落ちて量が少なくなったような気もするが、その程度だ。
 だが、ドミニクはもうずいぶん前から彼女の匂いが薄くなっていることを知っていた。見た目に反して著しいそれが、現実を突きつけてきて苦しかった。どうやっても止められない。



 自然界の摂理は今も昔も同じ。
 どれだけ進化を重ねようと、命あるものは必ず朽ちる。
 そして、体の小さい者の方が大きい者より寿命が短いという法則もずっと変わらない。

 エリカの種族の平均寿命は二百歳前後。現在、百九十歳のエリカは頑張ったほうであり、急逝したとしても大往生だと遺族の多くは言うだろう。しかし、その中にドミニクが入ることはないと断言できる。

 彼ら――イヌ・ネコ・キツネの種族は三百歳は生きるのが普通であった。
 体が丈夫な我々は獣人は滅多なことでは死なない。昔は多かったと言われている天災による飢饉、それに伴う奪い合いの戦だって国の制度が整ってきた今は珍しい。

 最も多いのが半身と呼ばれる番を失ったことによる喪失死で、事故死や自然死よりも耳に慣れた言葉だった。真の番を得た者にしか分からないのかもしれないが、番を失った余生を平穏に暮らすなど、どんなにか不屈の精神を持つ者にだって不可能だろう。
 そういった別れによる精神破綻者を増産しないため、無情の長い苦しみから逃れるために、自然と余命の近い者同士で番うことが多いのではないか……この頃のドミニクは、そんなことばかりを考える。

 もしも自分がキツネ族ではなくて、エリカと同じ種族だったなら、今頃はエリカが来るのをあの世で待つ側になっていたのかもしれない。
 見送る側になることは、性にあわないと心底思う。エリカに置いていかれたら、自分はどうなるのだろう……行き先を失ってしまった船は、どうなるのだろう。

「エリカ……」

 彼女の眠気が移ったのか、うつらうつらし始める。エリカの匂いを感じていたいがために、自分も獣化した姿で寄り添って目を閉じる。
 眠る直前に思い出していた光景は、先ほど曾孫たちに話して聞かせた二人だけが知る物語の続きであった。

 船が出港する際に、人前にもかかわらず派手にプロポーズをしてのけたのはエリカであった。
 失敗していた自分の口説き文句を告げて、これが見本だと示す。慌てて言い直そうとしたが、繰り返す間もなく説教じみたエリカの話は続き……

『そもそも、あなたは私がいないとダメな人なのよ。それなのに私の側から離れるなんて有り得ないわ!』
『許さないんだから。ちゃんと見えるところで、聞こえるところにいないと……私がいなくなっても良いの? 海を渡ったら匂いだって届かないのよ。分かってる?!』

 そのセリフを理解してすぐ、ドミニクはエリカを抱きしめた。信じられないことに彼女は完璧なリル語に通訳してみせたのだ。さすが言葉のエキスパートだった。
 エリカとともに船と荷物を見送って、ひとまず彼女の家で寝泊まりする生活を始め、あちこち駆けずり回って移住の手続きを済ませ、交換条件で求められた本国からの仕事をこなし、それが落ち着くと引っ越しをした。
 ここのやり方で正式に結婚したのはそのあとのことで、それも子供ができたので慌ててしたのだった。

 それから先はずっとエリカと共にある。彼女の傍らが自分の居場所になって、彼女の心が自分の中に住み着いたのだ。


 共に過ごした百六十年を振り返る。破天荒に振り回されたこともあったが、一緒にいられるだけで楽しく、幸せだった。彼女の番に選ばれて本当に良かったと今も思う。
 エリカがいなくなったあとは、どう考えてもまともに生きていくのは難しいだろう。彼女と同じように、ゆるやかに衰えて死ぬのかもしれない。



 *



  翌朝、起きるとエリカがいなくなっていて大いに焦るドミニク。

(まさか出て行ったんじゃないだろうな……)

 愛する人に衰えて死ぬ姿を見せたくないと言って、その日が近づくと伴侶の元を去る種族もあると聞く。

 しかし、すぐにエリカは戻ってきた。ここ数年では見ないほど美しく輝いているのは気のせいだろうか。

「エリカ……」
「なに? 呆けちゃって、どうしたの?」
「……大丈夫なのか?」
「平気よ。なんだか今日は調子がいいの。五十歳くらい若返った気分だわ」
「そうか……あまり無理するなよ」
「どうしようかしら。せっかくだもの、少しくらい無理をしてでも楽しんだ方がいいとは思わない?」
「俺は嫌だぞ。それで、もしものことがあったらどうするんだ……」
「ドミニクったら、私がいなくなるのが怖いの?」
「……当たり前だろう」
「あらあら、百戦錬磨の無敗闘士の名が泣くわね」
「俺を泣かせるのはいつも君だ……」
「そうね。あなたを泣かせるのは私の特権だもの」
「……まさかずっと? 全部、わざとやってたのか?」
「さぁ、どうだったかしら」
「信じられない……それが本当なら酷くないか?」
「あなた、意気地が無いなんだもの。私のことだとすぐ臆病になる困った人だわ」

 エリカはクスクスと笑っている。まるで出会った頃のように、強気な口調で、その身に鮮やかな虹色の光彩を湛えている……ドミニクは眩しいものでも見るように目を細めていた。



 その日、エリカは本当に調子が良いようで、午後になってもずっと人化をしたままだった。
 エリカが望んだこともあり、その晩ドミニクは無体を承知で彼女を抱いた。温かい内部で繋がっていると不安や恐怖は消え去って、ひどく安心するのだった――



「ねぇ、最初の約束を覚えてる?」

 唐突に尋ねられたのは、忘れるはずもないプロポーズされた日のことである。今日は懐かしい日々を思い出してばかりだと、ドミニクはしみじみとしながら首肯した。

「あなたが私から離れることは許さないって……そう言ったわよね?」

 もちろんドミニクに否はない。彼女の側を片時だって離れるつもりはない。エリカに合わせて仕事を引退してからずっと、彼は本当に片時も離れずに彼女と共にあった。
 子供や孫も立派に巣立った今、エリカがいればドミニクはなにもいらないと心から思う。いつだってエリカが向かうところなら、どこへだってついて行く心積もりだった。
 今は、エリカが望むなら、どこへだって連れて行きたいと思うし、何でも叶えようとするだろう。

「それなら、この先もついてきてくれるでしょう?」

 その言葉の意味を正確に理解して、ドミニクはこれ以上の幸せはないなと頷いた。

「君はいつも俺に〝正しい答え〟を教えてくれる……」
「あなたが詰めの甘いウッカリさんなのよ。私があなたを置いていくわけないじゃない……ねぇ、抱いて。こんなに体力が戻ったのも、きっとそのためなんだわ。したいことをして、心置きなく逝くための時間……」
「エリカ……」

(俺の番……俺の全て……)



 *



 二人は静かに何度も抱き合った。最後に交わした口付けは苦くて甘い。エリカは懐かしい匂いがすると呟く。
 人化した姿で抱き合って眠る。久しぶりの高揚にドミニクも若返ったような気分だった。

 とりとめのない会話を穏やかに重ね、エリカの発する美しい言葉に耳を傾ける。彼女が人生の半分以上をかけて生み出して普及に努めた〝世界の共通言語〟は少しずつ受け入れられている。きっと子供や孫が引き継いで浸透させるだろう。

 屋敷の中で真っ先に異変に気付くのはジルバートだろうか。見た目は息子にそっくりなのに、エリカに似て鼻が利く……自分たちの匂いが消えたのを感じ取ったその瞬間、ジルはなにを思うだろう。
 呆れるだろうか。それとも羨ましいと思うのだろうか。
 自分の短い人生は、エリカのおかげで濃密で、退屈とは無縁の日々だった。おまけにこうして最後の瞬間まで幸せに満たされている。最高の番に出会えたと思う。そのことだけは疑わないで欲しい。

 エリカをしっかり抱きしめて、永遠に覚めることのない眠りにつきながら……ドミニクはそんなことを考えていた。







 翌日の朝、ベッドにはキツネとリスの番が穏やかな寝顔で寄り添っている。
 知る者だけが知る、独特の甘い匂いを微かに残して――





 書斎に眠っていたドミニクの手記(番の惚気と観察の記録)は孫息子の一人、ジルバートに受け継がれた。

 自分と同じく獣性の強いジルは、未だに番を見つけられないでいる。やや臆病で慎重すぎる彼のもとにも、奇跡のような幸運が舞い込むことを願って。

 ……などと言われて、困るばかりはジルバートのみ。

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