記憶探しの旅に出ます

あかくりこ

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キンツェム出立前

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 キシャル城を出てキンツェム城下で待機していた部隊と合流したあと、出た時と同じように各集落を巡る行程を戻るのかとシェリアル姫が問うてきた。

「また同じ行程を戻るのは市井に負担がかかるのでは」
「大丈夫、キンツェムの集落は全て回ったので、この後はアシルまで海岸沿いのルートを使います」
 ここから先、アシル経由でグラディアテュールに入るまで集落はないから、替え馬も食料も十二分に用意しないといけない。
 ひとまずの難関、女帝との謁見を終えて安堵した面持ちだった侍女シャオチェが「海岸沿いを使うんですか!?」と表情を一変させた。
 海がどうかしたのかとシェリアル姫が侍女に問い、側近のクーガー竜騎士カインが話の続きを引き受けて侍女に手短に説明を始める。
「昔の舗装されている道を使うっすよ。早くて8日、遅くても10日でアシル入り出来るっす」
「本当ですね?」
 侍女がカインに念を押し、その様子を見たマナ使いリョウが不貞腐れてる。呆れた顔で首を横に振るラタキア将軍に、苦笑を隠さない参謀ジウスドラ。
 この一か月で馴染みになりつつある光景だ。
 そんな様子を微笑ましく見つめていると、シェリアル姫がこちらを振り向いた。にこやかな笑みを浮かべている。
「殿下、海岸に何か問題でも」
 この一月の間の行幸で姫は明るさを取り戻したように感じる。当初の、一見平常心を保っているようで、記憶がないばかりに変なことを口走ったのではないかと懸念し不安がりオドオドした様子が大分薄れた。一番酷かったのは最初の集落で俺が竜に齧られかけた時の夜、あれがどん底のピークだった。

 集落での披露の晩餐が済んで各々宛がわれた客室に戻る途中、姫が突然「やっぱりアシルに戻ります」と言い出した。
 すぐに、幹部と侍女に俺の部屋に集まってもらい、姫を囲んで車座になった。
 どこの誰とも知れぬ輩に呪いをかけられ記憶を奪われた、消された、失うことになった。そんな状態で「記憶がないことを偽って神託の婚礼行幸を粛々執り行う」のだ。この先キンツェムの全集落を巡り、キンツェムの都に入りキシャル城でヴァルダナール女帝に拝謁する。それからアシルを経由し、グラディアテュールでも同じくアンシャル城に入るまで全集落を巡る行程。心身が摩耗するには充分すぎる。
 今日だって自分の身分立場過去を知っている集落の長やその親類縁者、城に出入りする者たちと、不自然に思われないよう話を合わせ歓談する。かなりの胆力を必要としたのは想像に難くない。
 ジウスドラとカインが小声で進言してくる。
「やはり精神的にお辛いのかと」
「気丈でも、うら若い娘さんっすからね」
 自身の袍の裾をぎゅうと握りしめるシェリアル姫に「ごめんなさい」と震える弱弱しい声で謝られた。
「そうじゃないんです」

 姫がアシルに戻ると言い出した原因は俺だった。

「宮司の託宣に従ってアシルに残っていれば、殿下が危険な目に遭うこともなかった、記憶の無い私が傍にいたところで殿下の足手まといになってしまうだけだって」
 俯いて涙を堪え、とつとつと独り言ちるように心の内を吐露するシェリアル姫。
 輿でシャオチェに慰められ落ち着きを取り戻したが、あの時襲ってきた竜もサピエンスが操って襲わせたのじゃないか、と、思い当たったことで自分を追い込んでしまっていたらしい。そして出した答えが「アシルに戻る」だった。
 この件に関しては「なんで姫の様子に気を配れなかった」と侍女だけを責められない。隣で根も葉もない妄想に脅えていることに俺がいち早く気付くべきだったのに。
「どうしてそう思ったんです」
 それまで黙って成り行きを見守っていたラタキアが口を挟む。
「どんな方法か分からないけれども、記憶を失わせることが出来るなら、感情を昂らせて他人を襲わせることも可能なんじゃないかって」
 涙交じりのシェリアル姫の言葉に、カインの隣に座るマナ使いのリョウが、黒銀色の耳をぴくぴくと二度三度震わせた。
「出来るかできないか、よりもマナを使ってそんな無駄なことする理由がない。あれは後から飛び出してきたサピエンスの猟師に追われていただけです」
 何故そんな簡単なことも分からないのだ。そんな口調だが、黙って聞き流した。第三者の立場で淡々と事実を述べるだけの方がいいこともある。
 そしてリョウの突き放した説明のおかげで、なにが姫の恐慌のフックになったのか、俯瞰して考えることが出来た。やはりカズゥがサピエンスだった事が悪い想像の引き金になったのか。否、そうじゃない。その前に、姫にかっこいいところを見せようとしてしくじっていた。姫は言っていたじゃないか。「殿下が危険な目に遭った」「殿下を危険な目に遭わせたくない」と。
 姫を不安に駆り立てたのはほかの誰でもない。俺だ。俺がドジを踏んで走竜に襲われた一件が導因だったのだ。
 なんて恥ずかしい。カインに「大将」と嘲られた時よりも、今の方が重く堪えた。守るべき相手に、守るために身を引きます。そう言わせるなんて。
「姫の呪いをかけた輩を捕まえたとして、その時その場に姫がいらっしゃらないのでは、呪いの解きようがありませぬ」
 姫が一緒にいることは、問題を解決するには一番合理的なのだとジウスドラのいささか無理筋な論理で話をしめた後。

 俺は婚礼前夜の池のほとりでのやり取りを思い出していた。
 実際は5日も経ってないのになんかもうすっかり昔の話のような気がする。
 あの時受けた印象は「繊細でか弱い見た目に反して意志の強い方」だった。
 そして今は「感情を表に出すのが不得手」が加味された。
 今さっきのやりとりも「自分の身の安全」ではなくて「俺に危害が及ぶくらいなら」が主訴だった。
 記憶があろうとなかろうとその根本的な部分は変わらないんじゃないか。
 だったら。
「姫にお願いがあります。できればこの先、俺が愚かで軽はずみな行為に及ぼうとしたとき、俺を制止してほしいのです」
「私がですか」
 そのような大事を一任せてよいのですか、そんな驚きと当惑の入り混じった表情を浮かべるシェリアル姫。
 でも嫌だとは言わない。無理ですとも泣かない。
「姫は俺に危険な目に遭ってほしくない。そういった」
 俺も姫を悲しませたくない。
「だから誤らないよう判断を委ねたい」
 きっと姫なら最善を選び取ってくれる。
 姫が止めるのなら退く。姫が望むなら進む。それに。

「そんな遠慮されてしまっては伴侶連れ合いと呼べないですし」
 こんな恥ずかしい科白を吐くのは一生に一度にしたい。




 その夜以降、少しづつだけれどあれはこれはと聞いてくることが増えた。
「シャイヤー湾には海竜がいるからですか?」
 シェリアル姫の問いに少し考え考え返事をする。
「湾、自体は問題ではないんですよ、海に面して、こう、段差が生じている」
 どういう理屈で生じたのか見当もつかないが、海岸に面して垂直に削れた崖のすぐ下に三、四段の平地が階段状に連なっている。海面に近い段は途中で途切れていたり波に削られてリして使えないが、平地からすぐ下の段はところどころ途切れてはいるものの湾の奥、アシルの湖から流れる滝の裏側まで続いている。石畳が敷き詰められて、馬も飛ばせるようになっている。女帝が言っていたアシルからの使いもこの道を使ったんだろう。
「ではどうしてシャオチェはあんなに」
 姫を怖がらせたくないけど説明しないわけにはいかない。黙っていたら侍女がうるさく騒ぎ出すだろうし。立場上侍女兼保護者、なんだろうな。気持ちはわかるけど。
「隧道のところどころが欠けていると説明したけど、そういう場所ではあまり気持ちの良くないマナが見えることがあります」
「気持ちの良くないマナ?」
 分からない、というよりどういった類の気持ち悪さなのか想像しているようだ。元が好奇心旺盛な気質だったのか、そんな気がする。
 海沿いの、弧を描く窪地に多くいる、灰褐色と言うか澱んで暗くくすんだ嫌な感じのそれは、とくに悪さをするわけではないけど、見ているとなんともいたたまれない気持ちになってくる。海から生じるマナだからなんだろうか。侍女はこっちを嫌がってるんだろうな。これは俺も同意する。
「それともう一つ。観察者が出没することがあるんです」
「観察者?」
 厄介度で言うなら観察者の方が断然上だ。いつからいるのか、なんのために存在しているのか分からない。だが間違いなく害悪を及ぼす存在だ。暗いマナは触らなければどうということはないが奴らは違う。得体が知れない術を使って接触、拉致を試みるのだ。
 俺自身、この目で見るまでは根も葉もない噂だと思っていた。
 親父が白竜との戦闘で下半身をねじ切られかけたとき、やつらは現れた。地べたに横たわる親父を取り囲み、皮膚が裂けて骨の露出した傷口を覗き込む姿は死肉を漁る竜鳥を彷彿とさせた。宙に浮きあがり、羽虫のように飛び回る奴らを追い払うのに手間取った。そのせいで治癒のマナでの回復が遅れ、親父は王位を退くことになった。観察者のこちらをを見つめる虚ろな黒い目玉。
「...?殿下?」
 姫のかなり強い語気で我に返った。
「あ、ごめん」
「お加減が悪いのなら」
 少し休まれますか?と姫が輿の入り口の緞帳を開ける。
 具合が悪いわけではないけど。少し気分を切り替えたいかも知れない。
 出立までまだ少々時間がある。
「では、少しだけお言葉に甘えて」
 輿の床に横になると、シェリアル姫が俺の横に侍って、頭を膝に乗せるよう促してきた。




 そんな中、キンツェムの虎大公が単身駆け込んできた。えらく息せき切って、青ざめている。
「どうされたのです、大公」
「姉上が、姉上が」
 そう呻いて泣き崩れ、女帝の往生を伝えた。

 俺たちが退城したあと、白花苑に様子を見に伺った女官が冷たくなった女帝を見つけたのだという。
 行幸が終わる前に罷るかも知れない予感があったのだろう。女帝の私室の文箱には遺言書が残されていて、「我の葬儀は身内のみで執り行うこと。行幸は神託の祝事、止めることはならず。国葬は行幸全ての儀が終わって後とする」そう記されていた。
「本当なら葬儀後に伝えるべきなんだろうが」虎大公はお前たちは身内も同然だからと、こっそり伝えに来たのだ。
 女帝と胸襟を開いた後だったから、軽率だけど思いやりから起こした大公の行動が沁みた。だから、大公には白花苑でのやり取りを全て打ち明けた。
「ご愁傷さまです、大公」
「痛み入る、ダキア殿下」
 これが事後処理報告の形で訃報を受けていたら俺はひっそり不興をかこっていたかもしれない。



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