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Scene.2 - 木漏れ日とエチュード
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これまでの人生で、大きな声を出したことはあっただろうか。声を荒らげる、とまでは言わなくても声を張るということをしたことはあったのか。記憶をぼんやりと遡れば、幼稚園児でまだ活発で自分が世界の中心だと思っていたころの自分が思い返される。
あのころは陽葵は極度の人見知りで友達も私だけだった。それに比べて私は人と関わることが大好きで、いつもたくさんの人に囲まれていたような気がする。たくさん喋ってたくさん笑って、きっとあのころの私は大きな声を出していただろう。
今は私も陽葵も真逆の人間になっていて、その記憶が嘘ではないかと言われたらはっきりと否定できないほど自分でも信じられない幼少期だったと思う。
「一年生、もっとお腹から声出して!」
お腹から声を出すという感覚がいまいち分からないまま、声を出す。数日前に教えられた腹式呼吸なんてこれまで意識したこともない。突然言われてすぐに理解できるほど私は感覚派の人間でもない。両手を軽くお腹に当てて見ても、この声がお腹から出ているかなんてわからず、喉から声が出ているとしか思えない。
「はいっ、今日はこれくらいでいいか」
部長が手を叩いた音でようやく一息つける。演劇部に体験入部してから、毎日部活に参加している。初日は先輩方と話して終わった部活だったが、次の日からはいつも通りの部活のメニューが始まった。
演劇部がどのような部活内容か詳しくは知らなかったが、文化部だからそんなにきつくはないだろうという考えは甘かった。想像していたのは発声練習と演技の稽古くらいだったが、実際は柔軟や筋トレもしっかりし想像以上に体力が必要だ。
今は声を届ける練習をしていて、稽古部屋の壁際に私たちが立ち、向かいの壁に唯一三年の部長が立っている。私は精一杯声を出しても「もっと」と言われるが、部長の声はこちらまでまっすぐに届く。部長は男子だから……と一瞬考えたが、私の横に並ぶ二年女子の先輩も凛とした声が向こうまで届いており、純粋にすごいという感想だけが残った。キャストもスタッフも関係なく、基礎練習はみんなが参加している。
演劇部は現在、三年男子の部長を筆頭に、二年男子三人、二年女子二人の計六名が正式な部員らしい。
キャストは部長、高瀬先輩、剣道部と兼部している二年男子の三人。女子キャストはいないため、演出担当の二年女子が補っている。
スタッフは音響が二年男子、照明が二年女子をメインにし、その他の役割はみんなで支え合っているという、かなりギリギリの人数で活動している。
私ともう一人の新入生である他クラスの男子、二人が体験入部に来てくれただけで部員みんなが喜んだ理由がなんとなく察せてしまう。
志望は何かを聞かれ「演技をしたことはないけど、キャストが気になってます」と伝えると、ようやく解放されると大喜びする演出の先輩に周りが苦笑していた光景はかなり異様だった。
「休憩終わったらエチュードするか。今日は全員いるから四人ずつな」
「え~」
基礎練習が終わって水分補給をしていると、ペットボトルの水を一気に飲んだ部長が言う。その言葉に先輩たちは嫌そうに顔をしかめる。
「エチュードって何ですか?」
私も疑問に思っていると同級生が部長に尋ねる。エチュードという言葉は聞いたことがあるような、ないような。何をするのかよくわからず、先輩たちが嫌がる理由もわからない。
「エチュードは、即興で芝居することだね。簡単なテーマとか設定は決めていいけど後は全部即興で演じるの」
「なるほど……」
演劇は台本があって当たり前だと思っていた。即興ということはセリフも自分で考えて発するしかない。始まりも終わりも決まっていない芝居ということなら、先輩たちが嫌そうにしているのも納得だ。
「下手くそでも面白くなくてもいいから、好きな演技をするんだ」
部長はそう言うが、好きな演技なんてわからない。適当に分けた四人ずつのグループ、もちろん一年の二人は違うグループになった。初めてが私しかいないのはどうしても不安で仕方ない。
「じゃあ、テーマは“天気”で。晴れでも雨でも曇りでもいい。役も指定しないから完全に即興でいこう」
二グループ、それぞれの代表として部長と高瀬先輩がジャンケンをする。みんなが見守る中、ジャンケンに負けた高瀬先輩は先にエチュードすることが決まった。同じグループに振り分けられた私も先ということだ。
まだ心の準備もできていない中、そんなこと知らない部長が「三、二、一、スタート!」と手を叩くと稽古部屋の空気がふわっと張り詰めた。様子を伺うようにちらりと先輩たちを見渡す。
「あっ、傘、忘れた」
沈黙の時間はほんの一瞬で、先輩たちはすぐに動き出す。僅かに顔を上に向けながら呟いた声に、もう一人が「じゃあ、入れてあげる」と応じて、芝居が生まれる。
雨音も風もない静かな部屋なのに、そこには雨が降っていているように思えた。
だけど、この空間で私だけ置いてけぼりだ。何を、どうすればいいのだろう。声を出そうと口を開くが、言葉が喉につかえて出てこない。ただぎこちなく立ち尽くすことしかできない。自分だけ時間が止まっているようで、頭が真っ白になる。
台本もない、指示もない。自分の意思で生み出す演技が怖かった。
「……寒い?」
不意に、傘を差した誰かが、そっと隣に立った。その声に振り向くと高瀬先輩が、演技のまま心配そうな表情でこちらを覗き込んでいた。
「濡れるよ。ほら、入って」
傘を持った手が少し、こちらに近づく。差し出された傘に入るように、ゆっくりと一歩高瀬先輩に近づく。
「ありがとう、ございます……」
ようやく振り絞って出た声は、きっと震えていた。セリフのつもりで出た言葉なのに震えてしまう声に、私は「ごめんなさい」と誰にも聞こえないような声で呟いてしまう。その言葉が高瀬先輩に届いたのか、彼はふっと笑った。
「寒かったよね。雨、止まないな」
そう言った後にボソリと「大丈夫」と呟く。
「大丈夫、エチュードに間違いなんてないから」
私にだけ聞こえたその言葉に、不思議なほど安心してしまった。緊張で感覚がなくなっていた手足の強ばりが、ゆっくりと解けていく。
“正解がない”ということは“間違いがない”ということ。ここでは何をしたっていいのだと教えてくれる。
「流れるままに、やってみて」
「……はい」
他の二人と自然に合流し、芝居を続ける。高瀬先輩が、まるで台本にそう書いてあるかのようなくしゃみをする。私が心配するように彼に声をかければ、彼は笑顔を返してくれた。いつの間にか、私の口元には自然と笑みが浮かんでいて、気がつけば芝居の中に入れていた。
あのころは陽葵は極度の人見知りで友達も私だけだった。それに比べて私は人と関わることが大好きで、いつもたくさんの人に囲まれていたような気がする。たくさん喋ってたくさん笑って、きっとあのころの私は大きな声を出していただろう。
今は私も陽葵も真逆の人間になっていて、その記憶が嘘ではないかと言われたらはっきりと否定できないほど自分でも信じられない幼少期だったと思う。
「一年生、もっとお腹から声出して!」
お腹から声を出すという感覚がいまいち分からないまま、声を出す。数日前に教えられた腹式呼吸なんてこれまで意識したこともない。突然言われてすぐに理解できるほど私は感覚派の人間でもない。両手を軽くお腹に当てて見ても、この声がお腹から出ているかなんてわからず、喉から声が出ているとしか思えない。
「はいっ、今日はこれくらいでいいか」
部長が手を叩いた音でようやく一息つける。演劇部に体験入部してから、毎日部活に参加している。初日は先輩方と話して終わった部活だったが、次の日からはいつも通りの部活のメニューが始まった。
演劇部がどのような部活内容か詳しくは知らなかったが、文化部だからそんなにきつくはないだろうという考えは甘かった。想像していたのは発声練習と演技の稽古くらいだったが、実際は柔軟や筋トレもしっかりし想像以上に体力が必要だ。
今は声を届ける練習をしていて、稽古部屋の壁際に私たちが立ち、向かいの壁に唯一三年の部長が立っている。私は精一杯声を出しても「もっと」と言われるが、部長の声はこちらまでまっすぐに届く。部長は男子だから……と一瞬考えたが、私の横に並ぶ二年女子の先輩も凛とした声が向こうまで届いており、純粋にすごいという感想だけが残った。キャストもスタッフも関係なく、基礎練習はみんなが参加している。
演劇部は現在、三年男子の部長を筆頭に、二年男子三人、二年女子二人の計六名が正式な部員らしい。
キャストは部長、高瀬先輩、剣道部と兼部している二年男子の三人。女子キャストはいないため、演出担当の二年女子が補っている。
スタッフは音響が二年男子、照明が二年女子をメインにし、その他の役割はみんなで支え合っているという、かなりギリギリの人数で活動している。
私ともう一人の新入生である他クラスの男子、二人が体験入部に来てくれただけで部員みんなが喜んだ理由がなんとなく察せてしまう。
志望は何かを聞かれ「演技をしたことはないけど、キャストが気になってます」と伝えると、ようやく解放されると大喜びする演出の先輩に周りが苦笑していた光景はかなり異様だった。
「休憩終わったらエチュードするか。今日は全員いるから四人ずつな」
「え~」
基礎練習が終わって水分補給をしていると、ペットボトルの水を一気に飲んだ部長が言う。その言葉に先輩たちは嫌そうに顔をしかめる。
「エチュードって何ですか?」
私も疑問に思っていると同級生が部長に尋ねる。エチュードという言葉は聞いたことがあるような、ないような。何をするのかよくわからず、先輩たちが嫌がる理由もわからない。
「エチュードは、即興で芝居することだね。簡単なテーマとか設定は決めていいけど後は全部即興で演じるの」
「なるほど……」
演劇は台本があって当たり前だと思っていた。即興ということはセリフも自分で考えて発するしかない。始まりも終わりも決まっていない芝居ということなら、先輩たちが嫌そうにしているのも納得だ。
「下手くそでも面白くなくてもいいから、好きな演技をするんだ」
部長はそう言うが、好きな演技なんてわからない。適当に分けた四人ずつのグループ、もちろん一年の二人は違うグループになった。初めてが私しかいないのはどうしても不安で仕方ない。
「じゃあ、テーマは“天気”で。晴れでも雨でも曇りでもいい。役も指定しないから完全に即興でいこう」
二グループ、それぞれの代表として部長と高瀬先輩がジャンケンをする。みんなが見守る中、ジャンケンに負けた高瀬先輩は先にエチュードすることが決まった。同じグループに振り分けられた私も先ということだ。
まだ心の準備もできていない中、そんなこと知らない部長が「三、二、一、スタート!」と手を叩くと稽古部屋の空気がふわっと張り詰めた。様子を伺うようにちらりと先輩たちを見渡す。
「あっ、傘、忘れた」
沈黙の時間はほんの一瞬で、先輩たちはすぐに動き出す。僅かに顔を上に向けながら呟いた声に、もう一人が「じゃあ、入れてあげる」と応じて、芝居が生まれる。
雨音も風もない静かな部屋なのに、そこには雨が降っていているように思えた。
だけど、この空間で私だけ置いてけぼりだ。何を、どうすればいいのだろう。声を出そうと口を開くが、言葉が喉につかえて出てこない。ただぎこちなく立ち尽くすことしかできない。自分だけ時間が止まっているようで、頭が真っ白になる。
台本もない、指示もない。自分の意思で生み出す演技が怖かった。
「……寒い?」
不意に、傘を差した誰かが、そっと隣に立った。その声に振り向くと高瀬先輩が、演技のまま心配そうな表情でこちらを覗き込んでいた。
「濡れるよ。ほら、入って」
傘を持った手が少し、こちらに近づく。差し出された傘に入るように、ゆっくりと一歩高瀬先輩に近づく。
「ありがとう、ございます……」
ようやく振り絞って出た声は、きっと震えていた。セリフのつもりで出た言葉なのに震えてしまう声に、私は「ごめんなさい」と誰にも聞こえないような声で呟いてしまう。その言葉が高瀬先輩に届いたのか、彼はふっと笑った。
「寒かったよね。雨、止まないな」
そう言った後にボソリと「大丈夫」と呟く。
「大丈夫、エチュードに間違いなんてないから」
私にだけ聞こえたその言葉に、不思議なほど安心してしまった。緊張で感覚がなくなっていた手足の強ばりが、ゆっくりと解けていく。
“正解がない”ということは“間違いがない”ということ。ここでは何をしたっていいのだと教えてくれる。
「流れるままに、やってみて」
「……はい」
他の二人と自然に合流し、芝居を続ける。高瀬先輩が、まるで台本にそう書いてあるかのようなくしゃみをする。私が心配するように彼に声をかければ、彼は笑顔を返してくれた。いつの間にか、私の口元には自然と笑みが浮かんでいて、気がつけば芝居の中に入れていた。
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