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第四章 滅びの魔女の行方
第2話 やっとわかった
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ドレスを買いに行くと言っても、王都とノーリング家の領地は避けたい。
他に知っている町などなくどこへ行けばいいか迷っていたら、王都に次いで賑わっているというノンワールの町なら買い物に困らないだろうとティアーナに教えてもらった。
二人で出かけるなんてと苛々されたけれど、怒り出すことはなかった。
そうして人目のない森の中まで竜の姿のレイノルド様に乗せてもらい、ノンワールの町へとやってくると、初めての賑わいに私は挙動不審になるばかりだった。
レイノルド様のほうがよほど慣れているような様子で、すたすたと歩いていってしまう。
「ま、待ってください……!」
人にぶつからないよう避けながら必死に追いかけると、レイノルド様がそうだった、というように気が付いて足を止めてくれた。
「はぐれそうだな」
そう言って両手を伸ばしかけ、しかし私に触れることなくその手はすんっと下ろされた。
もしかして抱き上げようとしたのだろうか。
さすがにこのような町中で持ち運ばれるのは恥ずかしいけれど、その離れて行ってしまった手を寂しいと思ってしまう。
レイノルド様は腕を組み、難しい顔になった。
「レイノルド様?」
「わからん……」
何がだろう。
首を傾げて続きを待っていると、レイノルド様が困った顔になった。
「今までどうやって触れていた?」
「どうやって……とは?」
「距離感がわからない」
「何故……? 距離をとらねばならないのですか?」
「そういうことではないのだが。シェリーは十六だ。人間で言っても年頃の娘だ。気軽に触れていいものではない」
それでこれまでのように触れてくれなかったのか。
やっとわかったけれど、でも、そうなのだろうか。
淑女の礼だとか、テーブルマナーだとか、そういったものは一通り教育を受けたけれど、淑女のふるまいだとか、たしなみだとか、そういうところまではわからない。
「これまで通りではだめなんでしょうか……」
「駄目ではないが。――いいのか?」
「今までのように触れて欲しいです。傍にいたいです。離れていってしまうと思うと、苦しいんです」
想いが溢れて。
レイノルド様にどう思われるかとか、迷惑かもしれないとか、そんなことを考える余裕もなく、ただただ思いのままに告げると、レイノルド様が真っすぐに私を見た。
「――それはわかって言っているのか? もはや歯止めはきかんぞ」
「淑女のふるまいとか、どうあるべきかとか、よくわかりません。それよりも距離をとられてしまうと思うほうが嫌です」
涙が滲みそうになり、必死に堪えながらその黒い瞳を見つめ返すと、ぐいっと腕を引っ張られた。
ぽすりとレイノルド様の胸に収まり、全身から力が抜けていく。
ああ、レイノルド様だ。
――ずっと、こうしたかった。
背中に手を回すと、頭に手が回され、きつく抱き込まれた。
「猫を拾ったようなものだと思っていた。ぼろぼろで、今にも死んでしまいそうで、世話をしてやらねばならんと思っていた。だが気づけばその温もりを手放せなくなっていた。それは、ただ温くて心地がよいからだと思っていた」
レイノルド様にとって私は湯たんぽのようなものだったのだろう。
それは知っていたし、私もただただその腕の中で丸くなるのが心地よかったから、同じだと思っていた。
けれどいつからそれでは物足りなくなったんだろう。
離れると寂しくなって。
すぐ触れたくなる。
会えない間もその想いはどんどん強くなった。
「だが――。もう子ども扱いはしてやれんぞ」
「子どもではありません。十六歳です」
「――本当にわかっているか?」
体を離し、顔を覗き込まれる。
黒い瞳にからかう色はなく、どこまでも真っすぐで。けれどどこかに熱があって。
その距離に戸惑い、急に我に返り、恥ずかしさに顔が熱くなる。
「ちか……ちかいです」
「これくらいでか? やはりわかっていないだろう」
何を?
そう聞いたら、呆れられてしまうだろうか。
やはり距離をとろうと言われてしまうだろうか。
それが怖くて、つい眉が下がってしまうと、レイノルド様は力を抜いたように笑って、頭をくしゃくしゃと撫でた。
「まだ我慢するとしよう」
離れていってしまう?
不安になったけれど、体を離した代わりに、腕を差し出してくれた。
そっとその腕をとると、レイノルド様はゆっくりと、私の歩幅に合わせるように歩き出した。
離れて行かない?
傍にいていいのだろうか。
確かめるように隣のレイノルド様を見上げると、困ったように笑った。
「離れていくことはない。もはや頼まれても手放せそうにはない。ただゆっくり進めるしかないとわかっただけだ」
私に合わせてくれるということだろうか。
いつもいつもレイノルド様にはそうして甘やかされてばかりだ。
年齢だけじゃなくて、きちんと心も大人になりたい。
レイノルド様が何を言わんとしているのか、ちゃんとわかるようになりたい。
けれど今は。隣をゆっくりと歩いてくれることが嬉しくて、ただただそれを噛みしめていた。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
よさそうなお店を見つけて扉を押し開くと、カランコロンとドアベルが鳴り、「まあ、ようこそいらっしゃいませ」と店員だろう女性が目を輝かせ迎え入れてくれた。
「彼女に似合う物をいくつか見繕ってほしい」
「はい、かしこまりました。旦那様はいかがされます?」
「私は――」
レイノルド様も? それなら選びたい!
先ほどまでの不安やら焦りやらは一気に吹き飛び、らんらんとレイノルド様を見上げると、ふっと優しく笑った。
「そうだな。せっかくの機会だ。シェリーに見繕ってもらおう」
「はい! おまかせください!」
俄然楽しみになった。
自分の服を選ぶよりもよほどわくわくする。
店内を見回せば、レイノルド様に似合いそうなものがいくつもある。
いつもの銀に縁どられ黒を基調とした服も似合っているけれど、違う格好も見てみたい。
「待て。先にシェリーの服を選ぶぞ」
ええ?
思わず唇が尖ってしまうと、またもやレイノルド様に頭をくしゃくしゃにされた。
「旦那様、こちらはいかがでしょう。奥様は線が細くていらっしゃいますから、このように緩やかなドレープのものなどとても優雅な着こなしになられるかと」
「そうか。シェリー、着てみるといい」
奥様じゃないです!
慌てて訂正しようとしたけれど、レイノルド様は気にしていないようだった。
どうせこの場限りなのだから、その必要もないということだろう。
お店側にしても、こちらがどういう関係だろうとどうでもいいはず。
そう思い、気恥ずかしいのを全力でこらえた。
「……はい、よろしくお願いします」
試着部屋へと通され、久しぶりすぎる豪勢なドレスに四苦八苦しながら着終えると、どっと疲れが湧いた。
「どうでしょうか……?」
これまでずっと子どもだと思われていたくらいだ。こんな大人なデザインは似合わないのではないか。
不安で、おずおずとレイノルド様を見上げると、緩く笑んだ顔がそこにはあった。
「似合っている」
口調まで優しくて。
なんだか恥ずかしくなってきて、すぐにくるりと背を向けた。
「こちらも是非袖を通してみてくださいな。きっとお似合いになられますわ」
「はい! お願いします!」
試着室へと逃げ込むようにして、着替えている間になんとか無心になろうと試みた。
けれど。
「それもいい。鮮やかな青がシェリーの白い肌によく似合う」
そんな風に褒められるとむず痒くて、でも嬉しくて、どうしたらいいのかわからなくなる。
これは――地獄なのでは?
試着室に逃げては出てくると待ち構えていたレイノルド様に褒められ、また逃げるの繰り返し。
はっ。
そうだ。早くどれにするか決めないからいつまでも繰り返すことになるのだ。
さっさと決めてしまおう。
センテリース領主に失礼のない格好さえできればそれでいいのだから。
別にレイノルド様に似合うと言ってもらうことが目的ではないのに、私はいつまで何をしていたのか。
我に返ると恥ずかしさが倍増し、身もだえしそうになる。
「あの! 最初のやつでお願いします!」
煩悶を振り切るようにそう声を上げると、レイノルド様が「そうだな」と頷いた。
「最初のと、青のドレス、それから今着たドレスをもらおう」
「え?! 一着で十分です」
「また機会があるかもしれないだろう」
言われて、センテリース領主への訪問が一度で済むとは限らないなと思い直す。
一日で本を調べ切れるかはわからないし、そもそも本はまた次回と日を改めることになる可能性だってある。
大人しく頷き、結局三着とも買ってもらうことになってしまった。
とても働いた分でまかなえるとは思えない。
申し訳ない気持ちに落ち込みそうになったけれど、はっと思い出す。
そうだ。ここからはレイノルド様の服を選ぶのだ。
私は反対側にずらりと並ぶ男性の服をどれが似合うだろうかと端から一つ一つ見ていった。
グレーで光沢のあるのも怜悧な面立ちのレイノルド様によく似合う気がする。
黒も見慣れているけれど、やはりこういう服でも見てみたい。
深い緑に金の刺繍が入ったものもいいし。
どれも着てほしい。迷う。
そうして端から一つ一つを見ていると、お店の女性が傍にすすすっと寄って来て、こそりと耳打ちした。
「そちらの翡翠色のものはいかがでしょう」
「そうですね。どれもこれも素敵で、目移りしてしまいますが、こちらの落ち着いた色合いもレイノルド様が着られるととても華やかでお似合いになるかと思います」
真剣に答えると、頬に手を当てにこにこと微笑まれた。
「金色のブローチなどをお付けになったら、より注目の的となられることと思いますわ」
「いえ、舞踏会など人の集まる場所に着ていく予定はないのです。今回は初めて訪問する方の失礼にならないようなものをと」
「あら、そうでしたのね。でしたら、そのような機会がありましたら是非」
それほどレイノルド様に似合うのならば、俄然これを着たレイノルド様が見たくなる。
期待を込めてくるりとレイノルド様を振り返ると、何とも言えない顔をしていた。
「シェリーをあまりからかわないでやってくれ」
「あら、からかってなどおりませんわ。奥様があまりにかわいらしので、応援をしたいと思うのも当然ではございませんか。旦那様も、奥様が先ほどから楽しそうにくるくると表情を変え、あちらこちらを見て回るのをそれはもうにこにこと、微笑ましげに眺めていらっしゃいましたのに。独り占めはいけませんわ」
「面倒だから放っておいたが、『奥様』ではない。それなのにそのような服を私が着たらシェリーが困ることになるだろう」
「そうです。訳あって拾われた、娘のようなものです」
慌てて言って、何故か胸がもやもやとした。
娘。
忘れていた。私もレイノルド様をおかあさんみたいとか、おじい様を思い出したりしていたはずなのに。
いつの間にかそんな風に思うことがなくなっていた。
――何故、娘じゃ嫌だと思うのだろう。
「あらあらまあまあ、そのようなお顔をされて娘だなんて、何をおっしゃっているやら」
お店の女性たちは揃ってくすくすと笑う。
今私はどんな顔をしていたのだろう。
面白がっているような色はあるけれど、馬鹿にされている感じはない。
「もう娘とは思えんな。子ども扱いはしないと言っただろう」
そうだった。
その言葉にほっとしている自分がいる。
ぼんやりと考え込んでいる間に、レイノルド様は「それにしよう」とくるりと背を向けた。
「え……、レイノルド様、試着は」
「いい。私のはついでだからな」
見たかったのに……。
あれも、これも、着てみてほしかったのに。
残念に思っていると、先ほど耳打ちしてきた女性が見かねたように、すすすっとレイノルド様の傍へと擦り寄って行った。
そうして何事かを耳打ちすると、レイノルド様が「わかった。好きにするがいい」と小さく笑って頷いた。
やった、とばかりに手を打ち鳴らした女性は、私にお茶目なウインクを寄越すと、さらさらと伝票を書き、レイノルド様に手渡した。
「それではシェリー様三着、レイノルド様三着で承りました。ご用意いたしますので、少々こちらでお待ちください」
そう言って女性たちはそれぞれに動き出した。
レイノルド様用の服は先ほどの深緑一着だけかと思っていたのに、光沢のあるグレーと黒もきれいに畳まれ包装されていく。
先ほどの女性がすっと傍に寄って来て、にこりと微笑みかけた。
「新しいドレスを新調したのなら、旦那様も新調していただきたいですものね。せっかくお二人揃っていらしたのですもの、お召しになるたびに今日のことを思い出してくださいな」
なんだかそう言われると、デートに来たみたいだな、と思ってしまう。
いや、そう思われているのだろう。
レイノルド様がそういう関係ではないと否定してくれたばかりなのに、全然聞いてくれていないらしい。
恥ずかしさに顔から火が出そうだったけれど、勝手に胸がどきどきしてしまって困る。
こういうのに慣れていないから仕方がないと思えど、胸は落ち着いてくれない。
――そうか。
不意に、わかってしまった。
私は娘では嫌で。それではもう満足できなくなってしまったのだ。
レイノルド様にとっては私が男でも女でも、子どもでも大人でも関係ないのだと思っていた。
だけど私はそれでは嫌なのだ。
世話をしてくれる母親でもなく、一歩離れた所から優しく見守ってくれていたおじい様でもない。
今まで周りにいた人とは違う。
同じじゃ嫌なのだ。
私にとって、レイノルド様は特別だから。
もっと傍にいたい。
もっと触れて欲しい。
物足りない。
いつからそんな強欲になったのかと思っていたけれど。
すべて、私がレイノルド様を好きになってしまったからだったのだ。
他に知っている町などなくどこへ行けばいいか迷っていたら、王都に次いで賑わっているというノンワールの町なら買い物に困らないだろうとティアーナに教えてもらった。
二人で出かけるなんてと苛々されたけれど、怒り出すことはなかった。
そうして人目のない森の中まで竜の姿のレイノルド様に乗せてもらい、ノンワールの町へとやってくると、初めての賑わいに私は挙動不審になるばかりだった。
レイノルド様のほうがよほど慣れているような様子で、すたすたと歩いていってしまう。
「ま、待ってください……!」
人にぶつからないよう避けながら必死に追いかけると、レイノルド様がそうだった、というように気が付いて足を止めてくれた。
「はぐれそうだな」
そう言って両手を伸ばしかけ、しかし私に触れることなくその手はすんっと下ろされた。
もしかして抱き上げようとしたのだろうか。
さすがにこのような町中で持ち運ばれるのは恥ずかしいけれど、その離れて行ってしまった手を寂しいと思ってしまう。
レイノルド様は腕を組み、難しい顔になった。
「レイノルド様?」
「わからん……」
何がだろう。
首を傾げて続きを待っていると、レイノルド様が困った顔になった。
「今までどうやって触れていた?」
「どうやって……とは?」
「距離感がわからない」
「何故……? 距離をとらねばならないのですか?」
「そういうことではないのだが。シェリーは十六だ。人間で言っても年頃の娘だ。気軽に触れていいものではない」
それでこれまでのように触れてくれなかったのか。
やっとわかったけれど、でも、そうなのだろうか。
淑女の礼だとか、テーブルマナーだとか、そういったものは一通り教育を受けたけれど、淑女のふるまいだとか、たしなみだとか、そういうところまではわからない。
「これまで通りではだめなんでしょうか……」
「駄目ではないが。――いいのか?」
「今までのように触れて欲しいです。傍にいたいです。離れていってしまうと思うと、苦しいんです」
想いが溢れて。
レイノルド様にどう思われるかとか、迷惑かもしれないとか、そんなことを考える余裕もなく、ただただ思いのままに告げると、レイノルド様が真っすぐに私を見た。
「――それはわかって言っているのか? もはや歯止めはきかんぞ」
「淑女のふるまいとか、どうあるべきかとか、よくわかりません。それよりも距離をとられてしまうと思うほうが嫌です」
涙が滲みそうになり、必死に堪えながらその黒い瞳を見つめ返すと、ぐいっと腕を引っ張られた。
ぽすりとレイノルド様の胸に収まり、全身から力が抜けていく。
ああ、レイノルド様だ。
――ずっと、こうしたかった。
背中に手を回すと、頭に手が回され、きつく抱き込まれた。
「猫を拾ったようなものだと思っていた。ぼろぼろで、今にも死んでしまいそうで、世話をしてやらねばならんと思っていた。だが気づけばその温もりを手放せなくなっていた。それは、ただ温くて心地がよいからだと思っていた」
レイノルド様にとって私は湯たんぽのようなものだったのだろう。
それは知っていたし、私もただただその腕の中で丸くなるのが心地よかったから、同じだと思っていた。
けれどいつからそれでは物足りなくなったんだろう。
離れると寂しくなって。
すぐ触れたくなる。
会えない間もその想いはどんどん強くなった。
「だが――。もう子ども扱いはしてやれんぞ」
「子どもではありません。十六歳です」
「――本当にわかっているか?」
体を離し、顔を覗き込まれる。
黒い瞳にからかう色はなく、どこまでも真っすぐで。けれどどこかに熱があって。
その距離に戸惑い、急に我に返り、恥ずかしさに顔が熱くなる。
「ちか……ちかいです」
「これくらいでか? やはりわかっていないだろう」
何を?
そう聞いたら、呆れられてしまうだろうか。
やはり距離をとろうと言われてしまうだろうか。
それが怖くて、つい眉が下がってしまうと、レイノルド様は力を抜いたように笑って、頭をくしゃくしゃと撫でた。
「まだ我慢するとしよう」
離れていってしまう?
不安になったけれど、体を離した代わりに、腕を差し出してくれた。
そっとその腕をとると、レイノルド様はゆっくりと、私の歩幅に合わせるように歩き出した。
離れて行かない?
傍にいていいのだろうか。
確かめるように隣のレイノルド様を見上げると、困ったように笑った。
「離れていくことはない。もはや頼まれても手放せそうにはない。ただゆっくり進めるしかないとわかっただけだ」
私に合わせてくれるということだろうか。
いつもいつもレイノルド様にはそうして甘やかされてばかりだ。
年齢だけじゃなくて、きちんと心も大人になりたい。
レイノルド様が何を言わんとしているのか、ちゃんとわかるようになりたい。
けれど今は。隣をゆっくりと歩いてくれることが嬉しくて、ただただそれを噛みしめていた。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
よさそうなお店を見つけて扉を押し開くと、カランコロンとドアベルが鳴り、「まあ、ようこそいらっしゃいませ」と店員だろう女性が目を輝かせ迎え入れてくれた。
「彼女に似合う物をいくつか見繕ってほしい」
「はい、かしこまりました。旦那様はいかがされます?」
「私は――」
レイノルド様も? それなら選びたい!
先ほどまでの不安やら焦りやらは一気に吹き飛び、らんらんとレイノルド様を見上げると、ふっと優しく笑った。
「そうだな。せっかくの機会だ。シェリーに見繕ってもらおう」
「はい! おまかせください!」
俄然楽しみになった。
自分の服を選ぶよりもよほどわくわくする。
店内を見回せば、レイノルド様に似合いそうなものがいくつもある。
いつもの銀に縁どられ黒を基調とした服も似合っているけれど、違う格好も見てみたい。
「待て。先にシェリーの服を選ぶぞ」
ええ?
思わず唇が尖ってしまうと、またもやレイノルド様に頭をくしゃくしゃにされた。
「旦那様、こちらはいかがでしょう。奥様は線が細くていらっしゃいますから、このように緩やかなドレープのものなどとても優雅な着こなしになられるかと」
「そうか。シェリー、着てみるといい」
奥様じゃないです!
慌てて訂正しようとしたけれど、レイノルド様は気にしていないようだった。
どうせこの場限りなのだから、その必要もないということだろう。
お店側にしても、こちらがどういう関係だろうとどうでもいいはず。
そう思い、気恥ずかしいのを全力でこらえた。
「……はい、よろしくお願いします」
試着部屋へと通され、久しぶりすぎる豪勢なドレスに四苦八苦しながら着終えると、どっと疲れが湧いた。
「どうでしょうか……?」
これまでずっと子どもだと思われていたくらいだ。こんな大人なデザインは似合わないのではないか。
不安で、おずおずとレイノルド様を見上げると、緩く笑んだ顔がそこにはあった。
「似合っている」
口調まで優しくて。
なんだか恥ずかしくなってきて、すぐにくるりと背を向けた。
「こちらも是非袖を通してみてくださいな。きっとお似合いになられますわ」
「はい! お願いします!」
試着室へと逃げ込むようにして、着替えている間になんとか無心になろうと試みた。
けれど。
「それもいい。鮮やかな青がシェリーの白い肌によく似合う」
そんな風に褒められるとむず痒くて、でも嬉しくて、どうしたらいいのかわからなくなる。
これは――地獄なのでは?
試着室に逃げては出てくると待ち構えていたレイノルド様に褒められ、また逃げるの繰り返し。
はっ。
そうだ。早くどれにするか決めないからいつまでも繰り返すことになるのだ。
さっさと決めてしまおう。
センテリース領主に失礼のない格好さえできればそれでいいのだから。
別にレイノルド様に似合うと言ってもらうことが目的ではないのに、私はいつまで何をしていたのか。
我に返ると恥ずかしさが倍増し、身もだえしそうになる。
「あの! 最初のやつでお願いします!」
煩悶を振り切るようにそう声を上げると、レイノルド様が「そうだな」と頷いた。
「最初のと、青のドレス、それから今着たドレスをもらおう」
「え?! 一着で十分です」
「また機会があるかもしれないだろう」
言われて、センテリース領主への訪問が一度で済むとは限らないなと思い直す。
一日で本を調べ切れるかはわからないし、そもそも本はまた次回と日を改めることになる可能性だってある。
大人しく頷き、結局三着とも買ってもらうことになってしまった。
とても働いた分でまかなえるとは思えない。
申し訳ない気持ちに落ち込みそうになったけれど、はっと思い出す。
そうだ。ここからはレイノルド様の服を選ぶのだ。
私は反対側にずらりと並ぶ男性の服をどれが似合うだろうかと端から一つ一つ見ていった。
グレーで光沢のあるのも怜悧な面立ちのレイノルド様によく似合う気がする。
黒も見慣れているけれど、やはりこういう服でも見てみたい。
深い緑に金の刺繍が入ったものもいいし。
どれも着てほしい。迷う。
そうして端から一つ一つを見ていると、お店の女性が傍にすすすっと寄って来て、こそりと耳打ちした。
「そちらの翡翠色のものはいかがでしょう」
「そうですね。どれもこれも素敵で、目移りしてしまいますが、こちらの落ち着いた色合いもレイノルド様が着られるととても華やかでお似合いになるかと思います」
真剣に答えると、頬に手を当てにこにこと微笑まれた。
「金色のブローチなどをお付けになったら、より注目の的となられることと思いますわ」
「いえ、舞踏会など人の集まる場所に着ていく予定はないのです。今回は初めて訪問する方の失礼にならないようなものをと」
「あら、そうでしたのね。でしたら、そのような機会がありましたら是非」
それほどレイノルド様に似合うのならば、俄然これを着たレイノルド様が見たくなる。
期待を込めてくるりとレイノルド様を振り返ると、何とも言えない顔をしていた。
「シェリーをあまりからかわないでやってくれ」
「あら、からかってなどおりませんわ。奥様があまりにかわいらしので、応援をしたいと思うのも当然ではございませんか。旦那様も、奥様が先ほどから楽しそうにくるくると表情を変え、あちらこちらを見て回るのをそれはもうにこにこと、微笑ましげに眺めていらっしゃいましたのに。独り占めはいけませんわ」
「面倒だから放っておいたが、『奥様』ではない。それなのにそのような服を私が着たらシェリーが困ることになるだろう」
「そうです。訳あって拾われた、娘のようなものです」
慌てて言って、何故か胸がもやもやとした。
娘。
忘れていた。私もレイノルド様をおかあさんみたいとか、おじい様を思い出したりしていたはずなのに。
いつの間にかそんな風に思うことがなくなっていた。
――何故、娘じゃ嫌だと思うのだろう。
「あらあらまあまあ、そのようなお顔をされて娘だなんて、何をおっしゃっているやら」
お店の女性たちは揃ってくすくすと笑う。
今私はどんな顔をしていたのだろう。
面白がっているような色はあるけれど、馬鹿にされている感じはない。
「もう娘とは思えんな。子ども扱いはしないと言っただろう」
そうだった。
その言葉にほっとしている自分がいる。
ぼんやりと考え込んでいる間に、レイノルド様は「それにしよう」とくるりと背を向けた。
「え……、レイノルド様、試着は」
「いい。私のはついでだからな」
見たかったのに……。
あれも、これも、着てみてほしかったのに。
残念に思っていると、先ほど耳打ちしてきた女性が見かねたように、すすすっとレイノルド様の傍へと擦り寄って行った。
そうして何事かを耳打ちすると、レイノルド様が「わかった。好きにするがいい」と小さく笑って頷いた。
やった、とばかりに手を打ち鳴らした女性は、私にお茶目なウインクを寄越すと、さらさらと伝票を書き、レイノルド様に手渡した。
「それではシェリー様三着、レイノルド様三着で承りました。ご用意いたしますので、少々こちらでお待ちください」
そう言って女性たちはそれぞれに動き出した。
レイノルド様用の服は先ほどの深緑一着だけかと思っていたのに、光沢のあるグレーと黒もきれいに畳まれ包装されていく。
先ほどの女性がすっと傍に寄って来て、にこりと微笑みかけた。
「新しいドレスを新調したのなら、旦那様も新調していただきたいですものね。せっかくお二人揃っていらしたのですもの、お召しになるたびに今日のことを思い出してくださいな」
なんだかそう言われると、デートに来たみたいだな、と思ってしまう。
いや、そう思われているのだろう。
レイノルド様がそういう関係ではないと否定してくれたばかりなのに、全然聞いてくれていないらしい。
恥ずかしさに顔から火が出そうだったけれど、勝手に胸がどきどきしてしまって困る。
こういうのに慣れていないから仕方がないと思えど、胸は落ち着いてくれない。
――そうか。
不意に、わかってしまった。
私は娘では嫌で。それではもう満足できなくなってしまったのだ。
レイノルド様にとっては私が男でも女でも、子どもでも大人でも関係ないのだと思っていた。
だけど私はそれでは嫌なのだ。
世話をしてくれる母親でもなく、一歩離れた所から優しく見守ってくれていたおじい様でもない。
今まで周りにいた人とは違う。
同じじゃ嫌なのだ。
私にとって、レイノルド様は特別だから。
もっと傍にいたい。
もっと触れて欲しい。
物足りない。
いつからそんな強欲になったのかと思っていたけれど。
すべて、私がレイノルド様を好きになってしまったからだったのだ。
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