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第4話
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彼女のためにと婚約解消を告げたのに、ショックを受けたような顔が見えて、私は考えに考えた。
ルーシーは喜んで自由を受け入れると思ったのに、そうじゃなかった。
私は何を間違えたのだろうか。
すぐに表情を消してあっさりと了承を告げた彼女はくるりと背を向けた。
私は慌ててその腕を掴んで引き留めた。
「待って! ごめん。ちゃんと説明するからもう一度話を聞いてほしい」
栗色のハーフアップの髪に必死に言い募っても、ルーシーは振り返らなかった。
そっと回り込んでその顔を覗き込めば、大きな瞳からはぼろぼろと涙が零れていた。
「大丈夫。問題ない。この婚約は親同士が仲が良かったからという理由だけで決めたもので、利益が絡んでるわけじゃない。だから私たちがうまくいかないのに無理強いはしないはず。言えば受け入れられるわ」
言っていることは冷静だ。
しかし彼女の顔はぐしゃぐしゃだった。
えぐえぐとしゃくりあげるルーシーに慌て、私はおろおろと彷徨う手を栗色の頭にそっと置いた。
「ごめん。唐突過ぎた。僕も一人で思い詰めてしまったようだ。最初からきちんと話してもいい? ルーシーの気持ちも聞かせてほしい」
ルーシーはもう聞きたくないというようにふるふると首を振り、その度に涙が舞った。
私はどうしたらいいかわからなくなり、ぎゅっと彼女を抱きしめた。
ぐいぐいと胸を押し返し暴れていたものの、やがてルーシーは大人しくなった。
それから私はそっと体を離し、その顔を窺い見た。
その頬は赤らんでいて。
泣かせすぎてしまったと、私は心から反省した。
「ルーシーを傷つけるつもりはなかったんだ。ルーシーのために婚約解消した方がいいと思ったんだ。君は冒険者になりたいんだろう?」
そう告げると、ルーシーはぴたりと動きを止めた。
そして、何の表情も浮かんでいないその顔で、ただ一言返した。
「はあ?」
考えてみれば、私の思い込みはあまりにも幼かった。
彼女の『何言ってるの?』という至極もっともな目線にやっと我に返った。
私は恥を忍び、改めてこれまでのルーシーの行動から旅に出る準備をしているのだと思ったことなどを話した。
ルーシーは何の表情もないまま、ただじっとそれを聞き終えると、大きなため息を一つ吐き出した。
「別に冒険者になりたくてしてたわけじゃない。最終的な自立としてはその道もありかもしれないけど、さすがにそこまで夢みがちじゃない。貴族の身でそんなものになれるとも思わないし、そんな簡単なことだとも思わない」
「だったら今までのは……」
「ただのイタズラだよ」
そう言って、肩をすくめて見せた。
イタズラというにはどれも懸命だった気がして、私はもっと話を聞こうと言葉を重ねようとした。
しかし、はっと何かに気付いたルーシーは、「ごめん、急ぐから。またね」と言って壁にぶらさがっていたものに手をかけた。
ん?
とそのぶら下がっているものを見れば、それはシーツのように見えた。
いや、元シーツだ。
破いてひも状にしたシーツをつないだ、ロープ。
それは二階の窓から垂れ下げられていた。
何故そんなところにこんなものが、と思う間もなく、ルーシーはためらうことなくそのロープを掴み、器用に壁をよじ登っていった。
「嘘だろ……?!」
思わず呟いた時にはルーシーは窓から部屋の中へと入りこんでいた。
ロープを手繰りよせ回収しながら、ルーシは小さな声で言った。
「今日は久しぶりに会えてよかった」
え、と思った時には窓は閉められていた。
次の日も私はファロウ伯爵家を訪ねたけれど、ルーシーに会うことはかなわなかった。
ファロウ伯爵夫人は、「風邪を引いて寝込んでいるの。ごめんなさいね」といつも父に見せるように優雅に微笑んだ。
あの窓の下へ行ってみたけれど、窓はきっちりと閉められていて、ロープが垂れ下がってくることはなかった。
ここまで来て私はようやく気が付いた。
ルーシーが姿を見せなくなったのは、ファロウ伯爵が二か月前に領地へと旅立ってからのことだ。
ファロウ伯爵夫人はルーシーと血が繋がっていない。
いつもルーシーに冷たい声で苛立ちを向けていた。
けれど私や父、ファロウ伯爵の前では、とてもそんな姿は想像できないような穏やかな仮面をかぶっていた。
ルーシーは義母に虐げられているのではないか。
あんなにおいしそうに干し肉を炙って食べていたのは、食事をもらえなかったから。
乾パンや保存のきく食べ物を我が家の商人から買い込んでいたのは、閉じ込められたときの食糧にするため。
数々の罠は、ルーシーの意趣返し。
自分の家ではなく我が家の使用人から情報と物を仕入れていたのは、ルーシーに加担したことが明らかになり罰されてしまうからだったのではないか。
冒険者になりたいのだと思い込んだときよりも、よほどしっくりくる。
けれど、真実は本人に確かめてみなければわからない。
また「はあ?」と言われてしまうかもしれない。
だから、明日確かめてみよう。
彼女の部屋に、乗り込もう。
そう決めて、私はファロウ伯爵家を後にした。
ルーシーは喜んで自由を受け入れると思ったのに、そうじゃなかった。
私は何を間違えたのだろうか。
すぐに表情を消してあっさりと了承を告げた彼女はくるりと背を向けた。
私は慌ててその腕を掴んで引き留めた。
「待って! ごめん。ちゃんと説明するからもう一度話を聞いてほしい」
栗色のハーフアップの髪に必死に言い募っても、ルーシーは振り返らなかった。
そっと回り込んでその顔を覗き込めば、大きな瞳からはぼろぼろと涙が零れていた。
「大丈夫。問題ない。この婚約は親同士が仲が良かったからという理由だけで決めたもので、利益が絡んでるわけじゃない。だから私たちがうまくいかないのに無理強いはしないはず。言えば受け入れられるわ」
言っていることは冷静だ。
しかし彼女の顔はぐしゃぐしゃだった。
えぐえぐとしゃくりあげるルーシーに慌て、私はおろおろと彷徨う手を栗色の頭にそっと置いた。
「ごめん。唐突過ぎた。僕も一人で思い詰めてしまったようだ。最初からきちんと話してもいい? ルーシーの気持ちも聞かせてほしい」
ルーシーはもう聞きたくないというようにふるふると首を振り、その度に涙が舞った。
私はどうしたらいいかわからなくなり、ぎゅっと彼女を抱きしめた。
ぐいぐいと胸を押し返し暴れていたものの、やがてルーシーは大人しくなった。
それから私はそっと体を離し、その顔を窺い見た。
その頬は赤らんでいて。
泣かせすぎてしまったと、私は心から反省した。
「ルーシーを傷つけるつもりはなかったんだ。ルーシーのために婚約解消した方がいいと思ったんだ。君は冒険者になりたいんだろう?」
そう告げると、ルーシーはぴたりと動きを止めた。
そして、何の表情も浮かんでいないその顔で、ただ一言返した。
「はあ?」
考えてみれば、私の思い込みはあまりにも幼かった。
彼女の『何言ってるの?』という至極もっともな目線にやっと我に返った。
私は恥を忍び、改めてこれまでのルーシーの行動から旅に出る準備をしているのだと思ったことなどを話した。
ルーシーは何の表情もないまま、ただじっとそれを聞き終えると、大きなため息を一つ吐き出した。
「別に冒険者になりたくてしてたわけじゃない。最終的な自立としてはその道もありかもしれないけど、さすがにそこまで夢みがちじゃない。貴族の身でそんなものになれるとも思わないし、そんな簡単なことだとも思わない」
「だったら今までのは……」
「ただのイタズラだよ」
そう言って、肩をすくめて見せた。
イタズラというにはどれも懸命だった気がして、私はもっと話を聞こうと言葉を重ねようとした。
しかし、はっと何かに気付いたルーシーは、「ごめん、急ぐから。またね」と言って壁にぶらさがっていたものに手をかけた。
ん?
とそのぶら下がっているものを見れば、それはシーツのように見えた。
いや、元シーツだ。
破いてひも状にしたシーツをつないだ、ロープ。
それは二階の窓から垂れ下げられていた。
何故そんなところにこんなものが、と思う間もなく、ルーシーはためらうことなくそのロープを掴み、器用に壁をよじ登っていった。
「嘘だろ……?!」
思わず呟いた時にはルーシーは窓から部屋の中へと入りこんでいた。
ロープを手繰りよせ回収しながら、ルーシは小さな声で言った。
「今日は久しぶりに会えてよかった」
え、と思った時には窓は閉められていた。
次の日も私はファロウ伯爵家を訪ねたけれど、ルーシーに会うことはかなわなかった。
ファロウ伯爵夫人は、「風邪を引いて寝込んでいるの。ごめんなさいね」といつも父に見せるように優雅に微笑んだ。
あの窓の下へ行ってみたけれど、窓はきっちりと閉められていて、ロープが垂れ下がってくることはなかった。
ここまで来て私はようやく気が付いた。
ルーシーが姿を見せなくなったのは、ファロウ伯爵が二か月前に領地へと旅立ってからのことだ。
ファロウ伯爵夫人はルーシーと血が繋がっていない。
いつもルーシーに冷たい声で苛立ちを向けていた。
けれど私や父、ファロウ伯爵の前では、とてもそんな姿は想像できないような穏やかな仮面をかぶっていた。
ルーシーは義母に虐げられているのではないか。
あんなにおいしそうに干し肉を炙って食べていたのは、食事をもらえなかったから。
乾パンや保存のきく食べ物を我が家の商人から買い込んでいたのは、閉じ込められたときの食糧にするため。
数々の罠は、ルーシーの意趣返し。
自分の家ではなく我が家の使用人から情報と物を仕入れていたのは、ルーシーに加担したことが明らかになり罰されてしまうからだったのではないか。
冒険者になりたいのだと思い込んだときよりも、よほどしっくりくる。
けれど、真実は本人に確かめてみなければわからない。
また「はあ?」と言われてしまうかもしれない。
だから、明日確かめてみよう。
彼女の部屋に、乗り込もう。
そう決めて、私はファロウ伯爵家を後にした。
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