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前編
しおりを挟む「あなたがピッドさんですか?」
そう私を呼び止めたのは西棟の清掃担当のメイドだ。
確か爵位のない貴族で……アリファトーヴ家の次女だったはず。
名前は……フローレンス……フロランス……いえ、フローリアだったはず。
「一部でピッドと呼ばれているのは私です」
そう答えると彼女はホッとしたように笑った。
このやりとりは合言葉だ。
私はアリファトーヴ家の次女を伴って人気のない場所へと移動する。
「さっそくですが、依頼内容をお願いします」
「は、はい、私、フローリア・アリファトーヴと申します。わ、私のこ、こ、恋のお手伝いをしていただけると知人から伺いまして、お願いしにまいりましたっ」
真っ赤な顔で俯きながらも、はっきりとフローリア嬢は言った。
「お相手はどなたですか?」
「王城図書館司書のクグス様です……」
きゃっと小さく叫んで両手で顔を隠してしまった。あらあら。
「図書館司書のクグス・リコナー様ですね。確かアリファトーヴ様の幼馴染でしたわね」
「よ、よくご存じですね!?」
「ええまあ……依頼を受ける条件をご存知ですか?」
「あ、は、はい! まず、合言葉を言う事、王城内の部屋の予約を依頼者の名前で行うことを了承すること、後日呼び出されたら必ずその部屋に行き指示に従うこと」
「おっしゃる通りです。アリファトーヴ様の依頼はお受けします。三日後でよろしいですか?」
「よ、よろしくお願いいたしますっ!」
ぺこり、とお辞儀をすると周りを見回してから足早に去って行った。
ここは王城。
私は単なる男爵令嬢だ。
ただ趣味で、人の恋の後押しをしている。
友人の手伝いをしたのがきっかけだ。
王城は広く、数々の部屋がある。
その数々の部屋は、時には会議に使われたり、密会に使われたり、サボりに使われたりしているわけだが、王城で働く父がぽろりとこぼした一言で知ってしまったことがある。
王城の部屋は全て、前もって申請することによって使用を許可される。
一つの部屋が予約されると隣接する部屋の予約は取れなくなる。
(王城ほど警備が万全な場所はないので、大事な取引とかで使う貴族がいるらしい)
よほどのことがない限り、警備や管理の者が予約された時間にその部屋に訪れることはない。
(希望があれば警備をつけることは可能)
この話を聞いた時、私は「逢引きにぴったりだな」と思った。
その直後に親友のユーリから「婚約者がいつまでも結婚に踏み切ってくれない。既成事実を作らないとダメかも」と相談され、私は既成事実を作る手伝いをすることになった。
婚約者を部屋に呼び出して、邪魔が入らない状態でその気にさせればいいのである。
休憩用にとベッドもある部屋に呼び出し、ふたりでベッドに倒れこむように細工をした。
後はユーリに「婚約者には何をされてもいい」「今は邪魔は入らない」という感じに誘ってもらい、既成事実を作り、今は無事結婚して去年娘がひとり生まれたところだ。
ユーリにはすごく感謝され、しばらくするとユーリの友人のソフィア嬢が、同じことをしてほしいと相談してきた。
ソフィア嬢も上手くいった。
するとソフィア嬢の友人のリリア嬢からも似たような相談をされた。
リリア嬢も上手くいってしまった。今や二児の母だ。
そして広がってしまった「恋のキューピッド」の噂である。
やっていることはだまし討ちのようなことだけど、恋に積極的になりたいけどなれない女性や、きっかけが欲しい女性のお手伝い。
無事に上手く行くと心ばかりのお礼を貰うことになっている。お金に困っているわけではないけれど、お金を払うことによって仕事として扱われ、もし次に会った時も知らんぷりできるようにしているのだ。
さて。
私はさっそく準備に取り掛かることにする。
部屋の管理をしている部署はこの棟の二階だ。ドレスをひるがえしてそこに向かう。
行き慣れた部屋をノックしてから入る。
「オードリーじゃないか。どうしたんだ」
「あら、お父様。ご機嫌麗しゅう」
どうしたんだ、と言いつつもちょっと嬉しそうなのは愛されている証拠なのだと思う。
「ご機嫌麗しゅうじゃないだろう、お前、またダンスのレッスンをサボって王城に来たな」
「私が夜会で壁の花なのはご存知でしょう。ダンスなんて踊る機会がないのですから、習うだけ無駄ですわ」
「お前は本当に嫁に行かないつもりなのか……」
父と私のやり取りを近くの席で聞いていた数人がクスクスと笑っている。
私は婚約破棄を二回された行き遅れである。
特技もなく美人でもスタイルもそれほど良くない私は「つまらない女」として捨てられたのだ。
もう結婚は諦めていて、そろそろどこかの田舎町で隠居しようと考えている。
「三日後にお部屋をお借りしたいのだけれどよろしいかしら?」
「またか……まあ、東棟の一番端の部屋なら今週は空いているはずだ」
父は私の趣味を知っている。
この王城部屋管理の責任者は父なのだ。
通常なら単なる男爵令嬢が王城の部屋を何度も借りることは出来ない。
親の権力を利用しまくっているのである。
父が棚から書類を出し、部屋の予約表と見取り図を見せてくれる。
「この部屋ですの? 中庭から中が見えませんこと?」
「しっかりしたカーテンがあるから問題ないだろう」
「普通の会談で使うなら問題ないかもしれませんが、そういうわけではございませんので」
なにせそういうことをするために部屋を借りるのである。
「部屋の中を覗こうとしない限り大丈夫だと思うが……気になるなら一度見てみればいい」
「今、見てきてもよろしいですか?」
「いいぞ。スタテース、鍵を渡してやってくれ」
父の補佐をしているスタテースさまが鍵の付いた棚からひとつの鍵を取り出して渡してくれる。
「キューピッドの噂、結構広まっていますから気を付けてくださいね」
「ありがとうございます。気を付けますわ」
そう言いつつも、何に気を付けるのかよく分からなかった。
女性には喜ばれているし……良く思わない男性もいるって事かしら。
女性側がどんなに結婚を望んでいても、男性側にその気がない時は断る様にしているから、問題ないと思っていたけれど……
「そろそろ潮時かしら……」
「そうだぞ。他人の恋愛ばかりに首を突っ込んでないで自分の生活も考える様に」
「そうですわね。そろそろ本格的に隠居する別荘を決めますわ」
「そういう話じゃないっ!」
父は慌てて声を上げたが、部屋の人たちはクスクスと笑っていた。
私も笑いながら「失礼します」と部屋を出る。
今いる棟が南棟なので、東棟は少し歩かねばならない。
王城には仕事に来ている男性以外にも、敷地内施設を利用しに来ている女性もいるので、私が歩いていても目立ったりはしない。
なにせ行き遅れだ。女性は結婚すると家のことを任されるので王城に来る時間はあまりないが、私は何度も王城に足を運んでいる。見慣れた顔になっている自覚はある。
それでも母は王城で誰かに見初められるようにと、毎回私を飾り立ててから送り出す。
今日も髪は綺麗に編み込まれ、胸元の広く開いたドレスを着せられ、若々しく透き通るような化粧を施されていた。
何度もこういう格好で王城に来ているのに誰にも見初められたことがない、という事実は、母は無視するらしい。
知り合いに会ったら挨拶、友人に会ったら少々の雑談をしながら目的の部屋へとたどり着いた。
鍵を開けて部屋に入ると、窓が大きく明るい部屋だった。
入って左側にソファセット、右側に天蓋付きベッドのある部屋だった。
空気の入れ替え中なのか、窓が一か所、数センチ開いていた。
レースのカーテンが閉められているのにかなり明るい。窓に近付くとカーテン越しでも中庭を探索する人が見える。
近くに来て部屋を覗こうとしなければ中は見えないだろうが、逆に近付いてしまうとしっかり見えてしまうだろう。
天蓋付きベッドのカーテンは厚手のものだが、閉める余裕があるかはその時になってみないと分からない。
それに部屋に入った時点で「見られる可能性があるかも」とちらりとでも思ってしまうと計画が上手くいかない可能性もある。
窓のカーテンは厚手のものも重ねて閉められるので、閉めてみる。それほど広い部屋ではないので簡単だ。
「でも閉めるとかなり暗いわね……」
部屋の中央に立ってみる。
カーテンの上下の隙間から光が漏れているが、絨毯も暗い色のせいで部屋全体がぼやけて見える。
足元に罠を仕掛けやすいけれど、この暗さではアリファトーヴ嬢も転んでしまいかねない。
お洒落なキャンドルでも置けばロマンチックな雰囲気になるかもしれない。
「そこで何をしている」
「きゃっ!」
突然、後ろから声を掛けられて声を上げてしまった。
振り向くと、部屋の入口に男性が立っている。逆光で顔はよく見えない。
「失礼、トスラン嬢でしたか。驚かせてしまいましたね」
向こうはこちらの顔を知っているらしい。
なんとなく見える服装はシャツにスラックスというラフな格好なので、警備の仕事中の騎士というわけではなさそうだ。
ただ長身でがっしりとした体形を見る限り、騎士である確率が高い。
「女性がひとりでこんなところで何を?」
その声には少し警戒が混ざっていた。
「……今度親しい方数人でお茶会を開こうと思っておりまして、部屋の下見ですわ」
「そうですか……?」
思いっきり疑われている様だ。なかなか良い言い訳だと思ったのだけど。
部屋を見回しながらゆっくりと中に入ってくるので、思わず数歩後ろに下がってしまう。
「あの、失礼ですけれど、どちら様でしょうか」
お互い暗い部屋の中にいるけれど、廊下からの光が強すぎて彼の顔は見えない。
「…………覚えてない……のか」
ぼそりと呟いて立ち止まったので、その隙にさらに数歩後ろに下がっておく。
どうやら会ったことがある方の様だ。
「申し訳ございませんがこの部屋ではお顔が見えませんの。今カーテンを……」
「それは失礼、私が開けます」
「いえ、私の方が近いで……きゃっ!」
「危ない!」
何かに躓いて私はすぐ後ろにあったベッドに倒れこんでしまった。
「大丈夫ですか!?」
男性が慌てて近付いて来て手を差し伸べてくれた。
「あら、フイイ様でしたのね」
目も慣れてきたし、近ければ顔も見える。
「……覚えていて下さったのですね」
体を起こして差し伸べられた手に右手を重ねると、優しく握りしめられた。
フイイ・グレイシン。近衛騎士団に所属していて、王太子の警護をすることが多い方だ。
茶色の髪に少し黄色を帯びた茶色の瞳、筋肉質で周りの誰よりも背が高いその姿は近衛騎士団の中でも目立つ方だ。剣の腕はかなりのもので武闘大会で優勝したこともあるほど。
お近づきになりたい女性もちらほらいるが、彼が夜会に出る時は大抵王太子の警護中である。話しかけることも難しい。
いや……私は彼と一度だけ話したことがある。
私のキューピッド活動はひとつ間違えると犯罪になる可能性があるものだ。
だから私は夜会に出た時は会場をくまなく観察し、貴族中の人間関係の見極めを怠ることはない。
ある時、バルコニーに強引に女性を連れ去ろうとした男性がいたのでこれは危ないと思い声をかけたところ、自分に気があると勘違いされて無理矢理人気のない庭へ連れて行かれそうになった。
そこに現れて助けてくれたのがこのフイイ様だ。
王太子の警護中に偶然助けてもらったために、話したと言ってもお礼くらいだ。
それでもお近づきになりたい女性たちに睨まれてしまった記憶がある。
そんなフイイ様と暗い部屋でふたりっきり、しかもベッドの上にいるなんてところを見られたら睨まれるどころの問題じゃない。
フイイ様の体型なら私を立ち上がらせるなんて朝飯前だろうと思っていたが、彼は私の手を握ったまま片膝をベッドに乗せた。
より顔が近付き、私はやや仰け反る。
「フイイ様?」
「トスラン嬢、こんな暗い部屋で……一体誰を待っていたのですか?」
「え?」
さらに近付かれ、私はさらに仰け反る。
「知っていますよ。最近、恋のキューピッドなる人物に男性を呼んでもらい、一線を越える女性が増えているのだとか」
「え!?」
「あなたも……誰かを待っていたのでしょう?」
「ええと……」
完全な勘違いだが、さっきの言い訳を全く信じていない彼に何を言えば信じてもらえるのだろうか。
言葉に詰まってフイイ様を見上げると、すっと目を細めて覆いかぶさるように顔を近付けてくる。
「あの、フイイ様、誤解…」
誤解です、と言い終わる前に、彼の唇が私のそれと重なった。
触れるだけだった。
それなのに私は驚きと、よく分からない感情でそのまま後ろに倒れこんだ。
柔らかいベッドが私を受け止める。
フイイ様は私の右手を握りしめたまま、私の上へと乗り上げてきた。
大きい体が真上にあると、全く動けなくなる。
「フイイ様、あの…」
フイイ様は私を見つめたまま私の右手の甲にキスをした後、再び顔を近付けてきた。
また、唇が重なる。
どうしてこんなことになったのかと混乱している間に、舌が入って来た。
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