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第7章
第77話 影の港へ
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作戦は即日決行と決まった。会議での議論は短時間で済んだ。猶予を与えれば、患者の命が失われるだけでなく、病は港を超えて広がる。時間が経つほど状況は悪化し、取り返しのつかない事態に陥る可能性が高い。
俺たちはその日の午後から、影の港へ向けた出発準備に取りかかった。港町の住民たちも、自分たちにできる限りの協力を申し出てくれた。食料の調達、装備の点検、船の整備など、町全体が一丸となって準備を進めている。
港の造船所では、防衛隊所有の小型軍船が係留されていた。この船は沿岸警備用に設計されており、船足は速く、喫水も浅いため暗礁地帯の航行に向いている。船体は細身で機動性に優れ、急な方向転換も可能だ。
ただし積載量は限られ、物資の選別は慎重に行う必要があった。無駄な荷物を積めば船の機動性を損ない、必要な物資が不足すれば任務の遂行に支障をきたす。
「食料は五日分、水は七日分……武器と薬はこれが限界」
リィナが木箱の中身を確認し、手際よく分けていく。彼女の動作は無駄がなく、長年の経験に裏打ちされた効率性を感じさせる。薬草と乾燥保存された薬剤は、彼女が持参する大きな革袋に詰められた。その動作には、一切の迷いがなかった。
薬剤の種類は多岐にわたり、解毒剤、鎮痛剤、傷薬、さらには未知の毒に対する実験的な薬品まで含まれている。リィナの薬学知識の広さと、今回の任務への真剣さが窺える準備だった。
バルグは、槍と斧を二本ずつ持ち込み、さらに予備の縄と鉄製の鉤爪を背負ってきた。重装備だが、彼の巨体には似合っている。
「暗礁の上陸戦もあるだろう? こういうのが役に立つんだぜ」
彼は笑いながらも、刃先の手入れを念入りに行っていた。武器に対する愛着と、戦闘への真摯な姿勢が伝わってくる。砥石で丁寧に刃を研ぎ、柄の握り具合を何度も確認している。
俺の装備は軽装だ。医療用の道具と、簡単な防護具、それに非常用の食料が少々。戦闘は仲間に任せ、俺は偵察と医療支援に徹する予定だった。
◆
準備の合間にも、患者の容態は刻一刻と悪化していった。防衛隊の衛生兵たちが必死に看病を続けるが、薬の効果は一時的でしかない。根本的な治療法が見つからない限り、対症療法では限界がある。
港の空気は薬草と消毒液の匂いに満ち、あちこちで押し殺した咳が響いていた。住民たちは不安を隠しきれずにいるが、それでも日常生活を続けようと努力している。子供たちの声は普段より小さく、大人たちの表情も硬い。
出発直前、港の入り口で住民たちが集まって見送りに来てくれた。顔色の優れない者も多いが、その目には確かな期待と信頼が宿っている。俺たちが港の希望を背負っていることを、改めて実感させられる瞬間だった。
「必ず帰ってきてくださいね」
「病気を止めて……港を救って……」
年配の女性や若い母親たちの声が、海風に混じって聞こえてくる。その声に、胸の奥が熱くなる。この人たちを守るために、俺たちは行くのだ。失敗は許されない。
中でも、最初に発症した漁師の妻が前に出てきて、深く頭を下げた。
「主人を……みんなを助けてください」
その言葉に、俺たちは改めて決意を固めた。必ず治療法を見つけ、敵の野望を阻止してみせる。
◆
夜が深まり、港は静まり返った。普段なら酒場や食堂から聞こえる笑い声も、今夜は控えめだ。出航は夜明け前――潮の流れが変わる一瞬を狙い、危険海域へ入る計画だ。
甲板の上に立つと、潮騒とマストのきしむ音が心地よく響く。船は港の防波堤に係留されており、出航の時を静かに待っている。船乗りたちは最後の点検を行い、航海の安全を祈っていた。
空には雲が少なく、星明かりが海面を銀色に照らしていた。天候は良好で、航海には適している。風向きも安定しており、順調に進めばどうにか目的地に到達できるだろう。
帆が風を受け、船はゆっくりと港を離れていく。陸の灯りが遠ざかるにつれ、海は静かで広大な闇に変わっていった。港町の温かい光が小さな点となり、やがて完全に見えなくなる。
振り返ると、港の灯台だけが遠くで点滅を続けていた。まるで「必ず帰って来い」と言っているかのようだった。
「ここから先は、地図にない海だ」
舵を握る防衛隊の航海士が低く呟く。彼は長年この海域で働いてきたベテランだが、今回の航路には不安を隠せずにいる。
「潮も風も気まぐれに変わる。目印は星と勘だけだ」
その言葉に、船上の空気が一段と引き締まった。これから向かうのは、正規の海図にも載っていない未知の海域だ。危険と隣り合わせの航海になることは間違いない。
リィナは船縁に立ち、海図を再度確認していた。星座の位置と座標を照らし合わせ、航路を慎重に計算している。バルグは武器の最終点検を行い、いつでも戦闘に対応できる態勢を整えていた。
◆
数時間後、東の空がわずかに白み始めたころ、周囲の海に変化が現れた。海面の色が深い青から鈍い黒へと変わり、波の動きが不自然に渦を巻き始めている。水温も微妙に下がり、海の匂いも変わってきた。
所々に暗礁が顔を出し、海鳥が一羽も飛んでいない。普段なら餌を求めて群れをなすカモメやウミネコの姿が、全く見当たらない。まるで生き物が本能的に避けているかのような、不気味な静寂が漂っている。
「妙だな……風が止まった」
バルグが低く呟く。確かに、それまで帆を膨らませていた風が急に弱くなり、海面もべたりと静まり返っている。不自然な静けさが、逆に不安感を煽っていた。
俺は翼を広げ、上空から周囲を確認した。鷲の視力で広範囲を見渡すと、異常な光景が目に飛び込んできた。
すると――海霧の向こうに、黒い影が滑るように移動しているのが見えた。細長い船体、低い甲板……偵察船だ。明らかに軍事用の船舶で、隠密行動に特化した設計になっている。
霧の向こうから、かすかな金属音が響く。櫂の音か、それとも武器を準備する音か。まるで、見えない敵がこちらの動きを測っているかのようだった。
俺は急いで船に戻り、仲間たちに状況を報告した。
「敵の偵察船がいる。こちらに気づいているかもしれない」
その報告を聞いた航海士の顔が青ざめた。
「まずいな……この海域で敵と遭遇するのは最悪のパターンだ」
(……もう、見つかっている)
影の港へ辿り着く前に、最初の障害が現れた。敵の警戒網は想像以上に厳重で、この海域全体が監視下に置かれている可能性がある。
リィナが地図を畳みながら、冷静に状況を分析した。
「予想通りね。重要な拠点なら、当然警備も厳重よ。でも、逆に言えば私たちの推測が正しい証拠でもある」
バルグは武器を手に取り、戦闘準備を整えた。
「やるしかねぇな。ここで引き返すわけにはいかねぇ」
俺たちの本格的な戦いが、ついに始まろうとしていた。この先に待ち受けるのは、これまで以上に危険で困難な戦いだ。しかし、港町の人々を救うためには、何としても前進しなければならない。
海霧が濃くなり、視界がさらに悪くなってきた。敵の船影は見えなくなったが、その存在は確実に感じられる。緊張感が船全体を包み込み、全員が次の瞬間に備えて身構えていた。
俺たちはその日の午後から、影の港へ向けた出発準備に取りかかった。港町の住民たちも、自分たちにできる限りの協力を申し出てくれた。食料の調達、装備の点検、船の整備など、町全体が一丸となって準備を進めている。
港の造船所では、防衛隊所有の小型軍船が係留されていた。この船は沿岸警備用に設計されており、船足は速く、喫水も浅いため暗礁地帯の航行に向いている。船体は細身で機動性に優れ、急な方向転換も可能だ。
ただし積載量は限られ、物資の選別は慎重に行う必要があった。無駄な荷物を積めば船の機動性を損ない、必要な物資が不足すれば任務の遂行に支障をきたす。
「食料は五日分、水は七日分……武器と薬はこれが限界」
リィナが木箱の中身を確認し、手際よく分けていく。彼女の動作は無駄がなく、長年の経験に裏打ちされた効率性を感じさせる。薬草と乾燥保存された薬剤は、彼女が持参する大きな革袋に詰められた。その動作には、一切の迷いがなかった。
薬剤の種類は多岐にわたり、解毒剤、鎮痛剤、傷薬、さらには未知の毒に対する実験的な薬品まで含まれている。リィナの薬学知識の広さと、今回の任務への真剣さが窺える準備だった。
バルグは、槍と斧を二本ずつ持ち込み、さらに予備の縄と鉄製の鉤爪を背負ってきた。重装備だが、彼の巨体には似合っている。
「暗礁の上陸戦もあるだろう? こういうのが役に立つんだぜ」
彼は笑いながらも、刃先の手入れを念入りに行っていた。武器に対する愛着と、戦闘への真摯な姿勢が伝わってくる。砥石で丁寧に刃を研ぎ、柄の握り具合を何度も確認している。
俺の装備は軽装だ。医療用の道具と、簡単な防護具、それに非常用の食料が少々。戦闘は仲間に任せ、俺は偵察と医療支援に徹する予定だった。
◆
準備の合間にも、患者の容態は刻一刻と悪化していった。防衛隊の衛生兵たちが必死に看病を続けるが、薬の効果は一時的でしかない。根本的な治療法が見つからない限り、対症療法では限界がある。
港の空気は薬草と消毒液の匂いに満ち、あちこちで押し殺した咳が響いていた。住民たちは不安を隠しきれずにいるが、それでも日常生活を続けようと努力している。子供たちの声は普段より小さく、大人たちの表情も硬い。
出発直前、港の入り口で住民たちが集まって見送りに来てくれた。顔色の優れない者も多いが、その目には確かな期待と信頼が宿っている。俺たちが港の希望を背負っていることを、改めて実感させられる瞬間だった。
「必ず帰ってきてくださいね」
「病気を止めて……港を救って……」
年配の女性や若い母親たちの声が、海風に混じって聞こえてくる。その声に、胸の奥が熱くなる。この人たちを守るために、俺たちは行くのだ。失敗は許されない。
中でも、最初に発症した漁師の妻が前に出てきて、深く頭を下げた。
「主人を……みんなを助けてください」
その言葉に、俺たちは改めて決意を固めた。必ず治療法を見つけ、敵の野望を阻止してみせる。
◆
夜が深まり、港は静まり返った。普段なら酒場や食堂から聞こえる笑い声も、今夜は控えめだ。出航は夜明け前――潮の流れが変わる一瞬を狙い、危険海域へ入る計画だ。
甲板の上に立つと、潮騒とマストのきしむ音が心地よく響く。船は港の防波堤に係留されており、出航の時を静かに待っている。船乗りたちは最後の点検を行い、航海の安全を祈っていた。
空には雲が少なく、星明かりが海面を銀色に照らしていた。天候は良好で、航海には適している。風向きも安定しており、順調に進めばどうにか目的地に到達できるだろう。
帆が風を受け、船はゆっくりと港を離れていく。陸の灯りが遠ざかるにつれ、海は静かで広大な闇に変わっていった。港町の温かい光が小さな点となり、やがて完全に見えなくなる。
振り返ると、港の灯台だけが遠くで点滅を続けていた。まるで「必ず帰って来い」と言っているかのようだった。
「ここから先は、地図にない海だ」
舵を握る防衛隊の航海士が低く呟く。彼は長年この海域で働いてきたベテランだが、今回の航路には不安を隠せずにいる。
「潮も風も気まぐれに変わる。目印は星と勘だけだ」
その言葉に、船上の空気が一段と引き締まった。これから向かうのは、正規の海図にも載っていない未知の海域だ。危険と隣り合わせの航海になることは間違いない。
リィナは船縁に立ち、海図を再度確認していた。星座の位置と座標を照らし合わせ、航路を慎重に計算している。バルグは武器の最終点検を行い、いつでも戦闘に対応できる態勢を整えていた。
◆
数時間後、東の空がわずかに白み始めたころ、周囲の海に変化が現れた。海面の色が深い青から鈍い黒へと変わり、波の動きが不自然に渦を巻き始めている。水温も微妙に下がり、海の匂いも変わってきた。
所々に暗礁が顔を出し、海鳥が一羽も飛んでいない。普段なら餌を求めて群れをなすカモメやウミネコの姿が、全く見当たらない。まるで生き物が本能的に避けているかのような、不気味な静寂が漂っている。
「妙だな……風が止まった」
バルグが低く呟く。確かに、それまで帆を膨らませていた風が急に弱くなり、海面もべたりと静まり返っている。不自然な静けさが、逆に不安感を煽っていた。
俺は翼を広げ、上空から周囲を確認した。鷲の視力で広範囲を見渡すと、異常な光景が目に飛び込んできた。
すると――海霧の向こうに、黒い影が滑るように移動しているのが見えた。細長い船体、低い甲板……偵察船だ。明らかに軍事用の船舶で、隠密行動に特化した設計になっている。
霧の向こうから、かすかな金属音が響く。櫂の音か、それとも武器を準備する音か。まるで、見えない敵がこちらの動きを測っているかのようだった。
俺は急いで船に戻り、仲間たちに状況を報告した。
「敵の偵察船がいる。こちらに気づいているかもしれない」
その報告を聞いた航海士の顔が青ざめた。
「まずいな……この海域で敵と遭遇するのは最悪のパターンだ」
(……もう、見つかっている)
影の港へ辿り着く前に、最初の障害が現れた。敵の警戒網は想像以上に厳重で、この海域全体が監視下に置かれている可能性がある。
リィナが地図を畳みながら、冷静に状況を分析した。
「予想通りね。重要な拠点なら、当然警備も厳重よ。でも、逆に言えば私たちの推測が正しい証拠でもある」
バルグは武器を手に取り、戦闘準備を整えた。
「やるしかねぇな。ここで引き返すわけにはいかねぇ」
俺たちの本格的な戦いが、ついに始まろうとしていた。この先に待ち受けるのは、これまで以上に危険で困難な戦いだ。しかし、港町の人々を救うためには、何としても前進しなければならない。
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