あなたが読むかぎり

川原源明

文字の大きさ
39 / 46
第2章 ウブカタバコ ―言葉にしてはいけない箱―

第39話 理久のノート

しおりを挟む
 夜の校舎は、ひどく静かだった。

 職員室の明かりは落ち、廊下には誰の足音もない。

 教室の窓ガラス越しに見える月だけが、薄く世界を照らしていた。

 ひなたは、旧図書準備室のドアをノックした。

 ここは、理久が時折ひとりで籠もっていた場所。

 図書室の裏手にある、使われていない書架室。鍵は壊れていて、押せば開いた。

 彼はそこにいた。

「……理久」

 顔を上げた理久は、ほんのわずか目を細めたが、それ以上は何も言わなかった。

 テーブルの上には、開かれたノートが数冊。すべて、彼が書いたものだった。

「……来たのか。予想通りだな」

「“語られない物語”を書いた。でも、それだけじゃ終われない気がして。あんたの言ってた、“断絶”ってやつ……それが、ほんとうに可能なのか知りたくて」

 理久は黙ったまま、手元のノートを一冊手に取った。

 そこには、細かくびっしりと記号や線、図形が描かれていた。

「これは、俺が“語られない情報”の形式についてまとめたものだ。情報ってのは、形式を通してしか伝わらない。だから逆に、形式の構造そのものを“閉じる”ことができれば、情報はその時点で止まる」

「それが、“語られないための物語”?」

「ああ。ただし、問題は“人間の記憶”だ。一度でも誰かがその構造に触れたら、“意味”に変換されてしまう可能性がある。どれだけ意味を欠いた形式でも、誰かの心が意味を拾ってしまう限り、語りは再開される」

 ひなたは、静かにノートを差し出した。

 自分が今日一日かけて書き上げた、“語らない物語”。

「これ、読んで」

「……いいのか?」

「うん。もしあんたが、これを“意味として読めない”なら、たぶんこれは成功してる。伝わらないことで、伝えたいことが届くなら、それでいい」

 理久は黙ってノートを開き、数ページをめくった。

 しばらくして、口を開く。

「これは……読めない。文章じゃない。でも、変なことに──“何かを思い出しそうな感覚”はある」

「それで、いいんだと思う」

 ひなたは、深く息をついた。

「これ以上“語られる”必要はない。これは、誰にも語られなかった物語として、閉じるための器。たぶん、最初から私たちは“語りすぎた”んだよ」

 理久は、うっすらと口角を上げた。

「面倒な方向に育ったな、お前……」

「……誰のせいだと思ってんのよ」

 ふたりの間に、小さな沈黙が落ちた。

 それは、初めて“言葉が要らない”と感じられる時間だった。

 その夜、ひなたの見る夢には、誰の声もなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

天才ダウト! 〜天然な俺と、天然じゃない弟クンの、受験二人三脚〜

沼津平成@25周年カップ参加中
ミステリー
俺と弟。それぞれ違う高校受験を控えた2人が、勉強の傍ら編み出したのが「推理ゲーム」相手がそれぞれ超ムズ問題を作成して、とき合うゲーム。それはただの遊びだったはずが、母親・父親・そしてネコまでも介入してきて——!? こんなの”青春推理"じゃない? ダウト! 笑いとサスペンスが混じり合う、インドアな青春物語っ!!  全20回くらいで完結予定!

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

出戻り娘と乗っ取り娘

瑞多美音
恋愛
望まれて嫁いだはずが……  「お前は誰だっ!とっとと出て行け!」 追い返され、家にUターンすると見知らぬ娘が自分になっていました。どうやら、魔法か何かを使いわたくしはすべてを乗っ取られたようです。  

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...