あなたが読むかぎり

川原源明

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第2章 ウブカタバコ ―言葉にしてはいけない箱―

第40話 沈黙の連鎖

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 翌朝、ひなたは不思議なほど、目覚めがすっきりしていた。

 久しぶりに、何も夢を見なかった──それだけで、世界がほんの少し澄んで感じられた。

 学校へ向かう通学路。

 交差点の向こうから春日が歩いてくるのが見えた。

「……おはよう。今日、ちょっと顔が軽そうだね」

「たぶんね。いろいろ終わった気がする」

「“書いた”んだよね。物語、というか、語られないやつ」

「うん。それを理久に読ませた。……いや、“見せた”って言ったほうが正しいかな」

 春日は足を止めた。

 朝の光が、通学路のアスファルトに淡く反射している。

「ねえ、それって……もう誰にも広がらないってこと?」

「わからない。でも、構造は閉じたと思う。誰も“意味”を拾えなければ、それはただの沈黙。けれど、もし誰かがそれを“語ろう”としたら、また始まるかもしれない」

「……つまり、“次があるかどうか”は読んだ人の受け取り方次第ってこと?」

「うん。でも、そこに“責任”はない。だって、誰にも語らせてないんだから。語りたいなら、勝手に語ればいい。私はもう語らない。それだけ」

 春日は、黙って頷いた。

 二人は学校の門をくぐる。

 そこにはいつもと変わらぬ朝の空気が広がっていた。

 クラスメイトの話し声、部活の朝練のかけ声、先生の怒鳴り声。

 けれど、ひなたの目には、それが少し違って見えていた。

 誰も彼も、“語っていない”。

 まるで、この世界にはもともと“語るべき何か”などなかったかのように。

 昼休み。

 ひなたは春日とともに、図書室の奥へ足を運ぶ。

 その一角、誰も近づかない棚の裏に、小さな木箱が置かれていた。

「……誰も触ってない」

「うん。たぶん、もう“触れる意味”がないから」

 それは、例の箱──呪いの器、“ウブカタバコ”と呼ばれたもの。

 だが今、それはただの古びた木箱にすぎなかった。

 語られることを拒絶された存在は、ただの“物体”に還元される。

 春日がそっと手をかけたが、開けはしなかった。

「もう、これを語る人はいない?」

「“語ってしまった人”なら、どこかにいるかもしれない。でも、もう私たちじゃない。私たちは“語らなかった人”になるって、決めたんだ」

 二人は静かにその場を離れた。

 その背後で、誰も開けない木箱は静かに佇んでいた。

 その日以降、ひなたの周囲で“夢”の話をする者はいなくなった。

 誰も思い出さず、誰も語らない。

 ──だが、理久のノートの一番最後のページだけは、空白のまま、開かれていた。

『語られなかった物語は、語りの構造そのものを静かに再起動させる。沈黙の中に、新たな語り手が芽吹くだろう。いつか、どこかで。』
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