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川原源明

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第3章 トオミサマ ―視線の檻―

第47話 視線汚染

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 その昼休み、教室はざらついた空気に包まれていた。

 ひなたが描いた絵と、理久の解析が示した通り──“視せられた”のだ。視線の主導権が、彼女に移ったのだった。

 視線汚染──それは、意図されず“視られる構造”に組み込まれた者が、自分を媒介にして他者を“視せる”状態。

 感染は記録ではなく、視覚そのものの揺らぎによって波及する。

 ひなたは絵を握りしめ、呼吸が乱れていた。

 あの影が写った瞬間、教室後方で椅子が倒れる音がした。誰かが気絶。声も出せず机につっぷしている。

 理久は即座に指示した。

「廊下へ出ろ。全員、教室を出ろ。一歩たりともここには残るな」

 彼の声は冷静だったが、その眼は怯えていた。そこには、“自分の視界がすでに別の誰かのものになった”恐ろしさが映っていた。

 生徒たちがざわざわと廊下に出される。

 ひなたはその最後尾にいた。友人や知らないクラスメイトも同様に、誰かの視線の端にいるように動揺していた。

 理久は机に残したノートを拾い上げ、後ろで支えていた椅子を抱えた。

 彼はひなたの肩に軽く触れ、込み上げる不安を抑えるように言った。

「──大丈夫だ、ここからだ」

 そのとき、教室の黒板に貼られていたポスターの一枚が、風もないのにひらりと落ちた。

 その裏に、長い影が映っている。しかも、視線ばかりか“距離そのもの”も変化していた。

 ひなたは奥歯を噛みしめた。

 この感染は、物理的な視線ではなく“距離感のズレ”から生じている。

 自分が主導権を持つ視線=“見せる側”となったとき、視線の距離と時間軸が壊れる。

 廊下に出た生徒たちは、互いに視線を合わせることすらためらっていた。

 誰が視られていて、誰が視せられているのか、もはやわからない。

 理久が声をかける。

「ひなた、校舎裏に行こう。古い空き教室が使えるはずだ」

 ひなたは黙って頷いた。

 階段を抜け、人気の途絶えた渡り廊下を渡り、錆びたドアを開けると、そこには埃っぽい空気とまとわりつく静寂があった。

 机と椅子が無造作に置かれているだけの空間。でも、ここなら──視線の外を意図的に構築できる。

 理久はノートを開き、指で白いページを指した。

「これが“視せる構造”のメモだ。見て書いた視線の配列、角度、時間軸を書き換える方法。それで、“視される脳内ループ”を破壊できるかもしれない」

 ひなたはページを見つめた。びっしりと記号、矢印、注釈。すべてが“構造としての視線”を連鎖させない設計だった。

 しかし──

 その瞬間、空気がぴたりと止まり、ドアの向こうで足音が響いた。小さな踏み音。

 ドアが、わずかに振動する。

 理久が息を吐いた。
「来た──“視せられる存在”が近づいている。距離が割れている、ひなたの視界から構造が漏れてる」

 怖さより先に、怒りが湧いた。

 ──誰かが、ひなたの視線構造を奪おうとしているのか。視線汚染は制御不能ではないはずだ。

 理久は立ち上がり、ノートとペン、描いた絵、そして媒体(録画装置)をバッグに詰めた。
「移動するぞ。今度は“書く”場所だ。“視せられる脳”を圧倒するために、視線を言葉に変換する」

 ひなたはうなずき、バッグを持った。

 その瞬間──空き教室の窓に、長身の白影がじっと映った。

 揺れる腕。そして、不気味に空いた“目のない顔”。

 ──そして想起されるのは、自分があの影の視角に取り込まれる予感だった。

 彼ら(視せる者)の視線が、自動で誰かの内側に再構成され続ける「視線汚染」。

 それでも、ひなたにはまだ“構造を変える言葉”がある。

 “書くことによって視る構造を染め直す”──

 次に向かうのは、誰かの脳を“視せられる構造から言語構造へ転換”するための場所。

 理久とひなたは、静かに空き教室を離れた。

 だが──彼女の身体には、影の視線がすでに組み込まれていた。
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