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第2章 藍の眼と月詠の探偵
第36話 月下の断罪者
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炎の月詠が響いた瞬間、世界が赤に染まった。空気が熱を帯び、炎は意思をもったように、少しずつ膨らんでいく。藤堂は思わず後ずさるが、炎は「逃さない」とでも言うように、彼を一瞬で飲み込んだ。
炎の勢いに、藍良が大きく目を見開いたそのとき、空間が音を立てた。いたるところに亀裂が生じたかと思えば、ガラスが割れるような「パンッ」と鋭い音が響き、目の前に穴がぽっかりと開いた。周囲の光景は一気にしぼみ、その穴へと吸い込まれていく。藍良の身体もまた、強烈な引力に引き寄せられていった。
轟音の中、藍良は固く目を閉じる。数秒後、穴から飛び出した藍良は、背中から地面に叩きつけられた。痛みに顔をしかめながら、ゆっくりと起き上がると、そこは、見慣れた体育準備室だった。
「……うう」
低い呻き声が聞こえ、藍良は振り返る。床に倒れていたのは藤堂だった。衣服の端がわずかに焦げている。だが、肌には火傷の痕はひとつもない。どうやらただ気を失っているだけのようだ。
藍良は息を整えながら起き上がり、体育準備室の小窓に手をかけた。そっと開けると、ほんのりと温かい空気が流れ込んでくる。藍良は床に転がっていた野球ボールを拾い上げ、窓の外へと投げた。ボールは風を切り、鈍い音を立ててそのまま地面へと落ちる。野球ボールは消滅しなかった。ということは……。
──ここは「虚映の世界」じゃない。
そう確信して、藍良はふにゃりとその場に座り込んだ。どうやら、無事に現実世界に帰ってきたらしい。
だがそのとき、不意に藍良の頭の片隅に、ユエの言葉が浮かんだ。
──人を超えた神気を宿している者は、この世界には入れない
神気を宿すものが「虚映の世界」に入れないなら……それが本当ならわたしも──。
そこまで考えたところで、藍良は小さく首を振った。今、そんなことを考えても仕方がない。ここに戻れた。それだけで十分だ。あと少しで千景にも、タマオや兼翔にも会える。そう確信できただけで、心は随分軽やかになった。
藍良は棚の上に置かれたクライミングロープに手を伸ばす。そして、藤堂の身体を起こし、しっかりとグルグル巻きにした。自分ひとりでは決してほどけないように。
「これで良し」
藍良はにんまり笑うと、手についた埃を払って立ち上がり、体育準備室を出た。廊下はすっかり暗くなっていた。スマホの画面をつけると、時刻は午後六時。職員室やいくつかの部室にはまだ灯りが点いているが、人気はまるで感じられない。
藍良は歩きながら千景を探す。だが、十分ほど探しても見当たらなかった。まだ空間転移の世界にいるのだろうか。うまいこと、現実世界に自分と藤堂が戻ってきたことを伝えられればいいのだが。
そんな考えがよぎったとき、「3年A組」の前──藍良の教室の前を通りかかった。千景がいるかもしれないと、教室の扉に手をかけた次の瞬間、背後から微かな足音がした。
藍良は反射的に振り返る。
そこに立っていたのは、同じクラスの優等生・音羽莉比人だった。彼の姿を見た瞬間、藍良の胸がドキリと跳ねる。
「あれ?水無瀬……さん。こんな時間にどうしたの?」
柔らかい声。藍良は一瞬目を泳がせ、作り笑いを浮かべる。
「ちょっと、ね。人を探してて。……じゃあ」
逃げるように歩き出したその背に、音羽の声が響く。
「もしかして、白月君?」
藍良の足が止まった。
「さっき見たよ。体育準備室近くで。転校生の橘君と一緒にいたよ」
橘……。兼翔のことか。
藍良は息を小さく吐き、短く答える。
「そっか。ありがとう」
振り返らずに歩き出そうとする藍良。だが……。
「水無瀬さん」
低い声が再び響いた。
「……なに?」
「逆だよ」
「え?」
「体育準備室。そっちは行き止まり。こっちから戻らないと、行けないよ」
藍良は唇を噛んだ。そうなのだ。体育準備室へ行くには、振り返り、突き当りの階段を降りなければならない。だが、どうしても抵抗があったのだ。
振り返ること。
というよりも、音羽の前を歩くことに。
心臓の鼓動が、じわじわと速まっていく。
これは罠なのか。それとも、ただの思い過ごしなのか。
答えが出ないまま、藍良はふうっと息を吐いて、覚悟を決めた。
藍良は静かに振り返り、音羽を見た。黒髪と黒ぶち眼鏡が目元を覆い、表情までは窺えない。
「あんた……随分遅い時間まで学校にいるんだね」
藍良の声は乾いていた。音羽はゆっくりと口角を上げて、微笑む。
「期末テストが近いでしょ?女子たちに教えて欲しいって頼まれて」
そう言うと、音羽は一歩、藍良に近づいた。
「近づかないで」
反射的に飛び出た声。自分でも驚くほど、低くて硬い声だった。その声を受け、音羽は動きを止める。
「本当は、ずっと見てたんでしょ?虚映の世界を」
「虚映の……世界?」
「すっとぼけるのもいい加減にしな」
きっぱりと言い放った藍良に音羽は肩をビクつかせた。藍良は拳をぎゅっと握り、一歩踏み出す。
「あんたがこの学園から『虚映の世界』……私と藤堂先生を覗いていたこと。ずっと前からうちのクラスに紛れ込んでいたこと。そんでもって──」
月明かりに照らされ、藍色の目が鋭く光る。
「あんたが、この学園の人たちを死に追いやった張本人──ユエだってことは、とっくにお見通しなんだから」
一瞬、空気が凍った。
数秒の沈黙のあと、音羽はゆっくりと顔を上げ、窓へと身体を向けた。窓から差し込む月明かりが、黒髪と眼鏡の縁をなぞる。
露わとなった音羽の瞳は、月光を受けて銀色に輝いていた。彼は煌びやかな瞳を藍良へと向ける。そして、藍良を横目で見るなり、にやりと不気味に笑った。
炎の勢いに、藍良が大きく目を見開いたそのとき、空間が音を立てた。いたるところに亀裂が生じたかと思えば、ガラスが割れるような「パンッ」と鋭い音が響き、目の前に穴がぽっかりと開いた。周囲の光景は一気にしぼみ、その穴へと吸い込まれていく。藍良の身体もまた、強烈な引力に引き寄せられていった。
轟音の中、藍良は固く目を閉じる。数秒後、穴から飛び出した藍良は、背中から地面に叩きつけられた。痛みに顔をしかめながら、ゆっくりと起き上がると、そこは、見慣れた体育準備室だった。
「……うう」
低い呻き声が聞こえ、藍良は振り返る。床に倒れていたのは藤堂だった。衣服の端がわずかに焦げている。だが、肌には火傷の痕はひとつもない。どうやらただ気を失っているだけのようだ。
藍良は息を整えながら起き上がり、体育準備室の小窓に手をかけた。そっと開けると、ほんのりと温かい空気が流れ込んでくる。藍良は床に転がっていた野球ボールを拾い上げ、窓の外へと投げた。ボールは風を切り、鈍い音を立ててそのまま地面へと落ちる。野球ボールは消滅しなかった。ということは……。
──ここは「虚映の世界」じゃない。
そう確信して、藍良はふにゃりとその場に座り込んだ。どうやら、無事に現実世界に帰ってきたらしい。
だがそのとき、不意に藍良の頭の片隅に、ユエの言葉が浮かんだ。
──人を超えた神気を宿している者は、この世界には入れない
神気を宿すものが「虚映の世界」に入れないなら……それが本当ならわたしも──。
そこまで考えたところで、藍良は小さく首を振った。今、そんなことを考えても仕方がない。ここに戻れた。それだけで十分だ。あと少しで千景にも、タマオや兼翔にも会える。そう確信できただけで、心は随分軽やかになった。
藍良は棚の上に置かれたクライミングロープに手を伸ばす。そして、藤堂の身体を起こし、しっかりとグルグル巻きにした。自分ひとりでは決してほどけないように。
「これで良し」
藍良はにんまり笑うと、手についた埃を払って立ち上がり、体育準備室を出た。廊下はすっかり暗くなっていた。スマホの画面をつけると、時刻は午後六時。職員室やいくつかの部室にはまだ灯りが点いているが、人気はまるで感じられない。
藍良は歩きながら千景を探す。だが、十分ほど探しても見当たらなかった。まだ空間転移の世界にいるのだろうか。うまいこと、現実世界に自分と藤堂が戻ってきたことを伝えられればいいのだが。
そんな考えがよぎったとき、「3年A組」の前──藍良の教室の前を通りかかった。千景がいるかもしれないと、教室の扉に手をかけた次の瞬間、背後から微かな足音がした。
藍良は反射的に振り返る。
そこに立っていたのは、同じクラスの優等生・音羽莉比人だった。彼の姿を見た瞬間、藍良の胸がドキリと跳ねる。
「あれ?水無瀬……さん。こんな時間にどうしたの?」
柔らかい声。藍良は一瞬目を泳がせ、作り笑いを浮かべる。
「ちょっと、ね。人を探してて。……じゃあ」
逃げるように歩き出したその背に、音羽の声が響く。
「もしかして、白月君?」
藍良の足が止まった。
「さっき見たよ。体育準備室近くで。転校生の橘君と一緒にいたよ」
橘……。兼翔のことか。
藍良は息を小さく吐き、短く答える。
「そっか。ありがとう」
振り返らずに歩き出そうとする藍良。だが……。
「水無瀬さん」
低い声が再び響いた。
「……なに?」
「逆だよ」
「え?」
「体育準備室。そっちは行き止まり。こっちから戻らないと、行けないよ」
藍良は唇を噛んだ。そうなのだ。体育準備室へ行くには、振り返り、突き当りの階段を降りなければならない。だが、どうしても抵抗があったのだ。
振り返ること。
というよりも、音羽の前を歩くことに。
心臓の鼓動が、じわじわと速まっていく。
これは罠なのか。それとも、ただの思い過ごしなのか。
答えが出ないまま、藍良はふうっと息を吐いて、覚悟を決めた。
藍良は静かに振り返り、音羽を見た。黒髪と黒ぶち眼鏡が目元を覆い、表情までは窺えない。
「あんた……随分遅い時間まで学校にいるんだね」
藍良の声は乾いていた。音羽はゆっくりと口角を上げて、微笑む。
「期末テストが近いでしょ?女子たちに教えて欲しいって頼まれて」
そう言うと、音羽は一歩、藍良に近づいた。
「近づかないで」
反射的に飛び出た声。自分でも驚くほど、低くて硬い声だった。その声を受け、音羽は動きを止める。
「本当は、ずっと見てたんでしょ?虚映の世界を」
「虚映の……世界?」
「すっとぼけるのもいい加減にしな」
きっぱりと言い放った藍良に音羽は肩をビクつかせた。藍良は拳をぎゅっと握り、一歩踏み出す。
「あんたがこの学園から『虚映の世界』……私と藤堂先生を覗いていたこと。ずっと前からうちのクラスに紛れ込んでいたこと。そんでもって──」
月明かりに照らされ、藍色の目が鋭く光る。
「あんたが、この学園の人たちを死に追いやった張本人──ユエだってことは、とっくにお見通しなんだから」
一瞬、空気が凍った。
数秒の沈黙のあと、音羽はゆっくりと顔を上げ、窓へと身体を向けた。窓から差し込む月明かりが、黒髪と眼鏡の縁をなぞる。
露わとなった音羽の瞳は、月光を受けて銀色に輝いていた。彼は煌びやかな瞳を藍良へと向ける。そして、藍良を横目で見るなり、にやりと不気味に笑った。
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