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第3章 心に棲む者と審問の楔
第57話 藍良、怒りの口火
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百年前──。
片寄藍良は、黒曜石のように鈍く光る巨大な門をくぐり抜けた。案内人の死神審問官・千景に導かれ、無言のまま石畳の道を進む。すれ違う者たち──いや、正確には“死神”たちは、皆千景と同じ黒装束をまとい、感情の読めない無機質な表情をしていた。
やがて二人が辿り着いたのは、五階建ての煉瓦造りの棟。その古めかしい建物の中を千景はスタスタと歩き、壁の前で足を止めた。すると、壁は突如音を立て、扉のように重々しく開かれる。その中は四人ほど入れる小部屋のようだった。千景に促されるまま、藍良が足を踏み入れると、小部屋は「ガタン」と鳴り、静かに上昇を始めた。
──これ、部屋じゃなくて箱!?
上へ上へと昇っていく箱。
片寄藍良は自らが生きた明治の世にはない近代的な仕掛けに、思わず息を呑んだ。
そうして五階に着いた藍良は、再び千景の案内の元、暗い廊下を歩き続けた。廊下の灯りは、蝋燭のみ。ほの暗い灯りが漂う廊下はどこか湿っていて、不気味で辛気臭く感じられる。突き当りに着いたところで、千景は懐から錠前を取り出し、古い鍵穴へ差し込んだ。
軋む音とともに、扉が開く。
その先に広がっていたのは、それまでの陰鬱な空気とは違う、別世界の光景だった。
朱色の棚や家具、ソファーはどれもアンティーク調で、西洋の雰囲気を感じさせるものだった。藍良は、この空間に僅かな既視感を覚える。生前、友人と訪れた横浜のレストランにも、同じような趣の家具が並んでいたのだ。
千景は一脚の椅子を指し示しながら「おかけください」と促した。木製の脚には繊細な彫刻が施されており、背もたれの緩やかな曲線も相まって、なんとも優雅だ。藍良はその気品に戸惑いながら、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。すると、千景は机の上から黒革の書類挟みと万年筆を取り上げ、藍良の真正面に腰掛ける。
「どうしても確かめなければならないことがあります。あなたは、“精神干渉”の意味を、ご存知ではありませんか?」
あまりに唐突な問いに、藍良は首を傾げた。
「……知りません」
「本当に?」
「……そうですけど」
「本当に、本当に、本当ですか?」
三度にわたる千景の追撃。その淡々とした声色に、藍良は目を細めた。千景は不気味な笑みを浮かべたまま、じっと藍良の瞳を覗き込んで来る。窓からすっと吹き抜ける風とともに、奇妙な沈黙が流れた。
藍良はそんな千景を数秒間見つめ返していたが、圧に耐え切れず、やがて強めの声を上げる。
「知りません!」
藍良の静かな怒りを察したのか、千景は口を閉ざした。だが、彼の漆黒の瞳は、藍良を真っ直ぐ射抜いたままだ。
とはいえ、知らない言葉の意味など答えようがない。藍良は背もたれに身体を預け、少しうんざりしたように口を開いた。
「……あの、その精神なんちゃらって、何なんですか?」
だが、千景は答えず、手元の書類挟みに収められた和紙に、何やら書き始める。
「ちょっと、聞いてます?」
問いかけても、千景は数十秒もの間、視線すら向けてこない。
完全に無視されている。そう悟った瞬間、藍良は眉をひそめた。
ようやく千景は顔を上げ、形だけの笑みを浮かべたまま、淡々と告げる。
「では、次の質問です。あなたは、神社の娘として産まれ、巫女として一生を終えた。その中で、人々の怪我を癒す活動も続けていましたね?評判は広がり、遠方からあなたを訪ねて来る者が絶えなかったと報告を受けています。その“癒し”の力を得たのはいつごろですか?また、他にも何か力を使えるようになった実感は?……例えば黒い光。闇のような力が、掌を覆った感覚は?」
矢継ぎ早に言葉を続ける千景はの目は鋭く、とても冷たかった。
「あなたからは、うっすらですが闇の気配も感じます。人間だったはずのあなたが、なぜそんな気配を纏えるのか。実に奇妙です」
──闇の気配……。
思わぬ言葉に、藍良は目を丸くした。
そして、少し考えて答える。
「……えっと……人を癒す力は突然使えるようになったんです。時期ははっきり覚えてませんけど、多分十歳くらいからだと思います。せっかく使えるなら役に立てたほうがいいと思って、それで怪我人の治療を始めました。みんな喜んでくれるし。闇っていうのは、よくわかりません。それがいったい……」
藍良が尋ねようと口を開いた瞬間、千景は興味を失ったかのように視線を落とし、再び和紙にさらさらと筆を走らせる。
「あの……?」
小さく声をかける藍良。だが、千景の質問はすでに次の段階に移っていた。
「では、続いての質問です。あなたは人間ですが、人ならざる者──たとえば死神、あるいは人の言葉を話す蛇や犬、カラス……そういった存在と話したことはありますか?また、その存在から力を授かったような記憶はございませんか?」
ここまで来て、藍良はようやく悟った。この男がさっきからしていることは、尋問だ。質問の重ね方も、わざとらしいほど目の前で筆を走らせる仕草も、すべてが藍良に圧をかけている。
千景は、生前の藍良の犯した罪や積み上げた徳を精査して、今後の行き先を決めると話していた。だが、彼の聞き方は、まるで藍良が重大な罪を犯した犯罪者であるかのようだ。そう気付いた途端、心の奥底から怒りがじわりと沸き上がってきた。
──こっちは死んだばっかで気持ちの整理がついてねえってのに……この男、舐めんじゃねえわ。
気付くと、藍良は千景を鋭く睨みつけていた。
そしてこのあと、心の声がそのまま口から飛び出した。
片寄藍良は、黒曜石のように鈍く光る巨大な門をくぐり抜けた。案内人の死神審問官・千景に導かれ、無言のまま石畳の道を進む。すれ違う者たち──いや、正確には“死神”たちは、皆千景と同じ黒装束をまとい、感情の読めない無機質な表情をしていた。
やがて二人が辿り着いたのは、五階建ての煉瓦造りの棟。その古めかしい建物の中を千景はスタスタと歩き、壁の前で足を止めた。すると、壁は突如音を立て、扉のように重々しく開かれる。その中は四人ほど入れる小部屋のようだった。千景に促されるまま、藍良が足を踏み入れると、小部屋は「ガタン」と鳴り、静かに上昇を始めた。
──これ、部屋じゃなくて箱!?
上へ上へと昇っていく箱。
片寄藍良は自らが生きた明治の世にはない近代的な仕掛けに、思わず息を呑んだ。
そうして五階に着いた藍良は、再び千景の案内の元、暗い廊下を歩き続けた。廊下の灯りは、蝋燭のみ。ほの暗い灯りが漂う廊下はどこか湿っていて、不気味で辛気臭く感じられる。突き当りに着いたところで、千景は懐から錠前を取り出し、古い鍵穴へ差し込んだ。
軋む音とともに、扉が開く。
その先に広がっていたのは、それまでの陰鬱な空気とは違う、別世界の光景だった。
朱色の棚や家具、ソファーはどれもアンティーク調で、西洋の雰囲気を感じさせるものだった。藍良は、この空間に僅かな既視感を覚える。生前、友人と訪れた横浜のレストランにも、同じような趣の家具が並んでいたのだ。
千景は一脚の椅子を指し示しながら「おかけください」と促した。木製の脚には繊細な彫刻が施されており、背もたれの緩やかな曲線も相まって、なんとも優雅だ。藍良はその気品に戸惑いながら、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。すると、千景は机の上から黒革の書類挟みと万年筆を取り上げ、藍良の真正面に腰掛ける。
「どうしても確かめなければならないことがあります。あなたは、“精神干渉”の意味を、ご存知ではありませんか?」
あまりに唐突な問いに、藍良は首を傾げた。
「……知りません」
「本当に?」
「……そうですけど」
「本当に、本当に、本当ですか?」
三度にわたる千景の追撃。その淡々とした声色に、藍良は目を細めた。千景は不気味な笑みを浮かべたまま、じっと藍良の瞳を覗き込んで来る。窓からすっと吹き抜ける風とともに、奇妙な沈黙が流れた。
藍良はそんな千景を数秒間見つめ返していたが、圧に耐え切れず、やがて強めの声を上げる。
「知りません!」
藍良の静かな怒りを察したのか、千景は口を閉ざした。だが、彼の漆黒の瞳は、藍良を真っ直ぐ射抜いたままだ。
とはいえ、知らない言葉の意味など答えようがない。藍良は背もたれに身体を預け、少しうんざりしたように口を開いた。
「……あの、その精神なんちゃらって、何なんですか?」
だが、千景は答えず、手元の書類挟みに収められた和紙に、何やら書き始める。
「ちょっと、聞いてます?」
問いかけても、千景は数十秒もの間、視線すら向けてこない。
完全に無視されている。そう悟った瞬間、藍良は眉をひそめた。
ようやく千景は顔を上げ、形だけの笑みを浮かべたまま、淡々と告げる。
「では、次の質問です。あなたは、神社の娘として産まれ、巫女として一生を終えた。その中で、人々の怪我を癒す活動も続けていましたね?評判は広がり、遠方からあなたを訪ねて来る者が絶えなかったと報告を受けています。その“癒し”の力を得たのはいつごろですか?また、他にも何か力を使えるようになった実感は?……例えば黒い光。闇のような力が、掌を覆った感覚は?」
矢継ぎ早に言葉を続ける千景はの目は鋭く、とても冷たかった。
「あなたからは、うっすらですが闇の気配も感じます。人間だったはずのあなたが、なぜそんな気配を纏えるのか。実に奇妙です」
──闇の気配……。
思わぬ言葉に、藍良は目を丸くした。
そして、少し考えて答える。
「……えっと……人を癒す力は突然使えるようになったんです。時期ははっきり覚えてませんけど、多分十歳くらいからだと思います。せっかく使えるなら役に立てたほうがいいと思って、それで怪我人の治療を始めました。みんな喜んでくれるし。闇っていうのは、よくわかりません。それがいったい……」
藍良が尋ねようと口を開いた瞬間、千景は興味を失ったかのように視線を落とし、再び和紙にさらさらと筆を走らせる。
「あの……?」
小さく声をかける藍良。だが、千景の質問はすでに次の段階に移っていた。
「では、続いての質問です。あなたは人間ですが、人ならざる者──たとえば死神、あるいは人の言葉を話す蛇や犬、カラス……そういった存在と話したことはありますか?また、その存在から力を授かったような記憶はございませんか?」
ここまで来て、藍良はようやく悟った。この男がさっきからしていることは、尋問だ。質問の重ね方も、わざとらしいほど目の前で筆を走らせる仕草も、すべてが藍良に圧をかけている。
千景は、生前の藍良の犯した罪や積み上げた徳を精査して、今後の行き先を決めると話していた。だが、彼の聞き方は、まるで藍良が重大な罪を犯した犯罪者であるかのようだ。そう気付いた途端、心の奥底から怒りがじわりと沸き上がってきた。
──こっちは死んだばっかで気持ちの整理がついてねえってのに……この男、舐めんじゃねえわ。
気付くと、藍良は千景を鋭く睨みつけていた。
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