転生伯爵令嬢は2度死ぬ。(さすがに3度目は勘弁してほしい)

七瀬 巳雨

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仮面

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 速足でフィデリオは応接間へ戻る。
 ライラには余計な建前も、口から出そうな本音も、何も言わずただスマートに紳士らしく見送った。
 
 
 応接間に戻る…そのつもりだったが、キアラとレオ、あの2人はどんな話をするのか、自分がその場に居て良いのか判断がつかない。
 
 応接間の隣には資料室がある。
 2つの部屋は一見すると壁にしか見えない隠し扉で通じている。
 
 フィデリオはとりあえず資料室に入った。立ち聴き、など聞こえの悪いものでは無く、あくまで様子を伺うだけだ。
 すると、応接間へ続く隠し扉の前でもう1人、心配そうな顔つきで耳を澄ます人物が既にフィデリオの先を越していた。
 
『オナシス殿』
 そっと声を顰めてそうフィデリオは声を掛ける。
 
 胸の上まで伸びた栗色の髪、金に近い程明るい茶色の瞳で、彫刻のように秀麗な人物…
 
 オナシスと呼ばれた男はフィデリオが入って来た事に気付き、少しだけ両眉を上げた。
 たおやかな動作で人差し指を唇に当て、シーっと言う。
 
 フィデリオは軽く肩をすくめ、オナシスの隣で扉の向こうで何が起きてるか耳をそばだてる。
 
 あの2人…まさか幼い頃のように剣を取り出すなんて事は無いだろうが…
 フィデリオの頬に汗が滴った。
 
 
 
 
 
『…なぜあのような事を今仰せになられたのですか』
 
 レオは立ったまま、腰掛けたままのキアラの背に問い掛けた。
 
『全て本当のことでは無いか』
 キアラはレオを振り返らない。
『あれではまるで、私がライラ様を騙してこちらに連れて来たと勘違いされます』
 
 レオは感情を出さぬよう淡々と話した。
 
『…勘違い?
 何をそんなに焦っておるのだ』
 キアラが頭を後ろに逸らしながら振り返り、上目遣いでレオを見遣る。
 
『トロメイの願いを聞き入れるために、任された務めを全うしたのだからそれは良かろう。
 後が面倒だから色香で惑わすなとは忠告したが、あの婦人も自らの立場はよくよく弁えてるようだ』
 
 レオもキアラをじっと見つめる。
 見下ろすのは本来不敬だが、レオも跪く気は無い。
 
『コリン・ディオンの話はそなたも聞いたであろう。王国側には多くを伏せてるいるが。そなたが抱いてるものは哀れみか?同情か?』
 
 キアラの言葉にレオは拳をこれ以上ない程握りしめる。

 キアラはレオの逆鱗に触れたと察しても決して表情は変えない。それはレオも同じだった。
 コリン・ディオンの話、とは本人が話したザイラ・フェルゲインとの関係の事だ。
 
『恐れながら、それをお伝えするお相手は、キアラ様でなはいかと』
 
 キアラがふっと鼻で笑った。

『あの婦人だけはやめておけ。トロメイとてただでは帰すまい。手に余る…
 我等の血筋には許されぬ事だ。
 国という血を背負って産まれた故、本当に欲しいものなど手には入らない。
 だが、それ以外なら全て手に入る』
 
 キアラの脳裏に一瞬、緑色の目とベージュ色の髪をした、エルメレ風の眼鏡を掛けた人物が浮かぶ。
 
『…なぜあの婦人にそこまで執着するのだ?条件を満たした高位貴族の妻を娶り、あとは適当に気に入った側室でも愛人でも囲えば良かろう』
 
 キアラはレオから目線を逸らした。

 
 本音をもし言えたのなら…
 気持ちは分かる、溢れて抑えられないものとは確かに存在する、とその肩を叩いて慰められるのだろうか…

 だがキアラはそれを押さえ込む術は長年教え込まれてきた。
 それなのに…海の向こうから、いとも簡単にこじ開ける人物が現れるのは、キアラとレオの共通点といえるかもしれない。

『私はベルナルディ侯爵家の三男です』
 
 レオははっきりとした声でそう言った。

『侯爵家とて同じ事よ。
 それに、そなた程の実力があってもいずれパシャの敬称は長兄の子へ引き継がれるであろう。
 本来の地位へ戻りたいとは願わないのか?あるべき場所へ還りたいと』
 
 お互いが避けて来た話題に、キアラは意図せず触れてしまう。

『…私が生きていたと知れ渡れば、また帝国の派閥は割れるでしょう。内戦も起こるやもしれません。
 もしそうなれば、キアラ殿下が私の首をお刎ねになるかもしれませんね』

 レオは場違いに穏やかな顔でキアラにそう言った。

 
 この話題を出した事を、キアラはすぐに後悔する。
 キアラはレオと居ると我を忘れてしまう…長年一緒に育った情、信頼、本来頂に立つものが一番警戒しなければいけない感情を曝け出してしまう。
 
 己の未熟さと向き合わざる得ない。


『余が何もしてないと言いたいか?
 …無論そなたは戦場にいると止めても前線に突っ込んで行く性分。確かにそちらの方が首を刎ねられるよりは名誉ある死となり得よう』
 
 死に急ぐその姿をいくら引き留めても、レオが行ってしまうのをキアラはよく知っている。
 
 だから、フィデリオと共に王国へ送り出したのに…キアラはギュッと唇を結ぶ。
 
『…以前はそれこそが贖罪になると考えておりました。私が名誉ある死を迎えれば、ベルナルディに恩も返せましょう』
 
 レオを縛る鎖からキアラが解放させてやりたくとも、血筋がそれを許さない。
 全てを取り戻せない、ならせめて命だけは…と思っても当の本人には既にその命を投げ出す準備は出来ている。
 それがキアラには歯痒く、苛立たしい。
 
『皇室に戻れば、それが其方を捉える鎖となろう…其方の父が起こした所業を戒めとし、生きていくためのな』
 
 暫く2人の間に冷たい沈黙が流れた。


『苦しみながら死んだように生きろと仰せですか?』
 レオが放ったその言葉も、酷く冷たい声色だった。

『っ誰もそんな事は言っておらぬ!
 余がそうはさせぬ!』
 
 キアラは思わず立ち上がり、レオと向き合う。
 自ら死に向かう者を止める術はキアラは知らない。その美しい鷹の瞳は生命力に溢れているのに、同時に不気味な程の暗さを秘めている。


『この身は既に一度は死んだ身。
 来世と思い、帝国に捧げて参りました。
 死ねと命令されればこの首すぐに差し出しましょう。そうなりましたら、言い残す言葉も要りません。
 …ただ、その前に一目あの方に…亡国の婦人に会わせて下さい』
 
 あの方…

 武人としての天賦の才、そしてこの執着…やはり父の子だ、とキアラは呆れる。


『戯けた事を…子の我儘の真似事か!
 では其方は言えるのか!?本当の出自をあの者に?何があったか、己が何者であるのか…!』
 
 思わず声を荒げてキアラはハッとした。
 
 レオは相変わらず、怒っている訳でも悲しんでる訳でも無い。ほの暗い目でキアラを見つめている。
 

 この話に終わりはない、生きていく限り続く。だが、はっきりさせぬとも上手く世を渡っていけば良いのに…
 王国へ行ったせいで、余計に茨の道を選んでしまうとは…
 キアラは長いため息を吐いた。
 
『今宵はもう下がって良い。
 其方も少し冷静になれ…』
 
 レオは機械的な動作で頭を下げ、応接間を出て行った。




『クソっ…』
 扉の向こうからキアラの声でそう聞こえた。
 聞きなれぬ言葉に、フィデリオとオナシスは目を見合わす。
 言葉の割にその声色はどこか虚しそうだった。
 
『…姉上もレオも…なぜああなるのだか…』
 隣の部屋で耳を澄ましていたフィデリオが、オナシスが居ることも気にせずやれやれと髪を掻き乱す。
 
『お互いの事をよくご存知だからです。お立場も含めて…情が本音を妨げる事もありましょう。だから、素直になれないものです』
 オナシスの通りの良い滑らかな声がフィデリオの耳へ届く。
 
『あの2人、何か揉めるといつもああなのです。まるでいつもの2人では無くなって、幼子の様な言い争いをします。
 どちらも私には見せない一面です』
 フィデリオが眉を下げて溜息混じりにそう言うと、オナシスはその様子をじっと見つめる。

 
『人には多くの面がございます。私にもキアラ殿下にお見せしたい面とそうでないものがあります。
 …人は自分の事を良く見せようと飾り付け、他は覆ってしまうものです。その癖、相手には全てを曝け出して欲しいと願うのに』


 
 姉上はオナシス殿を他の側室よりも寵愛されていると思っていたが…
 
 フィデリオはオナシスのどこか儚げな物言いが少し引っかかった。
 
『今宵キアラ殿下は私の所へお越しになりますから、私がおそばでお慰めいたしましょう』
 儚げな顔をしたかと思ったら男でもドキリとする美しい笑みを浮かべてオナシスがそう言った。
 
 
 レオとキアラはお互いが一緒に居ると他の者には見せない面を曝け出してしまう。
 威厳など放り投げて、立場だけ取り繕い、言えぬ本音をなんとか遠回しに伝えようとする。そのせいで躍起になったり、突き放したり煽ったり…
 
 その実、あの2人の性質は良く似ている
 とフィデリオは思った。
 
 
〝全てを曝け出して欲しいと願うのに〝
 オナシスの言葉がフィデリオの脳裏によぎる。
 知らないでいた方が良い事も多いだろう。己も知られたくないから隠すのに…
 
 それも含めて、なんとも人間らしい一面だ。だがそれでも相手を知りたいのなら、己を曝け出す覚悟を見せねばなるまい…
 
 今頃不貞腐れているであろう男を思い浮かべて、フィデリオは頭を掻き乱し、小さなため息を吐いた。
 
 
 
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