88 / 106
不機嫌なお姫様
しおりを挟むライラの新居は大まかに言えば宮殿の中だ。とてつもなく広大で、いくつにも分けられた区分の一角に、独身者の女性上級使用人の居住区がある。
3階建ての白い煉瓦積みの建物は、一室一室が独立した建物だ。
食事を作る場所は無いが、暖炉もあるので簡単な物は温められる。
何より食事は宮殿で出るし、外には屋台があるので困らないだろう。
ラティマの邸宅を出る時、大人達は皆ほっとした表情だったが、カメリアはどこか寂しそうに、子供達はライラにひっついて泣き叫んだ。
そこまで涙脆い自覚は無いが、ライラもそれなりにホロリと来て、それはそれは感傷的な別れとなった。
だが、冷静に考えれば数キロ程しか離れていない。そう思えば涙も引っ込むというもの…
マリカのニノもそれが分かればきっと意気揚々と遊びに来るに違いない。
荷物は余りないが、備え付けの家具で事足りるので、それなりに落ち着いた生活を送れそうだった。
オナシス卿に渡された書類を読むに、今回の仕事は10日やそこらでは終わらない。
やる気の無い相手に、ある程度…困らない位…と考ると一体いつまでかかるのだろう。
寵妃の娘…
資料を読むに、キアラとフィデリオは亡き皇后の子であり、第九皇女、末子のミリアムと、第三皇子バイラムは寵妃であるオクサナ妃の子らしい…
寵妃…の子が2人…そもそも後宮があるにしては子が少ないような…何人側室が居るのかも知らないが、ライラにふとした疑問が湧いた。だが同時に、非公式にはもっと居るのだろう、とも…
闇雲に増やす訳にもいかないが、誰もがその種を欲しがる。
そして、産まれても赤子のうちに亡くなってしまう子もかなりの数存在する…
末子の姫君の歳から考えるに、その辺りから皇帝陛下の病が発覚したのだろうか…
そういえば…キアラも未だ、子は居ないようだし…
いや、余計な詮索は無用だ…碌なことにならない…ライラは頭を振り、書類に記してある文書に集中した。
『キアラ皇女殿下…はっきり仰って下さいませ。私は何度も、何度も、皇帝陛下にも、お母様にもお伺い致しました…まさかっ…このような仕打ち…』
オクサナ妃と同じ、黒く艶やかな長い髪に、灰色の大きな目を持った、まだ幼い顔立ちのミリアムは、場にそぐわず眉を八の字にしている。
薄い黄色の素材で出来た可愛らしいドレスを纏い、ぎゅっと両手をお腹の前で結んで、恨めしそうにキアラを見上げていた。
『ミリアムよ、一体何がこのような仕打ち、とやらなのか?』
キアラは首を少し傾げ、庭園の東屋にゆったりと腰掛けている。
キアラはオナシス卿と、フィデリオはアクイラ卿と話し込んでいた際、2組は偶然宮殿内の外廊下で行き合った。
そこに散策中のミリアムが現れ、お茶をと誘われたので、キアラもフィデリオ達を誘い、東屋へやってきた訳だが…どうやらミリアムにお茶を楽しむ気は無い。
お茶の用意をさせ、人払いをして正解だった、とキアラはミリアムをじっと見つめる。
『海の向こうの王国へ、私を追いやるおつもりでしょう?…っ私が、オナシス卿のご指導を、上手くこなさなかったからですか?お姉様っ…キアラ皇女殿下はっお怒りになったのですか?お父様もお母様も、何も教えて下さらないのですっ』
頬を上気させたミリアムの大きな瞳から、ポロリと涙が一筋溢れる。
『ミリアム、…何をそんなに怒っておるのか』
キアラは朗らかな口調でそうミリアムに尋ね、その涙をハンカチを取り出し、そっと拭う。
『私はっ私はっオナシス卿のように、確かに上手くは、立ち居振る舞うことは出来ないかもしれませんっ…今からでも、オナシス卿がお許し下さるなら、もう一度…』
『ミリアム様、私の許しなど必要ございません。私の力不足でございます。
ミリアム様の気が晴れればとのキアラ殿下の思いでございます故、ミリアム様の思われているような事ではございませんよ』
絞り出すように言葉を発するミリアムを、オナシスが遮った。
『ノアは″美しい人″の称号を持つ一族。 一族中でも、ノア以上の者は居ない。 国中の貴族がその手習を願う所だが、誰しも向き不向きがある。身につけば、何よりもそなたの財産となるが、今はまた少し違うことに目を向ければ、そなたの目に新鮮であろう?』
フィデリオは気まずい空気に、招きに応じた事を後悔した。
ミリアムとそんなに仲が深いわけでは無い。バイラムならまだしも、ミリアムとはそこまで接点も無かったからだ。
ただ一点、ミリアムについて気掛かりな事はある訳だが…
『…お姉様。私の気持ちはご存知でしょう?どうか、もし、あのような国と私が接点を持てればとお考えなら、もう一度お考え直し下さい…』
ミリアムは今度は縋るようにキアラを見た。
フィデリオには分かる。
キアラは慈愛に満ちた瞳でミリアムを見下ろすが、内心苛立っている。
今や、国の政治に大きな影響力を示し始めているキアラに、″私の気持ち″で覆せる事があるのだろうか。
なんとかその場はオナシス卿の助けもあり、ミリアムのとめどなく溢れる涙と、取り止めのない話は落ち着いた。
ミリアムはオナシス卿に怒ってらっしゃるのでしょう?としつこく聞いていたが、オナシス卿は変わらずやんわりとそれを包み込む。
隣に座るアクイラ卿は一言も発さなかった。
その威圧感を消していただけ、良くやったとフィデリオは言いたい。
ミリアムのなんとも的を得ぬメソメソとした物言いが治った頃、ミリアムの母であるオクサナ妃は見計らった様に現れ、ミリアムは席を立った。
姿が見えなくなると、フィデリオは髪を後ろに掻き上げて、長い溜息を吐く。
『…フィデリオよ、後で余の部屋へ来い。話がある。バルドリックも共に』
キアラはスッと立ち上がるとそれだけ言い、オナシス卿と共に席を立った。
不意に、フィデリオがアクイラ卿を見る。
アクイラ卿は空のように明るい真っ青な目で、連れ立って歩く2人の背中を見つめていた。
こちらもこちらで…とフィデリオはまた気まずい思いで視線を戻す。
もう少し、キアラがアクイラ卿に恩情を与える事を祈って。
1
あなたにおすすめの小説
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
転生したら悪役令嬢になりかけてました!〜まだ5歳だからやり直せる!〜
具なっしー
恋愛
5歳のベアトリーチェは、苦いピーマンを食べて気絶した拍子に、
前世の記憶を取り戻す。
前世は日本の女子学生。
家でも学校でも「空気を読む」ことばかりで、誰にも本音を言えず、
息苦しい毎日を過ごしていた。
ただ、本を読んでいるときだけは心が自由になれた――。
転生したこの世界は、女性が希少で、男性しか魔法を使えない世界。
女性は「守られるだけの存在」とされ、社会の中で特別に甘やかされている。
だがそのせいで、女性たちはみな我儘で傲慢になり、
横暴さを誇るのが「普通」だった。
けれどベアトリーチェは違う。
前世で身につけた「空気を読む力」と、
本を愛する静かな心を持っていた。
そんな彼女には二人の婚約者がいる。
――父違いの、血を分けた兄たち。
彼らは溺愛どころではなく、
「彼女のためなら国を滅ぼしても構わない」とまで思っている危険な兄たちだった。
ベアトリーチェは戸惑いながらも、
この異世界で「ただ愛されるだけの人生」を歩んでいくことになる。
※表紙はAI画像です
悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?
美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ
さくら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。
絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。
荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。
優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。
華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。
【完結】転生したらラスボスの毒継母でした!
白雨 音
恋愛
妹シャルリーヌに裕福な辺境伯から結婚の打診があったと知り、アマンディーヌはシャルリーヌと入れ替わろうと画策する。
辺境伯からは「息子の為の白い結婚、いずれ解消する」と宣言されるが、アマンディーヌにとっても都合が良かった。「辺境伯の財で派手に遊び暮らせるなんて最高!」義理の息子など放置して遊び歩く気満々だったが、義理の息子に会った瞬間、卒倒した。
夢の中、前世で読んだ小説を思い出し、義理の息子は将来世界を破滅させようとするラスボスで、自分はその一因を作った毒継母だと知った。破滅もだが、何より自分の死の回避の為に、義理の息子を真っ当な人間に育てようと誓ったアマンディーヌの奮闘☆
異世界転生、家族愛、恋愛☆ 短めの長編(全二十一話です)
《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、いいね、ありがとうございます☆
祓い師レイラの日常 〜それはちょっとヤなもんで〜
本見りん
恋愛
「ヤ。それはちょっと困りますね……。お断りします」
呪いが人々の身近にあるこの世界。
小さな街で呪いを解く『祓い師』の仕事をしているレイラは、今日もコレが日常なのである。嫌な依頼はザックリと断る。……もしくは2倍3倍の料金で。
まだ15歳の彼女はこの街一番と呼ばれる『祓い師』。腕は確かなのでこれでも依頼が途切れる事はなかった。
そんなレイラの元に彼女が住む王国の王家からだと言う貴族が依頼に訪れた。貴族相手にもレイラは通常運転でお断りを入れたのだが……。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる