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15.離れないと
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「離婚はしたくないわ⋯⋯私には清十郎さんしかいないもの」
予想はしていた母の答えに私は肩を落とした。
母が好きなのが父の金だけなら良かった。
母は自分をシンデレラにしてくれた父の事が大好きなのだ。
父は愛人宅に入り浸り帰ってこないのに、いつもスマホを握りしめてリビングで父の帰りを待っている母は痛々しかった。
ネットでセレブな家族の円満をアピールする母を見る度、なんとこの人は空っぽなんだと思った。
東雲亮平の出ている雑誌を見た時に、写真で見た若い頃の父に似ていると感じた。
きっと、実際に東雲亮平に会って父と比べて、やっぱり父が素敵だと惚れ直してしまっていそうだ。
(でも、肝心のお父様の心はもうお母様にはないのに⋯⋯)
「あのさ⋯⋯私の為を思って別れてくれない? こんな愛人宅に入り浸りの父親がいるなんて思春期の娘に害悪だとは思わないの?」
「いや、絶対に別れたくない。私は子供が欲しくて結婚したんじゃないもの! 清十郎さんが好きで結婚したんだもの」
(お父様と結婚できたのはお兄様を孕ったからでしょうが⋯⋯)
私は母親になりアラフォーになってもシンデレラ気分の母をそろそろ殴っても良い気がする。色々母に言ってやりたい事はあったが、美湖ちゃんを見習って人を傷つける言葉は言わないように気をつけた。母が離婚に応じてくれないと、祖父はまた次の手を考えて何か仕掛けてくるのは間違いない。
「お母様、流石にその言い方は凛音さんに対して失礼なんじゃないですか? 誕生日に貴方を産みたかった訳じゃないと言われる彼女の気持ちになってみてください」
HIROが真剣な顔で母に物申していて驚いた。彼の意外な一面を見て少しときめく。
(産みたかった訳じゃないとまでは言ってないと思うが⋯⋯)
私は夕日に照らされた何時になく真剣な表情のHIROに気がつけば見惚れていた。私はムカつく事を言われたら即言い返して生きて来たので、誰かに自分を庇って貰うような事は初めてだった。
「えっ、あの、ごめんなさい。私ってば清十郎さんと離婚しろって言われてムキになっちゃって。私にとって凛音ちゃんは自慢の娘よ」
母は心底申し訳なさそうにしていた。私が『自慢の娘』だというのは母の本心だ。でも、母は目の前の本当の私を見ようとした事はない。お嬢様学校に通うピアノが上手で曽根崎玲の婚約者の完璧な娘という設定の私が好きなだけだ。実際の問題児の私からは目を背けている。
「お母様、私の事を自慢したい気持ちがあるのかもしれないけれど、ネットに私のプライバシーを載せるのをやめてくれないかな。その事で私が危険な目にあう可能性とか考えた事ある?」
HIROは母のブログで私が曽根崎玲の婚約者だと知ったと言っていた。私は世界に自分を知って欲しいと思うような目立ちたがり屋なタイプではないし、本来の自分と隔たりがある自分を披露されるのは精神的にキツイ。
「危険な目になんかあったことがあるのかよ」
HIROが突然大きな声を出して私を心配そうに見つめてくる。
「玲さんに私怨のある貴方に襲われ掛けた」と言いたくても、その時間を彼は知らない。
「今のところないよ⋯⋯例えばの話だよ。私の顔がネットで晒されている事で、知らない人にも私が柏原の娘だと分かってしまうんだよ。身代金目当てで誘拐されたりする危険性をお母様には考えて欲しい」
「それは考えた事なかったわ。私はただ凛音ちゃんの事を書くことで、清十郎さんに私や凛音ちゃんに思いを馳せて欲しかっただけなの」
人を傷つける言葉を吐くのはやめようと誓ったのに我慢できそうにない。母が父へのアピールの為に私のプライバシーまで世界中に発信しているのだ。母のあまりのアホさ加減に頭に血が昇ってしまった。
「そんな事しても、お父様は家に帰って来ないよ! お父様はもうお母様に気持ちはないんだって。愛人さんに夢中なの。変なアピールしてないで、いい加減に気づいてよ」
私の言葉に母の目が潤み出す。
「気づいてるけど、諦められないの⋯⋯。だって、清十郎さんの隣にいて沢山幸せだったんだもの」
母は一般的な庶民家庭に育った人だ。それが、ある日SNSを通じて父からメッセージが来た。父と出会ってから物語の主人公になった気分だったらしい。母は結婚しても父へのアピール方法がSNSになってしまっている。
「分かった。じゃあ、私が愛人からお父様を引き剥がしてくるよ。それでも、戻って来なかったら諦めて」
何となくだが、父はもう母にうんざりしている気がしていた。
この一途な純粋さや天然なところも出会った10代後半なら可愛かっただろうが、今は鬱陶しいに違いない。娘の私がそう感じるのだから、長い付き合いの父はもっとだろう。
「そんな事ができるの? 凛音ちゃんは凄いわね。でっ! どうするの?」
母の瞳が何時になく輝き出した。
「愛人さんは全身整形らしいよ。だから元の姿の写真をお父様に見せてあげるんだよ。きっと、幻滅して萎えて愛人との関係を解消するんじゃないかな」
玲さんが父好みにカスタマイズしたらしいから、本来の姿を見せてあげば良い。真実の鏡に映った醜い姿を見たら、王子も流石に退散するだろう。
「だ、ダメよ。人の嫌がる事をしてはいけないわ」
母の返事にズッコケそうになった。
散々、私が嫌がってるのに私の顔をネットに晒してきた人の言葉とは思えない。
でも、母は人を陥れて自分がのしあがろうとするタイプではない。
恐らく父も母のそういう優しい所に惹かれていたはずだ。
長らく忘れたが母は本当に優しい人だった。
SNS上だとセレブアピールをする程、娘の私にさえ空っぽに見えるのだから不思議だ。
「じゃあ、SNSをやめて見たら? あそこにいるお母様は私から見ても魅力がないよ。なんか承認欲求の塊みたいな感じで薄っぺらく見える。私の知ってるお母様は少なくとも優しさが詰まった今時珍しい純粋な人。お父様はそんなお母様が好きだった気もするんだ」
「でも、SNSをやめたら清十郎さんが私が何をしているか分からなくなっちゃうわ」
「お母様、女は少しミステリアスで秘密があった方がモテますよ」
HIROの言葉に母は「そうかしら」と頬に手を当てて考え込んでいた。
「男子がそう言っているのだから、多分正解なんじゃない?」
私は母が取り憑かれたようにハマっていたSNSから離れてくれそうで、HIROの言葉に乗っかった。
「分かったわ」
母の言葉に私は思わずガーデンテーブルの下で拳を握りしめる。
その拳の上にHIROがそっと手をのせて握りしめてきた。
HIROが私の拳を握りしめたまま離してくれない。振り払えば良いのに、その温もりがあった方が気持ちが落ち着く自分がいた。私は深く深呼吸をして、今日中に解決策を見出さなければならない話をする事にした。
「お母様、なるべく早く片付けない問題があるの。実は玲さんが私をずっと監視してたの。家の中に盗聴器や隠しカメラが仕掛けてあるから、業者に頼んで取り除いて貰うまではこの家には戻れない」
「えっ? えっ? どういう事?」
「私は玲さんとの婚約を解消したいと思ってる」
母に婚約解消をお願いしても無駄だ。この家の全ての決定権は祖父にある。
「どうして? あんなに愛してくれる人なんてこの先現れないわよ。凛音ちゃんの事がもっと知りたくて、やってしまった事でしょ。それくらい許してあげなくちゃ」
「それくらい? 私にとってはそれくらいじゃないよ。着替えとかも覗かれてたんだよ。どうして私の為に怒ってくれないの?」
会ったばかりの草井奈美子も私の気持ちを分かってくれたのに、身内は誰一人私の側についてくれない。なぜだかは分かっていた。玲さんを完璧な青年として長い間見てきている身内は、未熟な私に彼は勿体無いと感じているのだ。それゆえ、私が玲さんに不満を抱くなど信じられないのだろう。
「どうせ結婚するんだから良いじゃない。でも、玲さんも完璧に見えて、そんな可愛らしい事もするのね」
母はクスクスと笑っていた。
盗撮のどこが可愛らしいのだろう。
「私、警察に被害届を出す」
たまらなくなって言った言葉に、母は首を振った。
「そんな事をしても、意味がないって分かるでしょ。受け入れなきゃ」
私は急に真剣な顔つきで静かに呟いた母を見て察した。
母は私の気持ちが分かってない訳ではなくて、何とか笑い話にしようとしていたのだ。
「私は、この家には戻らないよ。学校も千葉から通う」
「千葉? なんで千葉? そういえば、新品の学生鞄が届いてたわよ」
「千葉にうちの別荘があったよね。あそこから、アクアラインとかで学校に通おうかと⋯⋯」
確か千葉はギリギリ首都圏だったはずだ。そして、アクアラインという東京湾を横断する特別な近道を使える県だった気がする。
「待って、凛音ちゃん。アクアラインって風が強いと止まるのよ。風が強い日はお休みするの? カメハメハ大王になっちゃうわよ。そもそも、千葉といっても別荘があるのは舘山だからね。アクアラインは木更津と神奈川の川崎を結んでいるのよ」
(カメハメハ大王? どこの国の人?)
先程まで真剣な顔をしていた母がケタケタと笑っている。
母は笑上戸で本来ならば、よく笑う人だった。
「神奈川って東京から近い場所にあった気がするけど⋯⋯」
「神奈川は東京の下だろ!」
HIROがしたり顔で間違いを教えてくる。
「東京の下はブラジルだよ!」
母が私とHIROのやりとりを見ながら、ますます楽しそうにしている。
私はその姿を見て、本当は自分は母が好きだった事を思い出した。
母は何時も笑顔で優しかった。そのような彼女を取り戻したいと強く思った。
「凛音ちゃん、中目黒駅のすぐ側に税金対策で買ったマンションがあるわ。盗聴問題が片付くまでしばらくそこで暮らす?」
「そうする! 中目黒なら学校から近いし、私、電車で通う! 電車なら玲さんも乗った事ないだろうから逃げられそうだし」
私は自分も電車に乗った事がない事に気がついたが、それくらいのハードルは玲さんから逃げる為なら超えられると思った。
「凛音ちゃんに電車は無理よ。朝の通勤電車って凄いのよ」
「大丈夫。混んでて乗り切れなかったら、電車の外からしがみついて乗れば良いんだよね」
「それ、どこの国の話だよ」
私の言葉にHIROが吹き出した。
それから私たちは暫く楽しく会話した。
私はその間ずっと自分が幼かった頃の事を思い出してた。
父と母と兄がいて何時もみんな笑っていて沢山のお喋りをしていた。
外も暗くなってきたので、私はHIROを門のところまで送る事にした。
「HIRO、門のところまで送るよ」
私は彼に伝えなければいけない事があった。
一度目はHIROが自殺、二度目はHIROと草井奈美子が心中。
私はそんな報道は今も全く信じていない。
HIROは殺されたのだ。
私が彼を守る唯一の手段は彼に近づくことではなかった。
⋯⋯彼から離れる事だ。
草井奈美子が犯人だと思っていたが、今となってはそんな可能性は全くないと分かる。
犯人は恐らく玲さんだ。
玲さんは私を盗撮していて、私がHIROのファンだと知り彼が邪魔になったのだ。
「じゃあ、私は家に戻っているわね」
母は盗聴器が残っていても、父が戻ってくるかもしれないから家に居たいらしい。私は母が部屋に戻るのを確認すると、HIROに語りかけた。
「ここで少し話そう。門のところには防犯カメラがあるから」
「そうなんだ⋯⋯凛音、大丈夫か? 何かあれば何時でも俺を頼って⋯⋯」
私はテーブルの下で握られたままになっていたHIROの手を引き剥がした。
「これから、私はHIROにも奈美子さんにも会うつもりはない」
「えっ? どうしてそうなるんだよ。『JKロック』はやらないのかよ」
「分かるでしょ。私の近くにいると危険なんだよ。私は玲さんの婚約者で、彼が危ない人だって分かってるでしょ」
「だから、俺が凛音を守るって!」
HIROが急に私を抱き寄せてきた。
予想はしていた母の答えに私は肩を落とした。
母が好きなのが父の金だけなら良かった。
母は自分をシンデレラにしてくれた父の事が大好きなのだ。
父は愛人宅に入り浸り帰ってこないのに、いつもスマホを握りしめてリビングで父の帰りを待っている母は痛々しかった。
ネットでセレブな家族の円満をアピールする母を見る度、なんとこの人は空っぽなんだと思った。
東雲亮平の出ている雑誌を見た時に、写真で見た若い頃の父に似ていると感じた。
きっと、実際に東雲亮平に会って父と比べて、やっぱり父が素敵だと惚れ直してしまっていそうだ。
(でも、肝心のお父様の心はもうお母様にはないのに⋯⋯)
「あのさ⋯⋯私の為を思って別れてくれない? こんな愛人宅に入り浸りの父親がいるなんて思春期の娘に害悪だとは思わないの?」
「いや、絶対に別れたくない。私は子供が欲しくて結婚したんじゃないもの! 清十郎さんが好きで結婚したんだもの」
(お父様と結婚できたのはお兄様を孕ったからでしょうが⋯⋯)
私は母親になりアラフォーになってもシンデレラ気分の母をそろそろ殴っても良い気がする。色々母に言ってやりたい事はあったが、美湖ちゃんを見習って人を傷つける言葉は言わないように気をつけた。母が離婚に応じてくれないと、祖父はまた次の手を考えて何か仕掛けてくるのは間違いない。
「お母様、流石にその言い方は凛音さんに対して失礼なんじゃないですか? 誕生日に貴方を産みたかった訳じゃないと言われる彼女の気持ちになってみてください」
HIROが真剣な顔で母に物申していて驚いた。彼の意外な一面を見て少しときめく。
(産みたかった訳じゃないとまでは言ってないと思うが⋯⋯)
私は夕日に照らされた何時になく真剣な表情のHIROに気がつけば見惚れていた。私はムカつく事を言われたら即言い返して生きて来たので、誰かに自分を庇って貰うような事は初めてだった。
「えっ、あの、ごめんなさい。私ってば清十郎さんと離婚しろって言われてムキになっちゃって。私にとって凛音ちゃんは自慢の娘よ」
母は心底申し訳なさそうにしていた。私が『自慢の娘』だというのは母の本心だ。でも、母は目の前の本当の私を見ようとした事はない。お嬢様学校に通うピアノが上手で曽根崎玲の婚約者の完璧な娘という設定の私が好きなだけだ。実際の問題児の私からは目を背けている。
「お母様、私の事を自慢したい気持ちがあるのかもしれないけれど、ネットに私のプライバシーを載せるのをやめてくれないかな。その事で私が危険な目にあう可能性とか考えた事ある?」
HIROは母のブログで私が曽根崎玲の婚約者だと知ったと言っていた。私は世界に自分を知って欲しいと思うような目立ちたがり屋なタイプではないし、本来の自分と隔たりがある自分を披露されるのは精神的にキツイ。
「危険な目になんかあったことがあるのかよ」
HIROが突然大きな声を出して私を心配そうに見つめてくる。
「玲さんに私怨のある貴方に襲われ掛けた」と言いたくても、その時間を彼は知らない。
「今のところないよ⋯⋯例えばの話だよ。私の顔がネットで晒されている事で、知らない人にも私が柏原の娘だと分かってしまうんだよ。身代金目当てで誘拐されたりする危険性をお母様には考えて欲しい」
「それは考えた事なかったわ。私はただ凛音ちゃんの事を書くことで、清十郎さんに私や凛音ちゃんに思いを馳せて欲しかっただけなの」
人を傷つける言葉を吐くのはやめようと誓ったのに我慢できそうにない。母が父へのアピールの為に私のプライバシーまで世界中に発信しているのだ。母のあまりのアホさ加減に頭に血が昇ってしまった。
「そんな事しても、お父様は家に帰って来ないよ! お父様はもうお母様に気持ちはないんだって。愛人さんに夢中なの。変なアピールしてないで、いい加減に気づいてよ」
私の言葉に母の目が潤み出す。
「気づいてるけど、諦められないの⋯⋯。だって、清十郎さんの隣にいて沢山幸せだったんだもの」
母は一般的な庶民家庭に育った人だ。それが、ある日SNSを通じて父からメッセージが来た。父と出会ってから物語の主人公になった気分だったらしい。母は結婚しても父へのアピール方法がSNSになってしまっている。
「分かった。じゃあ、私が愛人からお父様を引き剥がしてくるよ。それでも、戻って来なかったら諦めて」
何となくだが、父はもう母にうんざりしている気がしていた。
この一途な純粋さや天然なところも出会った10代後半なら可愛かっただろうが、今は鬱陶しいに違いない。娘の私がそう感じるのだから、長い付き合いの父はもっとだろう。
「そんな事ができるの? 凛音ちゃんは凄いわね。でっ! どうするの?」
母の瞳が何時になく輝き出した。
「愛人さんは全身整形らしいよ。だから元の姿の写真をお父様に見せてあげるんだよ。きっと、幻滅して萎えて愛人との関係を解消するんじゃないかな」
玲さんが父好みにカスタマイズしたらしいから、本来の姿を見せてあげば良い。真実の鏡に映った醜い姿を見たら、王子も流石に退散するだろう。
「だ、ダメよ。人の嫌がる事をしてはいけないわ」
母の返事にズッコケそうになった。
散々、私が嫌がってるのに私の顔をネットに晒してきた人の言葉とは思えない。
でも、母は人を陥れて自分がのしあがろうとするタイプではない。
恐らく父も母のそういう優しい所に惹かれていたはずだ。
長らく忘れたが母は本当に優しい人だった。
SNS上だとセレブアピールをする程、娘の私にさえ空っぽに見えるのだから不思議だ。
「じゃあ、SNSをやめて見たら? あそこにいるお母様は私から見ても魅力がないよ。なんか承認欲求の塊みたいな感じで薄っぺらく見える。私の知ってるお母様は少なくとも優しさが詰まった今時珍しい純粋な人。お父様はそんなお母様が好きだった気もするんだ」
「でも、SNSをやめたら清十郎さんが私が何をしているか分からなくなっちゃうわ」
「お母様、女は少しミステリアスで秘密があった方がモテますよ」
HIROの言葉に母は「そうかしら」と頬に手を当てて考え込んでいた。
「男子がそう言っているのだから、多分正解なんじゃない?」
私は母が取り憑かれたようにハマっていたSNSから離れてくれそうで、HIROの言葉に乗っかった。
「分かったわ」
母の言葉に私は思わずガーデンテーブルの下で拳を握りしめる。
その拳の上にHIROがそっと手をのせて握りしめてきた。
HIROが私の拳を握りしめたまま離してくれない。振り払えば良いのに、その温もりがあった方が気持ちが落ち着く自分がいた。私は深く深呼吸をして、今日中に解決策を見出さなければならない話をする事にした。
「お母様、なるべく早く片付けない問題があるの。実は玲さんが私をずっと監視してたの。家の中に盗聴器や隠しカメラが仕掛けてあるから、業者に頼んで取り除いて貰うまではこの家には戻れない」
「えっ? えっ? どういう事?」
「私は玲さんとの婚約を解消したいと思ってる」
母に婚約解消をお願いしても無駄だ。この家の全ての決定権は祖父にある。
「どうして? あんなに愛してくれる人なんてこの先現れないわよ。凛音ちゃんの事がもっと知りたくて、やってしまった事でしょ。それくらい許してあげなくちゃ」
「それくらい? 私にとってはそれくらいじゃないよ。着替えとかも覗かれてたんだよ。どうして私の為に怒ってくれないの?」
会ったばかりの草井奈美子も私の気持ちを分かってくれたのに、身内は誰一人私の側についてくれない。なぜだかは分かっていた。玲さんを完璧な青年として長い間見てきている身内は、未熟な私に彼は勿体無いと感じているのだ。それゆえ、私が玲さんに不満を抱くなど信じられないのだろう。
「どうせ結婚するんだから良いじゃない。でも、玲さんも完璧に見えて、そんな可愛らしい事もするのね」
母はクスクスと笑っていた。
盗撮のどこが可愛らしいのだろう。
「私、警察に被害届を出す」
たまらなくなって言った言葉に、母は首を振った。
「そんな事をしても、意味がないって分かるでしょ。受け入れなきゃ」
私は急に真剣な顔つきで静かに呟いた母を見て察した。
母は私の気持ちが分かってない訳ではなくて、何とか笑い話にしようとしていたのだ。
「私は、この家には戻らないよ。学校も千葉から通う」
「千葉? なんで千葉? そういえば、新品の学生鞄が届いてたわよ」
「千葉にうちの別荘があったよね。あそこから、アクアラインとかで学校に通おうかと⋯⋯」
確か千葉はギリギリ首都圏だったはずだ。そして、アクアラインという東京湾を横断する特別な近道を使える県だった気がする。
「待って、凛音ちゃん。アクアラインって風が強いと止まるのよ。風が強い日はお休みするの? カメハメハ大王になっちゃうわよ。そもそも、千葉といっても別荘があるのは舘山だからね。アクアラインは木更津と神奈川の川崎を結んでいるのよ」
(カメハメハ大王? どこの国の人?)
先程まで真剣な顔をしていた母がケタケタと笑っている。
母は笑上戸で本来ならば、よく笑う人だった。
「神奈川って東京から近い場所にあった気がするけど⋯⋯」
「神奈川は東京の下だろ!」
HIROがしたり顔で間違いを教えてくる。
「東京の下はブラジルだよ!」
母が私とHIROのやりとりを見ながら、ますます楽しそうにしている。
私はその姿を見て、本当は自分は母が好きだった事を思い出した。
母は何時も笑顔で優しかった。そのような彼女を取り戻したいと強く思った。
「凛音ちゃん、中目黒駅のすぐ側に税金対策で買ったマンションがあるわ。盗聴問題が片付くまでしばらくそこで暮らす?」
「そうする! 中目黒なら学校から近いし、私、電車で通う! 電車なら玲さんも乗った事ないだろうから逃げられそうだし」
私は自分も電車に乗った事がない事に気がついたが、それくらいのハードルは玲さんから逃げる為なら超えられると思った。
「凛音ちゃんに電車は無理よ。朝の通勤電車って凄いのよ」
「大丈夫。混んでて乗り切れなかったら、電車の外からしがみついて乗れば良いんだよね」
「それ、どこの国の話だよ」
私の言葉にHIROが吹き出した。
それから私たちは暫く楽しく会話した。
私はその間ずっと自分が幼かった頃の事を思い出してた。
父と母と兄がいて何時もみんな笑っていて沢山のお喋りをしていた。
外も暗くなってきたので、私はHIROを門のところまで送る事にした。
「HIRO、門のところまで送るよ」
私は彼に伝えなければいけない事があった。
一度目はHIROが自殺、二度目はHIROと草井奈美子が心中。
私はそんな報道は今も全く信じていない。
HIROは殺されたのだ。
私が彼を守る唯一の手段は彼に近づくことではなかった。
⋯⋯彼から離れる事だ。
草井奈美子が犯人だと思っていたが、今となってはそんな可能性は全くないと分かる。
犯人は恐らく玲さんだ。
玲さんは私を盗撮していて、私がHIROのファンだと知り彼が邪魔になったのだ。
「じゃあ、私は家に戻っているわね」
母は盗聴器が残っていても、父が戻ってくるかもしれないから家に居たいらしい。私は母が部屋に戻るのを確認すると、HIROに語りかけた。
「ここで少し話そう。門のところには防犯カメラがあるから」
「そうなんだ⋯⋯凛音、大丈夫か? 何かあれば何時でも俺を頼って⋯⋯」
私はテーブルの下で握られたままになっていたHIROの手を引き剥がした。
「これから、私はHIROにも奈美子さんにも会うつもりはない」
「えっ? どうしてそうなるんだよ。『JKロック』はやらないのかよ」
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