上 下
4 / 4
第一話 弟餅と唯我の魔術師

愚者と唯我の魔術師

しおりを挟む
「まずは、話の前提だ。俺たちがどういう存在か話そう。……簡単に言うと、俺たちは一つの体に四つの心を持っている」

 一人の体に複数の人格。
 珍しいだろうが、人間の中にはそういう存在もいなくはないようだ。
 人格が切り替われば、声や態度も異なるという事だろう。

「それと、性別は男でもあるし、女でもある。両性とでも言えばいいのか……」

 人間は、少し言いにくそうに目を伏せた。
 人間で両性になる確率は確か、2000人に1人くらいの割合だったはずだ。
 仮に人間の人口が1億人いれば、5000人はいると考えれば少なくもない。

「ともあれ、まずは名前からだな。俺の名前はワンド、長男だ。ふわっとした喋り方の女が長女の金貨ペンタクル。おかしなことを言う男がソルドという弟で、最初に声を上げてた女がグラールっていう妹だ」

 変わった名前だ。おそらくは仮の名前だろう。
 あるいは何らかの役割としての名前か。
 今、話をしているワンドが、この人間たちのリーダーなのだろう。

「なんでこんなことになったのかは、誰も分からない。だが、いつの間にか俺たちは、存在していた・・・・・・

 生まれた瞬間を覚えている赤子はいない。
 それは彼らもまた同じだったのだろう。

「こういう心で、こういう体だ。片方だって難儀だっていうのに、両方ともなると随分と生き辛い。……ざっくりとした話でいうと、今まで生きてきた場所でもうこれ以上、生きていくことが出来なくなった」

 異端者が生きにくいのは、人間の世界でも餅の世界でも同じだ。
 
「でもな、まず俺はそれなら新しい世界を開拓すればいいだけだろうと、思っている。次に長女のペンタクルは、家を失ったから新しい家を作ればいいと、理解してくれた。次男のソルドに至っては、旅もいいだろうと感じているようだ」

 ここまで言って、ワンドは首を振った。

「けれど最後の一人、妹のグラールだけはそれでは納得ができない、と。死して楽になりたいと言うのだ」

 身体が共通ならば、一人死ねば他の三人共が死ぬことになる。
 それは、非常に厄介な問題だろう。


「どうにかできないものか、とな」

 そういって、ワンドは私に目を向けた。
 彼らにしてみれば溺れる者は、餅をも掴む。
 私は完全に通りすがりだし、彼らと同種の生き物ですらない。
 だが、彼らは溺れていて苦しんでいる。ならば、手段を問うてもいられまい。
 つまり、それだけ追い詰められているということだろう。

「私が話をしてみよう」

 何ができるかは分からない。
 だが、何かできないかどうかも分からない。
 ならば行動するのみだ。
 私が声をかけたら、ワンドは俯いた状態から顔をあげた。

「頼んだぞ」
「ああ」

 ワンドの体からかたんと、力が抜けると仮面が地に落ちた。
 そして、ぱちりと目をさました彼女は同じ顔であるはずなのに、どうにも幼い印象を受けた。
 俯きながらも上目遣いで私を睨むように見ている。

「はじめましてだな。私は弟餅、君がグラールかな?」

 グラールはほんの僅かに頷いて肯定した。口元を引き締めて、体を半身下げていることから警戒は解いていないのだろう。

「先に言って置くと、私に害意はないぞ。武器だって持っていなことは見れば分かるだろう」

 武器どころか服も着ていない。
 人間であれば変態なのかもしれないが、餅であるから大丈夫であろう。

「……あんたに、ボクの何が分かるっていうんだよ」

 うなるような声で少女は言う。

「こまかい事情は知らないとも。それにそもそも、私と君は形も中身も大分違いそうだ。理解しうる部分だってどれほどあることか」
「だったら、ほうって置いてよ」
「けれども分かっている部分もある」
「餅に何が分かるんだよ」

 この子を初めて見たとき、俯き嘆きの声をあげていた。
 少し前、工場にいた時の自分を思い出す。
 死ぬのが恐ろしく、けれども生きるにも困難で。
 周りに笑われ、尚も動けず。

「生きるのが苦しい、という事は理解しているとも」

 私の言葉に、グラールは口を噤んだ。
 伺うように私の様子を眺めている。
 私も彼女を観察する。
 きれいな小さい手をしている。
 正確に言うならば、働いたこともなさそうなか細い手だった。
 恐らくは元いたところから、何らかの理由で放り出されたのだろう。
 私とは事情は異なるだろう。だが、それでも分かる部分もある。

「だから、どうしたっていうんだよ」
 
 苛立ちが声に乗るように、グラールは私を詰問する。

「私は苦しかった時、そばに居てくれる存在がいた」 

 苦しむ私に声をかけた、たった一人の兄。
 過去形で言わねばならぬことは苦痛ではある。
 けれど、私は忘れるまい。
 あの時、兄餅あにもちが私に話しかけてくれた事を。 
 私は嬉しかった事を、いつまでだって覚えていよう。 
  
「もちろん、それだけでは全てが変ったわけではない」 

  私が餅として生まれた事実は変わるわけでもないし、安全が手に入ったわけでもない。

「けれど、変われる部分もあるかもしれない」

 無論、1つの命にできることなど、そう多くないことなど私は既に嫌というほど知っている。
 数多の命――その他兄弟たちが機械的に命を散らしていった。
 兄餅はそれこそ命をかけて、私を外に逃がしてくれた。
 他人から見れば、命をかけて餅1つ逃した程度と言うだろう。
 だが、私にとっては、これはもらった命そのものだ。

「私が君の味方になろう」
「……なんで、なんで餅なんかに、ボクが同情されなきゃいけないんだよ」

 奮然とグラールは言う。
 私は彼女に同情していればこそ、この言葉には反論せねばなるまい。

「私は唯の餅ではないぞ。それは喋れるからでも動けるからでもない。私は誇りを持って生きているからだ」
「どうせ、ボクは誇りなんてない。こんな体に、こんなバラバラな心だ。ふん、笑えばいいだろ。……笑えよ」

 グラールは自嘲する。
 他人と違う事をする、違う姿であるならば、そう言いたくなるときもあるだろう。

「笑うな」

 私は、奇しくも兄と同じ言葉を放つことになった。

「君だけは、君を笑ってはならない」
「でも皆、ボクを笑うんだ。指をさすんだ。石を投げるんだ」

 グラールは淀んだ目で静かに呟く。

「私は決して君を笑わぬ。指を差されたならば体当たりで突き指にしてやろうし、投げられた石も、この身で跳ね返してくれる」

 私がそう言うと、グラールは握りしめていた拳を少し緩めた。
 ほんの少しだけ彼女は声をあげて笑った。

「壊れたグラールは元に戻らないよ」
「私は餅だ。ひび割れた部分を伸びて埋めよう」

 グラールは泣きそうな顔をした。

「もっと早くあんたと会いたかったかな。……でも、ボクはもう」
 
 グラールと話を続けていると、唐突に茂みからガサゴソと音が聞こえた。
 私が視線を向けると、ぎらりと赤く光る大きい目があった。

「ぶぅもぉぉぉ」 

 先程のイノシシが現れた。
 息を荒くして、こちらに狙いを定めている。

「うるさい」

 ぱちり、と指をグラールが鳴らすと、イノシシはその瞬間、炎に包まれた。
 私は何があったか一瞬理解が追いつかなかった。

「ぶもぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 イノシシは転げ回って火を消そうと必死だったが、断末魔をあげて地に伏した。
 どうやって火をつけたのだろうか。
 そういえば、先程、指を鳴らしていた。

「燐か」

 発火温度が低い火薬物質。指先で弾く程度の力で発火させることができる。

「そうだよ、よく知ってるね」

 ただ、それだけでもないだろう。
 イノシシが数秒で焼けごげるなど尋常ではない。

「焼け死ぬってさ。結構苦しいらしいよ、窒息らしいから溺れ死ぬのと変わらないかな?」

 私は彼女が言い出した言葉に疑問を覚えた。
 何故、今そんなことを言うのだろうか。
 ぱちり、と再度指を鳴らした。
 グラールの周囲が炎で包まれる。

「でも、もうボクは生きている方が息苦しい。誰も信じられない」
 
 炎の中でグラールはつぶやく。
 自身の周囲全域に火をつけたので、逃げ道はもうない。

「溺れるものは、藁を掴むって言ってたけど、火の海だと藁なんて燃え尽きるよね」

 ごうごうと燃え上がり揺らめく火は、どこか幻想的ですらある。
 私は近づこうにも近づけない。
 火は不味い。あれに包まれると私の命は容易に終わる。

「ボクはここで焼けて死ぬけど、君は行くべきところに行けばいい」

 グラールは静かに座り込んだ。
 ゆくべきところか。
 ならば、征かねばならぬ。
 私はこの道を制さねばならぬ。
 私は覚悟を決めて一歩踏み出した。
 じゅうじゅうと、この身が溶けるような音がする。
 体が膨らんで、今にも弾け飛びそうだ。
 飛び上がりそうになる体を抑えて、私はこの身を進ませる。
 ……痛い。
 焼かれるのは苦しみであり、痛みだ。

「やめてよ。どうしてあんたがこんな事するんだよ」
「……私は自身の言葉を、証明するためだ」

 私が彼女の味方になると自ら言ったのだ。
 体の膨張を抑える事ができない。
 もう、元の姿には戻れないかもしれない。
 だが、私が何をすればいいか思いついた。
 私は膨らんだ体で、火の一角を抑えた。
 体が大きくならないとできない芸当だ。

「さあ、ここから渡れる。今のうちに渡るんだ」
「……でも」

 グラールは言いよどんだ。
 死を選ぼうとしているものに生きる道を示すのだ。
 それは、とても残酷なことでもあるだろう。
 ただの放っておけないという、ただの道場だったとしても。
 私が死をただ待つものを、見過ごすことができないのなら。
 人の命を変えるなら、自分の命も掛けねばなるまい。 

「……私は餅だ。藁などと同列に扱われても困るな。火の海程度、私にとってはぬるま湯に過ぎぬ。こんなものに私は負けぬ」

 私は必死で軽口を叩く。
 火に絡まれ意識を失いそうになるが、耐えて彼女の行動を待つ。

「……どうしてだよ。ボクの事なんか放っておけばいいじゃないか、ボクはもうどうなったっていいんだよ」

 確かに私は、彼女と何の縁もゆかりもない。
 だが、それでもだ。

「死にたい命を生かそうとするなど、お節介どころか傲慢だろう。けれど、私は思うのだ。嘆きの声をあげるのは、生きたいからではないだろうか、と」 

 私は彼女に会った時、最初にその嘆きの声を聞いている。

「私は生きている。そして、死にたくないのではなく生きたいのだ」
「うるさい。煩い。五月蝿い。ボクはあんたなんか大嫌いだ」 

 彼女は目に涙を浮かべた。

「ああ、それで構わない。君の活力になるなら、いくらでも憎んでくれ。だから、こちらに来るんだ。君が、君の意思を持って動かなくてはならない」

 彼女はうろたえ、拳を握りしめ私の言葉に答えた。
 
「ボクの事なんて何にも知らないくせに」
「これから知っていけばいい」

 最初に何も知らないのは人間だろうと何だろうと同じことだ。

「ボクはこれからどうやって生きればいいんだよ」
「私も一緒に考えよう」

 私は生まれついた時から備わっている謎知識もある。
 彼女の助けになれるやもしれない。

「だって、あんた。あんたは、……餅じゃないか。ボクと違う生き物じゃないか」
「それに何の問題があるというのだ。だいたい、全ての生き物は違う生き物だ」

 彼女は根本的な問題に触れてきた。

「確かに、私は餅だ。お前達人間が食料とする餅だ。私の覚悟が軽いと言うならば、滑稽であると言うならば。そして、信じられぬと言うならば。私は出会ったばかりのどうでもいい人間の為に、つまらぬ同情心のために命を投げ捨てるような、そんな程度の軽い命だと思うのならば。笑いたければ笑うが良い。だが、これが私のあり方だ」
 
 だから私は、彼女がどうあるか待とう。
 彼女は手の甲で自身の涙を拭いた。
 そのまま立ち上がって、炎の消えている私の一角に向かって跳躍した。
 これで炎から遠ざかった。そう思い安堵する。
 私は最後の力を振り絞って、転げ回って自身も炎から遠ざかった。
 べたん、べたん。
 安全な場所には来れたが、伸び切った体が元に戻らない。
 さきほどはあれだけ威勢のいいことを言っておいて、体が全く動かなくなる。
 人間であれば、顔が真っ青になっているところだ。
 彼女は近づいてきて、何をするかと思えば私を持ち上げた。
 ……まさか。
 私を喰らうつもりでは?
 今は体が焦げて、普段より美味そうに見えるはず。
 しかも体は動かない。絶対絶命だ。
 だが、予想に反して彼女は私を自身の胸のあたりで抱きしめた。

「離すがいい。今の私は熱かろう」
「良いの」

 グラールは私を抱きとめたまま、目から大粒の涙を流した。
 涙で体が冷えて心地よい。

「ありがとう」
 
 彼女が小さく礼を言うのが聞こえた。
 けれど、さすがに少し疲れた。
 これから、どうしていこう。
 遠ざかる意識に、そんな事を思った。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...