雪桜

松井すき焼き

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その二十三

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お風呂を終えた忍は、タオルと一緒に置いてあった下着とパジャマを着て、テレビの音がする部屋へと向かう。

部屋の中には義嗣が小説を読んでいるのが見えた。



「義嗣さん、お風呂ありがとうございます」

「いや」

義嗣は読んでいた本を置いて、忍をソファーの方へと招いてくれた。

なんだかどぎまぎしながら忍は義嗣の隣の方へと座ると、義嗣の呼んでいた本へと目を向ける。その本は英語で書かれていて、英語が苦手な忍にはよく読むことができない。

「義嗣さんは本が好きなんですか?」

「ああ」

「そうなんですか?」

そのまま忍と義嗣は黙り込む。沈黙が痛い。忍は義嗣との二人きりの空間に、なんだか緊張してしまう。

いや、忍だって人間だ。義嗣に口づけして、その、抱きしめたいと思う。けれどそもそも義嗣は忍のことが好きなのだろうか?

キスしたいっていう気持ちがあるのなら義嗣はそこそこ忍のことを思っていてくれるだろう。

「忍」

「は、はい!?」

つい義嗣の声に過剰反応してしまい、忍は赤面してしまう。

「なんか映画見るか?俺は普段あまりテレビ見ないから、よくわからないんだが」

「み、見ましょう。僕もあまりテレビ見ないから、なんでも見ます」

緊張しすぎて忍は自分が何を言っているのか、わからない。

忍は恐る恐る義嗣の横顔を見る。

キスしたんだと、忍は妙に感慨深い気持ちが浮かんでくる。

なんで義嗣さんはキスしたんですか?正直それが一番聞いてみたいが、そんな勇気忍にあるわけがない。そんなことを思ううち忍はもっと重要なことを思い出した。

「義嗣さんはヤクザをやめるんですよね?」

「まぁな。いい加減飽きたしな」

「そしたら、花屋を一緒にやりませんか」

「それもいいかもな」

それもいいということは義嗣は花屋になることを決めかねているのだろう。

「....僕は義嗣さんと一緒に居たいです」

気が付いたら忍はそう口にしていた。恥ずかしくなって赤面する忍のことを、義嗣はじっと見ている。

「い、いや、あの」

なんだか慌てる忍。

義嗣はぽつりと、「そうだな」と、つぶやく。

それ以降はほとんど黙って二人は静かな部屋で過ごした。

正直忍は義嗣に口づけたかったが、そんな勇気は忍にはなかった。



そろそろ帰らなければと忍は腰を上げると、義嗣は車で駅まで送ってくれることになった。忍の自宅までは危険だからおくれないらしい。

去り際義嗣は忍に向かっていった。

「ごめんな」

その義嗣の言葉の意味は忍にはわからない。わからないが忍はなんだか切なくなって、うつむいた。



義嗣はなんとか正気を保ち一人部屋でため息をついた。部屋に来客を知らせる音が鳴り響く。

ドアの前には義嗣の兄の久継が立っているのが、部屋の中から見えた。

義嗣がドアを開けると、相変わらず笑わない仏頂面で久継は言う。

「久しぶりだな」

「兄貴、久しぶり。今日はどうかしたのか?」

「父のことだ。父さんからお前への伝言がある」

「聞きたくねぇ」

「聞け。お前に最後のチャンスをやる。お前にお見合いの話が来ている。ヤクザから手を洗い、お見合いをお前が受けるのならば、家に帰ってきて言いそうだ。どうするつもりだ?」

義嗣の脳裏に、あの青年の姿が思い浮かぶ。義嗣の父親は容赦ない男だ。断ったらヤクザも義嗣自身も、忍の存在がばれたら忍にも危害が及ぶだろうことは、わかっている。

だからこそ義嗣は忍には近づかない。義嗣の答えは決まっている。

「くそくらえ」



そのころの忍は一人電車に揺られていた。

その日色々ありすぎたため、想像以上に忍の精神も肉体も疲れ果てて、電車の中で意識を保つことができなくなって、意識が遠くなっていた。



男の手が忍の胸をまさぐる。

だ、だめですって、義嗣さんっ!

くすぐったくて、くすくす忍は笑う。

そのうち男の鼻息が荒くなってくる。

「う?」

口をふさがれ忍は息苦しくなって、目を開く。

そこにいたのは忍に口づける見知らぬ男の姿だった。見知らぬ男に忍はキスをされている。衝撃で、忍は一瞬で目覚める。

だ、誰!?

悲鳴を上げたいが口をふさがれている。忍はなんとかもがくが、振りほどけない。

「っ!!」



「何をしている?」

低い男の声。

忍に対して口づけていた痴漢男は去っていく。

あの痴漢男もハンサムだった。痴漢しなくても恋人を作れるんじゃないのかと、忍は不思議に思う。

「君大丈夫かね?」

四十くらいの格好の好い渋い男が言う。

「え、ええ。ありがとうございます」

その男の顔を見て、忍は固まる。

痴漢から助けてくれたその男性は、なぜか電車内で忍に手をつないでくる男だった。

「君は本当に痴漢に会うな。気を付けたまえ」

男は忍の頬に触ると、そのまま去っていく。

一人残された忍は泣きながら電車に乗るのもうやめようかと、考えるのだった。
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