雪桜

松井すき焼き

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番外編 手つなぎおじさん

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忍はよく余った花を、店長からもらう。花束を持っていると、なんだか気分がウキウキして、花の香で癒される。

うきうき気分のまま、忍は電車に乗り込む。

「やぁ、ご機嫌だね?」
忍の横にやってきた、4、50代の男が、忍の花束を持っていないほうの、左手を握る。

4,50十代のこの渋い威厳があるいい男は、なぜかいつも忍の横にやってきて、忍の手を握ってくる。
忍はこの人のことを、手つなぎおじさんと呼んでいる。

「あの、ずっと聞きたかったんですが、どうしてあなたは僕の手を握るんですか?あなたは痴漢なんでしょうか?」

「私が痴漢?いやいや、私は君のファンなんだ。手をつなぐことは、許してほしい。私のことは、あしながおじさんとでも呼んでほしいな」

「あ、あしながおじさんですか?」

「ああ。君は私の心のうるおいだ。君のためならば、何でもしよう」

「いえ、そんな」

「私の話を聞いてもらえるかい?私は昔から、屍のように生きてきた」

「あ、あの・・」
戸惑う忍を置き去りに、男は語り始めた。

「私は仕事人間でね、妻も子供もいたんだが、妻が病気の時も、子供が事故にあった時も、家に帰ることはしなかった。それこそが家族のためだと思い込んでいたんだよ。愚かなことに。
子供がなくなった瞬間、妻は私を置いて、家を出ていった。私はそれから仕事に逃げて、ずっと一人きりだ。
どんなに出世しても心が満たされることがなかった。
そんな時に出会ったのが、君だ。君のことを、私は息子のように思ってる」

「・・・そうなんですか・・・」
同情している忍を、低い低いため息が遮った。

「あほか。息子だと思っている奴の、手を握る奴があるか?こいつに触ったら、殺すぞ。こいつは俺のだ」

忍の横で気配を隠して様子を探っていた義嗣が、手つなぎおじさんの腕をつかんで、締め上げる。

「まぁ、君のことを息子というか、正確にはアイドルのように思っているが」と飄々と男はいいかえる。
「君はなんだね?この子の新しい痴漢かね?」

「てめぇといっしょにすんじゃねぇ」とそこで義嗣は言葉を切り、少しだけ頬を赤くしていった。
「こいつは俺の恋人だ」

手つなぎおじさんは、忍の頬に口づける。

「この!」
激高した義嗣の隙をつき、手つなぎおじさんはそっと、手を放して、人混みの中に紛れて逃げていった。

「おい、待て!」
手つなぎおじさんの後を追いかけようとする義嗣のことを、忍は引き留めた。

忍の頬が赤い。

「ぼ、僕も義嗣さんのこと恋人だと思ってます」

そういう忍の手を、舌打ちをして、顔を赤くした義嗣は眉を寄せながら、握った。


それから手つなぎおじさんは、現れなくなった。と思いきや、ときどき忍の隣に現れて、何をするでもなく、ただ隣に立っているのだった。
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