細雪、小雪

松井すき焼き

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目隠しをしている、盲目の旅人の男が道を通りかかった。好都合だと、千鬼は刀を抜いて旅人の男に襲いかかった。
盲目の男は千鬼に腹を刺され、地面に倒れた。
見えない目でその男は千鬼を見上げて言った。
「哀れな人だ」
男の言葉に千鬼は笑う。
「腹を引き裂かれてもその減らず口をたたけるかな?」
男の腹の血を千鬼はすくい飲み干す。
「私は目が見えぬが、お主が鬼であることはわかる」
死が近いのか、盲目の男の引き裂かれた体が震える。最後の抗いの体の震え。
「くだらぬ。お前達は目が見えなくてもくだらないことしか言わないな」
死にゆく男を千鬼は馬鹿にして笑った。どいつもこいつも千鬼を赤い目をしているというだけで化け物と呼ぶ。目が見えなくてもこいつには殺そうとしている千鬼が化け物だということがわかるのだろう。
 その盲目の男は今までの誰とも違う憐れみの目で千鬼を見る。
「早く・・・殺せ」
その憐れむような盲目の目に、千鬼は遠い記憶をよみがえらせる。
あの千鬼の地獄の記憶のなかの美しい女が、いつの間にか現実で千鬼の目の前に立っていた。
女はなんとも物悲しそうな顔をしていた。女は言った。
「・・あなたは千人殺した罪を償わなければならない」
「お前は誰なんだ」
千鬼はその女がほしくて、ほしくてたまらなかった。手を伸ばして触れようとするが、手が届かない。
千鬼が見ていたはずの女はいつのまにかどこにもいなくなっていた。
・・・・あの女は千鬼が見た幻だったのか。
「うう」
男のうめき声に、千鬼は我に返る。千鬼が殺そうとしている男が、女と同じ眼差しで千鬼を見ていた。千鬼は興味をもち、聞いた。
「お前名前は?」
盲目の男の、水のような穏やかな魂の匂いをかぐ。
「・・・な、ぜ」
盲目の男はそんな疑問の言葉を残し、静かに呼吸を止めた。
男が死ぬ瞬間を見ているとなぜか無性に苦しくなったので、満たすように千鬼は男の血肉を貪り食った。 千鬼の腹は満たされたが、だが不思議とあまり満たされた心地はしなかった。
だから千鬼は男に自らの血を与えてみた。
ためしに与えてみた千鬼の血で、死んでいたはずの男はみるみる息を吹き返した。生き返って、起き上がった男は不思議そうに動く自分の両手と体を見ていた。
「なぜ?私は生きている」
「さぁな。お前の名前は」
「私は鷹里(たかさと)。仏からあなたへ天啓をうけた。私は肉を食らい生き物を食らった。その罪を贖うためこの身をすべてあなたに与えよともうし渡された」
前世という今の千鬼に関係ない罪を与えた仏。仏にたいする目もくらむような怒りをおぼえ、鷹里の腹を刀で切り裂き、えぐる。
男の絶叫にも千鬼の心はうごかされない。
だがこの鷹里という男はあの見も知らぬ美しい女と同じ眼差しをしていた。
 死んだ鷹里を生き返らせるためにまた、千鬼は自らの血を鷹里に与えた。千鬼の血を与えると、不思議なことに死にかけていた男は元通り息を吹き返す。生き返った男は千鬼に言った。
「あなたはまだ子供なだけだ。つらい目にあいすぎて、自分が何をしているかわかっていないだけだ」
そういって、鷹里は千鬼の頭を撫でた。
千鬼は頭を撫でられるのは初めてなので、驚いて目を見開いた。不思議な心持になった。なんだかこそばゆい感じがした。
千鬼はまだ十二歳にも満たない年齢の子供だった。
千鬼はこの男はたいそうな馬鹿な男だとおもった。千鬼はそもそも好きで人間を食らっている。
「あなたの名前は?」
聞かれたので千鬼と、名乗った。
「では千(せん)とよぼう」
 鷹里との生活は穏やかなものだった。目が見えない鷹里は三味線をかきならして千鬼に聞かせてくれた。
千鬼は腹がすくと、鷹里の腹の肉を食らおうとしたが、鷹里に拒絶された。
鷹里は千鬼の両肩を抑えて言う。
「人を食らってはいけない。千が本当の化け物になってしまう」
「俺は化け物だ。みんなそういうから」
化け物という言葉の意味を千鬼は知らなかった。ただ千鬼を見ると、たいていの人間はその言葉を言って、おびえていた。
「・・・千鬼は好きな人がいるか?」
「好き?」
鷹里から聞き覚えのあまりない言葉に千鬼は首を傾げた。
「お父さん。お母さんが好きか?」
「別に」
正直、千鬼は父と母の記憶はなかった。
鷹里の膝の上に千鬼は抱え上げられ、頭を撫でられた。
「千は私のことが好きか?」
「うまそうだと思う」
「うまそう?」
「人の肉は最近食っていない」
「それはとても悲しいことだ。もし私が死んだらあなたは悲しいか?」
「わからない」
誰かが死んだら千鬼の飢餓が満たされる。それだけだ。
「あなたが本当に悲しむことができたらあなたは化け物なんかではない」
自分の異形の赤い目を鷹里にまっすぐ見つめられて、千鬼は驚いた。
・・目が見えないから千鬼の、化け物の目が見られるのか?
「だから人を食ってはいけない」
「・・・くだらん」
ひどくつまらないことをこの男は言うな・・。その時千鬼はそうおもった。
「俺はお腹がすいたから食っただけだ。それに温かかったから」
血は温かくて、千鬼は満たされた心地がした。
「約束しなさい」
強く鷹里は言い張る。しぶしぶ千鬼は言った。
「・・・・・俺の頭をまた触るなら考えてやらんこともない」
鷹里は初めて見た千鬼の子供らしさに苦笑いを浮かべた。
そう鷹里と約束したが、それをまもることはたやすいことではなかった。
気が付くと人の肉を欲し、鷹里の血をすすろうと牙を皮膚に突き立てていた。すると鷹里に手加減抜きで頭を叩かれた。
そして千鬼は泣きわめく。
そんなことの繰り返しで、鷹里の腕は傷だらけになっていった。
「猛獣を飼っているよう」と、鷹里はよく言った。
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