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アルトレイラル(召喚篇)
晴香の決意 3
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「はふぅぅぅ~~~~…………」
木造の浴槽に溜められた、白く濁った乳白色の湯。人肌よりも少し熱めに焚かれた湯に、全身を包み込まれることから生まれた言いようのない安心感と心地よさから、思わずそんな声が絞り出される。
何気なく両手で湯をすくってみれば、乳白色の液体は両手の溝からこぼれ落ち、ちゃぷり、という音を立てて水面を揺らす。
まさか、こんなところでお風呂に入れるなんて……と、心地よさから遠ざかる意識を何とか引き止めながら、しみじみと思う。
「着替えは後で持ってくるから」そうルナに言われて、半ば強引に衣服を剥かれ浴室に入れば、そこには並々と湯が張られた浴槽が……。あまりの嬉しさに、ボロボロの格好のままルナに抱き着いてしまったほどだ。
「魔法……か……」
湯船に深く浸かり、ポツリと、そう呟く。
樹が発動した剣戟スキル、そしてルナが放った風魔法 《ブレイク・ショック》。どちらも 《カリバー・ロンド》に実装されていた攻撃スキルで、発動効果も似通ったものであった。ルナ曰く、あれがこの世界での攻撃手段らしい。
なぜ、この世界の魔法が、《カリバー・ロンド》と全く同じものなのか。もしかしたら、《カリバー・ロンド》の魔法が、こちらのものを模倣したものなのではないか。だとしたら、ゲーム制作者はこの情報を、どこから手に入れたのか。そして、なぜこの世界では部外者の樹が、その技を使えたのか。まあ、いくら考えても、答えなど解るはずがないのだが。
目をつむり、浴槽の中で足を抱える。温かいはずなのに、体が震えるような感覚に陥る。
オークに襲われた時の光景が、瞼の裏に投影される。続いて、幸運にも避けられた未来が、おぼろげながらに浮かぶ。
もしあの時、樹が立ち上がらなかったら……
かみ砕かれるのか、叩き潰されるのかは解らないが、間違いなく、晴香は死んでいただろう。いや、それ以前に、あの状態に持って行ってしまった張本人は他でもない晴香自身だ。二人なら逃げられた可能性を捨て、樹の生命を危機にさらし、あまつさえ樹に助けられる。間抜けだと、役立たずだと、疫病神だと呼ばずして何と呼ぶ。
そして質の悪いことに、あの時とった行動が間違っているとはどうしても思えない。
生き残ることを考えるのなら、あの場で飯田を見捨てるのが最善だっただろう。事実、自身の生命を危機にさらすような状況なら、見捨てるという消極的な行為は法律で認められている。
樹なら、間違いなくそうしただろう。余裕さえあれば、晴香を飯田から引きはがして連れて行っただろう。しかも、それは晴香のためであって自分のためではない。だから責められない、文句も言えない、言ったところで筋違い。
そして、どうしようもなくなれば、樹自身が身代わりとなるだろう。
寒気がする。
あの、狂気的なまでの自己犠牲を、
拒絶する。
樹のいない未来を、
恐怖する。
死の原因が、自分となることを、
「………………」
天井からの水滴で、波紋ができる水面をぼうっと眺める。
樹に抱いているのは、大半が好意という感情だ。関係ないというスタンスを貫きながらも、身内認定ほとんどいないがした人物のトラブルは、頼まれれば何があっても解決する。彼を知る者の中に、彼を否定する人物はいない。もちろん、晴香もその一人だ。
だが、好意になる前の感情は、普通の高校生が抱くようなものではなかっただろう。
端的に言えば、危機感……だろうか。
樹は、ドライな人間だ。
功績を誇ることもなく、見返りに何を求めるものでもない。だからこそ、その成果が明るみになることはほとんどなく、接点のない者からは烈火のごとく嫌われている。それでいいと、彼は納得している。
まるで、自分にかかわる人間を減らしているかのように、そう感じる。結果に伴う副産物が猛毒とまで言えるのも、その考えに信ぴょう性が増す要因だ。
進んで自分を壊しているようにしか、いっそ誰かに壊してくれと言っているようにしか思えない。
理解できなかった、彼の行動原理が。知ってしまった、彼の過去を。恐怖してしまった、彼が考えていることに思い至って。
樹は、贖罪のつもりなのだろう。自分なんかが幸せになってはいけないと、助けられなかった自分にその権利はないと、心の底からそう思っているのだろう。
彼の優しさを知ってしまったから、彼が壊れてしまう瞬間を見てしまうのが恐ろしくなった。そして、その瞬間はそう遠くないと悟ってしまった。
だからこそ、一緒にいた。
どれだけ突き放されても、どれほど拒まれても、あきらめてやるもんかと意固地になった。おせっかいな性格がここで役に立った。最終的に、今のままでいいよとまで樹に言わせたのだ。言いようのない達成感とともに、ふと自分の気持ちを覗いてみたら、
晴香は、樹に恋をしていた。
じゃぶりと、両手を前に突き出し水をかく。
今の状態が、吊り橋効果も含んでいることは否定しない。現実世界なら、ここまで樹のことを考えはしなかっただろう――とも言えないが……。
好きだからこそ、一緒にいたいと思うからこそ、怖い。
樹が死んでしまうことが。なにより、
その原因が、晴香であることが。
ルナ曰く、魔法の素質は万人にあるらしい。使えないのは、師匠に恵まれていないことが大きな原因なのだと。ならば、だとすれば、自分も使えるのだろうか。
自分の性格が変えられないことは、樹からも太鼓判を押されている。それに、この性格が嫌いなわけでもない。飯田の件も、あの行動に関しては何ら悪いこととは思っていない。後悔しているのは、何の力もなかったことだ。
だとすれば、力を持てばいい。
「よしっ」
ざばんっと勢いよく立ち上がり、湯をかき分けて浴槽から出る。ルナが用意してくれた服を着て、髪が乾くのも待たずに廊下を進む。
——いた。
ミレーナは、先ほどの居間にいた。晴香の姿を認め、いささか驚いたように目を見開いた後、納得したように微笑んだ。
「お風呂、いただきました」
「そうか。落ち着いたかい?」
「はい。さっきよりだいぶマシになりました」
そこで、口をつぐむ。一瞬の逡巡の後、再び口を開く。
人は、簡単に死ぬ。
強かった人が、死ぬはずがないと思っていた人が、いともたやすく退場する。
いま、ようやく解った。
そんな感情は、安心感は、単なる虚像に過ぎない。ひどく身勝手な妄想に過ぎないのだと。つかもうとすれば消えてしまう、実体のない幻想なのだと。
あの神谷 樹でさえ、ゲーム内ではトップクラスの実力をもつ彼でさえ、現実ではむしろ、常人よりも少し非力な少年に過ぎないのだ。
恐ろしい。
神谷樹は、必ず無茶をする。いままで通りのことを、反射的に行ってしまうだろう。だが、ここはゲームではない。
そんなことをすればどうなるかなど、目に見えている。
——守らなくては。
頼っていてはダメだ。くよくよしていてはダメだ。そんなことをして入れば、今度は彼がどこかに行ってしまう。
守らなくては。
もう、これ以上傷つかないように。
守らなくては。
私の想い人を、失わないように。
「ミレーナさん。お願いがあります」
「うん?」
目が覚めれば、樹のとる行動はなんとなく読める。だとしたら、今のままでは対等に渡り合えない。もう大丈夫なのだと、信じてくれなどとは、口が裂けても言えない。
「わたしに—————」
今度は、わたしが——。
木造の浴槽に溜められた、白く濁った乳白色の湯。人肌よりも少し熱めに焚かれた湯に、全身を包み込まれることから生まれた言いようのない安心感と心地よさから、思わずそんな声が絞り出される。
何気なく両手で湯をすくってみれば、乳白色の液体は両手の溝からこぼれ落ち、ちゃぷり、という音を立てて水面を揺らす。
まさか、こんなところでお風呂に入れるなんて……と、心地よさから遠ざかる意識を何とか引き止めながら、しみじみと思う。
「着替えは後で持ってくるから」そうルナに言われて、半ば強引に衣服を剥かれ浴室に入れば、そこには並々と湯が張られた浴槽が……。あまりの嬉しさに、ボロボロの格好のままルナに抱き着いてしまったほどだ。
「魔法……か……」
湯船に深く浸かり、ポツリと、そう呟く。
樹が発動した剣戟スキル、そしてルナが放った風魔法 《ブレイク・ショック》。どちらも 《カリバー・ロンド》に実装されていた攻撃スキルで、発動効果も似通ったものであった。ルナ曰く、あれがこの世界での攻撃手段らしい。
なぜ、この世界の魔法が、《カリバー・ロンド》と全く同じものなのか。もしかしたら、《カリバー・ロンド》の魔法が、こちらのものを模倣したものなのではないか。だとしたら、ゲーム制作者はこの情報を、どこから手に入れたのか。そして、なぜこの世界では部外者の樹が、その技を使えたのか。まあ、いくら考えても、答えなど解るはずがないのだが。
目をつむり、浴槽の中で足を抱える。温かいはずなのに、体が震えるような感覚に陥る。
オークに襲われた時の光景が、瞼の裏に投影される。続いて、幸運にも避けられた未来が、おぼろげながらに浮かぶ。
もしあの時、樹が立ち上がらなかったら……
かみ砕かれるのか、叩き潰されるのかは解らないが、間違いなく、晴香は死んでいただろう。いや、それ以前に、あの状態に持って行ってしまった張本人は他でもない晴香自身だ。二人なら逃げられた可能性を捨て、樹の生命を危機にさらし、あまつさえ樹に助けられる。間抜けだと、役立たずだと、疫病神だと呼ばずして何と呼ぶ。
そして質の悪いことに、あの時とった行動が間違っているとはどうしても思えない。
生き残ることを考えるのなら、あの場で飯田を見捨てるのが最善だっただろう。事実、自身の生命を危機にさらすような状況なら、見捨てるという消極的な行為は法律で認められている。
樹なら、間違いなくそうしただろう。余裕さえあれば、晴香を飯田から引きはがして連れて行っただろう。しかも、それは晴香のためであって自分のためではない。だから責められない、文句も言えない、言ったところで筋違い。
そして、どうしようもなくなれば、樹自身が身代わりとなるだろう。
寒気がする。
あの、狂気的なまでの自己犠牲を、
拒絶する。
樹のいない未来を、
恐怖する。
死の原因が、自分となることを、
「………………」
天井からの水滴で、波紋ができる水面をぼうっと眺める。
樹に抱いているのは、大半が好意という感情だ。関係ないというスタンスを貫きながらも、身内認定ほとんどいないがした人物のトラブルは、頼まれれば何があっても解決する。彼を知る者の中に、彼を否定する人物はいない。もちろん、晴香もその一人だ。
だが、好意になる前の感情は、普通の高校生が抱くようなものではなかっただろう。
端的に言えば、危機感……だろうか。
樹は、ドライな人間だ。
功績を誇ることもなく、見返りに何を求めるものでもない。だからこそ、その成果が明るみになることはほとんどなく、接点のない者からは烈火のごとく嫌われている。それでいいと、彼は納得している。
まるで、自分にかかわる人間を減らしているかのように、そう感じる。結果に伴う副産物が猛毒とまで言えるのも、その考えに信ぴょう性が増す要因だ。
進んで自分を壊しているようにしか、いっそ誰かに壊してくれと言っているようにしか思えない。
理解できなかった、彼の行動原理が。知ってしまった、彼の過去を。恐怖してしまった、彼が考えていることに思い至って。
樹は、贖罪のつもりなのだろう。自分なんかが幸せになってはいけないと、助けられなかった自分にその権利はないと、心の底からそう思っているのだろう。
彼の優しさを知ってしまったから、彼が壊れてしまう瞬間を見てしまうのが恐ろしくなった。そして、その瞬間はそう遠くないと悟ってしまった。
だからこそ、一緒にいた。
どれだけ突き放されても、どれほど拒まれても、あきらめてやるもんかと意固地になった。おせっかいな性格がここで役に立った。最終的に、今のままでいいよとまで樹に言わせたのだ。言いようのない達成感とともに、ふと自分の気持ちを覗いてみたら、
晴香は、樹に恋をしていた。
じゃぶりと、両手を前に突き出し水をかく。
今の状態が、吊り橋効果も含んでいることは否定しない。現実世界なら、ここまで樹のことを考えはしなかっただろう――とも言えないが……。
好きだからこそ、一緒にいたいと思うからこそ、怖い。
樹が死んでしまうことが。なにより、
その原因が、晴香であることが。
ルナ曰く、魔法の素質は万人にあるらしい。使えないのは、師匠に恵まれていないことが大きな原因なのだと。ならば、だとすれば、自分も使えるのだろうか。
自分の性格が変えられないことは、樹からも太鼓判を押されている。それに、この性格が嫌いなわけでもない。飯田の件も、あの行動に関しては何ら悪いこととは思っていない。後悔しているのは、何の力もなかったことだ。
だとすれば、力を持てばいい。
「よしっ」
ざばんっと勢いよく立ち上がり、湯をかき分けて浴槽から出る。ルナが用意してくれた服を着て、髪が乾くのも待たずに廊下を進む。
——いた。
ミレーナは、先ほどの居間にいた。晴香の姿を認め、いささか驚いたように目を見開いた後、納得したように微笑んだ。
「お風呂、いただきました」
「そうか。落ち着いたかい?」
「はい。さっきよりだいぶマシになりました」
そこで、口をつぐむ。一瞬の逡巡の後、再び口を開く。
人は、簡単に死ぬ。
強かった人が、死ぬはずがないと思っていた人が、いともたやすく退場する。
いま、ようやく解った。
そんな感情は、安心感は、単なる虚像に過ぎない。ひどく身勝手な妄想に過ぎないのだと。つかもうとすれば消えてしまう、実体のない幻想なのだと。
あの神谷 樹でさえ、ゲーム内ではトップクラスの実力をもつ彼でさえ、現実ではむしろ、常人よりも少し非力な少年に過ぎないのだ。
恐ろしい。
神谷樹は、必ず無茶をする。いままで通りのことを、反射的に行ってしまうだろう。だが、ここはゲームではない。
そんなことをすればどうなるかなど、目に見えている。
——守らなくては。
頼っていてはダメだ。くよくよしていてはダメだ。そんなことをして入れば、今度は彼がどこかに行ってしまう。
守らなくては。
もう、これ以上傷つかないように。
守らなくては。
私の想い人を、失わないように。
「ミレーナさん。お願いがあります」
「うん?」
目が覚めれば、樹のとる行動はなんとなく読める。だとしたら、今のままでは対等に渡り合えない。もう大丈夫なのだと、信じてくれなどとは、口が裂けても言えない。
「わたしに—————」
今度は、わたしが——。
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