仕掛けられた甘い罠に墜ちて

マスカレード 

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最悪の出会い

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 成瀬の足音が後方へと遠ざかった。人心地がついてほっとした北斗が、ようやくコーヒーに口をつけた時、カフェの入り口付近で、危ないわねと女性の怒り声が上がった。
 何かと思って北斗が振り返ると、入り口から飛び込んできた一人の男が、女性客にぶつかりそうになりながら、ガーデンテラス側の通路を駆けて抜けて、反対側の出口へ行くのが見える。
 サングラスとマスクをつけた怪しげな男が、赤いリボンつきの大きな箱を抱えているのに気がついて、北斗はコーヒーを噴き出しそうになった。
「あ、あの箱はまさか!?」
 口に含んだコーヒーを嚥下して即座に席を立つ。七星が走っていく男の背中を唖然としながら見つているのを遮るために声をかけ、コーヒーの伝票を押し付けて男の後を追った。
 人々とシュロの木の継ぎ目にしか姿は見えなかったが、いくらマスクとサングラスで顔を隠していても、家族として共に暮らしている北斗の目は誤魔化せない。あの身体つきは研吾にそっくりだ。
 座っている七星には、すぐ横にあるパーテーションが邪魔をして、逃げる途中の姿は見えなかっただろう。北斗が追おうとして立ちあがった時に、七星が人の悲鳴や視線を追って、後ろを振り返ったのを知っているので、確認できたのは男の後ろ姿だけだったはずだ。ただ、小脇に抱えた大きな箱と赤いリボンは隠しようが無かったが……
 人違いで会って欲しい!研吾は今日の商談も知らないし、家にいるはずだ。
 だが、どう否定しようとしても、奪う物も無いカフェで、あの人形を狙う人物が誰なのかと考えると、北斗の頭に浮かぶのはたった一人だった。
 ラッキーなことに、アンティークショップが入っているこのビルは扱う物と同じで、最新式のエレベーターは設置されていないようだ。店内を抜けたところで、ようやく最上階に到着したエレベーターに男が乗り込むのが見え、北斗は全速力でドアに突進し、閉まりかけたドアに片手を入れてこじ開けた。
 目の前に現れた北斗に、マスクとサングラスの男がかなり動揺しているのが見て取れる。近づくとやはり研吾だと分かり、北斗は信じられない思いで怒鳴りつけた。
「お前、何してるんだ!?」
「……」
 無理やりこじあけたエレベータの扉が背後で閉まる音を聞きながら、北斗は相手から目を離さず、エレベーターの途中の階のボタンを押す。一階に着いてしまったら、きっと研吾は逃げ出ようとするに違いない。無言の二人を載せたエレベーターが四階に着いた。
 北斗は研吾が逃げないように袖を握りながら、エレベーターの隣にある非常階段の鋼鉄の扉を開いて中に引っ張り込んだ。入り口から死角になる四階と三階の間の踊り場へと降りていき、到着した途端に研吾の背中を壁に押し付けて詰問する。
「成瀬さんはどうした?お前、それを奪ってきたのか?」
 割れ物を持ったまま階段でもみ合う気はないらしく、研吾が大人しく答えた。
「エレベーター内であの男を待ち伏せて、扉が閉まる瞬間にタックルして人形を取り返した。あの人は、不意打ちでまともにタックルを食らったから、壁にぶちあたって倒れたみたいだ。エレベーターのボタンは全て押してあったから、次の階で降りたかもしれない」
「何てことをするんだ!相手は代金を払ったんだぞ!これは窃盗だ。成瀬さんが怪我をしていたら窃盗致傷罪に問われるんだぞ!これが知れたら、会社ばかりか、七星まで陥れることになる。分かっているのか!?」
 怒りで血管が切れそうになりながら、北斗は人形を研吾から取り上げようとした。ところが北斗の手をかわし、研吾が反対側の腕に箱を持ち替えて、憮然とした態度で言い返してきた。
「魅蕾の作品は非売品なのに、勝手に売るあなたがいけないんだ。僕はただ大切なものを取り戻しただけだ。あの男には、商品が盗まれて戻らないからと説明して、代金を返せばいい」
「お前、そんな勝手なことが通ると思っているのか?こんな大きな荷物を持って派手に逃げれば、嫌でもお客たちの記憶に残る。成瀬さんが警察に届けてこの店に捜査が入れば、防犯カメラチェックでお前の姿が公にならないとも限らないんだぞ」
「一応、駐車場に入る時からサングラスとマスクはつけて……」
 バシッと研吾の横の壁を北斗が叩き、研吾の言葉を遮った。
「そういう問題じゃない。ダメなことはダメだ!もし盗んだのがお前だとバレなかったにしても、騒ぎの最中に関係のないはずの七星が返金したら、犯人と繋がりがあると疑われるかもしれないんだぞ?訴えられたら会社はダメージを受ける。そんなことも分からないのか?貸せ!俺が泥棒から奪い返したと言って、成瀬さんに渡してくる」
 北斗が傲然と言い放ち、手を突きつける。当然渡すと思っていた箱を、研吾が両手に深く抱き込んで強く首を振った。
「嫌だ!あなたの顔の人形は特別なんだ。渡せない」
「なっ……」
 何てことを言うんだと、ショックを受けた北斗の耳に、上階から七星の声が届く。
「北斗どこ?声が聞こえたけれど、いる?」
 研吾の身体がビクリと揺れ、意識が北斗から逸れたのを狙って北斗が箱を取り戻す。顎で階下を指して行けと促すと、研吾は今まで逆らっていたのが嘘のように慌てて駆けだした。
 北斗がホッとして七星の声が聞こえた上階を振り仰いだ時、そこにいる人物を見て心臓が止まりそうになった。静かな怒りと不信感を露わにして睨みつける男。上段に成瀬拓真が仁王立ちになっていた。
 暗い非常階段を七星が下りてくる足音が聞こえ、七星は目の前に立っているのが拓真と気が付かないのか、横を通り抜けて踊り場に降りた。北斗が抱えた人形の箱を見て、安堵の息をつくと、言い淀みながら訊ねる。
「北斗、それを盗った人って……」
「知らない奴だった。成瀬さんの恰好を見て、金持ちが値の張るアンティークを買ったと思ったらしい。俺が作った人形だと言ったら、価値がないと分かって、放り投げていったよ。キャッチしている間に逃げられた」
「そうなの?でも、カフェの中で見た時、背格好が研吾さんに似ていたわ」
「勘違いだ。見たこともない奴だった。俺は成瀬さんと話があるから、先に帰ってくれないか?コーヒー代は払ってくれたよな?」
 北斗の視線を追って、七星が後ろを振り返る。自分が追い越したのが成瀬だと分かり、顔色がみるみる青ざめた。七星がぎこちなく成瀬にお辞儀をすると、先ほどとは違ってにこりともしない成瀬が無言で会釈を返す。成瀬を気遣いながらも、七星が北斗に向き直った。
「コーヒー代は払ってきたけれど、成瀬さんと何を話すの?私も聞いていい?」
「心配するような話じゃない。もし人形が損傷していた場合、購入を取りやめるか、修理をするかお伺いするだけだ。どのくらい直せるかは、俺が作ったものだから、七星が対応するよりも俺の方がいい。七星も研吾を疑うなら家に帰って、いるかどうか確かめたらどうだ」
 小さく鼻を鳴らす音が聞こえたような気がして、七星の背後にいる男に目を向けた。眉根を寄せ唇を引き結んだ成瀬が、見透かすような瞳を北斗に向けている。北斗と目が合うと、成瀬は唇を片方吊り上げ、まるで蔑むような笑いを浮かべた。
 紳士的な男だと思っていた成瀬の豹変に、北斗は背中がじっくりと汗ばむのを感じた。
 一体どこから聞いていた?俺はマスクとサングラスで顔を隠した研吾と話す最中、研吾の名前を呼んだろうか?
 もし、呼んでいたとしたら、あの泥棒が研吾だと成瀬に分かってしまう。
 会話を思い返してみて、腹が立ったあまりに、研吾のことは多分お前呼ばわりしていたはずだと少し安心する。
 だが、名前を呼ばなくても、七星と会社にかかる迷惑を考えろと叱ったことと、七星との会話から、研吾が身内で、商品を盗った人物だということを容易に想像できるに違いない。
 成瀬に見られているとも知らず、俺は研吾を逃がしたんだ。相手が怒るのも無理はない。それに、研吾は盗んだ理由として、とんでもないことを言った。
『あなたの顔の人形は特別なんだ。渡せない!』
 思い出した途端、北斗は頭を抱えて座り込みたくなった。
 成瀬の蔑みは、もろもろの誤解から向けられたものだろうことが分かる。
 いや、誤解だと言い切れないのが苦しいところだ。成瀬がそれを言い出さないように、早くこの場から連れ出したい。
 状況を把握して、対処しようとしたのに余計に追い込まれたような気分になった時、成瀬が七星に話す声が聞こえた。
「もしご主人を疑っていらっしゃるなら、私が直接ご主人にお会いして、犯人でないかどうか確かめましょうか?エレベーターに乗った時に、一瞬ですが間近で見ていますし、これでも一応美容整形外科医なので、記憶の中のマスクとサングラスで隠れていない部分の特徴と、ご本人の顔を比べれば判断がつくかもしれません」
 終わった!北斗は俯いて唇を噛んだ。
 七星が心配そうに北斗の顔を覗き込んでくるので、北斗は無理やり笑顔を作る。
「成瀬さん。研吾の写真がスマホにあるので、人形をチェックする間、見てもらってもいいですか?」
 祈る気持ちで持ち掛けた言葉に、成瀬が冷たい視線を北斗に向けてもの言いたげに目を細めたが、やがて面白がっているのを隠そうともせず、尊大な態度で答えた。
「私たちは自己紹介がまだでしたね。七星さんとあなたの会話から察すると、あなたが七星さんの敬愛するお兄さんでしょうか?口元が似ていらっしゃる。双子は性格も似るそうですが、男性が純情な女性の性格と同じだとは思えませんので、どう違うかお話しするのが楽しみです」
 慇懃無礼に語る口調と挑戦的な瞳が、お前は妹を裏切っているだろうと暗に責めている。う~っ怖いと思ったが、ここは誠心誠意謝って、許してもらうしかないだろうと北斗は観念した。
 七星はまだ心配そうだったが、北斗が車のキーを渡して帰るように促すと、成瀬に挨拶をして階段を降りて行った。足音が遠ざかる間、気まずい空気が流れたが、扉の閉まる音を確認してから、北斗はすみませんでしたと頭を下げる。
「サングラスを取れ」
 不機嫌そうに命令をする成瀬に驚き、フレームの上から北斗の眉が跳ね上がる。横柄な態度を取られても、今は従うしかない。北斗が大人しくサングラスを外すと、成瀬の喉仏が上下に動くのが見えた。
「驚いたな。職業柄、美を理解しているつもりだが、お前の顔は本当にきれいだ」
 伸びてきた成瀬の手に顎を取られ、北斗は上を向かされた。
「何をするんだ!」
 顎に添えられた手を叩き落とし、きっと睨みつける北斗を見て、成瀬が人形の顔そのままだと言ってほくそ笑む。
 北斗自身は威嚇しているつもりでも、成瀬のような男には、嗜虐心を煽られ、相手をねじ伏せたい気分にさせられるだけだとは知る由もなく、悪態をついた。
「男にきれいとか気持ちの悪いこと言うな」
「おや?研吾とかいう男になら、特別な顔だと言われても構わないのか?」
「ぅ……」
「お前がもみ消そうとした事実を、妹にバラされたくなかったら、今から俺の家についてこい」
 完全に研吾との仲を誤解されていると思ったが、非常階段で話している内容を誰が聞くとも限らない。とりあえず、外見は紳士でも、中身が悪魔のように怖そうな美容整形外科医についていくしかないだろう。
 腹を括ったところで、成瀬から行くぞと声をかけられ、北斗は渋々あとに従った。
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