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新たなる旅路
174 時の精霊
しおりを挟む宿屋では、クリスとソニアが何かを食べながら深刻な顔で話し合っていた。
「もぐもぐ……どうしたらいいと思います? 絶対あたしの口からは言えませんよ?」
「私も言える訳が無いだろう。もぐもぐ……カーソンに言って貰うか?」
「8年前なら言えたでしょうけど、あいつ礼儀作法覚えちゃっちゃから、たぶん言えませんよ?」
「そこをどうにかして、言わせられんか?」
「あいつも料理下手だから、自分の事棚に上げてまで言えないと思いますよ?」
「もぐもぐ……何か良い方法は無いものか……」
「このままだとあたし達、お腹壊しちゃいますよ……もぐもぐ」
「しかし……このケーキという食べ物は旨いな」
「でしょ? あたしも初めて食べたとき、感動しましたよ」
「人数分買ったのに、お互い2個目に手を出してしまったな」
「大丈夫ですよ。帰ってくる前にまた買いに行けば――」
ガチャッ
部屋の扉が開き、帰ってきたイザベラ達が中へ入ってくる。
ガタガタッ
ソニアとクリスは慌てて立ち上がり、テーブルの上にある食べかけのケーキを身体で隠した。
イザベラは挙動不審な態度をとった2人へ話す。
「ただいま……どうしたのあなた達?」
「おっ、おかえりなさい」
「いえ、そのぅ…ケーキっていう甘いものを食べてました」
「何でそんなに慌てるのよ? 食べてても別に怒らないわよ?」
「い、いやそれが…人数分5個買っていたのですが……旨くて手が止まらずに……」
「あたしとソニアさんで2個ずつ食べちゃって……あと1個しかありません」
「私の分、ありますか?」
「え、ええ…ひとつだけなら……」
「あたし買ってきまーす!」
「おい待てクリス! 私も行く!」
ローラから睨まれたような気がした2人は、慌ててケーキの買い出しに部屋を飛び出した。
テーブルの上に残されたのは、2人の食べかけたケーキと手つかずのケーキがひとつ。
カーソンはゴクリと喉を鳴らし、両手に抱えた荷物を別のテーブルへと置いた。
残っているケーキを食べようとして振り向くと、既にローラの手が伸びていた。
「これがケーキという食べ物ですか? 甘い香りがして、とても美味しそうですわね」
「あっ…え、ええ。美味しいですよ?」
「私が頂いてもいいですか?」
「どうぞ……」
「お姉様とカーソンは、ソニアとクリスが買ってくるまで待っていて下さいね?」
「私にも一口くらいちょうだいよ」
「一口だけですわよ? はい、お姉様。あーん……」
「あーん………うんうん、美味しい」
「……ごくり」
「カーソンも食べますか?」
「いえ…俺は待ちます」
「ねえローラ、もう一口ちょうだい?」
「駄目です。お姉様も買ってくるまで待ってて下さいね?」
「んもぅ、ローラのケチぃ」
「ああ、アイスクリームとはまた違う美味しさ。これをいつでも食べられる人間が羨ましいですわ」
(俺は今食ってるローラさんのほうが羨ましいですよ……)
カーソンは目の前でケーキを頬張るローラを見ながら、自分が食べられない悲しみを堪えた。
しばらくして、それぞれ両手でケーキの入った箱を持ちながら2人が戻ってくる。
「ただいまー。ケーキ追加分買ってきました」
「どれもこれも旨そうで、あれこれ選んでいたら買いすぎてしまいました」
「どれどれ? あら、随分と買ってきたわね?」
「まあっ! 美味しそうですわ!」
「残りの1個、あっという間にローラさんが食って…泣きそうになってたよ」
「沢山買ってきたからさ、好きなの食べてよ」
「あなた達はもう食べたから、いらないのよね?」
「さぁ? 何の事でしょうか?」
「もちろん、この買ってきた分も食べますよ?」
「ちょっと…晩ゴハンが入らなくなるわよ?」
「ならばケーキを晩ゴハンにするまでです」
「目の前にケーキがある限り、食べない選択肢なんてありません」
「そんなに甘いものばっかり食べてると、そのうちお腹壊すわよ?」
「そっ、そうですね……腹の具合には気をつけねば……」
「はっ、はい……お腹、壊したくないです」
「なぁカーソン? お前、話したい事があるんじゃないのか?」
「……ソニアさん。あれ、たぶんダメです」
「俺、これとこれがいいな!」
「私はこれとこれ!」
「じゃあ、とりあえず私はこれね」
イザベラから腹の具合いを聞かれ、話を持ち出すには絶好の機会であった。
イザベラとローラに食事を作らせたくないと話し合っていた2人。
だが、いざ言い出す機会を得ても聞いた2人の機嫌が損なうのを畏れ、言いそびれた。
ならばカーソンを巻き込んで言わせようかと思い、ソニアとクリスはカーソンへ視線を送る。
カーソンは2人からの視線に全く気付かず、ローラと共に夢中でどのケーキを食べようかと選んでいた。
午後のおやつを終え、満足したクリスとソニアはカーソンが運んできた荷物を見ながら話す。
「はー美味しかった。んで、何を買ってきたんですか?」
「随分と買い込んできたようですが?」
「欲しかった物と、便利そうな道具を買ってきたのよ」
「馬車で使う、雷玉という道具もありましたわよ?」
「へぇ、あったんですか」
「まだ完成品じゃなくてな、火種や氷種と違って素手では触れないらしいぞ?」
「ふむ、素手で触ればどうなるのだ?」
「玉の中身は雷ですからね。チェイニーの雷雨を喰らうのと一緒になるみたいですよ?」
「人間は雷の特性をまだ把握しきれていないみたいなのよ」
「まだ、安全策を見つけられていないみたいですわ」
「そうなんですね?」
「あとはね、魔物の図鑑とか細々とした道具を沢山」
「? 図鑑は見てとれるのですが、道具はどこにあるんですか?」
「書物と箱のようなものしか無いようですが?」
クリスとソニアの目には、分厚い書物が複数冊収納された箱と、おそらく雷玉が入っていると思われる頑丈な箱、そして小さめな箱の3つしか映らなかった。
イザベラは先程錬金術師ギルドで買ってきた小さな箱を2人の前に置く。
箱を開けると中に向かって話し、続けてソニアとクリスに話しかけた。
「新規使用者登録。はいソニア、自分の名前をこの箱に話しかけて。精霊名まではいいから」
「? はい。ソニア」
「よし、登録出来たわ。次はクリスよ、新規使用者登録。はい、箱に話しかけて」
「はい……えっと、クリス」
「……よし、クリスも登録完了っと」
2人は言われた通り、箱に向かって自分達の名を話しかけた。
イザベラはクリスへ話す。
「クリス。あなたとカーソンが持っているお金、この中に入れてちょうだい?」
「? はい、分かりました。ほらっ、あんたの持ってる有り金もよこしなさい」
「俺から金よこせとか、クリスが街のゴロツキになった」
「馬鹿な事言ってないで早く、ほれほれ」
「俺が持ってたお金は先にもう、その箱に入れてるぞ」
「あ、そうなの?」
「先に俺達の稼いでたお金、別分けするんだってよ?」
「? それ、どういう事?」
「お金中に入れたら、しまってた袋も入れちゃっていいからね?」
「はい……?」
クリスはイザベラから言われた通り、カーソンと共有していた財布と自分の財布の中身を箱の中へ流し、財布として使っていた布の巾着も中へと入れた。
イザベラは箱を覗き込みながら話しかけ、ローラも箱の左上に浮かんだ文字を見ながら話す。
「入金確認……30万8452ゴールドか。全額をカーソンとクリスへ分配」
「……よしよし、15万4226ゴールドずつ振り分けられましたわね」
「それじゃあソニア。新たに作った資金、全部これに入れて」
「袋は最後に入れて下さいね?」
「はい、分かりました」
ソニアはゴールドの袋を箱の上でひっくり返し、そのまま袋も中へと入れた。
イザベラとローラは箱を見ながら話す。
「よしよし、入金確認……179万8811ゴールドか」
「全員に同額振り分け、余りは留保」
「35万9762ゴールド分配されて、1ゴールド余りね」
「カーソンとクリスは51万3988ゴールドになりましたわね」
クリスはイザベラとローラの会話を不思議に思い、何をしているのか聞いてみる。
「……イザベラさん、この箱って何ですか?」
「魔法の金庫よ。登録した人じゃないと取り出せないの。
で、さっきみたいに話せば箱が勝手にお金を分配してくれるの。
見て、左上のここ。5人の名前の横にゴールドが表示されてるでしょ?
この表示額以内なら、話した本人の分からお金を引き出せるのよ」
「へーっ。これ、金庫なんですか?」
「見てて。出金、イザベラ、20万ゴールド」
イザベラは箱の中へ手を入れる。
箱から手を抜き出すと、ゴールドが袋に入って一緒に出てきた。
「これで私のお金、20万ゴールドを取り出したわ。ほら、残金のところ見て。減ったでしょ?」
「おおっ……すっごい便利!」
「でしょ? 入金管理はローラにやって貰おうと思うの」
「もちろん、皆さんが自由に出し入れしても構いませんよ?」
「ちょっと、あたしも試してみていいですか?」
「ご自分の名前と、入金と出金は事前に箱へ話しかけて下さいね?」
「はい、やってみます」
クリスは金庫へ話しかけ、自分の所持金からゴールドを出し入れして試した。
クリスが金庫の便利さに驚いている所へ、カーソンが話しかけてくる。
「クリス? 俺の使っていたネックレス、お前にあげようか?」
「何で? あんたの分どうすんの?」
「俺、イザベラさんから新しいネックレス買って貰ったからさ、今まで着けてたやつ必要無くなったんだ」
「わ、凄い! お2人と同じネックレスじゃない!? うわぁ、いいなぁ」
「これがあれば全属性覚えても身体に負担かからないってさ。で、どうする? ネックレス、要るか?」
「うーん、要らないんだったら……欲しいかな?」
「分かった。それじゃ、着けてやる…………よしっ」
「ありがとう。大事にするね!」
「うん。無駄にならなくて良かった」
クリスはカーソンからネックレスを貰い、喜んだ。
カーソンが新しく身に着けたネックレスを見ながら、クリスは話す。
「しっかしそれ、綺麗なネックレスよね? 宝石も豪華。
えーっと、ルビーにサファイア、トパーズにエメラルド、ダイヤモンドに黒曜石?
でも……この一番真ん中に入ってる石、これって何だろう?」
「クォーツよ。時の精霊を司る石よ」
「へーっ。クォーツって言うんですか」
「時の精霊だけは私もローラも契約していないのよ。幻の精霊とも言われているわ」
「時の精霊はその名の通り、時間を自在に操れるそうですわ」
「時間を……操る?」
カーソンは腕を組み、首をかしげた。
「……ん? どしたの? 急に考え事なんかしちゃって?」
「なあクリス、ソニアさん。変な事聞くんだけど、戦っている最中に自分が死にそうになった時、時間がゆっくり流れたりするよな?」
「へ? 何言ってるのあんた? それ、どういう意味?」
「いや、急にさ、相手の剣がゆっくり動いてさ、自分以外時間が止まったような感覚にならないか?」
「ならないよ?」
「私もならんぞ?」
「え? 俺だけなの? この感覚って?」
イザベラとローラは、カーソンの話を聞いて驚いた。
「カーソン? あなた、もしかして……時の精霊と契約しているかも知れないわよ?」
「初めてその感覚を感じたのは、いつ頃ですか?」
「森で人間の弓矢に背中刺された時が初めてです。13年前、俺が谷に来るよりもちょっと前です」
「南の森にいた頃にはもう、その力が使えたという事か……」
「俺、知らないうちに南の森で時の精霊と契約していたって事ですか?」
「可能性はあるわね。その力、いつでも呼び出せるの?」
「いえ、自分が死にそうな攻撃を受けそうになった時だけ、そうなります」
「自らの意思で使える訳では無いのね?」
「はい。死にそうになった時だけです」
「うーん……契約しているというよりは、守られているってところかしらね?」
「守られている?」
「ええ。実際に契約している訳ではないけど、時の精霊はあなたの事をどこかで見ていているのかしらね?」
「あなたが危なくなった時だけ、特別に力を授けてくれるようですわね」
「そうなんですか?」
「時の精霊はとにかく謎なの。石の配置も一番真ん中でしょ?」
「上級精霊しかいないとか、神そのものではないかという説もありますのよ?」
「誰も契約出来たことが無いから、何も知られていないの」
「限られた状況とはいえ、力の恩恵を授かっているあなたが羨ましいですわ」
「……はぁ」
「あなたに限ってそんなことは無いでしょうけど、決して慢心しちゃ駄目よ?」
「どんな精霊にも意思があります。使えて当然なんて思わずに、使える事に感謝しなくては駄目ですわよ?」
「はい。それはもう、ずっと気を付けています」
カーソンは、自身に起こる奇妙な現象が時の精霊の仕業ではないかと言われる。
自分だけがそうなっていると知ったカーソンは、守ってくれていると思われる得体の知れない存在に感謝した。
夕食時間となるまで、部屋の中で時間を潰すカーソン達。
イザベラとローラは先程から書物を真剣な顔で読んでいた。
クリスが気になって話しかける。
「イザベラさんとローラさんは、何を読んでるんですか?」
「魔物の図鑑よ」
「これは、古代に人間が魔物について詳しく書いた本ですわ。
これから先、魔物に会う機会が増えると思います。
少しでも魔物に対する知識を補っておこうと思いまして」
「へーっ、あたしも読んでみていいですか?」
「ええ、いいわよ」
「うわぁ……何て書いてるのか読めない。書かれてる魔物の絵だけしか分かりません」
「クスクス……人間の古代文字は、予備知識がないと読めませんよ?」
「イザベラさんもローラさんも読めるんですよね……凄い」
突然何かをひらめいたクリスは、カーソンとソニアへ耳打ちをする。
クリスから話を聞いた2人は、クリスと共にコクコクと頷いた。
クリスは恐る恐る、書物に読みふけるイザベラとローラへ相談を持ちかける。
「イザベラさん、ローラさん。
お2人とも魔物の知識を覚える為にお時間使わないといけませんよね?
もし良かったら、今後外でゴハンの用意する時があったらですね?
あたしとソニアさんに任せて頂けたらなぁ…と、思うのですが?
いかがでしょう……か?」
「あら、そうしてくれると助かるわ。いくら時間があっても足りなさそうだもの」
「なるべく早く魔物の情報を覚えたいので、お願いしてもいいですか?」
「はいっ! お任せ下さいっ!」
不味い食事を作られる恐れの無くなったカーソン、クリス、ソニアの3人は肩を組んで喜びあった。
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