翼の民

天秤座

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めぐり会い

201 人狼の子とカーソン

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 カーソンは、黒い布のかけられた箱状の物体へと静かに近寄る。

 それまで小刻みにゴトゴトと動いていた箱は、動きがピタリと止まる。

 動かなくなった箱の中から、獣の唸り声が聞こえてくる。

「ヴヴヴゥ……グルル……ヴゥゥ……」
「ガウッ……ガウガウッ……」
「ごめんな? 今から布外すけど、怖がるなよ?」

 カーソンは黒い布の端を掴み、箱からゆっくりと外す。

 箱と思われていた四角い物体は、鉄製の頑丈な檻であった。

 
 布を外したカーソンはしゃがみ込み、檻の中に閉じ込められている2匹の生物を観察する。

 人間の子供のような姿で、腰の付け根からは白くてフサフサな尻尾が生えている。

 身体は白い体毛で覆われているが、胸や腹の部分は無毛で地肌が露出している。

 子供のような身体つきには不釣り合いな、人間の大人程ある大きな手と足。

 手足の指先には、頑丈そうな鋭い爪がある。

 その顔は輪郭に体毛こそあれど、獣というよりも人間に近い顔つき。

 顔の側面に耳は無く、頭の左右に付いている。

 その顔つきの違いから、雄と雌の2匹だとカーソンは感じた。


 2匹の子狼はカーソンに睨まれていると思い込み、恐怖で威嚇の唸り声すら出さない。

 絶望・恐怖・悲しみ・様々な感情を顔に出しながら、お互い抱き合って全身をブルブルと震わせていた。
 


 カーソンは鉄格子の錠前へと両手を伸ばし、ガチャガチャと鳴らしながら呟く。

「結構……頑丈だな。あいつらから鍵を奪うか、それとも壊し――」
「ギャゥッ!」

 雄の子狼は右手の爪で、錠前をいじっているカーソンの右手の甲を引っ搔いた。

 非力な子供の力といえど、その鋭利な爪で引っ搔かれた右手の甲からは、鮮血が滴り落ちる。


 カーソンは錠前から手を放し、出血した右手の甲を舌で舐めながら子狼達へ優しく話しかける。

「……そうだよな? 怖いよな? 攻撃したくもなっちゃうよな?」
「グルル……」
「うんうん、でも大丈夫だぞ? 俺はお前達を殺さない、助けてやる」
「ガルルル……」
「そんなに怖がるなよ。待ってろ? 今ゴハンもくるからな?」
「グルッ……ギャゥッ……」
「肉がくるぞ? 肉だぞ肉、肉」
「ウゥーッ……」
「お待たせ! 生肉の塊でもいいなら持ってきたよ! あんたの道具袋も」
「おっ、ありがとう」

 背後からクリスに声をかけられ、カーソンは檻から離れ、荷台の乗り口へと移動した。


 指定された物を手渡そうとしたクリスは、カーソンの右手の甲を見て驚く。

「ちょっとあんたどうしたのそれ!? やられちゃっちゃ・・の!?」
「うん。大丈夫だ、そんなに痛くない」
「ほらほら、水かけたげるから治しなさいよ」
「うん、ありがとう」

 クリスは水袋の水をカーソンの右手の甲へかけ、カーソンはヒーリングで傷を癒した。


 生肉と自分の道具袋を受け取ったカーソンは、ローラへ話す。

「ローラさん。ローラさんの結界って逆にも出来ますか?」
「逆? 逆とはどのような意味ですか?」
「結界の内側から、外へ出さないようにって出来ますか?」
「ええ、勿論出来ますわよ?」
「すみません。これから中の子供達、可哀想なんで檻から出したいんです」
「檻から出した際に、逃げ出されても大丈夫なようにしたいのですね?」
「はい、お願いします」
「分かりました…………さあ、いつ解放しても大丈夫ですわよ?」
「ありがとうございます。じゃあ、檻から出しますね」

 カーソンは馬車の周囲へ展開された結界を確認すると、荷台の中へ引っ込む。

 クリスは中の様子が気になったが、好奇の目で見られる子狼の心情を察してその場を離れた。

 すぐ傍で見守っているイザベラのほうが、自分よりもカーソンが危険に晒された時には直ぐに助けられるだろう、と。




 2匹の子狼は全てを諦めたような顔をしながら、檻の中でじっとしていた。

 カーソンが戻ってくると、子狼達は今にも泣き出しそうな顔で再び威嚇を始める。

 錠前に手をかけたカーソンに、雄の子狼は再び引っ搔こうと右手を振りかぶる。

 振り下ろそうとした手をピタリと止め、子狼は先程引っ搔いて出血させたはずの手が治っている事に気付く。

「ウッ…ウガッ!?」
「ギャ…ウゥ!?」
「ああ、さっきの傷はもう治したんだ」
「ア…ギャ…?」
「ウギャッ?」
「あはははは。お前達そんなに変な顔するなよ、面白いぞ?」

 2匹の子狼は目を丸くしながら、カーソンの右手、カーソンの顔、そしてお互いの顔を順番に何度も見比べる。

 カーソンは息の合った2匹の首の動きが可笑しくなり、愉快に笑った。


 錠前はそのまま切断してしまおうと思ったカーソンは、腰からサイファを1本取り出す。

 そのまま短剣程の刃を作り出したカーソンは、錠前に刃を当てながら子狼達へ話しかける。

「今、手ぇ出してくるなよ? 大怪我するからな?」
「ギャ…キャゥゥ……」
「キャン……キュゥゥ……」

 チチチチチ……

 チチチ……チュイン

 ボトッ

 サイファの刃はその高熱で錠前を溶かし、切断した。
 

 傷を付けたハズの手があっという間に治り、自分達がどんなに頑張っても壊せなかった物をコイツは壊した。

 目の前に居るワケの分からない生き物、その逃れられない恐怖の存在に子狼達は檻の隅で身体を縮ませ、抱き合ってガタガタと震えながら小便を漏らしていた。



 カーソンは小便を漏らした子狼達へ、檻の扉を開けながら話す。

「怖がらせてごめんな? 鍵は開けたぞ、出てきてもいいからな?」
「キャゥゥ……キュゥゥ……」
「キュゥン……キャゥゥゥ……」
「そんなに泣くなって。お前達を親元に帰したいだけなんだってば」

 カーソンは檻の前から後退し、手元に生肉の塊と道具袋を手繰り寄せ、子狼達の自発的な行動を待った。

 自分達を殺して食べる為に、あの固いモノを壊したんだと思い込んで泣いていた子狼達。

 何もせずに下がった事で初めて、この背中に透明な翼が見える化け物・・・・・・・・・・・・・・は自分達を殺そうとしていない、食べようとしている目じゃない、ひょっとして敵じゃないかもと思う。

 泣き止んだ子狼達は警戒心を少し緩め、化け物カーソンの目を見ながら行動を観察してみようと動き出す。





 言われなくても生肉と共に包丁とまな板を用意したクリスの配慮に、カーソンは改めて惚れ直しながら肉を切っている。

 子狼達は檻の入り口まで近寄り、カーソンが切った錠前をつつく。

「ギャウギャウ! ガウッ」
「ウガウガ! ギャウ、ヂヂヂヂヂ……ギャ」

 子狼達はカーソンと錠前を見比べながら、先程の錠前を切断した動作を真似た。



 子狼達の警戒心が薄れ、此方の動きを観察する余裕が出来ただろうと思い、カーソンは切った肉を見せびらかしながら子狼達へ話しかける。

「おーい、お前達? 腹減ってないか?」
「ギャゥ!?」
「ギャッ、ギャッ!?」
「この肉な? 人間が家畜として育てた牛の肉なんだ」
「ギャゥ……」
「ガゥガゥ……」
「これがまたな? 肉の味が濃くって旨いんだよ。モグモグ……」
「ギュッ……ギュゥゥ……」
「クルル……」

 カーソンは切った肉を子狼達の目の前で、わざとらしく旨そうに食べる。

 子狼達は鼻の下を伸ばし、檻の中から恐る恐る出てくる。

 その目は肉を一点凝視し、口からはよだれを出し、物欲しそうな顔をしていた。


 カーソンは両手に1枚ずつ切った肉を持ち、子狼達へ差し出す。

「ほら、食ってみろ? 旨いぞ?」
「…………キュゥ……」
「ギャウッ! ガウッ!」
「クゥン……」
「ギャ……ギュゥゥ……キュゥ」
「ギャウッ!」
「ウギャゥ! ギャゥゥ……」

 雄が恐る恐る手を伸ばすと、相方の雌が手を叩いて阻止する。

 雌はチラリと肉を見ると、堪らず自分も手を伸ばしてしまい、雄に手を叩かれる。

 子供とはいえ人狼の尊厳プライドにかけて他の生物からの施しは受けぬという葛藤を、お互い挫けそうになりながら守り合っている様子であった。



 同じ事を数回に渡り繰り返す子狼達へ、カーソンは手を引っ込めながら話す。

「そうか、食わないんなら俺が食っちゃおうかな?」
「フギャッ!?」
「ギャゥッ!?」
「ははははは。ほら、食えって」
「ウ……ギャゥ……」
「ギャ……ウゥ……」

 カーソンに肉を引っ込められ、慌てて手を伸ばした子狼達。

 再び差し出された肉に、とりあえず貰うだけは貰っておいてやろうと、それぞれ肉を受け取った。


 カーソンは再び手元にある切った肉を食べて見せながら話す。

「ほら、俺も食ってる。毒なんか入ってないぞ? モグモグ……」
「グルル……アムッ……クッチャクッチャ……ンギャ!?」
「ガルル……ハムッ……モチャクチャ……ギャッ!?」
「どうだ? 旨いか?」
「ギャゥ! ギャウギャウ! ギィ……」
「ンギャァ……ギャ……ウゥ……」
「お? 気に入ったか? まだまだあるぞ? ほらほら食え食え」
「アギャッ!」
「ギャゥッ!」

 目の前の化け物も同じ肉を食べた、毒は無いと判断した子狼達は肉を一口かじる。

 口の中で噛みしめ、今まで味わった事の無い肉の旨味に子狼達は目を丸くし、お互いを見つめ合う。

 こんなに旨い肉は初めてだと一心不乱に貪っていると、再び目の前の化け物から肉が差し出される。

 子狼達は噛んだ肉を右手で引きちぎりながら頬張り、左手で新しい肉を受け取った。



 いつの間にか子狼達の足元には、肉が貯め込まれている。

 それでも手を伸ばして要求し続ける子狼達へ、カーソンは微笑みながら手渡し続けた。

 肉が無くなり、カーソンは目の前で食べ続けている子狼達を優しい瞳で見つめる。

 子狼達もまた、目の前の化け物が実は優しい奴なのではないかと、警戒を解いてその瞳を見つめ返していた。



 カーソンは道具袋の中へ手を伸ばし、もしや使えるかも知れないと思った物を取り出す。

 中が空洞で細かい穴の開いた石が入っている細長い棒、先端には犬や猫の手の飾りがあしらわれている棒。

 ネストの錬金術師ギルドで振り回して遊んでいたら、イザベラに怒られた棒。

 カーソンは、わんわん棒とにゃんにゃん棒を買い取って自分の道具袋へとしまっていた。



 カーソンは右手にわんわん棒、左手ににゃんにゃん棒を持つと、子狼達へ振って鳴き声を聞かせる

 わんわんっ
 にゃんにゃんっ

 わんわわんっ
 にゃんにゃにゃんっ

「ギャ? ワ……ワンワンッ?」
「ンギ? ニャン……ニャン?」
「ワンワンッ! ワンワンッ! ケケケケケ!」
「ニャンニャンッ! アキャキャキャキャ!」

 音を聞いた子狼達は咥えていた肉をぽろりと落とし、堪えきれずに腹を抱えて笑い出す。

 ウェアウルフにもカーソンと同じく、棒の音から『腹減った』や『うんちしたい』と聞こえていた。


 わんわん棒、にゃんにゃん棒を振る度にゲラゲラと笑う子狼達へ、カーソンは棒を渡しながら話しかける。

「お前達も振ってみるか?」
「ギャゥ! ワンワンッ! キャキャキャ!」
「ワフッ! ニャンニャンッ! ギャギャギャ!」
「ははは、そんなに面白いのか?」

 棒を受け取った子狼達は、面白がって振り回しながら遊ぶ。


 やがて自分が持っている棒とは別な鳴き声も出して遊びたいと、お互いの棒を要求し合う。

 自分の棒を手放したくない子狼達は、力ずくで奪い取ろうと喧嘩を始めた。


 カーソンは袋からもう2本取り出し、それぞれが持っている棒とは別の棒を渡しながら話す。

「ほらほら、もう1本やるから喧嘩するな」
「ギャゥ!」
「ワゥッ!」
「うんうん。楽しいか?」
「ワンワン! ニャンニャン!」
「ギャゥギャゥ! キャキャキャ!」

 子狼達は棒を振り回し、色んな鳴き声を出しては笑っている。

 いつの間にか2匹仲良くカーソンの膝に腰かけ、棒を振って遊んでいた。

 カーソンは自分へ背中を預けた2匹の子狼に優しく触れながら、一緒に棒から発せられる鳴き声に笑った。




 馬車の外では、クリス達が馬車の中から聞こえてくる子狼達の笑い声を聞いていた。

「……あいつ凄いわ。相手が子供とはいえ、魔物手懐けたみたい」
「あなたもここから見るといいわ。すっかり打ち解けているもの」
「あいつ以外の者が覗いても大丈夫ですか?」
「可愛いわよ? ここで見ている私にも笑顔を見せてくれるわ」
「わ、それ可愛いかも?」
「それじゃあ、交代ね。私はちょっと外が気になるから」
「外? ああ、奪い返しに来てる大人のウェアウルフですね?」
「ええ。連中の王、ライカンスロープが3匹も来てるからね」
「えっ!? 王って……ウェアウルフのボスですかっ!?」
「風の目で見たら金狼が1匹、銀狼が2匹、すぐ傍まで来ているわ」
「だっ、大丈夫なんですかっ!?」
「大丈夫じゃないわよ。あの3匹が街へ入ったら、大変な事になるわね」
「ちょっ……まずい状況じゃないですかそれって!」
「だから絶対に此方から仕掛けちゃ駄目。やったら最後、死人が出るわ」

 子狼達の笑い声を聞いて和んでいる周囲の人々とは裏腹に、イザベラとローラは外に居る人狼の王ライカンの動向に細心の注意を払っていた。




 その時、突然月明かりがフッと途切れる。

 そして馬車の前、先程まで誰も居なかった場所へ光る物体が3つ、突然現れる。

 高さがおよそ10mもある街の城壁を軽く飛び越え、3匹のライカンスロープが街の中へ侵入してきた。



 いとも容易く城壁を飛び越えて金狼と銀狼が現れ、東門周辺には悲鳴が響き渡る。

 慌てて弓を構える衛兵達へ、イザベラは叫ぶ。

「やめなさいっ! 此方から仕掛けたら最後! 皆殺しにされるわよ!」
「あ……うぅ……」
「おやめなさい! 戦ってどうこう出来る相手ではありません!」
「皆動かないで! 下手に刺激しちゃ駄目よ!」
「ソニア! クリス! お姉様の傍へ!」
「はっ!」
「はいっ!」
「ローラ……分かっているわね?」
「ええ……あの3匹をわたくし達と共に、結界の中へと封じ込めます」
「ソニア、クリス。最悪死ぬかも知れないけど……許してちょうだいね?」
「勿論です。この命、両陛下の為に!」
「……ごくり」

 ローラは馬車へと張った結界を解除し、ソニア達と共にイザベラの傍へと集まる。

 金狼と銀狼は微動だにせず、目の前に集まってくるイザベラ達の向こう側、馬車の中で笑う我が子達の声に耳を傾けている。



 ドラツェン東門の周辺には一触即発の緊張感が走る。

 
 カーソンと子狼達は外の状況に気付かず、未だに声を上げて笑っていた。


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