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象山暗殺異聞
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京の町が慌ただしい。
半月ほど前に河原町三条東入北側の池田屋で騒動があった。池田屋に尊攘派の志士たちが一堂に会していたという。そこに新選組が襲撃して大立ち回りを繰り広げたのであった。
新選組は京都見廻組と同じく京都守護職配下の一団である。実体は武士でない者や脱藩浪士から成る人斬り集団と言ってよい。
その結果、尊攘派の志士が七人死亡し、二十三人が捕縛された。
以来、浅葱色のだんだら染の羽織姿の新選組隊士たちが町を練り歩く姿が目に付く。
「あのような目立つ格好で徒党を組んで、偉そうに」
新兵衛は団子屋の店先の縁台に座って団子を頬張っていた。
「田中はんも気を付けてくださいませ。新選組は尊攘派の志士と聞いたら見境なく斬りかかってきますよ」
「わしは尊攘派などとは関わりはない。ただの人斬りじゃ」
「不逞浪士も同じでございます」
横に座って煙管を吸いながら新兵衛と話しているのは、人斬りの仕事を斡旋してくれる女商人だ。美しく髷を結って艶然と笑みを浮かべている。
「けっ。近頃は小物ばかりで金になりそうな仕事が少ないのう」
「一人、大物がございますよ」
「誰だ」
女商人は口からゆっくり煙を吐いた。
「松代藩士、佐久間象山。近頃京に来て公家の方々を訪ね回っているそうでございます。ご自分のことを天下の師と謳い開国論とやらで尊攘派の考えを退けようとしているとのこと」
「難しい話はいい。で、そいつの首はいくらになる」
「五十両」
「まことか」
新兵衛は団子を食べる手を止めてまじまじと女商人の顔を見る。
「ですが。すでにその仕事を受けた者がございまして」
「なんだと。そいつは誰じゃ」
女商人は縁台の角で煙管を叩いて中の灰かすを落とした。
「新参の人斬りで肥後藩士、河上彦斎」
それから新兵衛は佐久間象山の動きを探り始めた。
象山は面長の顔に髭をたくわえ、眼光が鋭い長身の男であった。宿舎のある三条木屋町から外出の際には西洋式の鞍をつけた馬にまたがる。威風堂々と洛中を行く姿は嫌でも目立っていた。
――斬ってくれと言わんばかりじゃのう。
しかし常に門人二人が付き従っている。
――馬上の象山を一太刀で仕留めないと、馬で逃げて仕舞われたら厄介じゃ。
新兵衛は顎を撫でながら幾度も考えを巡らせた。
「さて。河上彦斎はどうする」
◇◆◇◆◇
元治元年(一八六四)七月十一日の昼下がり。
着物の前を大きくはだけて露わになった赤銅色の逞しい胸に汗がしたたる。赤い西瓜に齧りつきながら、この日も新兵衛は象山の後をつけている。
象山は白縮飛白地の紺縞の単衣に黒呂の肩衣を着て、紺縞の袴を穿き、白柄の太刀に国光の短刀を差していた。
いつものように公家の屋敷などを訪ねたあと、象山は木屋町の宿舎に帰る途中であった。
真夏の太陽が馬上の象山の影を地に焼き付ける。
通りが一町(約一〇九メートル)近くある。突き当りを折れるとすぐに象山の宿舎。
――やるならこの通りじゃが。
新兵衛は西瓜の種を噴き出して、腕で口元を拭う。
その時、二人の武士が象山の行く手に現れて抜刀した。
――まだ早い。
刺客は慌てふためく門人には目もやらず、象山に斬りつけた。
象山は鞭で刺客の剣を払ったが、股のあたりを斬られた。
馬が棹立ちになる。刺客が退いた。
象山が腹に蹴りを入れると馬が駆けだす。
――わしならここだ。
新兵衛は西瓜の皮を投げ捨てて走ろうとした。
馬の行く手の陽炎が揺らめく。傘を被った小柄な武士が立っていた。
――女。
傘の下から覗く細い顎の線と白い肌はまさに女のそれである。
武士は傘を取った。女のように美しい顔立ちだが男であった。
「あれが河上彦斎――」
新兵衛は思わず声に出していた。
彦斎は、刀を持つ右腕を前に、左足を後ろに退いて、右足を曲げて立った。全身が一本の刀と化す。
新兵衛が見たこともない構え。
彦斎は馬とすれ違う刹那、地を蹴って跳ぶ。陽光一閃、彦斎の刀は象山の脇腹を薙いだ。
素早く振り返りながら再び跳んだ彦斎は馬上で揺れる象山の顔を斬る。
彦斎の剣は舞のようであった。
象山が馬から落ちた。馬はそのまま走り去って行く。
彦斎は動かなくなった象山をじっと見下ろしていた。
一瞬の出来事に町の者たちは息を飲んで見ていたが、にわかに騒ぎ始める。
「て、天誅だ」
「新選組が来るぞ」
新兵衛は彦斎の剣を凍り付いたように見ていたが、騒ぎ声で我に返ってその場から去ろうとした。まだ彦斎は刀を持ったまま立ち尽くしている。仲間らしき刺客たちはすでに姿を消していた。
新兵衛は少し考えてから、彦斎のところに向かった。
「おい。逃げないと新選組に捕まるぞ」
女と見紛う顔が蒼白になっていた。
「逃げないのか!」
「か、体が動きません」
「なに。おまえ人を斬ったのは初めてなのか」
彦斎はなんとか首を縦に振った。
初めての人斬りがあの太刀捌きである。新兵衛は彦斎の恐るべき才に戦慄した。同時に彦斎と組めば大きな仕事ができる予感も抱いていた。
「よし逃げるぞ」
新兵衛は彦斎を担いでその場を去って行った。
「おまえさん河上彦斎じゃろ」
背中に彦斎が頷く感触があった。
「わしは田中新兵衛。人斬り新兵衛と言えば京では少しは知れた名じゃ」
「あなたが、あの田中さん」
「どうじゃ、わしと組まんか。大金を稼がんか」
しばらくして、再び彦斎が頷く。
新兵衛は彦斎を担いで笑い声を上げながら、真夏の陽射しに焼け付く京洛を駆けて行った。
半月ほど前に河原町三条東入北側の池田屋で騒動があった。池田屋に尊攘派の志士たちが一堂に会していたという。そこに新選組が襲撃して大立ち回りを繰り広げたのであった。
新選組は京都見廻組と同じく京都守護職配下の一団である。実体は武士でない者や脱藩浪士から成る人斬り集団と言ってよい。
その結果、尊攘派の志士が七人死亡し、二十三人が捕縛された。
以来、浅葱色のだんだら染の羽織姿の新選組隊士たちが町を練り歩く姿が目に付く。
「あのような目立つ格好で徒党を組んで、偉そうに」
新兵衛は団子屋の店先の縁台に座って団子を頬張っていた。
「田中はんも気を付けてくださいませ。新選組は尊攘派の志士と聞いたら見境なく斬りかかってきますよ」
「わしは尊攘派などとは関わりはない。ただの人斬りじゃ」
「不逞浪士も同じでございます」
横に座って煙管を吸いながら新兵衛と話しているのは、人斬りの仕事を斡旋してくれる女商人だ。美しく髷を結って艶然と笑みを浮かべている。
「けっ。近頃は小物ばかりで金になりそうな仕事が少ないのう」
「一人、大物がございますよ」
「誰だ」
女商人は口からゆっくり煙を吐いた。
「松代藩士、佐久間象山。近頃京に来て公家の方々を訪ね回っているそうでございます。ご自分のことを天下の師と謳い開国論とやらで尊攘派の考えを退けようとしているとのこと」
「難しい話はいい。で、そいつの首はいくらになる」
「五十両」
「まことか」
新兵衛は団子を食べる手を止めてまじまじと女商人の顔を見る。
「ですが。すでにその仕事を受けた者がございまして」
「なんだと。そいつは誰じゃ」
女商人は縁台の角で煙管を叩いて中の灰かすを落とした。
「新参の人斬りで肥後藩士、河上彦斎」
それから新兵衛は佐久間象山の動きを探り始めた。
象山は面長の顔に髭をたくわえ、眼光が鋭い長身の男であった。宿舎のある三条木屋町から外出の際には西洋式の鞍をつけた馬にまたがる。威風堂々と洛中を行く姿は嫌でも目立っていた。
――斬ってくれと言わんばかりじゃのう。
しかし常に門人二人が付き従っている。
――馬上の象山を一太刀で仕留めないと、馬で逃げて仕舞われたら厄介じゃ。
新兵衛は顎を撫でながら幾度も考えを巡らせた。
「さて。河上彦斎はどうする」
◇◆◇◆◇
元治元年(一八六四)七月十一日の昼下がり。
着物の前を大きくはだけて露わになった赤銅色の逞しい胸に汗がしたたる。赤い西瓜に齧りつきながら、この日も新兵衛は象山の後をつけている。
象山は白縮飛白地の紺縞の単衣に黒呂の肩衣を着て、紺縞の袴を穿き、白柄の太刀に国光の短刀を差していた。
いつものように公家の屋敷などを訪ねたあと、象山は木屋町の宿舎に帰る途中であった。
真夏の太陽が馬上の象山の影を地に焼き付ける。
通りが一町(約一〇九メートル)近くある。突き当りを折れるとすぐに象山の宿舎。
――やるならこの通りじゃが。
新兵衛は西瓜の種を噴き出して、腕で口元を拭う。
その時、二人の武士が象山の行く手に現れて抜刀した。
――まだ早い。
刺客は慌てふためく門人には目もやらず、象山に斬りつけた。
象山は鞭で刺客の剣を払ったが、股のあたりを斬られた。
馬が棹立ちになる。刺客が退いた。
象山が腹に蹴りを入れると馬が駆けだす。
――わしならここだ。
新兵衛は西瓜の皮を投げ捨てて走ろうとした。
馬の行く手の陽炎が揺らめく。傘を被った小柄な武士が立っていた。
――女。
傘の下から覗く細い顎の線と白い肌はまさに女のそれである。
武士は傘を取った。女のように美しい顔立ちだが男であった。
「あれが河上彦斎――」
新兵衛は思わず声に出していた。
彦斎は、刀を持つ右腕を前に、左足を後ろに退いて、右足を曲げて立った。全身が一本の刀と化す。
新兵衛が見たこともない構え。
彦斎は馬とすれ違う刹那、地を蹴って跳ぶ。陽光一閃、彦斎の刀は象山の脇腹を薙いだ。
素早く振り返りながら再び跳んだ彦斎は馬上で揺れる象山の顔を斬る。
彦斎の剣は舞のようであった。
象山が馬から落ちた。馬はそのまま走り去って行く。
彦斎は動かなくなった象山をじっと見下ろしていた。
一瞬の出来事に町の者たちは息を飲んで見ていたが、にわかに騒ぎ始める。
「て、天誅だ」
「新選組が来るぞ」
新兵衛は彦斎の剣を凍り付いたように見ていたが、騒ぎ声で我に返ってその場から去ろうとした。まだ彦斎は刀を持ったまま立ち尽くしている。仲間らしき刺客たちはすでに姿を消していた。
新兵衛は少し考えてから、彦斎のところに向かった。
「おい。逃げないと新選組に捕まるぞ」
女と見紛う顔が蒼白になっていた。
「逃げないのか!」
「か、体が動きません」
「なに。おまえ人を斬ったのは初めてなのか」
彦斎はなんとか首を縦に振った。
初めての人斬りがあの太刀捌きである。新兵衛は彦斎の恐るべき才に戦慄した。同時に彦斎と組めば大きな仕事ができる予感も抱いていた。
「よし逃げるぞ」
新兵衛は彦斎を担いでその場を去って行った。
「おまえさん河上彦斎じゃろ」
背中に彦斎が頷く感触があった。
「わしは田中新兵衛。人斬り新兵衛と言えば京では少しは知れた名じゃ」
「あなたが、あの田中さん」
「どうじゃ、わしと組まんか。大金を稼がんか」
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