八人の王子の街の二人の姫～ノバラとツバキの場合～

フランボワーズ

「小説は進みましたか、ノバラさん」
　ふと顔をあげると、雇われマスターのKがグラスを拭きながらこちらをみていた。
「私のことはイケメンのマスターと書いてくださいよ。若くて洒落たマスターがいるって」
　そう冗談めかして言うのは、マスターの茶目っ気たっぷりの性質を表しているようで少し愉快だった。三十半ばから後半くらいにしか見えない若い見た目だが、実際は五十を越えていると言う。マスターは軽快な喋り口とともに出来る男、と言う風格があるので、言われてみればさもありなん、と言うところだ。
「まだ最初の書き出しを書き終わったところですよ。Cさんに見せて許可を貰わないと、続きが書けない」
「あー、そうですねー。Cさんがこのあと来るんで、見せてあげたらどうです？」
　フランボワーズミルクの赤が混じった乳白色のグラスを傾けながら、私は「此処に来る前は書きたいことがあった気がするけれど、酒を飲んだら忘れた」等と軽口を言ってマスターを笑わせていた。
　グラスが空になる頃に、丁度Cさんがマフラーを外しながら「ごめんなさい、Kさん。遅れちゃったわ。あら、ノバラさんお久しぶり」と女性らしい高い声を発しながら自動ドアを潜ってきた。
「私のエプロン何処にあるかしら？」
　等と、接客の準備を整えているCさんを待ち、カウンター内に収まったCさんに改めて名刺を渡し、このバーを小説の舞台にしたい旨を伝えて、書きかけの文章を読んで貰った。
　まじまじと私の文章を読んだCさんは「うちの店が出てくるなんて感動しちゃった。勿論良いわよ」と快諾してくれたのだった。