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018 キスは事実か妄想か
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「ふぅ。ぁあ~生き返る」
私は広い浴槽に体を投げ出して大きな溜め息をついた。
二十五時に酒場が閉店し、三十分かけて後片付けと掃除。
ようやく解放され従業員専用のお風呂へ。銭湯ぐらいの大きさで四角い浴槽は桧の様な木の作り。体を洗う洗い場は黒い石を組み合わせて作られていた。
シャワーもついていて至れり尽くせりだ。
この世界にお風呂があってよかった。シャワーだけでは辛い!
もう、注文マラソンのしすぎで、足がパンパンだ。
十七時から二十五時の八時間ずっと立ったままだもんね。
「体力が持つかなぁ」
体力だけは自信があったが毎日だと潰れないだろうか。
私はふくらはぎを両手でもみながら溜め息をついた
今の時間お風呂は私の独り占めだ。
他の女の子達は先にお風呂に入ったか、意中の男性とそれこそ時間泊に誘われて出ていったようだ。
なるほど。そういう事なのか。今になって分かるもう一つのシステム
軍人がこういった酒場に勤しんで通うわけだ。
軍人も遊べる女の子を探しに来ているし、酒場に所属している女の子もあわよくば高給取りの軍人の恋人になろうとアピールに必死だ。
娼館とは言わないけれども、踊り子や歌い手の女の子と合意の上なら一晩の関係でもいいのだ。
こういったラブホテル──ではなかった、時間泊を公的に認められ、一カ所にまとめたくなるわけだ。
踊り子が魅力的で人気な理由もよく分かった。
マリンの踊りは別格で芸術的だったけれど、他の女の踊りは本当に相手を誘うだけの様な感じだった。
私には無理だわ……学生時代の創作ダンスでもお手上げなのに。
バク転とかなら得意なのだけれどなぁ。
「まぁ、ジルさんにも間に合っているって断られたけどね」
両足をもみ終わって、今度は肩をぐるぐる回す。
ストレッチしてから寝ないとこれは疲れが溜まるなぁ。
あらゆるコリというコリをほぐしてから、もう一度肩までゆっくり湯船につかる。
それから、唇を指でなぞってみる。
あれって、キスされた様に思うけれど……
マリンが踊り終わったあと、拍手喝采の嵐が中々なりやまなかった。
私は慌てて仕事に戻ったが、ザックはその時も何事もなかった様に「頑張れよ」声をかけてくれた。
そして、ビールを数杯飲んだら今日は帰ると言って、お昼の時の様に私の頭をポコンと頭を叩いて去っていった。
「気のせいだったのかな」
浴槽の中で体育座りになり、ブクブクと泡を出しながら顔半分までお湯につかる。
今度会った時「あの時私にキスしました?」とか尋ねる勇気はない。
だってどういう顔してザックに聞けばいいの。勘違いだったら酷く恥ずかしい。
「ああ~もうっ! 考えるのやめた!」
濡れた頭をかきむしり湯船から勢いよく出る。
きっと私の気のせいだ。
何か頭の中の回路が混乱して勝手な妄想を(?)作り出したに違いない。
「うん! そういう事にしておこう!」
誰が聞いているわけでもないが一人この話に結着をつけてみる。
すると浴場の入り口のドアが開いて、小柄な女性が入ってきた。
赤い髪の毛と小麦色の肌をしている。赤い髪はくせ毛なのか所々クルクルとカールしており、背中の真ん中まで伸びている。胸は張りがありツンと上を向いていて、腰はくびれてお尻は小ぶりだがこれもまた綺麗に上を向いている。
彼女は確か、マリンが踊っている時に歌を歌っていた女の子だ。湯船から立ち上がった私を見つけると、「あっ!」と声をあげ、勢いよく浴槽の側に近づいてきた。
「あんた、新しく入ったナツミ、だっけ?」
「うん。そう。よろしくね、えーと名前は─」
「ミラよ」
「うん。ミラお疲れ様」
「お疲れ様じゃないわよ。あんた、あれはヤバイから!」
ミラは食いつかんばかりに私の胸の前に人差し指を突き立てた。
「え? ヤバイって? 何が?」
私はのけぞりながら、浴槽から出ようとした足を引っ込める。
ミラは綺麗に整った眉を吊り上げて、今度は周りをキョロキョロと見回した。
それからお風呂場に私と二人きりである事を確認してから小声で話し出す。
「舞台上で歌っている時見えたわよ。あんたさぁザックとキスしてたでしょ!」
「え?!」
私は驚いてミラに飛びつく。ミラの両腕を掴んで思わず顔を近づける。
「ホ、ホント?! キスしてた?」
お風呂場に私の声が大きくこだました。ミラは目を丸くして慌てて両手で私の口を塞ぐ
「ち、近いからっ! 声も大きい静かに!」
私はコクコクと何度も頷き返す。そういうミラも声は大きいのだけれど。
分かったらならいいわと言いながらミラは両手を外してくれた。
二人共素っ裸で何をしているのやら。
「何を驚いてるのよ、舞台からはバッチリ見えたわよ。他はみんなは、あたしやマリンを見ていたから気が付いてないけど、こっちからは丸見えだったわよ!」
ミラはそう言い張ると胸を揺らしながら両手をくびれた腰にかけた。
「そ、そうなんだ。やっぱりそうなのか~」
やはりキスされていたのか。私の妄想ではなかった。
どういう事なの? 何で今日初めて顔を合わせたザックにキスされるの?
意味が分からず私はまた頭を抱えてしまう。
「何を言っているのよ? 気をつけなさいよ。ザックはかなり人気があるから、中途半端に手を出すとライバルから痛い目に遭うわよ!」
ミラはそう言うと私に背を向けてシャワーの方に歩き出した。
「ライバルから痛い目って、どういう事?」
私は浴槽からあがりミラの後ろをついて歩く。ミラの隣に並んで、同じ様にシャワーのコックを捻った。
温かいお湯が頭に降り注ぐ。ミラも同じ様に天を仰ぐ様にしてシャワーから温かいお湯を浴びる。ミラは瞳を閉じながら話しはじめた。
「ノアとザックは本当に格好いいでしょ? だからライバルの中でも、みんな相手を蹴落とそうと必死よ。場合によっては他店の女からのイジワルとかもあるんだから。マリンが溺れたのだってね、ノアと付き合っているからなのよ。妬むライバルに危うく殺されそうになるなんてね。いくら何でもやりすぎよ」
「え!」
そういえばどうしてマリンが溺れたのか理由を聞いていなかった。
そもそも彼女は何であんな海のど真ん中に一人溺れていたのかと疑問だったけれど、色々な事が起こりすぎてそれを尋ねる暇もなかった。
ミラは近くにあったボトルからシャンプーの液を取り出し頭につけると泡立てていった。
「そうよ。最近ノアとザックはウチじゃなくて『オーガの店』っていう方に入り浸っていたの。そしたらオーガの店の女の子がすっかりノアに熱をあげててしまってね」
ミラの話では、ノアとザックが好んで訪れるのはもちろんここ『ジルの店』なのだが、何故かこの一、二ヶ月は『オーガの店』という別の公的宿屋兼酒場に通っていたらしい。同じ『ファルの宿屋通り』にあるお店だそうだ。
ミラ曰く
「たまに違うモノが食べたくなったのよ」
だ、そうだ。
それって、食事やお酒の事ではなくて女の子の事なのかな。
本当の理由までは分からないそうだが、そうして通っている間に『オーガの店』の、女の子の一人がすっかりノアに熱をあげてしまった。しかし、お店に通うのとは別にノアとマリンは会っていたし、そもそも誰もがうらやむ恋人同士だ。
やはり恋人同士なのか。だとしたら「違うモノが食べたくなった」のは最低なのでは?
何を勘違いしたのか、ノアを独り占めしたかったのか。『オーガの店』の女の子は、店の男の子をそそのかし、マリンを無理矢理海に呼び出して、船に乗せ足のつかないところで突き落とした──という事らしい。
「ええ? あんな真っ昼間に? いくら何でも見渡しのいい海で突き落とすなんて目立つでしょ?」
私は髪の毛をモコモコの泡で洗い、シャワーで流す。
先に洗い終えたミラは髪の毛にトリートメントを施していた。
「あそこはね、軍の海上部隊が演習とかで使う場所で、一般公開されているけれどもあんまり人が寄り付かないのよ。だから昼間でも人が少ないの」
「そうなんだ」
しかし、それでは見せしめみたいだ。だって、昼間に堂々と殺害しようとするなんて。嫉妬だったらもっとコッソリとするのではないか?
釈然としないが、とんでもない話に目が点になるばかりだ。
「お陰でさ、殺されずに済んだマリンが、軍に色々話してくれて『オーガの店』は当面営業停止ですって。『オーガの店』で真面目に働いてた子が嘆いていたわ」
「そうなんだ」
店ごと営業停止って。大事の様な気がする。
マリンへの殺害未遂だけなら、指示をした本人とそそのかされたお店の男の子を処罰すればいいだけのはずなのに。ミラの話も恐らく人から聞いた噂なのだろう。しかし、何かモヤモヤとスッキリしない。
「あんたがマリンの事助けてくれたんでしょ?」
「え? う、うん」
ミラは自分の体を洗う固形の石鹸を泡立てたあと、私に石鹸を渡してくれた。
「ありがとね。マリンが無事でよかったよ。だって、マリンはあたしの憧れだし。いつかマリンみたいになるのが目標なんだけど、教えてもらい事がたくさんあるしさ」
「……うん」
ミラからも感謝され、何かくすぐったい気持ちになる。
アルバイトだったとは言え、人の生死に関わるライフセーバー。
大学の同級生が次々就職していって、自分だ置いてけぼりな気持ちで過ごしていたけれども、真剣に仕事に向かい合ってよかった。私は少し救われた気持ちになった。
「だから! ザックとノアに近づくのはいいけど、そういったヤバイ奴らもいるから気をつけなさいよ。そうじゃなくても、ザックはあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、一体誰が本命なんだか分からないんだから」
「う、うん。忠告ありがとう」
ミラは頬を赤らめながら、自分の体全体に泡を撫でつけて洗い上げる。小麦色の肌の上に白い泡が滑り落ちていく。
私も同じ様に体を洗いはじめる。その途端、ミラがナツミの前に顔を寄せて、不機嫌な様に眉をひそめる。
「それとシンには絶対近づかないでよ!」
「え?!」
何故ここでシンが出てくるのか? 私は驚いて声をあげる。
「何よその「え?!」って意外そうに。ザックとノアの話ばっかりだったけど、シンだってね人気があるんだからね! シンはねあたしが狙っているんだから横から手を出したら承知しないわよ!」
「あ、ああ。うん。分かった。分かったから、落ち着いて!」
「分かればいいのよ。それにしても、あんた本当は色が白いっていうよりも、少しだけ薄黄色っぽいのね? 私と同じ肌の色なのかと思っていたわ」
ミラが私の肩から胸の辺りにかけて日焼けしていない部分を見つめながら驚いていた。
「ああ、これ? 海で泳いだりすると、どんなに日焼け止めを塗っていてもやっぱり日焼けしちゃうんだよね」
好んで着ていたツーピースの水着の跡が、比較的くっきりと残っている。お陰で別の水着を着るとまた日焼けの跡が出来てしまうので、結局は同じ水着で過ごす事になってしまっていた。
「泳ぐって本当にすごいわね。でも、そんな日焼けするなら、もっと肌の手入れしなさいよ。もったいない、って!?」
そう言いながらミラは私の腕や肩の日焼けの辺りを石鹸で撫でた。ひと撫でしてから、驚いた声をあげる。
「すっごい! 何か吸い付く感じがする。肌の質感も住んで国で違ってくるのかしら?」
「ええ~? 気のせいでしょ? ミラの肌もツヤツヤで。わぁ、気持ちいい」
私もミラの腕を触りながら二人で褒め称える。
それが少しおかしくて笑い合った。
「とにかく、あんたも気をつけなよ。まぁザックが格好いいのは分かるけど。あたしも一時期憧れていたし。いいよねザックって、男にも女にも優しいし面倒見もいいのよ」
「へぇそうなんだ」
「確かエッチもすっごく上手いって聞いた事あるし。そうねぇザックを狙うならやっぱり魅力的な女にならないと。やっぱり、ジルさんとかマリンみたいな色っぽい感じがいいと思うわよ! あんたも頑張りなさい!」
「そ、そうなんだ。うん、ありがと……」
バチンと背中を叩かれる。
何故私がザックを狙っている事になるのだ。
どちらかといえばキスされたのに!!
納得がいかないけれども、『オーガの店』の件もあるし誤解されない様に気をつけなくては。
私は両手に握りこぶしを作って心に誓った。
私は広い浴槽に体を投げ出して大きな溜め息をついた。
二十五時に酒場が閉店し、三十分かけて後片付けと掃除。
ようやく解放され従業員専用のお風呂へ。銭湯ぐらいの大きさで四角い浴槽は桧の様な木の作り。体を洗う洗い場は黒い石を組み合わせて作られていた。
シャワーもついていて至れり尽くせりだ。
この世界にお風呂があってよかった。シャワーだけでは辛い!
もう、注文マラソンのしすぎで、足がパンパンだ。
十七時から二十五時の八時間ずっと立ったままだもんね。
「体力が持つかなぁ」
体力だけは自信があったが毎日だと潰れないだろうか。
私はふくらはぎを両手でもみながら溜め息をついた
今の時間お風呂は私の独り占めだ。
他の女の子達は先にお風呂に入ったか、意中の男性とそれこそ時間泊に誘われて出ていったようだ。
なるほど。そういう事なのか。今になって分かるもう一つのシステム
軍人がこういった酒場に勤しんで通うわけだ。
軍人も遊べる女の子を探しに来ているし、酒場に所属している女の子もあわよくば高給取りの軍人の恋人になろうとアピールに必死だ。
娼館とは言わないけれども、踊り子や歌い手の女の子と合意の上なら一晩の関係でもいいのだ。
こういったラブホテル──ではなかった、時間泊を公的に認められ、一カ所にまとめたくなるわけだ。
踊り子が魅力的で人気な理由もよく分かった。
マリンの踊りは別格で芸術的だったけれど、他の女の踊りは本当に相手を誘うだけの様な感じだった。
私には無理だわ……学生時代の創作ダンスでもお手上げなのに。
バク転とかなら得意なのだけれどなぁ。
「まぁ、ジルさんにも間に合っているって断られたけどね」
両足をもみ終わって、今度は肩をぐるぐる回す。
ストレッチしてから寝ないとこれは疲れが溜まるなぁ。
あらゆるコリというコリをほぐしてから、もう一度肩までゆっくり湯船につかる。
それから、唇を指でなぞってみる。
あれって、キスされた様に思うけれど……
マリンが踊り終わったあと、拍手喝采の嵐が中々なりやまなかった。
私は慌てて仕事に戻ったが、ザックはその時も何事もなかった様に「頑張れよ」声をかけてくれた。
そして、ビールを数杯飲んだら今日は帰ると言って、お昼の時の様に私の頭をポコンと頭を叩いて去っていった。
「気のせいだったのかな」
浴槽の中で体育座りになり、ブクブクと泡を出しながら顔半分までお湯につかる。
今度会った時「あの時私にキスしました?」とか尋ねる勇気はない。
だってどういう顔してザックに聞けばいいの。勘違いだったら酷く恥ずかしい。
「ああ~もうっ! 考えるのやめた!」
濡れた頭をかきむしり湯船から勢いよく出る。
きっと私の気のせいだ。
何か頭の中の回路が混乱して勝手な妄想を(?)作り出したに違いない。
「うん! そういう事にしておこう!」
誰が聞いているわけでもないが一人この話に結着をつけてみる。
すると浴場の入り口のドアが開いて、小柄な女性が入ってきた。
赤い髪の毛と小麦色の肌をしている。赤い髪はくせ毛なのか所々クルクルとカールしており、背中の真ん中まで伸びている。胸は張りがありツンと上を向いていて、腰はくびれてお尻は小ぶりだがこれもまた綺麗に上を向いている。
彼女は確か、マリンが踊っている時に歌を歌っていた女の子だ。湯船から立ち上がった私を見つけると、「あっ!」と声をあげ、勢いよく浴槽の側に近づいてきた。
「あんた、新しく入ったナツミ、だっけ?」
「うん。そう。よろしくね、えーと名前は─」
「ミラよ」
「うん。ミラお疲れ様」
「お疲れ様じゃないわよ。あんた、あれはヤバイから!」
ミラは食いつかんばかりに私の胸の前に人差し指を突き立てた。
「え? ヤバイって? 何が?」
私はのけぞりながら、浴槽から出ようとした足を引っ込める。
ミラは綺麗に整った眉を吊り上げて、今度は周りをキョロキョロと見回した。
それからお風呂場に私と二人きりである事を確認してから小声で話し出す。
「舞台上で歌っている時見えたわよ。あんたさぁザックとキスしてたでしょ!」
「え?!」
私は驚いてミラに飛びつく。ミラの両腕を掴んで思わず顔を近づける。
「ホ、ホント?! キスしてた?」
お風呂場に私の声が大きくこだました。ミラは目を丸くして慌てて両手で私の口を塞ぐ
「ち、近いからっ! 声も大きい静かに!」
私はコクコクと何度も頷き返す。そういうミラも声は大きいのだけれど。
分かったらならいいわと言いながらミラは両手を外してくれた。
二人共素っ裸で何をしているのやら。
「何を驚いてるのよ、舞台からはバッチリ見えたわよ。他はみんなは、あたしやマリンを見ていたから気が付いてないけど、こっちからは丸見えだったわよ!」
ミラはそう言い張ると胸を揺らしながら両手をくびれた腰にかけた。
「そ、そうなんだ。やっぱりそうなのか~」
やはりキスされていたのか。私の妄想ではなかった。
どういう事なの? 何で今日初めて顔を合わせたザックにキスされるの?
意味が分からず私はまた頭を抱えてしまう。
「何を言っているのよ? 気をつけなさいよ。ザックはかなり人気があるから、中途半端に手を出すとライバルから痛い目に遭うわよ!」
ミラはそう言うと私に背を向けてシャワーの方に歩き出した。
「ライバルから痛い目って、どういう事?」
私は浴槽からあがりミラの後ろをついて歩く。ミラの隣に並んで、同じ様にシャワーのコックを捻った。
温かいお湯が頭に降り注ぐ。ミラも同じ様に天を仰ぐ様にしてシャワーから温かいお湯を浴びる。ミラは瞳を閉じながら話しはじめた。
「ノアとザックは本当に格好いいでしょ? だからライバルの中でも、みんな相手を蹴落とそうと必死よ。場合によっては他店の女からのイジワルとかもあるんだから。マリンが溺れたのだってね、ノアと付き合っているからなのよ。妬むライバルに危うく殺されそうになるなんてね。いくら何でもやりすぎよ」
「え!」
そういえばどうしてマリンが溺れたのか理由を聞いていなかった。
そもそも彼女は何であんな海のど真ん中に一人溺れていたのかと疑問だったけれど、色々な事が起こりすぎてそれを尋ねる暇もなかった。
ミラは近くにあったボトルからシャンプーの液を取り出し頭につけると泡立てていった。
「そうよ。最近ノアとザックはウチじゃなくて『オーガの店』っていう方に入り浸っていたの。そしたらオーガの店の女の子がすっかりノアに熱をあげててしまってね」
ミラの話では、ノアとザックが好んで訪れるのはもちろんここ『ジルの店』なのだが、何故かこの一、二ヶ月は『オーガの店』という別の公的宿屋兼酒場に通っていたらしい。同じ『ファルの宿屋通り』にあるお店だそうだ。
ミラ曰く
「たまに違うモノが食べたくなったのよ」
だ、そうだ。
それって、食事やお酒の事ではなくて女の子の事なのかな。
本当の理由までは分からないそうだが、そうして通っている間に『オーガの店』の、女の子の一人がすっかりノアに熱をあげてしまった。しかし、お店に通うのとは別にノアとマリンは会っていたし、そもそも誰もがうらやむ恋人同士だ。
やはり恋人同士なのか。だとしたら「違うモノが食べたくなった」のは最低なのでは?
何を勘違いしたのか、ノアを独り占めしたかったのか。『オーガの店』の女の子は、店の男の子をそそのかし、マリンを無理矢理海に呼び出して、船に乗せ足のつかないところで突き落とした──という事らしい。
「ええ? あんな真っ昼間に? いくら何でも見渡しのいい海で突き落とすなんて目立つでしょ?」
私は髪の毛をモコモコの泡で洗い、シャワーで流す。
先に洗い終えたミラは髪の毛にトリートメントを施していた。
「あそこはね、軍の海上部隊が演習とかで使う場所で、一般公開されているけれどもあんまり人が寄り付かないのよ。だから昼間でも人が少ないの」
「そうなんだ」
しかし、それでは見せしめみたいだ。だって、昼間に堂々と殺害しようとするなんて。嫉妬だったらもっとコッソリとするのではないか?
釈然としないが、とんでもない話に目が点になるばかりだ。
「お陰でさ、殺されずに済んだマリンが、軍に色々話してくれて『オーガの店』は当面営業停止ですって。『オーガの店』で真面目に働いてた子が嘆いていたわ」
「そうなんだ」
店ごと営業停止って。大事の様な気がする。
マリンへの殺害未遂だけなら、指示をした本人とそそのかされたお店の男の子を処罰すればいいだけのはずなのに。ミラの話も恐らく人から聞いた噂なのだろう。しかし、何かモヤモヤとスッキリしない。
「あんたがマリンの事助けてくれたんでしょ?」
「え? う、うん」
ミラは自分の体を洗う固形の石鹸を泡立てたあと、私に石鹸を渡してくれた。
「ありがとね。マリンが無事でよかったよ。だって、マリンはあたしの憧れだし。いつかマリンみたいになるのが目標なんだけど、教えてもらい事がたくさんあるしさ」
「……うん」
ミラからも感謝され、何かくすぐったい気持ちになる。
アルバイトだったとは言え、人の生死に関わるライフセーバー。
大学の同級生が次々就職していって、自分だ置いてけぼりな気持ちで過ごしていたけれども、真剣に仕事に向かい合ってよかった。私は少し救われた気持ちになった。
「だから! ザックとノアに近づくのはいいけど、そういったヤバイ奴らもいるから気をつけなさいよ。そうじゃなくても、ザックはあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、一体誰が本命なんだか分からないんだから」
「う、うん。忠告ありがとう」
ミラは頬を赤らめながら、自分の体全体に泡を撫でつけて洗い上げる。小麦色の肌の上に白い泡が滑り落ちていく。
私も同じ様に体を洗いはじめる。その途端、ミラがナツミの前に顔を寄せて、不機嫌な様に眉をひそめる。
「それとシンには絶対近づかないでよ!」
「え?!」
何故ここでシンが出てくるのか? 私は驚いて声をあげる。
「何よその「え?!」って意外そうに。ザックとノアの話ばっかりだったけど、シンだってね人気があるんだからね! シンはねあたしが狙っているんだから横から手を出したら承知しないわよ!」
「あ、ああ。うん。分かった。分かったから、落ち着いて!」
「分かればいいのよ。それにしても、あんた本当は色が白いっていうよりも、少しだけ薄黄色っぽいのね? 私と同じ肌の色なのかと思っていたわ」
ミラが私の肩から胸の辺りにかけて日焼けしていない部分を見つめながら驚いていた。
「ああ、これ? 海で泳いだりすると、どんなに日焼け止めを塗っていてもやっぱり日焼けしちゃうんだよね」
好んで着ていたツーピースの水着の跡が、比較的くっきりと残っている。お陰で別の水着を着るとまた日焼けの跡が出来てしまうので、結局は同じ水着で過ごす事になってしまっていた。
「泳ぐって本当にすごいわね。でも、そんな日焼けするなら、もっと肌の手入れしなさいよ。もったいない、って!?」
そう言いながらミラは私の腕や肩の日焼けの辺りを石鹸で撫でた。ひと撫でしてから、驚いた声をあげる。
「すっごい! 何か吸い付く感じがする。肌の質感も住んで国で違ってくるのかしら?」
「ええ~? 気のせいでしょ? ミラの肌もツヤツヤで。わぁ、気持ちいい」
私もミラの腕を触りながら二人で褒め称える。
それが少しおかしくて笑い合った。
「とにかく、あんたも気をつけなよ。まぁザックが格好いいのは分かるけど。あたしも一時期憧れていたし。いいよねザックって、男にも女にも優しいし面倒見もいいのよ」
「へぇそうなんだ」
「確かエッチもすっごく上手いって聞いた事あるし。そうねぇザックを狙うならやっぱり魅力的な女にならないと。やっぱり、ジルさんとかマリンみたいな色っぽい感じがいいと思うわよ! あんたも頑張りなさい!」
「そ、そうなんだ。うん、ありがと……」
バチンと背中を叩かれる。
何故私がザックを狙っている事になるのだ。
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