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023 チャンスかもしれない
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私は貝柱たっぷりのクリームパスタを平らげ、ごちそうさまと手を合わせた。
そろそろウエイターではなく、コホン……ウエイトレスの仕事に戻らなければいけない。
仕事が終わる頃にザックが来るからお付き合い「する」「しない」の返事をしなくてはならない。
海でザックから付き合おうと告白されたあと──
「え、付き合うって」
ザックは私をお姫様抱っこしたまま、海の中をゆっくり泳いで岩場の方に進む。
「そう。付き合う」
ザックは笑いながら顔を近づけると、今度はこめかみに軽くキスをする。
またキスした! 私は驚いてキスされた場所を手の平で押さえる。
すぐに顔が真っ赤になってしまう。私の慌てた様子にザックは軽く笑う。
「凄くナツミが気になるんだ。だから付き合ってみよう」
「そんな軽く言うの?」
「軽いかなぁ?」
「かっ、軽いよっ! それに、ザックって、凄く人気があってライバルも多くて。それから、それから」
「パニクってるなぁ」
「当たり前だよ!」
「分かった。落ち着け」
「落ち着けって言われてもどうやって!」
「今晩『ジルの店』の酒場が営業終了する頃にいくから、その時にじっくり話をしよう」
ザックは軽く笑いながら、足のつく場所まで私を運んで降ろしてくれた。
「二人共ともいい雰囲気ね。もしかしてぇ~」
岩場の足がつく辺りでシンと遊んでいたミラが茶化す様に声をかけてきた。
それを聞いたザックがニヤッと笑うと、突然私の顎を掴んで上を向かせる。「エッ」とか「アッ」とか、言葉を発する間を与えてくれなかった。
ザックは私の唇と自分の唇を合わせると、チュッと軽いキスをした。呆然としていた為、薄く開いていた唇から、ザックの舌が入ってきてあっという間に絡め取られた。
驚いて目を開ける。ザックの笑っている瞳が目に入る。
そして、海の中でした様な濃厚なキスではなく、あっさり離れていった。
「ああーっ!」
半ば悲鳴の様な大声を上げたのは、シンとミラだった。
その声を聞いてノアやマリンそしてダンさんまでもが振り向く。
ザックは透明度の高い海と真っ青な空の下、岩場に足をつけるとヒョイッと海から上がる。
「そうさ、いい雰囲気なんだ。じゃぁ、ナツミまた夜にな」
鍛え抜かれた背中を見せながら、軽く手を上げて去って行った。
「ナツミ、ザックとキスするなんて。いい感じじゃない」
ミラが岩場で拍手をして私を迎え入れる。
いい感じなものか!
私ったら簡単にキスされてしまった。海の中のキスは凄く気持ちがよくて──
慌てて首がちぎれそうなぐらい左右に振る。
「……無理」
私は呟いた。
「え? な、何で」
ミラが驚いて声を上げる。
「だって、無理だから!」
私はパニックになって「無理」という言葉を繰り返していた。
「あらぁ「無理」って断るって事?」
ジルさんが木製スツールに腰をかけ、足を組み直した。
今日の衣装は濃い紫色だ。ラインストーンが紐部分にちりばめられた三角の形をしたブラジャーにはみっちり柔らかそうな胸が詰まっている。ロングスカートだが深いスリットは足のつけ根まで大胆に入っている。綺麗な足がスリットから覗く。引き締まったお腹のおへそ部分には、赤い宝石のピアスが飾られている。
「ザックの事よく知りませんし……」
私は口を尖らせ呟く。
あれから海でシンやノアとも別れ、看板娘二人とダンさんに連れられ『ジルの店』に戻った。帰り道は相変わらず、町の女の子や男性陣に色々な意味で睨まれる。
しかし、私はザックの事で頭がいっぱいで、道すがらミラやマリンに話しかけられてもまともな反応をする事が出来なかった。
酷い放心状態だったのだろう。心配したミラとマリンがジルさんに相談していた。
私は海から上がった体を、シャワーで綺麗に洗い流し新しいシャツに着替える。
夕方からの仕事の為、酒場に来たところ、はジルさんが待ち構えていて話を聞いてくれた。
「それなら、これからザックの事を知っていく為に付き合ってみればいいじゃない」
ジルさんは金色の宝石がちりばめられたキセルを右手に持ち煙を吐いた。
意外にもジルさんは私にザックと付き合う様に薦めてきた。
「そんな……ジルさんまで」
私は落胆して肩を落としてしまった。
やたらとミラとマリンはザックの事を薦めてくる。
私はションボリして俯いてしまった。
「二人共いい大人なんだし。ナツミだって別に付き合う事に抵抗はないでしょ?」
「それはそうなんですけど」
ジルさんは溜め息をつき、笑って私の頬を撫でてくれた。
爪は綺麗に伸ばされて、今日は空の色の様な青いマニキュアをしていた。
「何か気になる事があってザックの誘いに踏み切れないのかしら?」
「!」
私は目を丸くして、俯いていた顔を上げジルさんを見つめた。
実は心の中に引っかかっている事がある。それは、お風呂場でミラが言っていたあの話だ。
──そうじゃなくても、ザックはあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、一体誰が本命なんだか分からないんだから──
「……ミラが、そう言っていて」
私は両方の手の平を合わせながら、上目遣いでジルさんを情けない顔で見る。
ジルさんは軽くキセルをふかして、瞳を閉じた。
「そうねぇ。ザックは、来る者は拒まず、去る者は追わず、だし。ライバルは多いわね。今まで本命がいたのかどうか。でも人気はあるわね。ああ見えて面倒見がいいから」
「ザックが優しいのは今日よく分かりました。ライバルが多くて女の人達がほっとかないぐらい格好いいのも分かりました。ザックが今までどんな付き合い方をしてきたか、っていうのは特に責めるつもりもないです。でも、私が嫌なのは……」
「嫌なのは?」
「二股とか、複数の女性と関係があるのに、その中の一人みたいになるのが嫌で」
私は消え入りそうな声で呟く。最後の方は声が掠れてしまった。
何度も私に影を落とす、春見と秋の浮気の事実。同じ様な思いをするのは耐えられない。
まだ傷が癒えないのに、自ら癒えない傷口を広げる様な関係をはじめるのは無理だ。
「なるほど──でも今はナツミ自身がザックの事を好きってわけではないのでしょ? それなのに二股とか別の女の影を考えるの?」
「今は好きじゃなくても。ザックの言う通り気になる程度だったとしても。お付き合いをしている内にザックを本当に好きになったら、私は──」
ドウシタライイノ
その先の思いは怖くて想像が出来ない。
同じ思いをもう一度味わうのかと思うとその時に私はどうなってしまうの。
私は手が震えている事が分かり、思わず両手を慌てて隠した。
傷ついた自分はとても格好が悪くて、知られたくない。
ジルさんは私のおでこに自分のおでこをコツンとつけて頭を優しく撫でてくれる。
「ナツミ……あなたはとても傷ついているのね。泣く事も出来ないぐらい。かわいそうに」
「……」
泣く事も出来ないぐらい──
そういえば私は、浮気事件のあと思いっきり泣いたかな?
現場を目撃した時だって自分の気持ちを誤魔化して、やっとこの世界に辿りついた時、少しだけ怒りを露わにしたぐらいで。
まだ、悲しみや怒りを心の中で受けとめていないのかもしれない。
パッとジルさんはおでこを離して、私の頬を撫でる。
「ねぇナツミよく聞いて。このファルの町はとても素敵だけど、女っていうだけで男より下に見られがちなの。お昼ダンに連れていってもらって分かったと思うけど、町の娘や男達の様子はどうだった?」
私はジルさんの突然の話に、ドレスを着た町の女性達を思い出した。
確か、女性達の視線はとても冷たかった。
そして男性の目はミラとマリンを見つけると嬉しそうにしていた。
「町の女性達はドレスを着て綺麗でした。だけど男の人達と話すのに必死な様な感じでした。あと、ミラやマリンを見つけたらとても嫌な顔をしていい雰囲気ではなかったです。男の人達は逆でとても鼻の下を伸ばしていました」
「鼻の下を伸ばす……ふふふ、そうなのよね。男達は女ときたら性の対象。女達もそれに従っている。そして女同士といえども、踊り子や歌い手というだけで勝手にライバルと位置付けて、攻撃的になり悪口を叩く」
ジルさんは私の顔を撫でながら優しく話しかけるが、内容は厳しいものだった。
「勉強や計算、格闘技が女で出来たとしても、「女のくせに」とすぐに言われる。同じ女同士ですら『ファルの宿屋通り』で働くとすぐに嫉妬や妬みの対象となる。女の敵は女だったりするのよ。おかしいと思わない? 私はそう思っているのだけど」
「はい。私もそう思います」
そうなのだ。女で泳いだって髪の毛が短くったっていいのに。
それをこの町の人達はよしとしない。同性同士でもだ。
ミラやマリンですら泳ぐのが不思議そうに見つめていた。
「そんな中、突然現れたナツミはやっぱり異質だと思うの」
「そうですよね」
私自身姉と比べて生きてきたけれど、やはりそれでも自分は自分だと言い聞かせてきた。
自分の価値は自分で決めたい。この世界はそれがおかしい事の様だ。
決められた枠に入る事をみんな気にしている。
「でも、そんな中ザックが「気になる」と言ってくれた」
「それは!! きっと変な奴だから「気になる」って事で。ノアに言われたから……私を側に置いておきたいだけだと思うんです」
何だか自分で言いながら寂しくなる。少し仲良くなったお兄さんぐらいのつもりでいたのに。
「あら。ナツミはそう思うのね。ザックは本当にあなたの事が純粋に気になるんだと思うわ。最初にキスをした、あの間抜けな顔ったらなかったし」
ジルさんは吹き出していた。
私はグッと口をへの字にしてしまう。キスの事バレていたのか。
「それに、この先ナツミはどうやってこの町の中で過ごして行くつもり?」
「え?」
過ごして行く──突然この世界に来てしまった事で、深くは考えた事がなかった。
家族の事も何も考える事が出来ないまま一週間が過ぎて行った感じだ。
そういえば、お父さんやお母さんどうしているかな──
「ナツミが、この町の女性達とは違っているのは分かるけど、それをよしとしない人達がいる。『ファルの宿屋通り』で働いているというだけで、女が一人で出歩くのも危ない町なのよここは」
ジルさんが私の顎をグッと掴む。ジルさんのアイラインのグラデーションがはっきり分かるぐらい顔が近づく。
確かに。今日だってダンさんがついているからミラやマリンと揃って外出が出来たけれども、いつもダンさんがついているわけではない。
「ずっとこの『ジルの店』の中だけで過ごすわけにはいかないでしょう? ここは外出も誰かがついていかないといけないぐらい危険なところで残念だけど女は弱い立場なの。そこでザックよ。これはチャンスだと思わない? ザックがいれば誰も文句は言わないわ」
「!!」
ジルさんはそれも見越して、ザックとの付き合いを薦めているのか。
ザックと付き合えば、ここから安全に連れ出してくれる。
また、海に連れていってもらえるかもしれない。
「でも、ナツミの気持ちも分かるから、ザックに条件を出したらどうかしら?」
「条件?」
思ってもみないアドバイスに私は顔を上げた。
ジルさんは顎から手を外してウインクを一つした。
「そう。ナツミと付き合う為に、条件を出すの。それを飲んでもらえたら付き合うというのは?」
「なるほど」
私は思ってもない話にポンと手を打った。
「ザックに出す条件は……そうねぇ、ナツミと付き合う間は他の誰とも寝ないし、関係を持たない。もちろん二股なんてもってのほか──というのはどうかしら? それにナツミがザックの事を嫌になったらもちろん関係は解消するというのはどう?」
「……でも、嘘をつかれたらどうすれば」
相手は百戦錬磨とも言えるプレイボーイの様だし。お子様な私は騙されていい様にされてしまう恐れが大きい。
私が何を想像したのか、また顔に出ていたのか、ジルさんが低く笑うと、顔に黒い影を落とした。
「ナツミの事を傷つけるなら、私がザックを海に沈めてくれるわ」
「ヒッ」
私までが小さな悲鳴を上げて固まる。さすが元女海賊。
「でもザックが損する様な条件を飲んでもらえるんでしょうか?」
彼がどの程度、来る者は拒まずなのかは分からないが、私との付き合いだけで満足出来るのだろうか。疑問だ。
ジルさんはキセルを咥えて煙を吐き出した。それから肩を揺らして笑う。
「な、何で笑うんですか?」
「だって断ろうとしていたのに、今度は断られる心配をしはじめるからおかしくて。確かに考え方を変えると、こっちもいい札を切らなきゃいけないものねぇ」
「あはは、確かに。でも」
ジルさんの言う通りだ。考え方を変えるとこれは悪い事ではないのかもしれない。
自分自身と向き合って悲しさや怒りに打ち勝てるチャンスなのかもしれない。
この世界に来たのがそういう事だと都合よく考えるのならば──
私は両手に握りこぶしを作って、覚悟を決めた。
そろそろウエイターではなく、コホン……ウエイトレスの仕事に戻らなければいけない。
仕事が終わる頃にザックが来るからお付き合い「する」「しない」の返事をしなくてはならない。
海でザックから付き合おうと告白されたあと──
「え、付き合うって」
ザックは私をお姫様抱っこしたまま、海の中をゆっくり泳いで岩場の方に進む。
「そう。付き合う」
ザックは笑いながら顔を近づけると、今度はこめかみに軽くキスをする。
またキスした! 私は驚いてキスされた場所を手の平で押さえる。
すぐに顔が真っ赤になってしまう。私の慌てた様子にザックは軽く笑う。
「凄くナツミが気になるんだ。だから付き合ってみよう」
「そんな軽く言うの?」
「軽いかなぁ?」
「かっ、軽いよっ! それに、ザックって、凄く人気があってライバルも多くて。それから、それから」
「パニクってるなぁ」
「当たり前だよ!」
「分かった。落ち着け」
「落ち着けって言われてもどうやって!」
「今晩『ジルの店』の酒場が営業終了する頃にいくから、その時にじっくり話をしよう」
ザックは軽く笑いながら、足のつく場所まで私を運んで降ろしてくれた。
「二人共ともいい雰囲気ね。もしかしてぇ~」
岩場の足がつく辺りでシンと遊んでいたミラが茶化す様に声をかけてきた。
それを聞いたザックがニヤッと笑うと、突然私の顎を掴んで上を向かせる。「エッ」とか「アッ」とか、言葉を発する間を与えてくれなかった。
ザックは私の唇と自分の唇を合わせると、チュッと軽いキスをした。呆然としていた為、薄く開いていた唇から、ザックの舌が入ってきてあっという間に絡め取られた。
驚いて目を開ける。ザックの笑っている瞳が目に入る。
そして、海の中でした様な濃厚なキスではなく、あっさり離れていった。
「ああーっ!」
半ば悲鳴の様な大声を上げたのは、シンとミラだった。
その声を聞いてノアやマリンそしてダンさんまでもが振り向く。
ザックは透明度の高い海と真っ青な空の下、岩場に足をつけるとヒョイッと海から上がる。
「そうさ、いい雰囲気なんだ。じゃぁ、ナツミまた夜にな」
鍛え抜かれた背中を見せながら、軽く手を上げて去って行った。
「ナツミ、ザックとキスするなんて。いい感じじゃない」
ミラが岩場で拍手をして私を迎え入れる。
いい感じなものか!
私ったら簡単にキスされてしまった。海の中のキスは凄く気持ちがよくて──
慌てて首がちぎれそうなぐらい左右に振る。
「……無理」
私は呟いた。
「え? な、何で」
ミラが驚いて声を上げる。
「だって、無理だから!」
私はパニックになって「無理」という言葉を繰り返していた。
「あらぁ「無理」って断るって事?」
ジルさんが木製スツールに腰をかけ、足を組み直した。
今日の衣装は濃い紫色だ。ラインストーンが紐部分にちりばめられた三角の形をしたブラジャーにはみっちり柔らかそうな胸が詰まっている。ロングスカートだが深いスリットは足のつけ根まで大胆に入っている。綺麗な足がスリットから覗く。引き締まったお腹のおへそ部分には、赤い宝石のピアスが飾られている。
「ザックの事よく知りませんし……」
私は口を尖らせ呟く。
あれから海でシンやノアとも別れ、看板娘二人とダンさんに連れられ『ジルの店』に戻った。帰り道は相変わらず、町の女の子や男性陣に色々な意味で睨まれる。
しかし、私はザックの事で頭がいっぱいで、道すがらミラやマリンに話しかけられてもまともな反応をする事が出来なかった。
酷い放心状態だったのだろう。心配したミラとマリンがジルさんに相談していた。
私は海から上がった体を、シャワーで綺麗に洗い流し新しいシャツに着替える。
夕方からの仕事の為、酒場に来たところ、はジルさんが待ち構えていて話を聞いてくれた。
「それなら、これからザックの事を知っていく為に付き合ってみればいいじゃない」
ジルさんは金色の宝石がちりばめられたキセルを右手に持ち煙を吐いた。
意外にもジルさんは私にザックと付き合う様に薦めてきた。
「そんな……ジルさんまで」
私は落胆して肩を落としてしまった。
やたらとミラとマリンはザックの事を薦めてくる。
私はションボリして俯いてしまった。
「二人共いい大人なんだし。ナツミだって別に付き合う事に抵抗はないでしょ?」
「それはそうなんですけど」
ジルさんは溜め息をつき、笑って私の頬を撫でてくれた。
爪は綺麗に伸ばされて、今日は空の色の様な青いマニキュアをしていた。
「何か気になる事があってザックの誘いに踏み切れないのかしら?」
「!」
私は目を丸くして、俯いていた顔を上げジルさんを見つめた。
実は心の中に引っかかっている事がある。それは、お風呂場でミラが言っていたあの話だ。
──そうじゃなくても、ザックはあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、一体誰が本命なんだか分からないんだから──
「……ミラが、そう言っていて」
私は両方の手の平を合わせながら、上目遣いでジルさんを情けない顔で見る。
ジルさんは軽くキセルをふかして、瞳を閉じた。
「そうねぇ。ザックは、来る者は拒まず、去る者は追わず、だし。ライバルは多いわね。今まで本命がいたのかどうか。でも人気はあるわね。ああ見えて面倒見がいいから」
「ザックが優しいのは今日よく分かりました。ライバルが多くて女の人達がほっとかないぐらい格好いいのも分かりました。ザックが今までどんな付き合い方をしてきたか、っていうのは特に責めるつもりもないです。でも、私が嫌なのは……」
「嫌なのは?」
「二股とか、複数の女性と関係があるのに、その中の一人みたいになるのが嫌で」
私は消え入りそうな声で呟く。最後の方は声が掠れてしまった。
何度も私に影を落とす、春見と秋の浮気の事実。同じ様な思いをするのは耐えられない。
まだ傷が癒えないのに、自ら癒えない傷口を広げる様な関係をはじめるのは無理だ。
「なるほど──でも今はナツミ自身がザックの事を好きってわけではないのでしょ? それなのに二股とか別の女の影を考えるの?」
「今は好きじゃなくても。ザックの言う通り気になる程度だったとしても。お付き合いをしている内にザックを本当に好きになったら、私は──」
ドウシタライイノ
その先の思いは怖くて想像が出来ない。
同じ思いをもう一度味わうのかと思うとその時に私はどうなってしまうの。
私は手が震えている事が分かり、思わず両手を慌てて隠した。
傷ついた自分はとても格好が悪くて、知られたくない。
ジルさんは私のおでこに自分のおでこをコツンとつけて頭を優しく撫でてくれる。
「ナツミ……あなたはとても傷ついているのね。泣く事も出来ないぐらい。かわいそうに」
「……」
泣く事も出来ないぐらい──
そういえば私は、浮気事件のあと思いっきり泣いたかな?
現場を目撃した時だって自分の気持ちを誤魔化して、やっとこの世界に辿りついた時、少しだけ怒りを露わにしたぐらいで。
まだ、悲しみや怒りを心の中で受けとめていないのかもしれない。
パッとジルさんはおでこを離して、私の頬を撫でる。
「ねぇナツミよく聞いて。このファルの町はとても素敵だけど、女っていうだけで男より下に見られがちなの。お昼ダンに連れていってもらって分かったと思うけど、町の娘や男達の様子はどうだった?」
私はジルさんの突然の話に、ドレスを着た町の女性達を思い出した。
確か、女性達の視線はとても冷たかった。
そして男性の目はミラとマリンを見つけると嬉しそうにしていた。
「町の女性達はドレスを着て綺麗でした。だけど男の人達と話すのに必死な様な感じでした。あと、ミラやマリンを見つけたらとても嫌な顔をしていい雰囲気ではなかったです。男の人達は逆でとても鼻の下を伸ばしていました」
「鼻の下を伸ばす……ふふふ、そうなのよね。男達は女ときたら性の対象。女達もそれに従っている。そして女同士といえども、踊り子や歌い手というだけで勝手にライバルと位置付けて、攻撃的になり悪口を叩く」
ジルさんは私の顔を撫でながら優しく話しかけるが、内容は厳しいものだった。
「勉強や計算、格闘技が女で出来たとしても、「女のくせに」とすぐに言われる。同じ女同士ですら『ファルの宿屋通り』で働くとすぐに嫉妬や妬みの対象となる。女の敵は女だったりするのよ。おかしいと思わない? 私はそう思っているのだけど」
「はい。私もそう思います」
そうなのだ。女で泳いだって髪の毛が短くったっていいのに。
それをこの町の人達はよしとしない。同性同士でもだ。
ミラやマリンですら泳ぐのが不思議そうに見つめていた。
「そんな中、突然現れたナツミはやっぱり異質だと思うの」
「そうですよね」
私自身姉と比べて生きてきたけれど、やはりそれでも自分は自分だと言い聞かせてきた。
自分の価値は自分で決めたい。この世界はそれがおかしい事の様だ。
決められた枠に入る事をみんな気にしている。
「でも、そんな中ザックが「気になる」と言ってくれた」
「それは!! きっと変な奴だから「気になる」って事で。ノアに言われたから……私を側に置いておきたいだけだと思うんです」
何だか自分で言いながら寂しくなる。少し仲良くなったお兄さんぐらいのつもりでいたのに。
「あら。ナツミはそう思うのね。ザックは本当にあなたの事が純粋に気になるんだと思うわ。最初にキスをした、あの間抜けな顔ったらなかったし」
ジルさんは吹き出していた。
私はグッと口をへの字にしてしまう。キスの事バレていたのか。
「それに、この先ナツミはどうやってこの町の中で過ごして行くつもり?」
「え?」
過ごして行く──突然この世界に来てしまった事で、深くは考えた事がなかった。
家族の事も何も考える事が出来ないまま一週間が過ぎて行った感じだ。
そういえば、お父さんやお母さんどうしているかな──
「ナツミが、この町の女性達とは違っているのは分かるけど、それをよしとしない人達がいる。『ファルの宿屋通り』で働いているというだけで、女が一人で出歩くのも危ない町なのよここは」
ジルさんが私の顎をグッと掴む。ジルさんのアイラインのグラデーションがはっきり分かるぐらい顔が近づく。
確かに。今日だってダンさんがついているからミラやマリンと揃って外出が出来たけれども、いつもダンさんがついているわけではない。
「ずっとこの『ジルの店』の中だけで過ごすわけにはいかないでしょう? ここは外出も誰かがついていかないといけないぐらい危険なところで残念だけど女は弱い立場なの。そこでザックよ。これはチャンスだと思わない? ザックがいれば誰も文句は言わないわ」
「!!」
ジルさんはそれも見越して、ザックとの付き合いを薦めているのか。
ザックと付き合えば、ここから安全に連れ出してくれる。
また、海に連れていってもらえるかもしれない。
「でも、ナツミの気持ちも分かるから、ザックに条件を出したらどうかしら?」
「条件?」
思ってもみないアドバイスに私は顔を上げた。
ジルさんは顎から手を外してウインクを一つした。
「そう。ナツミと付き合う為に、条件を出すの。それを飲んでもらえたら付き合うというのは?」
「なるほど」
私は思ってもない話にポンと手を打った。
「ザックに出す条件は……そうねぇ、ナツミと付き合う間は他の誰とも寝ないし、関係を持たない。もちろん二股なんてもってのほか──というのはどうかしら? それにナツミがザックの事を嫌になったらもちろん関係は解消するというのはどう?」
「……でも、嘘をつかれたらどうすれば」
相手は百戦錬磨とも言えるプレイボーイの様だし。お子様な私は騙されていい様にされてしまう恐れが大きい。
私が何を想像したのか、また顔に出ていたのか、ジルさんが低く笑うと、顔に黒い影を落とした。
「ナツミの事を傷つけるなら、私がザックを海に沈めてくれるわ」
「ヒッ」
私までが小さな悲鳴を上げて固まる。さすが元女海賊。
「でもザックが損する様な条件を飲んでもらえるんでしょうか?」
彼がどの程度、来る者は拒まずなのかは分からないが、私との付き合いだけで満足出来るのだろうか。疑問だ。
ジルさんはキセルを咥えて煙を吐き出した。それから肩を揺らして笑う。
「な、何で笑うんですか?」
「だって断ろうとしていたのに、今度は断られる心配をしはじめるからおかしくて。確かに考え方を変えると、こっちもいい札を切らなきゃいけないものねぇ」
「あはは、確かに。でも」
ジルさんの言う通りだ。考え方を変えるとこれは悪い事ではないのかもしれない。
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