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039 ナツミ、怒りの水泳教室 水は怖くない
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先ずは私とザックが池にゆっくりと入ってみる。
「思ったよりは深くないな」
「うん。そうだね」
足がついても胸の辺りまでしかつからない池だった。足の裏に感じるのは丸くなった小石だ。怪我をするようなものではない。水はファルの海ほどではないが透明に近い。水を両手ですくってみて口に含んでみる。
「うん。溜め池って言うけど、何だか水もまろみがあって美味しい」
何だろう、水って言うより生温かい? 湧き水ではない様だし、しかし雨を溜めているというわけでもない。味も何だかある様だ。不思議な感じがする。
「ネロが昔、実験的に作ったもので結果的に溜め池になったと言うか」
ノアが池の縁に腰をかけて、足をゆっくりと水につけながら話をしてくれた。
「ネロがそんな実験をしていたのか。あいつの事だから、池を作るぐらいの穴を魔法で起こしたのか。攻撃魔法でも実験したのか? 医療魔法一筋なのかと思ってたのに」
ザックが全く知らなかったという風に声を上げた。
「違うさ。ネロがやろうとしていたのは、別荘の裏にある温泉をここに引いてくる事だったんだ」
ノアはビクビクと怯える様にしながら話を続ける。どうやらこの水につかる事を怖がっている様だ。そんなに怖いのか。
次に水に入るマリンもゆっくりと下肢をつけながら水に入ってきた。ノアのエスコートつきで。マリンも水に抵抗が若干あるといったところなのか。足のつく事が分かるとホッとした様だ。
私はその様子を観察しながらどういう風に泳ぎを教えていくか考えていた。
それなのに、全く意を介さないで飛び込んできたのはシンとミラだった。
「え、あの温泉を?! そんな事出来るんですか?!」
「へぇ~。ネロさんって昔から凄いんですね」
シンとミラはドブンと大きな音を立て、飛沫を上げながらザックの後ろにやってくる。
その大きな音にビックリしていたのはノアだ。驚きながらもシンを見つめて、深呼吸をしてからもう一度辺りを見回していた。
そんなビクビクしているノアの横で腕にすがりついていたのはマリンだった。ノアを心配しながら、自分も少し怖々しているというところだろうか。
「でも上手く温泉のお湯を引けなくてな。あの手この手を考えたみたいだけど、結局生ぬるい水の状態となってしまって、この池になったというわけだ」
ノアも両手で水をすくいながらとつとつと喋る。ザックもシンも知らないという事は大分昔の話の様だ。懐かしそうに話すノアの顔は寂しそうに見えた。
「……」
ザックが口を開こうとしたが直ぐに閉じた。ノアの様子をジッと見つめて何かに気が付いたようだった。
何だろう。何故温泉を引こうとしたのか理由が分かったのかな?
確かに気になるけれど、ここはひとまず水泳教室が先だ。
私はパンと手を叩いて場を仕切り直した。
「じゃぁ、早速始めるね」
「ふふ、お願いします」
マリンがニッコリ笑って首を傾げた。お団子にした髪の毛も可愛い。
「ああ」
ノアは全然乗り気じゃない感じだが、張りきるマリンの手前仕方なしと言った様子だ。
「足元は小さな小石が引かれているから怪我をする心配もないみたいだし、それに深さは一定みたいだね」
「そうだな。深くはないとネロからも聞いている」
ノアが辺りを見回して頷いた。
「じゃぁ、早速向こうの岸まで歩こう」
「え? 泳ぐんじゃないのか」
「先ずは水に慣れないとね」
「水に慣れる……」
ノアが初めて聞いたような言葉にポカンとする。
「だってノアもマリンも怖々入って来たよね? 先ずは水に慣れるところから始めなきゃ。今は怖くて顔もつけられないでしょ?」
「そうだなぁ」
「確かに」
ノアとマリンが見合っていた。
「じゃぁ、歩いてみようか結構向こうまで時間がかかるよ。水の中は抵抗があるからね」
対岸までは十メートルと言った程か。私はノアとマリンの手を取って歩き始めた。
「はぁっ。水の中で歩くのって、凄く大変なのね。知らなかった」
「そうでしょ~結構疲れるよね。かなりの運動になるんだよ~」
「確かに。足の筋力もつくな。意外だ」
対岸までは無言で黙々と歩いていたノアとマリンだが十メートルを二往復したらお喋りしながら歩ける様になってきた。
うん。良い感じ。怖さが少し薄まってきたかな。先ずはリラックス出来る事が大切だ。水に抵抗がない様に少しずつもっていかなくては。
「歩くと結構疲れるなぁ。体が浮くから楽なのかと思っていた。何か普段使わない筋肉を使っているような気がする」
ザックが意外だと呟いた。
「体って浮くのか?!」
ノアもザックの言葉を聞いて素っ頓狂な声を上げる。
うん。浮くんですよ。もしかしたらノアは体脂肪が少ないから沈むと感じるのかも。
「そうだね。水の中は浮力もあるから。例えば怪我をした人のリハビリにも使えるよ」
「りは・びり、って何だ?」
シンがミラの手を引きながらザックの隣から顔を出した。結局シンもミラも水泳教室に参加している。
「えーと、怪我とした人にする、機能回復の為の方法かな? 歩くのが辛い怪我とか。そうだこの間のネロさんみたいな腰が悪いとかだと、普通に歩くのが辛いでしょ? でも、水の中とか浮力があるから歩くのが楽だから、回復に役立ったりするし」
「へぇ、なるほど」
「そんな事考えた事なかった」
ノアとザックが意外だと口を揃えた。
「温泉のお湯だからあんまり水も冷たくなくて長時間入っていてもあんまり苦痛じゃないから良かった~」
ミラが嬉しそうに声を上げる。多分シンとしっかり手を繋いで歩いているのが楽しいのだろう。
確かにこれだと温水プールとあまり変わらない。こんな環境があるなんてラッキーだ。
「じゃぁ、次に顔をつけてみようか」
「顔をつける……」
少しマリンがためらったような感じがした。少しまだ不安と言ったところだろう。
私はマリンの前に立ち、両手を握る。マリンは海の底のようなブルーの瞳を不安げに揺らし私を見つめる。
「大丈夫。顔をつけるだけ。見ててね」
私は水面に向かって顔だけをつけた。ぶくっと鼻から息を出して数秒したら顔を上げた。
「え? それだけ? 頭まで潜らなくて良いの?」
マリンが意外そうに驚く。顔をつけてと言っただけなのに、頭まで潜る事を想像していた様だ。
「うん。顔をつけるだけ」
「分かったやってみる。……手は繋いでいてね?」
「もちろんだよ!」
マリンの両手をきゅっと握り返すと、マリンはピンク色の唇をキュと噛んだ。それから大きく息を吸って、勢いよく顔を水面につけた。固唾をのんで皆が見守る。
小さな飛沫が飛んでから数秒。ハァと大きく息を吸って顔を上げる。
「出来た!」
「うん。頑張った!」
嬉しそうに飛び出たマリンはニッコリ笑う。本当に出来た事が嬉しそうだ。
見守っていた周りの皆がホッと息を吐いたのを感じる。
「じゃぁ、次はね、顔を水面につけた時、鼻と口から息を出しながらつけてみて」
「え! 鼻と口から息を出すの?!」
「そう。見ててね、こんな風にブクブクって」
そうして私はもう一度水面に顔をつけて鼻から息を出してブクブク泡を立ててみせる。
それから同じ様に顔を上げるとニッコリ笑う。
「ナツミの顔の周りに泡が見えたわ」
感心した様にマリンが驚く。
「そうだよ。水に入る時に息を沢山吸うでしょ? その息を少しずつ出すの」
「水の中で息を吐くのね……でもそうしたら、さっきより息が続かなくて苦しいわ。どうしたら良いの?」
マリンが当たり前の事を言ってくる。私は笑って、その時に手をギュッと握る。マリンの細い指が私に縋る様に絡まってきた。
「だから水面に顔を上げて息を吸うんだよね?」
「あ、そっか」
マリンは気が付いた様に間抜けな声を上げる。
「ぷっ」
こらえていたザックが吹き出していた。
「もう、ザック。笑わない!」
私は視線を逸らしてザックを睨む。
「す、すまん。ちょっと受けた」
悪い悪いとザックが手を上げてマリンの肩をポンと叩いた。
「笑って悪かった。ナツミが手を握っているから大丈夫だ。頑張れ」
「ええ!」
ザックも優しくマリンを勇気づけ、マリンも笑顔で答えた。その先に不安そうに佇んでいるノアにも笑いかける。
「私、やってみるわね! ノア見ててね」
「ああ」
ノアもぎこちなく笑って返す。相当不安そうだ。きっとマリンもそんなノアを勇気づける為に笑ったのだろう。
「では!」
そう言ってマリンは私の両手をきつく握りしめて、水面を睨みつけゆっくりと体を倒して顔をつけた。顔の周りに大きな泡が一つ浮かび、それか無数の泡が小さく浮かぶ。お団子がプルプル震えている様にも見えるが、握った両手が力強いから大丈夫。
それから十数秒して水面から勢いよく顔を上げた。
「プハァ。ハァ、ハァ。で、出来たっ!」
肩で息をしながらマリンが顔の水を拭いながら嬉しそうに笑う。ぴょんとその場で一人小さく兎の様に跳ねた。
「やるじゃんマリン凄い! あたしもやってみよっと。シンお願い」
両手を出してシンとミラが向かい合う。どうやらマリンが頑張ったお陰で不安が少しずつ解けた様だ。
私はマリンの肩をポンと叩いた。
「じゃぁ、これを繰り返して、少しずつしゃがんでみようか」
「うん!」
うん。実にイイ笑顔だ。私はミラとシンが今私がレクチャーした事と同じ様にやり始めたのを見て、ザックとノアを振り返る。
「じゃぁ、ノアとザックでペアになってやってみてよ」
とお願いしたのに二人の即答が返って来る。
「「ヤダ」」
隣同士立ったお互いを指差しながら、見事にハモった。
「な、何で」
そして見事な拒絶。
「どうしてノアと手を握り合って向かい合うんだ。絶対嫌だっ!」
「それは俺のセリフだ。そもそも昔、俺に泳ぎを教えてやるって言って海に突き落としたザックの手を、どうして取らないといけないんだっ!」
おでこを付き合わせて睨み合うザックとノアだ。
「それだけハモったり顔を近づけられるのならば仲良く出来るはずじゃ」
「「無理だっ」」
またハモるし。仕方ないか。私は溜め息をついて肩を落とす。
「じゃぁ、ザックはマリンと今の事を続けてくれる? まだ慣れてないからふざけて手を離したりしちゃ駄目だよ」
「ああ、分かった」
ザックが私と場所を入れ替わってマリンの指導を始める。息巻くマリンに少しザックは引き気味だったが今度は文句を言わずにいた。
「さぁ、ノア。ザックじゃなくて私と一緒に頑張ろう?」
「あ、ああ」
ノアの両手を取る。ノアの掌には所々マメがある。きっと剣を握るからなのだろう。
手はパッと見た感じ色が白く女性の様だ。ただやはり指の節々は細くても節くれ立っていて男性なのが伺える。その時ノアの手が小刻みに震えているのが分かった。
ノア怖いんだ。もう、ザックったらどんな指導を過去にしたのか。
ノアが俯いて不安そうに私を見ていた。私はノアの両手を思いっきり握る。私の出来る力一杯で。
「イテッ! 何するんだ!」
ノアが大げさに大きな声を上げる。多少は痛かっただろうけれど、きっと彼の事だ大して痛くはなかったのだろう。だけれど声を上げないときっと怖いのだ。
私はノアにグッと近づいて顔をしたから覗き込む。胸と胸が少しで触れるぐらい近くに。
「な、何だよ……」
「私がいるよ」
「!」
「側にいる。私はこの手を離したりしない」
「あ、ああ……」
「もし、ノアが少しでもおかしいと思ったら、いつでも引き揚げてあげる」
「……ああ」
そしてノアの手を持ち上げて掌を返す。掌に出来たマメを親指でなぞる。
「な、何だ」
急に掌をなぞられて声をひっくり返したノアだ。
「こんなにマメが出来るぐらい剣を握って努力するノアが、泳ぎだけ出来ないなんて。そんな事ない」
それから直ぐ上にあるノアの顔を見上げる。アイスブルーの瞳が驚いて見開く。
「!」
「こんなに努力するノアが、泳げないわけない」
「……」
ノアは無言で瞳を伏せる。アイスブルーの瞳がそれでも辛そうに細くなった。
そこで私は笑って両手を握りしめる。
「私が泳げる様にする為にここにいるんだよ?」
その言葉を聞いてノアが一瞬固まるが、フッと最後は肩の力が抜けて手の震えが治まった。それから口の端を上げて笑う。
ノアも覚悟を決めたのだ。
「ああ、頼んだ」
ギュッと私の手を握り返した。
ザックはマリンが顔をつけたのを確認すると、ノアの不安を取り除く事に必死になっているナツミを横目で見る。
「仕方ない。仕方がないが」
表現出来ない気持ちが、染みの様に広がっていく。
何だろうノアとナツミを見ていると微笑ましいはずなのに、──面白くない。
「え?」
ザックが呟いたのをマリンは水面に浮かんできた直後に聞いた気がしたが、何しろ息を精一杯吸い込んだ後だから聞き間違えかもしれない。
「ザック、何か言った?」
小首を傾げてザックを見上げると、作ったような張り付いた笑いを浮かべてマリンに向き直る。ザックにしては珍しい作り笑いとは。
「いいや何でもない。ノア達に負けないようこっちも頑張っていこうぜ?」
「ええ! ノアよりも長く潜る様になってみせるわ!」
マリンはガッツポーズをしようと繋がれたザックの手と一緒に自分の手を上げる。
「ハハ、何処からその元気が生まれてくるんだ?」
何故かノアと張り合おうとするマリンに苦笑いを通り越して、笑いがこみ上げてきたザックだった。
「じゃぁ、顔をつけてみよう。さっきマリンがしたのと同じだよ?」
「ああ」
ギュッと肩に力が入るノアだ。駄目じゃん力を抜かなきゃ。私はそう思ってノアの顔をもう一度覗き込んだ。
「な、何だよ」
ノアは突然現れた私の顔に仰け反って驚いた。
「顔が怖いよ、肩に力入りすぎだし」
「! わ、分かった」
それに気が付いたノアは頬を赤く染めて頷いた。
「そうそう。それそれ」
肩の力が抜けたノアは瞳を閉じて神経を研ぎ澄ましていく。緊張とは違う、別の集中力だ。体を倒してゆっくりと顔をつける。驚いた事に直ぐにブクブクと泡が浮かぶ。先ほどマリンに二回に分けて教えた事を一気にしている。
へぇ。やはりノアは凄いなぁ。イメージが出来たら直ぐに出来るんだ。
やはり恐怖を取り除けば、泳げる様になるのは早いかも。私はそんな事を考えていた。
結構長く潜っているので私はギュッと繋いでいる両手に力を込めた。するとそれを合図にノアは水面から顔を上げる。閉じた瞳を開けて、大きく肩で息をする。
「で、出来た!」
アイスブルーの瞳を大きく見開く。
「うん!」
「俺、息が止められた!」
「うん、うん」
「沈まなかった!」
「うん……」
いや、沈むところまではしていないけれどね。しかし顔を水につけて息を止められる事が出来たのがとても嬉しいみたいだ。
ノアは子供の様に無邪気に笑った。
それからはあっという間だ。
アルマさんが昼食を用意したと声をかけてくれた時には、ノア、マリン、ミラの三人は頭までつかり、しゃがんで十秒程水の中で息を止める事が出来る様になっていた。
「思ったよりは深くないな」
「うん。そうだね」
足がついても胸の辺りまでしかつからない池だった。足の裏に感じるのは丸くなった小石だ。怪我をするようなものではない。水はファルの海ほどではないが透明に近い。水を両手ですくってみて口に含んでみる。
「うん。溜め池って言うけど、何だか水もまろみがあって美味しい」
何だろう、水って言うより生温かい? 湧き水ではない様だし、しかし雨を溜めているというわけでもない。味も何だかある様だ。不思議な感じがする。
「ネロが昔、実験的に作ったもので結果的に溜め池になったと言うか」
ノアが池の縁に腰をかけて、足をゆっくりと水につけながら話をしてくれた。
「ネロがそんな実験をしていたのか。あいつの事だから、池を作るぐらいの穴を魔法で起こしたのか。攻撃魔法でも実験したのか? 医療魔法一筋なのかと思ってたのに」
ザックが全く知らなかったという風に声を上げた。
「違うさ。ネロがやろうとしていたのは、別荘の裏にある温泉をここに引いてくる事だったんだ」
ノアはビクビクと怯える様にしながら話を続ける。どうやらこの水につかる事を怖がっている様だ。そんなに怖いのか。
次に水に入るマリンもゆっくりと下肢をつけながら水に入ってきた。ノアのエスコートつきで。マリンも水に抵抗が若干あるといったところなのか。足のつく事が分かるとホッとした様だ。
私はその様子を観察しながらどういう風に泳ぎを教えていくか考えていた。
それなのに、全く意を介さないで飛び込んできたのはシンとミラだった。
「え、あの温泉を?! そんな事出来るんですか?!」
「へぇ~。ネロさんって昔から凄いんですね」
シンとミラはドブンと大きな音を立て、飛沫を上げながらザックの後ろにやってくる。
その大きな音にビックリしていたのはノアだ。驚きながらもシンを見つめて、深呼吸をしてからもう一度辺りを見回していた。
そんなビクビクしているノアの横で腕にすがりついていたのはマリンだった。ノアを心配しながら、自分も少し怖々しているというところだろうか。
「でも上手く温泉のお湯を引けなくてな。あの手この手を考えたみたいだけど、結局生ぬるい水の状態となってしまって、この池になったというわけだ」
ノアも両手で水をすくいながらとつとつと喋る。ザックもシンも知らないという事は大分昔の話の様だ。懐かしそうに話すノアの顔は寂しそうに見えた。
「……」
ザックが口を開こうとしたが直ぐに閉じた。ノアの様子をジッと見つめて何かに気が付いたようだった。
何だろう。何故温泉を引こうとしたのか理由が分かったのかな?
確かに気になるけれど、ここはひとまず水泳教室が先だ。
私はパンと手を叩いて場を仕切り直した。
「じゃぁ、早速始めるね」
「ふふ、お願いします」
マリンがニッコリ笑って首を傾げた。お団子にした髪の毛も可愛い。
「ああ」
ノアは全然乗り気じゃない感じだが、張りきるマリンの手前仕方なしと言った様子だ。
「足元は小さな小石が引かれているから怪我をする心配もないみたいだし、それに深さは一定みたいだね」
「そうだな。深くはないとネロからも聞いている」
ノアが辺りを見回して頷いた。
「じゃぁ、早速向こうの岸まで歩こう」
「え? 泳ぐんじゃないのか」
「先ずは水に慣れないとね」
「水に慣れる……」
ノアが初めて聞いたような言葉にポカンとする。
「だってノアもマリンも怖々入って来たよね? 先ずは水に慣れるところから始めなきゃ。今は怖くて顔もつけられないでしょ?」
「そうだなぁ」
「確かに」
ノアとマリンが見合っていた。
「じゃぁ、歩いてみようか結構向こうまで時間がかかるよ。水の中は抵抗があるからね」
対岸までは十メートルと言った程か。私はノアとマリンの手を取って歩き始めた。
「はぁっ。水の中で歩くのって、凄く大変なのね。知らなかった」
「そうでしょ~結構疲れるよね。かなりの運動になるんだよ~」
「確かに。足の筋力もつくな。意外だ」
対岸までは無言で黙々と歩いていたノアとマリンだが十メートルを二往復したらお喋りしながら歩ける様になってきた。
うん。良い感じ。怖さが少し薄まってきたかな。先ずはリラックス出来る事が大切だ。水に抵抗がない様に少しずつもっていかなくては。
「歩くと結構疲れるなぁ。体が浮くから楽なのかと思っていた。何か普段使わない筋肉を使っているような気がする」
ザックが意外だと呟いた。
「体って浮くのか?!」
ノアもザックの言葉を聞いて素っ頓狂な声を上げる。
うん。浮くんですよ。もしかしたらノアは体脂肪が少ないから沈むと感じるのかも。
「そうだね。水の中は浮力もあるから。例えば怪我をした人のリハビリにも使えるよ」
「りは・びり、って何だ?」
シンがミラの手を引きながらザックの隣から顔を出した。結局シンもミラも水泳教室に参加している。
「えーと、怪我とした人にする、機能回復の為の方法かな? 歩くのが辛い怪我とか。そうだこの間のネロさんみたいな腰が悪いとかだと、普通に歩くのが辛いでしょ? でも、水の中とか浮力があるから歩くのが楽だから、回復に役立ったりするし」
「へぇ、なるほど」
「そんな事考えた事なかった」
ノアとザックが意外だと口を揃えた。
「温泉のお湯だからあんまり水も冷たくなくて長時間入っていてもあんまり苦痛じゃないから良かった~」
ミラが嬉しそうに声を上げる。多分シンとしっかり手を繋いで歩いているのが楽しいのだろう。
確かにこれだと温水プールとあまり変わらない。こんな環境があるなんてラッキーだ。
「じゃぁ、次に顔をつけてみようか」
「顔をつける……」
少しマリンがためらったような感じがした。少しまだ不安と言ったところだろう。
私はマリンの前に立ち、両手を握る。マリンは海の底のようなブルーの瞳を不安げに揺らし私を見つめる。
「大丈夫。顔をつけるだけ。見ててね」
私は水面に向かって顔だけをつけた。ぶくっと鼻から息を出して数秒したら顔を上げた。
「え? それだけ? 頭まで潜らなくて良いの?」
マリンが意外そうに驚く。顔をつけてと言っただけなのに、頭まで潜る事を想像していた様だ。
「うん。顔をつけるだけ」
「分かったやってみる。……手は繋いでいてね?」
「もちろんだよ!」
マリンの両手をきゅっと握り返すと、マリンはピンク色の唇をキュと噛んだ。それから大きく息を吸って、勢いよく顔を水面につけた。固唾をのんで皆が見守る。
小さな飛沫が飛んでから数秒。ハァと大きく息を吸って顔を上げる。
「出来た!」
「うん。頑張った!」
嬉しそうに飛び出たマリンはニッコリ笑う。本当に出来た事が嬉しそうだ。
見守っていた周りの皆がホッと息を吐いたのを感じる。
「じゃぁ、次はね、顔を水面につけた時、鼻と口から息を出しながらつけてみて」
「え! 鼻と口から息を出すの?!」
「そう。見ててね、こんな風にブクブクって」
そうして私はもう一度水面に顔をつけて鼻から息を出してブクブク泡を立ててみせる。
それから同じ様に顔を上げるとニッコリ笑う。
「ナツミの顔の周りに泡が見えたわ」
感心した様にマリンが驚く。
「そうだよ。水に入る時に息を沢山吸うでしょ? その息を少しずつ出すの」
「水の中で息を吐くのね……でもそうしたら、さっきより息が続かなくて苦しいわ。どうしたら良いの?」
マリンが当たり前の事を言ってくる。私は笑って、その時に手をギュッと握る。マリンの細い指が私に縋る様に絡まってきた。
「だから水面に顔を上げて息を吸うんだよね?」
「あ、そっか」
マリンは気が付いた様に間抜けな声を上げる。
「ぷっ」
こらえていたザックが吹き出していた。
「もう、ザック。笑わない!」
私は視線を逸らしてザックを睨む。
「す、すまん。ちょっと受けた」
悪い悪いとザックが手を上げてマリンの肩をポンと叩いた。
「笑って悪かった。ナツミが手を握っているから大丈夫だ。頑張れ」
「ええ!」
ザックも優しくマリンを勇気づけ、マリンも笑顔で答えた。その先に不安そうに佇んでいるノアにも笑いかける。
「私、やってみるわね! ノア見ててね」
「ああ」
ノアもぎこちなく笑って返す。相当不安そうだ。きっとマリンもそんなノアを勇気づける為に笑ったのだろう。
「では!」
そう言ってマリンは私の両手をきつく握りしめて、水面を睨みつけゆっくりと体を倒して顔をつけた。顔の周りに大きな泡が一つ浮かび、それか無数の泡が小さく浮かぶ。お団子がプルプル震えている様にも見えるが、握った両手が力強いから大丈夫。
それから十数秒して水面から勢いよく顔を上げた。
「プハァ。ハァ、ハァ。で、出来たっ!」
肩で息をしながらマリンが顔の水を拭いながら嬉しそうに笑う。ぴょんとその場で一人小さく兎の様に跳ねた。
「やるじゃんマリン凄い! あたしもやってみよっと。シンお願い」
両手を出してシンとミラが向かい合う。どうやらマリンが頑張ったお陰で不安が少しずつ解けた様だ。
私はマリンの肩をポンと叩いた。
「じゃぁ、これを繰り返して、少しずつしゃがんでみようか」
「うん!」
うん。実にイイ笑顔だ。私はミラとシンが今私がレクチャーした事と同じ様にやり始めたのを見て、ザックとノアを振り返る。
「じゃぁ、ノアとザックでペアになってやってみてよ」
とお願いしたのに二人の即答が返って来る。
「「ヤダ」」
隣同士立ったお互いを指差しながら、見事にハモった。
「な、何で」
そして見事な拒絶。
「どうしてノアと手を握り合って向かい合うんだ。絶対嫌だっ!」
「それは俺のセリフだ。そもそも昔、俺に泳ぎを教えてやるって言って海に突き落としたザックの手を、どうして取らないといけないんだっ!」
おでこを付き合わせて睨み合うザックとノアだ。
「それだけハモったり顔を近づけられるのならば仲良く出来るはずじゃ」
「「無理だっ」」
またハモるし。仕方ないか。私は溜め息をついて肩を落とす。
「じゃぁ、ザックはマリンと今の事を続けてくれる? まだ慣れてないからふざけて手を離したりしちゃ駄目だよ」
「ああ、分かった」
ザックが私と場所を入れ替わってマリンの指導を始める。息巻くマリンに少しザックは引き気味だったが今度は文句を言わずにいた。
「さぁ、ノア。ザックじゃなくて私と一緒に頑張ろう?」
「あ、ああ」
ノアの両手を取る。ノアの掌には所々マメがある。きっと剣を握るからなのだろう。
手はパッと見た感じ色が白く女性の様だ。ただやはり指の節々は細くても節くれ立っていて男性なのが伺える。その時ノアの手が小刻みに震えているのが分かった。
ノア怖いんだ。もう、ザックったらどんな指導を過去にしたのか。
ノアが俯いて不安そうに私を見ていた。私はノアの両手を思いっきり握る。私の出来る力一杯で。
「イテッ! 何するんだ!」
ノアが大げさに大きな声を上げる。多少は痛かっただろうけれど、きっと彼の事だ大して痛くはなかったのだろう。だけれど声を上げないときっと怖いのだ。
私はノアにグッと近づいて顔をしたから覗き込む。胸と胸が少しで触れるぐらい近くに。
「な、何だよ……」
「私がいるよ」
「!」
「側にいる。私はこの手を離したりしない」
「あ、ああ……」
「もし、ノアが少しでもおかしいと思ったら、いつでも引き揚げてあげる」
「……ああ」
そしてノアの手を持ち上げて掌を返す。掌に出来たマメを親指でなぞる。
「な、何だ」
急に掌をなぞられて声をひっくり返したノアだ。
「こんなにマメが出来るぐらい剣を握って努力するノアが、泳ぎだけ出来ないなんて。そんな事ない」
それから直ぐ上にあるノアの顔を見上げる。アイスブルーの瞳が驚いて見開く。
「!」
「こんなに努力するノアが、泳げないわけない」
「……」
ノアは無言で瞳を伏せる。アイスブルーの瞳がそれでも辛そうに細くなった。
そこで私は笑って両手を握りしめる。
「私が泳げる様にする為にここにいるんだよ?」
その言葉を聞いてノアが一瞬固まるが、フッと最後は肩の力が抜けて手の震えが治まった。それから口の端を上げて笑う。
ノアも覚悟を決めたのだ。
「ああ、頼んだ」
ギュッと私の手を握り返した。
ザックはマリンが顔をつけたのを確認すると、ノアの不安を取り除く事に必死になっているナツミを横目で見る。
「仕方ない。仕方がないが」
表現出来ない気持ちが、染みの様に広がっていく。
何だろうノアとナツミを見ていると微笑ましいはずなのに、──面白くない。
「え?」
ザックが呟いたのをマリンは水面に浮かんできた直後に聞いた気がしたが、何しろ息を精一杯吸い込んだ後だから聞き間違えかもしれない。
「ザック、何か言った?」
小首を傾げてザックを見上げると、作ったような張り付いた笑いを浮かべてマリンに向き直る。ザックにしては珍しい作り笑いとは。
「いいや何でもない。ノア達に負けないようこっちも頑張っていこうぜ?」
「ええ! ノアよりも長く潜る様になってみせるわ!」
マリンはガッツポーズをしようと繋がれたザックの手と一緒に自分の手を上げる。
「ハハ、何処からその元気が生まれてくるんだ?」
何故かノアと張り合おうとするマリンに苦笑いを通り越して、笑いがこみ上げてきたザックだった。
「じゃぁ、顔をつけてみよう。さっきマリンがしたのと同じだよ?」
「ああ」
ギュッと肩に力が入るノアだ。駄目じゃん力を抜かなきゃ。私はそう思ってノアの顔をもう一度覗き込んだ。
「な、何だよ」
ノアは突然現れた私の顔に仰け反って驚いた。
「顔が怖いよ、肩に力入りすぎだし」
「! わ、分かった」
それに気が付いたノアは頬を赤く染めて頷いた。
「そうそう。それそれ」
肩の力が抜けたノアは瞳を閉じて神経を研ぎ澄ましていく。緊張とは違う、別の集中力だ。体を倒してゆっくりと顔をつける。驚いた事に直ぐにブクブクと泡が浮かぶ。先ほどマリンに二回に分けて教えた事を一気にしている。
へぇ。やはりノアは凄いなぁ。イメージが出来たら直ぐに出来るんだ。
やはり恐怖を取り除けば、泳げる様になるのは早いかも。私はそんな事を考えていた。
結構長く潜っているので私はギュッと繋いでいる両手に力を込めた。するとそれを合図にノアは水面から顔を上げる。閉じた瞳を開けて、大きく肩で息をする。
「で、出来た!」
アイスブルーの瞳を大きく見開く。
「うん!」
「俺、息が止められた!」
「うん、うん」
「沈まなかった!」
「うん……」
いや、沈むところまではしていないけれどね。しかし顔を水につけて息を止められる事が出来たのがとても嬉しいみたいだ。
ノアは子供の様に無邪気に笑った。
それからはあっという間だ。
アルマさんが昼食を用意したと声をかけてくれた時には、ノア、マリン、ミラの三人は頭までつかり、しゃがんで十秒程水の中で息を止める事が出来る様になっていた。
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