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046 直進馬鹿
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「ん……」
目が覚めると私はフカフカのベッドの上で大の字になって眠っていた。
隣に眠っているであろうザックの姿が見当たらない。
どういう事だろう。体を起こしてキョロキョロとザックの姿を探すが、部屋の何処にも彼の気配がない。
ふとドレッサーに映った自分の姿が目に留まった。ベッドの上で座る私は素っ裸で何も身に付けていない。
「わっ」
誰が見ているわけでもないが慌ててシーツに潜る。確か昨日の夜は、私とザックは温泉に入って激しく抱かれて……ん?
その後、私はどうなったのだっけ?
最後はバチッと電源が切れる様に意識が途切れたは、ず……
記憶を辿ると昨日のザックとの激しい行為の記憶を辿る。思い出すだけでも、肌が粟立つ。突き抜ける様な快感は頂点というものがない。繰り返して震える体、そして溶ける様なあの感覚……
私は1人赤くなり顔を両手で押さえた。
「と、とにかく、ザックを探さないと……」
時計を見ると朝の六時前を指している。しかし夏の季節の朝は早い。窓の外は快晴だ。
「あ。ノア、おはよう」
身支度を簡単に調えて、オレンジ色のワンピースを着て昨日散々泳ぎを練習した池のある庭に出てみると、ウッドデッキに置いてある布張りのデッキチェアに座って優雅に紅茶を飲んでいた。雨に濡れた短い芝から若草の香りがより際立って漂ってきた。
「おはようって、ナツミか。朝早いんだな」
麻素材の白いズボンとシャツ姿のノアは気怠げに私を見上げた。しかし、唇が優しく弧を描いて微笑んでいた。作った様な王子様の笑顔ではなく自然な微笑みに私もつられて笑う。
「何だか目が覚めて。でも、起きたらザックがいないの。何処に行ったか知らない?」
ノアはテーブルを挟んだ反対側のデッキチェアに私に座る様促しながら、紅茶をテーブルに置いた。
「ああ、ザックか。確か日が昇る頃、馬に乗って出て行ったな。何でも『良い事を思いついた』と言っていたな。朝食までには戻るからとも言っていたぞ」
「え~」
良い事って何だろう……だけれど、どうして急に日が昇る前から出かけるなんて……
「フッ。何だ、起きたらザックがいなくて寂しかったとでも?」
ノアの掠れた笑い声が急に振ってきた。図星だったので顔を赤くして頷くしかない。
「だって、起きたらいないとか部屋の中にもいないしザックの服も靴もないから不安って言うか……」
「何だ素直なんだな」
「そういうノアこそ。マリンが起きたら寂しがるよ」
「今度はマリンの心配か? さっき日が昇る前に一緒に起きたんだが、一度抱き合ったら」
「わ、分かりました! 大丈夫です。それ以上は言わないでっ」
私は慌ててノアの目の前で両手を振って見せた。私は肩をすくめてデッキチェアに腰掛ける。ただ、横に置いてあるテーブルを前に、ノアの方を向いて座る。
「何だよ慌てて。俺とマリンがそういう関係だという事は知っているだろ? 今更そういう話を聞いたからと言って慌てる必要はないだろう」
ノアも体を起こして、不思議そうに首を傾げた。テーブルの方に向き直り、新しいカップに紅茶を注ぎ入れ私の前に置いてくれた。
「そ、それとこれとは別で。分かっているからこそ詳しく聞いちゃうと、想像しちゃうって言うか」
私は両手の人差し指をすりあわせて視線を逸らして口を尖らせた。
ノアってこういうところ何だかザックと同じで結構堂々としているなぁ。私は照れくさいと思うのだけれど。
「へぇ、ナツミは想像力が豊かなんだな。エロい想像までしてしまうとは。いや? 妄想か?」
「も、もう。恥ずかしいからっ」
「ハハ。顔が真っ赤だな。ほら。入ったぞ」
「……ありがとう」
ノアは私に紅茶をすすめ、自分の分もポットから注いだ。
私も落ち着こうと紅茶を一口飲む。バラの花の香りがする……とても美味しい。
私が紅茶の感想を伝えようとした時、ノアが先に口を開いた。
「ナツミは想像力も豊かだが、発想も他の人間と違っていて驚かされるな。俺を領主から『除外』してくれたし」
ノアはカップに入った紅茶を見つめながらボソッと呟いた。そのひと言に、私は紅茶を危うく吹き出すところだった。
「ゴホッ。ゲホッ!」
忘れていた。忘れていないけれど、そうだった。ノアに謝らないといけないと思っていたのだった。
「おい、大丈夫か?」
「あの、その、あれは酔っぱらった勢いって言うか。あんまり覚えてなくて。えっとゴメンナサイ──」
私はカップをテーブルに置いて、慌てて口を拭いながらノアに頭を下げる。しかし並べる言葉は『酔っぱらっていた』とか『覚えていない』とか最低なものばかりだった。
「いや。別にかまわないさ」
ノアの声に私は頭を上げる。
今度は真正面からノアの顔を見るが、何も読み取る事の出来ない表情で私の顔を見つめていた。その表情を見た私は言わずにはいられなくなった。
だって、ノアが寂しそうに見えたのだ。
「今謝ったのは酔っぱらって記憶がない事と言い方が悪かった事なんだけど」
「言い方?」
「うん。私はやっぱりノア達兄弟からしか領主になれないと言うのは変だなって思う。それに、ノアがやりたくないって思うのなら別に無理をしてまでも、領主レースに参加する必要はないかなって」
「ああ。領主なんて俺には向いてないからな」
ノアが自分を皮肉り、引きつる様に笑い私を見つめていた。
「ノアが領主に向いていないなんて思っていないよ。やりたくない人が、領主になるのは良くないって思ってさ。ノアが嫌々ながら領主についちゃう事になるのだったら、『やめてしまえ』って思ったんだよ。だから、三男坊だろうと性格がちょっと王子様から破綻してたって、折角のチャンスがノアにあるなら、それはそれでチャレンジして欲しい」
私は身を乗り出して慌てて否定する。うーん、上手く言えない。まとまっていない上に、ノアの事も王子様から破綻とか文句をつけている。
「は?」
わけの分からない事を言い出した私に、ノアは眉をハの字にして首を傾げた。
「だっ、だから、ノアが領主にふさわしいかじゃなくて、先ずはノアがノアらしく生きて欲しいなって思って。ほら、その王子様的な感じもきっとそういう事から生まれたのかな~とか思うし。そういう事を色々悩んでいるんだったら、もっと周りを頼ったら良いと思うなって。うん。そうだ」
よし、少し強引だが、上手く言えた様な気がする。そして、中腰になってテーブルの上から身を乗り出して、ノアの両手を掴む。
「!」
ノアは驚いて目を見開いた。
ん? しかし、何だかザックが言っていた事が何個か入っていない──
「あっ、しまった違う」
「え?」
驚いたノアがまた戸惑った顔に戻る。
「ザックの言っていた重要な事が入ってないっ! 確か「覚悟」と「自信」だったかな? その上でその困っていたら「俺を頼れ」って」
「ザックが言っていたって「俺を頼れ」とは、ザックを頼れって事か?」
困惑したノアが私の言葉を飲み込んで目を見開いていた。
それは少し違うな。
「違う。えーと、確か「俺を頼って欲しい」じゃないや。何だったかな? 何処が違うの? 確か……分かった「俺」じゃなくて。そうだ「周り」だった! よし、もう一度やり直しをさせて──」
「ブハッ!」
やり直しを要求した私に、とうとうノアがほっぺたを膨らませ吹き出した。俯いて声が出ないぐらい笑っている。その証拠に肩がガタガタ震えている。
「も、もう! 笑わないでよ! でも、色々とゴメンナサイ……」
何だか分からなくなって私は俯くしかなかった。
「はぁ、笑った。もうナツミは予想外な事ばかりしてくるし言うから」
ノアはひとしきり笑って涙をシャツの袖で拭っていた。
「笑いすぎだよ」
「笑うだろ、あれは。はぁ」
「もう。とにかく『周りの皆を頼る事』だってザックも言っていたよ。私もそうだと思う。だって、信用出来る人達がいるでしょ? ポッと出の私はともかく」
私は入れてもらった紅茶を飲みながら話した。
まぁ、そのポッと出の私にいちゃもんをつけられたのだけれど。
「信用出来る相手か。ナツミは、ザックを本当に信用しているんだな」
「もちろんだよ。だって、ザックは私に嘘をつかないって約束してくれたし。ノアだってそうでしょう?」
「ハハ。約束な」
ノアは軽蔑する様に笑うと俯き大きく溜め息をついた。それから両手の指の腹をつけて自分の口元に持っていく。
「ザックは確かに良い奴だ。だけど、本当に信頼出来る相手なのか?」
「え?」
「約束なんて簡単に破る事だって出来るはずだ。何故それで信頼出来ると言い切れる?」
ノアがアイスブルーの瞳を細めて私を真正面から見つめた。茶化しているわけではない様だ。
「それは……」
私は思わず息を飲んだ。ザックが与えてくれる優しさも悦びも全て嘘だとしたら?
そんな恐ろしい事……
一瞬、姉の春見と秋の姿が私の脳裏によぎる。
経験してしまうと、何かと恐ろしくて前に進めないけれど。
「ナツミはそれでも出会って間もないザックを信じる事が出来るのか?」
ノアはもう一度私に問いかける。
きっと私が次に言い淀んだら『ほら、出来ないだろう?』と言いたげだった。
太陽が昇って強くなりはじめた日差しを、体の半分に浴び私は口を開く。
「信じていたのに、裏切られた時のショックって言ったらないよね」
「そうだろう」
私の言葉にノアが『それ見た事か』と頷く。
「悔しくて、恥ずかしくて、今まで何だったんだろうって。私の何が良くなかったのかな? とか、自分を責めて。そして、相手が裏でどれだけ私を笑っていたのかな思うと」
腹が立つのと悲しくなるのと渦巻く気持ちをどう表現したらいいのか分からない。
「……ナツミ?」
いやに具体的な表現をする私の言葉に、ノアが思わず口を挟んだが、私はそれでも話し続けた。
「私は、相手を責めたくても気持ちがグチャグチャになると言葉が出ないんだよね。うーん、信じた方が負けって言うか──と言っても、勝ち負けじゃないんだけど」
私は姉の春見と秋の浮気現場に遭遇するに至るまでの事を思い出しながら、苦笑いを浮かべる。
まだ傷は癒えていない。時が来れば色々前に進めるかなって思う。
その傷を癒やす新たな一歩を踏み出す切っ掛けをくれたのはザックだ。
そのザックに裏切られたらどうだろう。
その時はまた同じ事を私は繰り返すのかな?
それでも私は──
「ザックに裏切られたら、きっとショックで辛くてどうなるか想像出来ない。怖いよ、恐ろしいよ? だけど、どんな彼でも信じたいと思う。私はそれしか出来ないの」
「! それしか出来ない、か」
ノアは私の答えを聞いて言葉を反芻した。
気が付いたらポカンと口が開いていて、目が見開いている。寝起きのノアも格好をつけているけれどもよく見たら髪の毛が寝癖で跳ねている。
ノアったら結構間抜けなのだから。
王子様の様なキラキラした余裕のある笑顔も素敵だけれど、驚いたり喚いたり面白い顔ばかりするノアも魅力的だと思う。
「私は貫くしか出来ない──この思いも一本道しかないよ」
色々経験して上手く悲しみを消化出来る様になったとしても、きっと根本は変わらないから。
私の顔を数秒見つめていたノアは間抜けに開けた口を閉じ、片手で顔を拭うと緊張を解いた様に笑顔になった。
「羨ましいぐらいまっすぐな奴だなお前は。ま、直進馬鹿って事だな」
「ちょ、直進馬鹿」
「馬鹿だよ。傷つくって分かっていてそれしか出来ないって言うんだから」
「だから、傷ついても仕方ないんだってば。それに、ザックは良い奴なんでしょ? 何も傷つくの前提で話をしなくても良いのに。ノアだって信じたいと思うなら信じれば良い。裏切られたら裏切られた時にまた考えれば良いよ」
ノアは私の言葉に弾けて笑う。
「ハハッ。後回しなんじゃないか結局」
「後回しかなぁ?」
だって、結果は後からしかついてこない。蓋を開けないと分からないのだ。
「だけど、そうだよな。信じてみなきゃ分からないよな」
ノアが満面の笑みを浮かべて笑った。その笑顔は本当に王子様の様で私は目を奪われたけれど、ノアが怒っていないのと何やら元気になってくれたので良かった。
「おーい、ノア! 助かったぜ。お前の馬の方がやっぱ速かったわ。裏町まで直ぐだった」
そこへ馬をひいて戻って来たザックが現れた。大分急いでいたのか額に汗が滲んでいる。
裏町って、一度ファルの町まで戻っていたって事? 何の用で?
私は頭にハテナがいっぱいになったが、ようやくザックの姿を見つけてほっとした。
何だかんだで朝一番に会いたかったのはザックなのだ。
「ザック! 何処に行ってたの?」
私は親を見つけたヒナの様にザックに駆け寄る。
「あれ? 何だナツミ、起きたのか。昨日は死んだのかと思ったぐらい意識が飛んでたのに……大丈夫か?」
ザックの低くて張りのある声はまだ静かな森の中に響いた様に感じた。
「も、もう。ザック静かに!」
「何でだよ? 本当の事だろう」
ザックが首を傾げるので私は小走りに駆け寄った。
「へぇ。意識がなくなるぐらいねぇ~」
ノアは嬉しそうなナツミの顔を見つめながら思わず呟いた。
確かにザックは女性を悦ばせる事には長けているだろうが、そこまでナツミに張りきるなんてなぁ。温泉で何をやっているのだか。後でザック共々からかってやろうと心に決めた。
ノアがナツミと関わる様になって、溺れる姿は晒されるわ、ジルの店の手伝いまでする羽目になり、更には何故か泳ぎを教わる事になるわ、最後には領主からは除外でいいと言われ、踏んだり蹴ったりだと思っていたが……
それも少しだけ心地よいと感じる様になってきたノアだった──
目が覚めると私はフカフカのベッドの上で大の字になって眠っていた。
隣に眠っているであろうザックの姿が見当たらない。
どういう事だろう。体を起こしてキョロキョロとザックの姿を探すが、部屋の何処にも彼の気配がない。
ふとドレッサーに映った自分の姿が目に留まった。ベッドの上で座る私は素っ裸で何も身に付けていない。
「わっ」
誰が見ているわけでもないが慌ててシーツに潜る。確か昨日の夜は、私とザックは温泉に入って激しく抱かれて……ん?
その後、私はどうなったのだっけ?
最後はバチッと電源が切れる様に意識が途切れたは、ず……
記憶を辿ると昨日のザックとの激しい行為の記憶を辿る。思い出すだけでも、肌が粟立つ。突き抜ける様な快感は頂点というものがない。繰り返して震える体、そして溶ける様なあの感覚……
私は1人赤くなり顔を両手で押さえた。
「と、とにかく、ザックを探さないと……」
時計を見ると朝の六時前を指している。しかし夏の季節の朝は早い。窓の外は快晴だ。
「あ。ノア、おはよう」
身支度を簡単に調えて、オレンジ色のワンピースを着て昨日散々泳ぎを練習した池のある庭に出てみると、ウッドデッキに置いてある布張りのデッキチェアに座って優雅に紅茶を飲んでいた。雨に濡れた短い芝から若草の香りがより際立って漂ってきた。
「おはようって、ナツミか。朝早いんだな」
麻素材の白いズボンとシャツ姿のノアは気怠げに私を見上げた。しかし、唇が優しく弧を描いて微笑んでいた。作った様な王子様の笑顔ではなく自然な微笑みに私もつられて笑う。
「何だか目が覚めて。でも、起きたらザックがいないの。何処に行ったか知らない?」
ノアはテーブルを挟んだ反対側のデッキチェアに私に座る様促しながら、紅茶をテーブルに置いた。
「ああ、ザックか。確か日が昇る頃、馬に乗って出て行ったな。何でも『良い事を思いついた』と言っていたな。朝食までには戻るからとも言っていたぞ」
「え~」
良い事って何だろう……だけれど、どうして急に日が昇る前から出かけるなんて……
「フッ。何だ、起きたらザックがいなくて寂しかったとでも?」
ノアの掠れた笑い声が急に振ってきた。図星だったので顔を赤くして頷くしかない。
「だって、起きたらいないとか部屋の中にもいないしザックの服も靴もないから不安って言うか……」
「何だ素直なんだな」
「そういうノアこそ。マリンが起きたら寂しがるよ」
「今度はマリンの心配か? さっき日が昇る前に一緒に起きたんだが、一度抱き合ったら」
「わ、分かりました! 大丈夫です。それ以上は言わないでっ」
私は慌ててノアの目の前で両手を振って見せた。私は肩をすくめてデッキチェアに腰掛ける。ただ、横に置いてあるテーブルを前に、ノアの方を向いて座る。
「何だよ慌てて。俺とマリンがそういう関係だという事は知っているだろ? 今更そういう話を聞いたからと言って慌てる必要はないだろう」
ノアも体を起こして、不思議そうに首を傾げた。テーブルの方に向き直り、新しいカップに紅茶を注ぎ入れ私の前に置いてくれた。
「そ、それとこれとは別で。分かっているからこそ詳しく聞いちゃうと、想像しちゃうって言うか」
私は両手の人差し指をすりあわせて視線を逸らして口を尖らせた。
ノアってこういうところ何だかザックと同じで結構堂々としているなぁ。私は照れくさいと思うのだけれど。
「へぇ、ナツミは想像力が豊かなんだな。エロい想像までしてしまうとは。いや? 妄想か?」
「も、もう。恥ずかしいからっ」
「ハハ。顔が真っ赤だな。ほら。入ったぞ」
「……ありがとう」
ノアは私に紅茶をすすめ、自分の分もポットから注いだ。
私も落ち着こうと紅茶を一口飲む。バラの花の香りがする……とても美味しい。
私が紅茶の感想を伝えようとした時、ノアが先に口を開いた。
「ナツミは想像力も豊かだが、発想も他の人間と違っていて驚かされるな。俺を領主から『除外』してくれたし」
ノアはカップに入った紅茶を見つめながらボソッと呟いた。そのひと言に、私は紅茶を危うく吹き出すところだった。
「ゴホッ。ゲホッ!」
忘れていた。忘れていないけれど、そうだった。ノアに謝らないといけないと思っていたのだった。
「おい、大丈夫か?」
「あの、その、あれは酔っぱらった勢いって言うか。あんまり覚えてなくて。えっとゴメンナサイ──」
私はカップをテーブルに置いて、慌てて口を拭いながらノアに頭を下げる。しかし並べる言葉は『酔っぱらっていた』とか『覚えていない』とか最低なものばかりだった。
「いや。別にかまわないさ」
ノアの声に私は頭を上げる。
今度は真正面からノアの顔を見るが、何も読み取る事の出来ない表情で私の顔を見つめていた。その表情を見た私は言わずにはいられなくなった。
だって、ノアが寂しそうに見えたのだ。
「今謝ったのは酔っぱらって記憶がない事と言い方が悪かった事なんだけど」
「言い方?」
「うん。私はやっぱりノア達兄弟からしか領主になれないと言うのは変だなって思う。それに、ノアがやりたくないって思うのなら別に無理をしてまでも、領主レースに参加する必要はないかなって」
「ああ。領主なんて俺には向いてないからな」
ノアが自分を皮肉り、引きつる様に笑い私を見つめていた。
「ノアが領主に向いていないなんて思っていないよ。やりたくない人が、領主になるのは良くないって思ってさ。ノアが嫌々ながら領主についちゃう事になるのだったら、『やめてしまえ』って思ったんだよ。だから、三男坊だろうと性格がちょっと王子様から破綻してたって、折角のチャンスがノアにあるなら、それはそれでチャレンジして欲しい」
私は身を乗り出して慌てて否定する。うーん、上手く言えない。まとまっていない上に、ノアの事も王子様から破綻とか文句をつけている。
「は?」
わけの分からない事を言い出した私に、ノアは眉をハの字にして首を傾げた。
「だっ、だから、ノアが領主にふさわしいかじゃなくて、先ずはノアがノアらしく生きて欲しいなって思って。ほら、その王子様的な感じもきっとそういう事から生まれたのかな~とか思うし。そういう事を色々悩んでいるんだったら、もっと周りを頼ったら良いと思うなって。うん。そうだ」
よし、少し強引だが、上手く言えた様な気がする。そして、中腰になってテーブルの上から身を乗り出して、ノアの両手を掴む。
「!」
ノアは驚いて目を見開いた。
ん? しかし、何だかザックが言っていた事が何個か入っていない──
「あっ、しまった違う」
「え?」
驚いたノアがまた戸惑った顔に戻る。
「ザックの言っていた重要な事が入ってないっ! 確か「覚悟」と「自信」だったかな? その上でその困っていたら「俺を頼れ」って」
「ザックが言っていたって「俺を頼れ」とは、ザックを頼れって事か?」
困惑したノアが私の言葉を飲み込んで目を見開いていた。
それは少し違うな。
「違う。えーと、確か「俺を頼って欲しい」じゃないや。何だったかな? 何処が違うの? 確か……分かった「俺」じゃなくて。そうだ「周り」だった! よし、もう一度やり直しをさせて──」
「ブハッ!」
やり直しを要求した私に、とうとうノアがほっぺたを膨らませ吹き出した。俯いて声が出ないぐらい笑っている。その証拠に肩がガタガタ震えている。
「も、もう! 笑わないでよ! でも、色々とゴメンナサイ……」
何だか分からなくなって私は俯くしかなかった。
「はぁ、笑った。もうナツミは予想外な事ばかりしてくるし言うから」
ノアはひとしきり笑って涙をシャツの袖で拭っていた。
「笑いすぎだよ」
「笑うだろ、あれは。はぁ」
「もう。とにかく『周りの皆を頼る事』だってザックも言っていたよ。私もそうだと思う。だって、信用出来る人達がいるでしょ? ポッと出の私はともかく」
私は入れてもらった紅茶を飲みながら話した。
まぁ、そのポッと出の私にいちゃもんをつけられたのだけれど。
「信用出来る相手か。ナツミは、ザックを本当に信用しているんだな」
「もちろんだよ。だって、ザックは私に嘘をつかないって約束してくれたし。ノアだってそうでしょう?」
「ハハ。約束な」
ノアは軽蔑する様に笑うと俯き大きく溜め息をついた。それから両手の指の腹をつけて自分の口元に持っていく。
「ザックは確かに良い奴だ。だけど、本当に信頼出来る相手なのか?」
「え?」
「約束なんて簡単に破る事だって出来るはずだ。何故それで信頼出来ると言い切れる?」
ノアがアイスブルーの瞳を細めて私を真正面から見つめた。茶化しているわけではない様だ。
「それは……」
私は思わず息を飲んだ。ザックが与えてくれる優しさも悦びも全て嘘だとしたら?
そんな恐ろしい事……
一瞬、姉の春見と秋の姿が私の脳裏によぎる。
経験してしまうと、何かと恐ろしくて前に進めないけれど。
「ナツミはそれでも出会って間もないザックを信じる事が出来るのか?」
ノアはもう一度私に問いかける。
きっと私が次に言い淀んだら『ほら、出来ないだろう?』と言いたげだった。
太陽が昇って強くなりはじめた日差しを、体の半分に浴び私は口を開く。
「信じていたのに、裏切られた時のショックって言ったらないよね」
「そうだろう」
私の言葉にノアが『それ見た事か』と頷く。
「悔しくて、恥ずかしくて、今まで何だったんだろうって。私の何が良くなかったのかな? とか、自分を責めて。そして、相手が裏でどれだけ私を笑っていたのかな思うと」
腹が立つのと悲しくなるのと渦巻く気持ちをどう表現したらいいのか分からない。
「……ナツミ?」
いやに具体的な表現をする私の言葉に、ノアが思わず口を挟んだが、私はそれでも話し続けた。
「私は、相手を責めたくても気持ちがグチャグチャになると言葉が出ないんだよね。うーん、信じた方が負けって言うか──と言っても、勝ち負けじゃないんだけど」
私は姉の春見と秋の浮気現場に遭遇するに至るまでの事を思い出しながら、苦笑いを浮かべる。
まだ傷は癒えていない。時が来れば色々前に進めるかなって思う。
その傷を癒やす新たな一歩を踏み出す切っ掛けをくれたのはザックだ。
そのザックに裏切られたらどうだろう。
その時はまた同じ事を私は繰り返すのかな?
それでも私は──
「ザックに裏切られたら、きっとショックで辛くてどうなるか想像出来ない。怖いよ、恐ろしいよ? だけど、どんな彼でも信じたいと思う。私はそれしか出来ないの」
「! それしか出来ない、か」
ノアは私の答えを聞いて言葉を反芻した。
気が付いたらポカンと口が開いていて、目が見開いている。寝起きのノアも格好をつけているけれどもよく見たら髪の毛が寝癖で跳ねている。
ノアったら結構間抜けなのだから。
王子様の様なキラキラした余裕のある笑顔も素敵だけれど、驚いたり喚いたり面白い顔ばかりするノアも魅力的だと思う。
「私は貫くしか出来ない──この思いも一本道しかないよ」
色々経験して上手く悲しみを消化出来る様になったとしても、きっと根本は変わらないから。
私の顔を数秒見つめていたノアは間抜けに開けた口を閉じ、片手で顔を拭うと緊張を解いた様に笑顔になった。
「羨ましいぐらいまっすぐな奴だなお前は。ま、直進馬鹿って事だな」
「ちょ、直進馬鹿」
「馬鹿だよ。傷つくって分かっていてそれしか出来ないって言うんだから」
「だから、傷ついても仕方ないんだってば。それに、ザックは良い奴なんでしょ? 何も傷つくの前提で話をしなくても良いのに。ノアだって信じたいと思うなら信じれば良い。裏切られたら裏切られた時にまた考えれば良いよ」
ノアは私の言葉に弾けて笑う。
「ハハッ。後回しなんじゃないか結局」
「後回しかなぁ?」
だって、結果は後からしかついてこない。蓋を開けないと分からないのだ。
「だけど、そうだよな。信じてみなきゃ分からないよな」
ノアが満面の笑みを浮かべて笑った。その笑顔は本当に王子様の様で私は目を奪われたけれど、ノアが怒っていないのと何やら元気になってくれたので良かった。
「おーい、ノア! 助かったぜ。お前の馬の方がやっぱ速かったわ。裏町まで直ぐだった」
そこへ馬をひいて戻って来たザックが現れた。大分急いでいたのか額に汗が滲んでいる。
裏町って、一度ファルの町まで戻っていたって事? 何の用で?
私は頭にハテナがいっぱいになったが、ようやくザックの姿を見つけてほっとした。
何だかんだで朝一番に会いたかったのはザックなのだ。
「ザック! 何処に行ってたの?」
私は親を見つけたヒナの様にザックに駆け寄る。
「あれ? 何だナツミ、起きたのか。昨日は死んだのかと思ったぐらい意識が飛んでたのに……大丈夫か?」
ザックの低くて張りのある声はまだ静かな森の中に響いた様に感じた。
「も、もう。ザック静かに!」
「何でだよ? 本当の事だろう」
ザックが首を傾げるので私は小走りに駆け寄った。
「へぇ。意識がなくなるぐらいねぇ~」
ノアは嬉しそうなナツミの顔を見つめながら思わず呟いた。
確かにザックは女性を悦ばせる事には長けているだろうが、そこまでナツミに張りきるなんてなぁ。温泉で何をやっているのだか。後でザック共々からかってやろうと心に決めた。
ノアがナツミと関わる様になって、溺れる姿は晒されるわ、ジルの店の手伝いまでする羽目になり、更には何故か泳ぎを教わる事になるわ、最後には領主からは除外でいいと言われ、踏んだり蹴ったりだと思っていたが……
それも少しだけ心地よいと感じる様になってきたノアだった──
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私の名前は如月美夕。
27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。
私は都内で独り暮らし。
風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。
転移した世界は美醜逆転??
こんな地味な丸顔が絶世の美女。
私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。
このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。
※ゆるゆるな設定です
※ご都合主義
※感想欄はほとんど公開してます。
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