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150 就任式
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就任式とは、軍の中で大きな人事異動が発令した時に行う式典だそうだ。いつもは軍内部で略式で行うが、領主が交替する今回はそういうわけにはいかない。『ファルの町』は北の国に属しているので、北の国からやってくる王の代理人が、領主代理就任を発令するそうだ。
式には就任する本人の家族や親族が招待されるのだが、今回特別にジルさんをはじめ私、マリン、ミラが招待された。恋人だからという理由ではなく、今回の奴隷商人騒動の一件に大きく協力したからとの事だった。それでもザックの晴れ舞台を見ることが出来る。私はとても嬉しかった。
しかし、ジルさんの考えは違っていた。招待が決まったと聞いた時、ジルさんはキセルをふかしてこう言った。
「北の国からやってくる王の代理人とやらがファルの町の様子を見たいのよ。ふん、北の国は他の町と異なる動きをする、ファルの事が気になって仕方ないのね。元々左遷したはずのカイに地元で絶大な信頼があるレオ、そしてザックにノア。それらだけではなく、町を動かしている原因が他にあると感じているのでしょう」
私がカイ領主代理にポツリと漏らした一言が本格的になって来た。
──ファルの町が悪目立ちする──
北の国は『ファルの町』が自らの意志で動きはじめた事を懸念しているのだ。
私が無言になったのを見てジルさんは不敵に笑う。
「権力に胡坐をかいている奴らが今更、偵察に来たところで何の役にも立ちやしない。何が重要なのか、何が動いているのか。女、子供を重要としない奴らには分かりやしないわ」
ジルさんはそう言ってキセルの口をガリッと噛んでいた。
「……そうですね」
北の国との関係も気になるけれども、私はザックに会いたくて仕方なかった。ザックと関係を持ってから長くて一週間程度しか離れたことがない。現代だったらスマホなどでいくらでも連絡をとる手段があるがそんな手段はない。手紙を送る事は出来るが、残念なことに今の私は字は書けないし読めない。
仕事に専念していると無駄な事は考えなくなるけれども、夜一人になるととても寂しい。会えない時間に待つ時間。ザックも同じ気持ちかな……と考える日々を繰り返していた。
そしてとうとうザックに会える式の前日、私達三人の恋人それぞれから贈り物が届いた。
マリンには瞳の色と同じ真っ青なドレスそしてミラにはクリーム色のドレス。そして私には真っ白なドレスが届いた。三人それぞれ少しずつデザインは異なるが、基本はAラインのドレスで何重にもレースが施された上等な物だった。肩の辺りはオフショルダーとまではいかないがデコルテが見える様になっていた。高いヒールは歩きにくいけれども、ザックの晴れの舞台なのだから頑張って転げない様に気をつけなければ。
そんな中、ジルさんのドレスはマーメイドラインの深紅のドレスだった。首までピッタリと詰まったデザインで胸元を隠しているが、体のメリハリがはっきりと分かるドレスだった。
フォーマルな場所にギリギリセーフな、セクシーでありながら大胆なドレス。破天荒なジルさんを現している様に思えた。
「凄く格好いい」
「ジルさんの為にあるドレスね」
私とマリンがポーッとしている中、ミラが手を叩いた。
「本当にとても四十代半ばには見えな、痛っ!」
ミラの頭をジルさんは扇子でペチンと叩いた。
それからジルさんは鏡の前で一回転してみる。それから腰に手を当てて鏡の中の自分に笑いかけていた。よく見ると頬が少し赤くなっている。
「着心地は悪くないわね。まぁ、いつもの姿の方が私らしいのにね」
珍しく照れたジルさんを見る事が出来て私達三人は笑い合った。
式当日──『ジルの店』には朝早くからお城からお迎えがやって来た。店の前には、場違いな白い馬が引く馬車が止まっていた。よく映画でお姫様が乗るやつだ! としか表現出来ない私は、開いた口が塞がらなかった。だって、歩いて三十分もしない目の前のお城なのに、馬車に揺られ私達は城に到着する。
歩いてもよかったのではと思う。馬車なんて緊張する。それにザックに久しぶりに会えると思うと余計に緊張が増してしまう。
「ドレスありがとう。って伝えてから、それから」
寂しかったよって──いやいや仕事で一生懸命だったザックにそんな事を言うかな? 何と言えばいいのかな。
私はブツブツと独り言を呟いていた。
大きなお城の中は、通路には深紅の絨毯が引かれている。白を基調とした柱や壁は染み一つなく美しかった。城の中には軍人達が急ぎ足で歩き、式典の用意をしている。
今日は特別なのか皆礼服だった。上着は濃い水色のシャツに肩の辺りに刺繍などの装飾が施されていた。胸元には組織や階級章、他は略綬だろうか。帯状や円上の刺繍が施されている。黒いズボンにサイドには白いラインが一本入っている。おかげで皆が脚長に見える。そして軍人らしく腰にはそれぞれの剣をぶら下げている。体の大きな軍人が皆静かに黙々と仕事をこなしていた。
城の奥まで案内されると、私とマリン、ミラ、ジルさんは部屋が別々に用意されている事を知る。小隊長になったシン、大隊長になったザックとノア、そして領主代理になったカイさんそれぞれの付き添いについて用意されている部屋が違うのだとか。
ジルさんと別れるのは何だか心細いけれども仕方がない。ミラに至っては一人だが、とても興味深そうに城の内部を観察している。目がきらきら輝いているので一人でも何の心配もなさそうだ。
私とマリンは奥にある一つの部屋に通された。高い天井には絵が描かれている。青いファルの海に見える。窓際に視線を移すと、大きく細かい細工のガラスが埋め込まれていた。
外は晴れている。
ずっと向こうまで飛んでいけそうな青い空と、透明度の高い海が広がっている。真っ白な雲は天に昇って今日の就任を祝っている様だった。
「やっと会えるわね」
マリンがポツリと呟いて私の肩を叩いた。
「うん……会えるね」
私は振り向いてマリンに笑いかけると、マリンが私の動きを観察しながら笑った。
「ナツミは寂しいとザックからもらったネックレス、魔法石を触るのね」
「!」
気がつくと無意識にザックからもらった石に触れるくせがついていた。特にここ最近は夜になると寂しさを紛らわせる為に触ってしまう。しかしマリンも同じだった。
「私もね寂しいと思うとノアにもらった指輪を触っちゃうのよね……会ったら何て言おうかなぁって考えながら、ね」
マリンは長い睫毛を伏せて白い頬をうっすら染めた。
「言いたい事とか話したい事がありすぎて。何て言ったらいいかなって思うよね」
マリンも同じ気持ちだった事に少しくすぐったくなり、私達二人は笑い合った。
その時ノックもなく部屋のドアが開いた。部屋にいた私とマリンは驚いて振り向く。
──そこには会いたくて会いたくて焦がれたザックとノアが立っていた。
ザックとノアは軍の礼服に身を包んでいた。ザックは普段ラフに下ろしている前髪を、後ろにときつけていた。普段は何個もボタンを開けているシャツも、上までボタンが留まっている。濃い水色のシャツは彼の体にピタリと合っていて、厚い胸板に引き締まったウエストのラインを強調していた。胸元には階級章と略綬がある。黒いズボンのサイドには白いラインが入っている。元々長い足だが更に強調されている。
つり上がった眉に、垂れ気味の二重。髪をときつけている分、長い睫毛が見えた。濃いグリーンの瞳が見開いて私を捕らえる。
「ナツミ!」
「マリン!」
低くよく通る声がザックの声。そして同時にノアがマリンを呼ぶ声も響いた。
「ザック……」
「ノア……」
私とマリンは恋人の名を呼んでから立ち尽くす。
抱きつきたいのに体が動かない。今までにない程凜々しいザックの姿と、久しぶりに聞いた声に惚けてしまう。
体の大きな男がドアを勢いよく閉じると、長い足であっという間に駆けてくる。気がつくと、ザックの両腕が私の背中に回された。強く抱きしめられるだけではなく体が引き上げられる。
私も慌てて、両腕をザックの首に回して、つま先立ちになった。
ザックの首筋に顔を埋めて香りを一杯に吸い込む。いつものベルガモットの香りがする。高い体温がシャツを通して私の体に伝わってきた。
ザックは薄い唇を私の耳にピタリと当て低く囁く。
「ナツミ、ナツミ、会いたかった」
会いたかった──そうザックに囁かれると私の中の寂しさがスーッと溶けていくのが分かる。
「うん、うん」
私もザックの太い首に回した腕を精一杯、強く力を入れて抱きしめる。
「ずっと声が聞きたかった。ナツミもっと俺の名前を呼んでくれよ」
ザックは今度私の耳に小さなキスを繰り返す。くすぐったくて肩を上げると今度は耳に舌を差し込まれて不覚にも震えてしまった。
「ザック、ザック。私もずっとこうしたかった!」
吐息も体温も全てが愛しい。
こんなにも近くで触れ合う事が嬉しいなんて。胸が一杯で自然と涙が溢れてくる。思わず鼻を啜る。折角お化粧をしたのに台無しになりそう。
鼻を啜った音にザックがゆっくりと私の顔を覗き込んだ。ザックの宝石の様な色をした瞳が細くなる。瞳に私の顔が写っているのが見えた。情けない程歪んでいるのが見える。
「ナツミ。はははっ何だよ、その情けない顔。こら泣くな……笑えよ」
そう言ってザックは私の目尻の涙をキスで吸い取ると、私の唇をチュッと小さく吸い上げる。
私はそれだけでは足りなくてザックの唇を追いかけた。するとザックも私に応える様に深く唇を合わせる。久しぶりのキスをゆっくりと味わった。ザックの肉厚な舌が私の舌を絡めて離さない。口内をゆっくり舐め上げられる。折角ローズのリップを引いたのに全部食べられてしまいそう。
ノアとマリンも同じ様に久しぶりの再会に、抱きしめ合ってキスを繰り返していた。隣同士の恋人の事などお構いなしに大きなリップ音を立てていたのだが、とうとうノアとザックが息を荒くして苦しそうに声を上げた。
「マズイこれ以上は」
「我慢出来なくなる」
そう言ってノアとザックの二人は、隙間なく抱き合っていた体をゆっくりと離した。それから肩に置いた手をそのままに荒い息を整えていた。その様子を見た私とマリンはお互いを見合って吹きだして笑った。
ザックだけではなく、ノアもいつものプラチナブロンドを後ろにときつけて、シャツのボタンを上までピタリと留めていた。ノアの白い肌にシャツの濃い水色が映えて、より肌の白さを強調している様だった。
金色のザックと、銀色のノア。見目麗しい男性が二人一緒に立つ姿はまるで絵画の一部の様だ。そんなノアがアイスブルーの瞳を細めて私とマリンの姿を上から下まで眺めた。そして唇をゆっくりと開き微笑む。
「ドレスとても似合っている。なぁザック」
マリンの微笑みと似ている。薔薇色の笑みだ。そのノアの一言にマリンは嬉しそうに腕を絡めていた。
「ありがとう」
私が素直にノアにお礼を言うとザックも私の肩を抱き寄せながら元気よく答えた。
「ああ、後で脱がすのが楽しみだ」
ザックは力一杯返答していた。
格好いいけれど台詞や考えていることはザックらしく相変わらずだった。
再会を喜んだところで、私とマリンは二人がけのソファに座る様に促される。ノアが近くのテーブルに用意していた紅茶を入れて差し出してくれた。最後に紅茶の上に薔薇の花びらを浮かべてくれた。辺りに薔薇の香りが広がった。優しい香りに包まれた頃ノアとザックが向かい側の椅子に座り、ゆっくりと話しはじめた。
「ナツミのおかげで命を取り留めたアルだが、昨日前領主と一緒にファルの町から沖にある島へ渡った。他の罪人がいない島で、島から出る事は出来ない。健康や治療も考えて、質素な生活になるだろうし、監視役もいるが牢屋ではない。小さな別荘みたいな家に、アルマも一緒だから困る事も少ないだろう。三人はザックが島へ送ってくれたそうだ」
ノアが長い足を広げて、両肘を太股において前で組んだ。目の前に置いた紅茶をじっと見つめている。
「アルは最後まで俺達の事を馬鹿な奴だと言っていた。それがアルの感謝と詫びのつもりかもしれないな。ネロの投薬も続くから、監視も兼ねて定期的に様子を見にいく事になる」
ザックは長い足を組んで、ソファに深く背をも垂れかけていた。
「そう……一段落したんだね」
私もノアと同じ様に薔薇の花びらが浮かぶ紅茶を見つめながら呟いた。
「これから色々な情報をアルから聴き出す事になるだろう。体調も戻れば厳しい取り調べもあるだろう」
ノアが小さくてもはっきりとした口調で話を続けた。そこで、マリンがソーサを持ち上げて紅茶の香りを吸い込んで呟く。
「アルさんは同じ太陽のしたで生きてるのね。一生をかけて罪を償う為に」
「ああ……生きる事自体許されるのか。罪を償いきれるのか。俺には分からないが全てを考えながら生きていく事になるだろう」
マリンの言葉を真っすぐに受けとめたノアが返していた。
それから、奴隷商人ダンク達の話もしてくれた。
「俺達と戦ったバッチとコルトの二人はまともな状態ではない。発狂していると言った方が正しいな。香辛料……魔薬の禁断症状に苦しめられている。最近は食事を取ることもままならないから、死に至るかもしれない」
ノアが溜め息をついていた。二人の発狂具合は相当なもので目を覆いたくなるのだとか。
「ダンクも薬の禁断症状が出ている。時々行動がおかしいがバッチやコルトの二人程ではない。観念した様に見えるが油断はならないだろう。監視役をつけているが脱獄なども考えているかもしれないしな」
ザックが両腕を頭の後ろに回して説明を続けてくれた。症状の酷いバッチとコルトは『ファルの町』奥にある牢屋で過ごしていて、ダンクは罪人を投獄している島で独房に入っているとか。ダンクには魔薬の入手方法など聴き出していくそうだ。
他には奴隷商人達が隠れ家代わりにしていた貴族、エックハルトやそこに連れてこられていた少女達も着々と治療を受けているとか。
「皆立ち直る事が出来るといいのだけれどもね」
私がポツリと呟いて飲み頃の温度になった紅茶に口をつけた時だった。
「そう言えばナツミ。褒美の件について聞いたぞ。学校を作るつもりなんだって? それもジルと一緒に」
深く背もたれに身を預けていたザックが急に身を乗り出す。
「だから学校ってわけじゃないのに。まずは水泳と計算と文字を皆で勉強しようっていう話なのに……」
私は慌てて一口飲んだ紅茶を飲み込む。
「俺に相談なしで話を進めて……」
ザックが口を尖らせたまま私を細い瞳で見つめる。
「そんな事言われたって、相談出来るならしたかったよ! 私はお給料がもらえる職に就きたかっただけなのに。あぁ~ソルとエッバ達に話したの失敗だったかな」
すっかり話が雪だるまの様になって私とジルさんが学校を作る事になっている。土地を手に入れた話もセットなので仕方ないとは言え、もう後戻りが出来ない程の話の広がりを見せていた。
多分ソルとかエッバが噂話を広げてしまったのだろう。かなり町の人達が期待をしているそうだ。引くに引けなくなってしまった。
するとその話を聞いたザックが苦笑いをしながら頬杖をついた。
「ソルとエッバか……それは仕方ない。話した相手が悪かったな。俺は学校の話をカイ領主代理から聞いて驚いたけれども──」
そこまでザックが言うと私の頬を片方の手で撫でた。
「きっとナツミならやっていけるさ。もちろん俺も手伝うからやってみようぜ」
ザックは白い歯を見せて逞しい頬に皺を寄せて笑った。私は頬に触れるザックの手を握りしめて笑う。
「うん! ありがとう頑張ってみるよ。マリン達も手伝ってくれるんだ」
隣のマリンに視線を移すとマリンも大きく頷いていた。それからノアに視線を移すとニヤリと笑っていた。
「マリンに出来るのか?」
意地悪そうに笑ってマリンをからかうノア。そんなノアにマリンは胸を張ってみせた。
「うふふ。皆に『先生』って呼ばれる様になってみせるわ」
その少し偉そうな様子に私とザックは吹きだしてしまった。後を追う様にノアも笑い出す。
ひとしきり笑った後、ノアは真面目な顔をして私達二人に向き直る。
「三年だ。俺も三年間ファルの町の皆に認められる様に努力する。そして三年後、皆の幸せを守る事の出来る領主になってみせる」
私とマリンをじっと見つめるノア。
ノアは覚悟を決めたのだ。ノアのアイスブルーの瞳は未来に向かって輝いていた。
「うん。私達もノアの力になりたい。ねっマリン」
「うん。もちろんよ!」
私とマリンは大きく頷いた。その答えを聞いてノア白い歯を見せて笑った。それから隣のザックの肩をポンと叩く。ザックはフッと笑って肩に置いたノアの手を叩いた。
「分かった分かった。情けない坊ちゃんだからなノアは。俺も困った事があったら助けてやるさ」
ザックは相変わらず軽口を叩く。
「頼むぜザック。そしてナツミ、マリン、俺も学校の案は大賛成だ。俺も手伝わせてくれ」
「ありがとうノア……」
作り物だった王子様のノアはもういない。本当の王子様になっていた。
「さて、そろそろ時間だな。就任式がはじまる」
ノアが壁沿いの暖炉の上に飾られていた時計を見てゆっくりと立ち上がった。
「ゲッもうそんな時間かよ。もっとゆっくりしたかったのに」
ザックもぶつくさいいながら立ち上がる。
私とマリンも二人に合わせて立ち上がる。ノアはマリンの手をとり、ザックは私の手をとる。
ノアがゆっくりとマリンを抱き寄せたのを横で見た時、私もザックの胸の中にすっぽりと抱きしめられてしまった。
「わっザック」
あっという間に目の前に広がるのは濃い水色のシャツだけだった。
「ナツミ、式が終わったら忙しさから解放される。昼過ぎに式典は終わるから、それからは裏町の祭りだ」
ザックが私の頭にピッタリと顔をつけて低い声で話しはじめる。骨伝導でザックの声が響く。
「うん。一緒にお祭りにいける?」
「当たり前だ。式が終われば一緒に過ごそうぜ。そうだ、ウツの店で待ち合わせな。一人でウツの店にいけるか?」
「うん大丈夫。最近は一人で裏町も歩ける様になったの。分かったよウツさんのお店だね」
「そうか。よし」
ザックはそこまで言うとゆっくりと唇を私の耳元に近づけて小さな声で囁いた。
「大切な話があるから一人で来るんだぞ」
「えっ? んっ」
私は驚いて目を丸めた。
「大事な話って何?」そう尋ね返したかったが直ぐにザックに唇を塞がれてしまった。ゆっくりと舌を絡めて私の声を吸い上げていく。上顎を舌でくすぐられ、背中は大きな手で撫でられると溜まらなくて鼻から抜ける声を上げてしまう。
「んっ」
ノアとマリンに聞かれて恥ずかしい! と思っていたけれども──ノアとマリンも隣で何度もキスを繰り返して私とザックなど気にもしていなかった。
それから数十秒、迎えの軍人が来るまで私達はキスで恋人同士の隙間を埋める事に必死になっていた。
それから──百人近く人が集まる大きな広い場所で就任式が行われた。大理石の様な床に深紅のカーペット。今回新たに役職につく事になった軍人達が次々と名を呼ばれる。それぞれどの程度の地位なのかは詳しくないが、呼ばれる人数を考えるとほぼ組織は一新されたと見てよさそうだ。その中でも群を抜いてシン、ノアそしてザックが輝いていた様に見えた。
私、マリン、ミラは末席だけれども十分に式の雰囲気を味わう事が出来た。
何より痛快なのはジルさんだ。北の国から訪れた貴族達を圧倒する雰囲気をまとっていた。ファルの町でいつもの通りなのだが、馴染みのない北の国の来賓貴族は、チラチラとジルさんを見ていた。そしてそのジルさんがカイさんが招待した人物だと知って焦っていたのは言うまでもない。
式はゆっくり進み最後にカイさんとレオさん二人が領主の証しである冠と剣を受け取り、新たな領主代理として誓いを立てて終わった。
厳かな雰囲気の中、式が終わり再び馬車に乗った。今度は裏町まで送ってくれるそうだ。
馬車の窓から豪華なお城を見上げ、私はふと思う。
城の主である領主はいつも出払ったままだった。常に北の国に出向状態。何の為の城なのだろう。何の為の領主なのだろう。
長く出向がなければ、アルさんやネロさん、そしてノア達に起こった家族がバラバラになる悲劇は防げたのではないだろうか。
「これからは領主の仕事も見直して、領主自身が幸せを感じていける町になるといいなぁ」
私が呟いたのをジルさんが笑って見つめていた。
そして、私、マリン、ミラ、ジルさんは先に裏町に足を運び、大騒ぎする町の喧騒に飲み込まれた。
「やぁナツミ。いらっしゃい。今日は可愛いね」
「ナツミさんじゃないですか。わぁそのドレスとても似合ってますね」
ウツさんの店を訪ねると店主のウツさんだけではなくネロさんもいた。店先で二人、テーブルにはワインのボトル数本とカードが置いてある。どうもカードゲームを楽しみながらワインを飲んでいる様だ。確か二人共就任式に出席していたはずだ。末席から見た時にジルさんの近くの席に座っていたのを見た。
二人共着替えて、いつもの様にラフなチュニック姿になっていた。
「もう飲んでるんですか? まだ夕方になったばかりなのに」
呆れて呟くとネロさんが油膜を綺麗に拭き取った銀縁眼鏡の向こうで瞳を細めて笑った。
「堅苦しい式がやっと終わってめでたい日ですよ。そりゃぁ飲むしかないでしょ」
フワフワとネロさんは笑いながらグラスに入った白ワインを舐める様に飲んでいた。
「そうそう。ファルの町の新しい第一歩ってね。新しい門出だし、皆で楽しまなきゃ」
ウツさんが金髪をかき上げながら笑っていた。
「まぁそうですけどね」
町は大騒ぎだ。今回領主代理が全ての食事や飲み物を町の皆に振る舞ったので、それはそれは嬉しい悲鳴を上げるばかりだった。
あちこちで演奏をする人や踊る人達がいた。もちろん皆私の顔を覚えて次々にお酒を勧められて何とか断りながら歩いてきたのだ。途中でザームさんに会った時などなかなか離してくれなくて、途中でエッバが助け船を出してくれた程だった。
慣れないヒールで転ばない様に歩いていたら、気がつくとマリンとミラ、ジルさんと離ればなれになってしまった。ザックには一人で来る様に言われていたので、丁度よかったけれどもウツさんの店にたどり着く頃には太陽が傾きかけていた。
「ザックならまだ来てないよ。多分……後十分位で来るんじゃないかな~僕の勘だけど」
ネロさんが側の椅子を引いて私に座る様に促す。
「ありがとうございます」
私が素直に座ると片手に持っていたカードをテーブルに置いてネロさんがニッコリと私に微笑んだ。
「ナツミさん色々ありがとうございました。アルの事、僕は一生忘れません」
「もういいですよ。私一生分のありがとうを聞きましたよ?」
私はネロさんに困った様に笑った。
ネロさんは会う度にこう言って私にお礼を言ってくれる。そんなに感謝しなくてもいいのに。
ネロさんは今回ザック達と同じ様に大隊長になる事はなかった。アルさんを匿った事で小隊長のままになった。罰せられる話もあった様だが、死病の薬を開発するにはネロさんの力なしでは進められない事から、ひとまず棚上げとなったみたいだ。
「いいえ一生分なんてまだまだですよ。僕……アルの治療の為にザックの船にのる事になってるんですが。これがよく揺れてね、定期的に通う事になっているのですが、船酔いに悩まされる事態でして。酔い止めも開発する事になりそうです」
そう言って船の揺れを表現しながらネロさんは笑っていた。
「ホント、ネロには迷惑してるんだ。毎回帰りに俺のところ来てさ、ゲーゲー吐くんだぜ。迷惑ったらないさ」
そんなネロさんの顔を見ながらウツさんが嫌そうに鼻の頭に皺を寄せた。
「確かに船酔いは辛いですよね」
何故ウツさんの店まで来て吐くのかは謎だ。それから、私達は少し話をした。
ウツさんは魔薬関連の外部の医療担当として軍に関わる事が決定した。『ゴッツの店』の女性や、奴隷商人、エックハルト、そしてエックハルトの屋敷にいた奴隷少女達それぞれに治療を施している。
更に香辛料と呼ばれる魔薬の分析や研究も本格的に行う事になったそうだ。
二人の領主代理曰く、軍学校を卒業しているくせに、軍と関わる事を避けていたそうだ。最近知ったのだが、ウツさんはカイさんとレオさん二人と軍学校時代の同期なのだとか。普段軍を嫌がっているのに、魔薬には興味がある様で今後は喜んで力を貸してくれるそうだ。
それから例の噂になっている私の学校建設(だから建設するんじゃないのに)の話となった。
「ナツミさんの考える規模は違いますね。学校だなんて。僕感動しちゃいました。是非僕もお手伝いさせてくださいね」
ネロさんはそう言って私に右手を差し出してきた。
「だから学校じゃなくて……まぁ、いいかぁ」
私は言い訳をする事が面倒くさくなり右手を差し出しネロさんと握手をした。
「学校の話聞いて俺も驚いたよ。まぁジルが噛んでるんじゃ諦めるしかないね」
ネロさんと握手をする私を見ながらウツさんが両手を上に上げいた。
「アハハハ……」
もう笑うしかないかな。乗りかかった船だからやりきってみせるしかない。
そこで私はウツさんにお願いしているある事を思い出した。
「そうだ! 先日お願いした物は用意してもらえましたか?」
私はウツさんに尋ねると、ウツさんが大きく頷いてくれた。
「もちろんさ。はい」
そう言ってウツさんは脇にある引き出しを開けると、小さな木の箱を私に渡してくれた。
「うわぁ~ありがとうございます!」
私は両手を擦り合わせて小さな木箱を受け取る。
木箱の蓋をゆっくり開けると、そこには私がお願いしていたある物が小さいけれども一つ入っていた。私は中身を見て箱の蓋を閉じる。そしてスカートのポケットにきちんとしまった。
「お代は来月から払いますね」
私はウツさんの両手を握りしめて上下に振った。
「退屈なファルの町に沢山の話題を提供してくれるナツミだから、特別に無料にするって言ったのに。ナツミは強情だね。どうしてお金を払ってもらう事に俺が折れなきゃいけないのか分からなくなったよ。まぁ返済は三年計画ってところかな。それに、たまにはお代の代わりに俺のお願いを聞いてよね? 魔薬の研究にナツミの意見を聞きたい場合もあるかもしれないし」
ウツさんは呆れながら両肩を上げた。
「はい!」
私は力一杯頷いた。その様子を見たネロさんが片手をポンと叩いた。
「ああ~例の物ですね」
「そう例のヤツ。小さいけれども、とびきり上等なヤツで仕上げたからね」
そう言ってウツさんは私の手をほどいてワインの入ったグラスを持った。
「いいなぁザックは幸せ者だね……あ、噂をすれば」
ネロさんがしみじみ呟いた後、坂道を駆け上がる一人の男性を見つけた。
ザックが息を切らし、長い足であっという間に坂を駆け上がってくる。
「ナツミ!」
私の名を呼ぶザックの後ろの空は、オレンジ色に染まりつつあった。
式には就任する本人の家族や親族が招待されるのだが、今回特別にジルさんをはじめ私、マリン、ミラが招待された。恋人だからという理由ではなく、今回の奴隷商人騒動の一件に大きく協力したからとの事だった。それでもザックの晴れ舞台を見ることが出来る。私はとても嬉しかった。
しかし、ジルさんの考えは違っていた。招待が決まったと聞いた時、ジルさんはキセルをふかしてこう言った。
「北の国からやってくる王の代理人とやらがファルの町の様子を見たいのよ。ふん、北の国は他の町と異なる動きをする、ファルの事が気になって仕方ないのね。元々左遷したはずのカイに地元で絶大な信頼があるレオ、そしてザックにノア。それらだけではなく、町を動かしている原因が他にあると感じているのでしょう」
私がカイ領主代理にポツリと漏らした一言が本格的になって来た。
──ファルの町が悪目立ちする──
北の国は『ファルの町』が自らの意志で動きはじめた事を懸念しているのだ。
私が無言になったのを見てジルさんは不敵に笑う。
「権力に胡坐をかいている奴らが今更、偵察に来たところで何の役にも立ちやしない。何が重要なのか、何が動いているのか。女、子供を重要としない奴らには分かりやしないわ」
ジルさんはそう言ってキセルの口をガリッと噛んでいた。
「……そうですね」
北の国との関係も気になるけれども、私はザックに会いたくて仕方なかった。ザックと関係を持ってから長くて一週間程度しか離れたことがない。現代だったらスマホなどでいくらでも連絡をとる手段があるがそんな手段はない。手紙を送る事は出来るが、残念なことに今の私は字は書けないし読めない。
仕事に専念していると無駄な事は考えなくなるけれども、夜一人になるととても寂しい。会えない時間に待つ時間。ザックも同じ気持ちかな……と考える日々を繰り返していた。
そしてとうとうザックに会える式の前日、私達三人の恋人それぞれから贈り物が届いた。
マリンには瞳の色と同じ真っ青なドレスそしてミラにはクリーム色のドレス。そして私には真っ白なドレスが届いた。三人それぞれ少しずつデザインは異なるが、基本はAラインのドレスで何重にもレースが施された上等な物だった。肩の辺りはオフショルダーとまではいかないがデコルテが見える様になっていた。高いヒールは歩きにくいけれども、ザックの晴れの舞台なのだから頑張って転げない様に気をつけなければ。
そんな中、ジルさんのドレスはマーメイドラインの深紅のドレスだった。首までピッタリと詰まったデザインで胸元を隠しているが、体のメリハリがはっきりと分かるドレスだった。
フォーマルな場所にギリギリセーフな、セクシーでありながら大胆なドレス。破天荒なジルさんを現している様に思えた。
「凄く格好いい」
「ジルさんの為にあるドレスね」
私とマリンがポーッとしている中、ミラが手を叩いた。
「本当にとても四十代半ばには見えな、痛っ!」
ミラの頭をジルさんは扇子でペチンと叩いた。
それからジルさんは鏡の前で一回転してみる。それから腰に手を当てて鏡の中の自分に笑いかけていた。よく見ると頬が少し赤くなっている。
「着心地は悪くないわね。まぁ、いつもの姿の方が私らしいのにね」
珍しく照れたジルさんを見る事が出来て私達三人は笑い合った。
式当日──『ジルの店』には朝早くからお城からお迎えがやって来た。店の前には、場違いな白い馬が引く馬車が止まっていた。よく映画でお姫様が乗るやつだ! としか表現出来ない私は、開いた口が塞がらなかった。だって、歩いて三十分もしない目の前のお城なのに、馬車に揺られ私達は城に到着する。
歩いてもよかったのではと思う。馬車なんて緊張する。それにザックに久しぶりに会えると思うと余計に緊張が増してしまう。
「ドレスありがとう。って伝えてから、それから」
寂しかったよって──いやいや仕事で一生懸命だったザックにそんな事を言うかな? 何と言えばいいのかな。
私はブツブツと独り言を呟いていた。
大きなお城の中は、通路には深紅の絨毯が引かれている。白を基調とした柱や壁は染み一つなく美しかった。城の中には軍人達が急ぎ足で歩き、式典の用意をしている。
今日は特別なのか皆礼服だった。上着は濃い水色のシャツに肩の辺りに刺繍などの装飾が施されていた。胸元には組織や階級章、他は略綬だろうか。帯状や円上の刺繍が施されている。黒いズボンにサイドには白いラインが一本入っている。おかげで皆が脚長に見える。そして軍人らしく腰にはそれぞれの剣をぶら下げている。体の大きな軍人が皆静かに黙々と仕事をこなしていた。
城の奥まで案内されると、私とマリン、ミラ、ジルさんは部屋が別々に用意されている事を知る。小隊長になったシン、大隊長になったザックとノア、そして領主代理になったカイさんそれぞれの付き添いについて用意されている部屋が違うのだとか。
ジルさんと別れるのは何だか心細いけれども仕方がない。ミラに至っては一人だが、とても興味深そうに城の内部を観察している。目がきらきら輝いているので一人でも何の心配もなさそうだ。
私とマリンは奥にある一つの部屋に通された。高い天井には絵が描かれている。青いファルの海に見える。窓際に視線を移すと、大きく細かい細工のガラスが埋め込まれていた。
外は晴れている。
ずっと向こうまで飛んでいけそうな青い空と、透明度の高い海が広がっている。真っ白な雲は天に昇って今日の就任を祝っている様だった。
「やっと会えるわね」
マリンがポツリと呟いて私の肩を叩いた。
「うん……会えるね」
私は振り向いてマリンに笑いかけると、マリンが私の動きを観察しながら笑った。
「ナツミは寂しいとザックからもらったネックレス、魔法石を触るのね」
「!」
気がつくと無意識にザックからもらった石に触れるくせがついていた。特にここ最近は夜になると寂しさを紛らわせる為に触ってしまう。しかしマリンも同じだった。
「私もね寂しいと思うとノアにもらった指輪を触っちゃうのよね……会ったら何て言おうかなぁって考えながら、ね」
マリンは長い睫毛を伏せて白い頬をうっすら染めた。
「言いたい事とか話したい事がありすぎて。何て言ったらいいかなって思うよね」
マリンも同じ気持ちだった事に少しくすぐったくなり、私達二人は笑い合った。
その時ノックもなく部屋のドアが開いた。部屋にいた私とマリンは驚いて振り向く。
──そこには会いたくて会いたくて焦がれたザックとノアが立っていた。
ザックとノアは軍の礼服に身を包んでいた。ザックは普段ラフに下ろしている前髪を、後ろにときつけていた。普段は何個もボタンを開けているシャツも、上までボタンが留まっている。濃い水色のシャツは彼の体にピタリと合っていて、厚い胸板に引き締まったウエストのラインを強調していた。胸元には階級章と略綬がある。黒いズボンのサイドには白いラインが入っている。元々長い足だが更に強調されている。
つり上がった眉に、垂れ気味の二重。髪をときつけている分、長い睫毛が見えた。濃いグリーンの瞳が見開いて私を捕らえる。
「ナツミ!」
「マリン!」
低くよく通る声がザックの声。そして同時にノアがマリンを呼ぶ声も響いた。
「ザック……」
「ノア……」
私とマリンは恋人の名を呼んでから立ち尽くす。
抱きつきたいのに体が動かない。今までにない程凜々しいザックの姿と、久しぶりに聞いた声に惚けてしまう。
体の大きな男がドアを勢いよく閉じると、長い足であっという間に駆けてくる。気がつくと、ザックの両腕が私の背中に回された。強く抱きしめられるだけではなく体が引き上げられる。
私も慌てて、両腕をザックの首に回して、つま先立ちになった。
ザックの首筋に顔を埋めて香りを一杯に吸い込む。いつものベルガモットの香りがする。高い体温がシャツを通して私の体に伝わってきた。
ザックは薄い唇を私の耳にピタリと当て低く囁く。
「ナツミ、ナツミ、会いたかった」
会いたかった──そうザックに囁かれると私の中の寂しさがスーッと溶けていくのが分かる。
「うん、うん」
私もザックの太い首に回した腕を精一杯、強く力を入れて抱きしめる。
「ずっと声が聞きたかった。ナツミもっと俺の名前を呼んでくれよ」
ザックは今度私の耳に小さなキスを繰り返す。くすぐったくて肩を上げると今度は耳に舌を差し込まれて不覚にも震えてしまった。
「ザック、ザック。私もずっとこうしたかった!」
吐息も体温も全てが愛しい。
こんなにも近くで触れ合う事が嬉しいなんて。胸が一杯で自然と涙が溢れてくる。思わず鼻を啜る。折角お化粧をしたのに台無しになりそう。
鼻を啜った音にザックがゆっくりと私の顔を覗き込んだ。ザックの宝石の様な色をした瞳が細くなる。瞳に私の顔が写っているのが見えた。情けない程歪んでいるのが見える。
「ナツミ。はははっ何だよ、その情けない顔。こら泣くな……笑えよ」
そう言ってザックは私の目尻の涙をキスで吸い取ると、私の唇をチュッと小さく吸い上げる。
私はそれだけでは足りなくてザックの唇を追いかけた。するとザックも私に応える様に深く唇を合わせる。久しぶりのキスをゆっくりと味わった。ザックの肉厚な舌が私の舌を絡めて離さない。口内をゆっくり舐め上げられる。折角ローズのリップを引いたのに全部食べられてしまいそう。
ノアとマリンも同じ様に久しぶりの再会に、抱きしめ合ってキスを繰り返していた。隣同士の恋人の事などお構いなしに大きなリップ音を立てていたのだが、とうとうノアとザックが息を荒くして苦しそうに声を上げた。
「マズイこれ以上は」
「我慢出来なくなる」
そう言ってノアとザックの二人は、隙間なく抱き合っていた体をゆっくりと離した。それから肩に置いた手をそのままに荒い息を整えていた。その様子を見た私とマリンはお互いを見合って吹きだして笑った。
ザックだけではなく、ノアもいつものプラチナブロンドを後ろにときつけて、シャツのボタンを上までピタリと留めていた。ノアの白い肌にシャツの濃い水色が映えて、より肌の白さを強調している様だった。
金色のザックと、銀色のノア。見目麗しい男性が二人一緒に立つ姿はまるで絵画の一部の様だ。そんなノアがアイスブルーの瞳を細めて私とマリンの姿を上から下まで眺めた。そして唇をゆっくりと開き微笑む。
「ドレスとても似合っている。なぁザック」
マリンの微笑みと似ている。薔薇色の笑みだ。そのノアの一言にマリンは嬉しそうに腕を絡めていた。
「ありがとう」
私が素直にノアにお礼を言うとザックも私の肩を抱き寄せながら元気よく答えた。
「ああ、後で脱がすのが楽しみだ」
ザックは力一杯返答していた。
格好いいけれど台詞や考えていることはザックらしく相変わらずだった。
再会を喜んだところで、私とマリンは二人がけのソファに座る様に促される。ノアが近くのテーブルに用意していた紅茶を入れて差し出してくれた。最後に紅茶の上に薔薇の花びらを浮かべてくれた。辺りに薔薇の香りが広がった。優しい香りに包まれた頃ノアとザックが向かい側の椅子に座り、ゆっくりと話しはじめた。
「ナツミのおかげで命を取り留めたアルだが、昨日前領主と一緒にファルの町から沖にある島へ渡った。他の罪人がいない島で、島から出る事は出来ない。健康や治療も考えて、質素な生活になるだろうし、監視役もいるが牢屋ではない。小さな別荘みたいな家に、アルマも一緒だから困る事も少ないだろう。三人はザックが島へ送ってくれたそうだ」
ノアが長い足を広げて、両肘を太股において前で組んだ。目の前に置いた紅茶をじっと見つめている。
「アルは最後まで俺達の事を馬鹿な奴だと言っていた。それがアルの感謝と詫びのつもりかもしれないな。ネロの投薬も続くから、監視も兼ねて定期的に様子を見にいく事になる」
ザックは長い足を組んで、ソファに深く背をも垂れかけていた。
「そう……一段落したんだね」
私もノアと同じ様に薔薇の花びらが浮かぶ紅茶を見つめながら呟いた。
「これから色々な情報をアルから聴き出す事になるだろう。体調も戻れば厳しい取り調べもあるだろう」
ノアが小さくてもはっきりとした口調で話を続けた。そこで、マリンがソーサを持ち上げて紅茶の香りを吸い込んで呟く。
「アルさんは同じ太陽のしたで生きてるのね。一生をかけて罪を償う為に」
「ああ……生きる事自体許されるのか。罪を償いきれるのか。俺には分からないが全てを考えながら生きていく事になるだろう」
マリンの言葉を真っすぐに受けとめたノアが返していた。
それから、奴隷商人ダンク達の話もしてくれた。
「俺達と戦ったバッチとコルトの二人はまともな状態ではない。発狂していると言った方が正しいな。香辛料……魔薬の禁断症状に苦しめられている。最近は食事を取ることもままならないから、死に至るかもしれない」
ノアが溜め息をついていた。二人の発狂具合は相当なもので目を覆いたくなるのだとか。
「ダンクも薬の禁断症状が出ている。時々行動がおかしいがバッチやコルトの二人程ではない。観念した様に見えるが油断はならないだろう。監視役をつけているが脱獄なども考えているかもしれないしな」
ザックが両腕を頭の後ろに回して説明を続けてくれた。症状の酷いバッチとコルトは『ファルの町』奥にある牢屋で過ごしていて、ダンクは罪人を投獄している島で独房に入っているとか。ダンクには魔薬の入手方法など聴き出していくそうだ。
他には奴隷商人達が隠れ家代わりにしていた貴族、エックハルトやそこに連れてこられていた少女達も着々と治療を受けているとか。
「皆立ち直る事が出来るといいのだけれどもね」
私がポツリと呟いて飲み頃の温度になった紅茶に口をつけた時だった。
「そう言えばナツミ。褒美の件について聞いたぞ。学校を作るつもりなんだって? それもジルと一緒に」
深く背もたれに身を預けていたザックが急に身を乗り出す。
「だから学校ってわけじゃないのに。まずは水泳と計算と文字を皆で勉強しようっていう話なのに……」
私は慌てて一口飲んだ紅茶を飲み込む。
「俺に相談なしで話を進めて……」
ザックが口を尖らせたまま私を細い瞳で見つめる。
「そんな事言われたって、相談出来るならしたかったよ! 私はお給料がもらえる職に就きたかっただけなのに。あぁ~ソルとエッバ達に話したの失敗だったかな」
すっかり話が雪だるまの様になって私とジルさんが学校を作る事になっている。土地を手に入れた話もセットなので仕方ないとは言え、もう後戻りが出来ない程の話の広がりを見せていた。
多分ソルとかエッバが噂話を広げてしまったのだろう。かなり町の人達が期待をしているそうだ。引くに引けなくなってしまった。
するとその話を聞いたザックが苦笑いをしながら頬杖をついた。
「ソルとエッバか……それは仕方ない。話した相手が悪かったな。俺は学校の話をカイ領主代理から聞いて驚いたけれども──」
そこまでザックが言うと私の頬を片方の手で撫でた。
「きっとナツミならやっていけるさ。もちろん俺も手伝うからやってみようぜ」
ザックは白い歯を見せて逞しい頬に皺を寄せて笑った。私は頬に触れるザックの手を握りしめて笑う。
「うん! ありがとう頑張ってみるよ。マリン達も手伝ってくれるんだ」
隣のマリンに視線を移すとマリンも大きく頷いていた。それからノアに視線を移すとニヤリと笑っていた。
「マリンに出来るのか?」
意地悪そうに笑ってマリンをからかうノア。そんなノアにマリンは胸を張ってみせた。
「うふふ。皆に『先生』って呼ばれる様になってみせるわ」
その少し偉そうな様子に私とザックは吹きだしてしまった。後を追う様にノアも笑い出す。
ひとしきり笑った後、ノアは真面目な顔をして私達二人に向き直る。
「三年だ。俺も三年間ファルの町の皆に認められる様に努力する。そして三年後、皆の幸せを守る事の出来る領主になってみせる」
私とマリンをじっと見つめるノア。
ノアは覚悟を決めたのだ。ノアのアイスブルーの瞳は未来に向かって輝いていた。
「うん。私達もノアの力になりたい。ねっマリン」
「うん。もちろんよ!」
私とマリンは大きく頷いた。その答えを聞いてノア白い歯を見せて笑った。それから隣のザックの肩をポンと叩く。ザックはフッと笑って肩に置いたノアの手を叩いた。
「分かった分かった。情けない坊ちゃんだからなノアは。俺も困った事があったら助けてやるさ」
ザックは相変わらず軽口を叩く。
「頼むぜザック。そしてナツミ、マリン、俺も学校の案は大賛成だ。俺も手伝わせてくれ」
「ありがとうノア……」
作り物だった王子様のノアはもういない。本当の王子様になっていた。
「さて、そろそろ時間だな。就任式がはじまる」
ノアが壁沿いの暖炉の上に飾られていた時計を見てゆっくりと立ち上がった。
「ゲッもうそんな時間かよ。もっとゆっくりしたかったのに」
ザックもぶつくさいいながら立ち上がる。
私とマリンも二人に合わせて立ち上がる。ノアはマリンの手をとり、ザックは私の手をとる。
ノアがゆっくりとマリンを抱き寄せたのを横で見た時、私もザックの胸の中にすっぽりと抱きしめられてしまった。
「わっザック」
あっという間に目の前に広がるのは濃い水色のシャツだけだった。
「ナツミ、式が終わったら忙しさから解放される。昼過ぎに式典は終わるから、それからは裏町の祭りだ」
ザックが私の頭にピッタリと顔をつけて低い声で話しはじめる。骨伝導でザックの声が響く。
「うん。一緒にお祭りにいける?」
「当たり前だ。式が終われば一緒に過ごそうぜ。そうだ、ウツの店で待ち合わせな。一人でウツの店にいけるか?」
「うん大丈夫。最近は一人で裏町も歩ける様になったの。分かったよウツさんのお店だね」
「そうか。よし」
ザックはそこまで言うとゆっくりと唇を私の耳元に近づけて小さな声で囁いた。
「大切な話があるから一人で来るんだぞ」
「えっ? んっ」
私は驚いて目を丸めた。
「大事な話って何?」そう尋ね返したかったが直ぐにザックに唇を塞がれてしまった。ゆっくりと舌を絡めて私の声を吸い上げていく。上顎を舌でくすぐられ、背中は大きな手で撫でられると溜まらなくて鼻から抜ける声を上げてしまう。
「んっ」
ノアとマリンに聞かれて恥ずかしい! と思っていたけれども──ノアとマリンも隣で何度もキスを繰り返して私とザックなど気にもしていなかった。
それから数十秒、迎えの軍人が来るまで私達はキスで恋人同士の隙間を埋める事に必死になっていた。
それから──百人近く人が集まる大きな広い場所で就任式が行われた。大理石の様な床に深紅のカーペット。今回新たに役職につく事になった軍人達が次々と名を呼ばれる。それぞれどの程度の地位なのかは詳しくないが、呼ばれる人数を考えるとほぼ組織は一新されたと見てよさそうだ。その中でも群を抜いてシン、ノアそしてザックが輝いていた様に見えた。
私、マリン、ミラは末席だけれども十分に式の雰囲気を味わう事が出来た。
何より痛快なのはジルさんだ。北の国から訪れた貴族達を圧倒する雰囲気をまとっていた。ファルの町でいつもの通りなのだが、馴染みのない北の国の来賓貴族は、チラチラとジルさんを見ていた。そしてそのジルさんがカイさんが招待した人物だと知って焦っていたのは言うまでもない。
式はゆっくり進み最後にカイさんとレオさん二人が領主の証しである冠と剣を受け取り、新たな領主代理として誓いを立てて終わった。
厳かな雰囲気の中、式が終わり再び馬車に乗った。今度は裏町まで送ってくれるそうだ。
馬車の窓から豪華なお城を見上げ、私はふと思う。
城の主である領主はいつも出払ったままだった。常に北の国に出向状態。何の為の城なのだろう。何の為の領主なのだろう。
長く出向がなければ、アルさんやネロさん、そしてノア達に起こった家族がバラバラになる悲劇は防げたのではないだろうか。
「これからは領主の仕事も見直して、領主自身が幸せを感じていける町になるといいなぁ」
私が呟いたのをジルさんが笑って見つめていた。
そして、私、マリン、ミラ、ジルさんは先に裏町に足を運び、大騒ぎする町の喧騒に飲み込まれた。
「やぁナツミ。いらっしゃい。今日は可愛いね」
「ナツミさんじゃないですか。わぁそのドレスとても似合ってますね」
ウツさんの店を訪ねると店主のウツさんだけではなくネロさんもいた。店先で二人、テーブルにはワインのボトル数本とカードが置いてある。どうもカードゲームを楽しみながらワインを飲んでいる様だ。確か二人共就任式に出席していたはずだ。末席から見た時にジルさんの近くの席に座っていたのを見た。
二人共着替えて、いつもの様にラフなチュニック姿になっていた。
「もう飲んでるんですか? まだ夕方になったばかりなのに」
呆れて呟くとネロさんが油膜を綺麗に拭き取った銀縁眼鏡の向こうで瞳を細めて笑った。
「堅苦しい式がやっと終わってめでたい日ですよ。そりゃぁ飲むしかないでしょ」
フワフワとネロさんは笑いながらグラスに入った白ワインを舐める様に飲んでいた。
「そうそう。ファルの町の新しい第一歩ってね。新しい門出だし、皆で楽しまなきゃ」
ウツさんが金髪をかき上げながら笑っていた。
「まぁそうですけどね」
町は大騒ぎだ。今回領主代理が全ての食事や飲み物を町の皆に振る舞ったので、それはそれは嬉しい悲鳴を上げるばかりだった。
あちこちで演奏をする人や踊る人達がいた。もちろん皆私の顔を覚えて次々にお酒を勧められて何とか断りながら歩いてきたのだ。途中でザームさんに会った時などなかなか離してくれなくて、途中でエッバが助け船を出してくれた程だった。
慣れないヒールで転ばない様に歩いていたら、気がつくとマリンとミラ、ジルさんと離ればなれになってしまった。ザックには一人で来る様に言われていたので、丁度よかったけれどもウツさんの店にたどり着く頃には太陽が傾きかけていた。
「ザックならまだ来てないよ。多分……後十分位で来るんじゃないかな~僕の勘だけど」
ネロさんが側の椅子を引いて私に座る様に促す。
「ありがとうございます」
私が素直に座ると片手に持っていたカードをテーブルに置いてネロさんがニッコリと私に微笑んだ。
「ナツミさん色々ありがとうございました。アルの事、僕は一生忘れません」
「もういいですよ。私一生分のありがとうを聞きましたよ?」
私はネロさんに困った様に笑った。
ネロさんは会う度にこう言って私にお礼を言ってくれる。そんなに感謝しなくてもいいのに。
ネロさんは今回ザック達と同じ様に大隊長になる事はなかった。アルさんを匿った事で小隊長のままになった。罰せられる話もあった様だが、死病の薬を開発するにはネロさんの力なしでは進められない事から、ひとまず棚上げとなったみたいだ。
「いいえ一生分なんてまだまだですよ。僕……アルの治療の為にザックの船にのる事になってるんですが。これがよく揺れてね、定期的に通う事になっているのですが、船酔いに悩まされる事態でして。酔い止めも開発する事になりそうです」
そう言って船の揺れを表現しながらネロさんは笑っていた。
「ホント、ネロには迷惑してるんだ。毎回帰りに俺のところ来てさ、ゲーゲー吐くんだぜ。迷惑ったらないさ」
そんなネロさんの顔を見ながらウツさんが嫌そうに鼻の頭に皺を寄せた。
「確かに船酔いは辛いですよね」
何故ウツさんの店まで来て吐くのかは謎だ。それから、私達は少し話をした。
ウツさんは魔薬関連の外部の医療担当として軍に関わる事が決定した。『ゴッツの店』の女性や、奴隷商人、エックハルト、そしてエックハルトの屋敷にいた奴隷少女達それぞれに治療を施している。
更に香辛料と呼ばれる魔薬の分析や研究も本格的に行う事になったそうだ。
二人の領主代理曰く、軍学校を卒業しているくせに、軍と関わる事を避けていたそうだ。最近知ったのだが、ウツさんはカイさんとレオさん二人と軍学校時代の同期なのだとか。普段軍を嫌がっているのに、魔薬には興味がある様で今後は喜んで力を貸してくれるそうだ。
それから例の噂になっている私の学校建設(だから建設するんじゃないのに)の話となった。
「ナツミさんの考える規模は違いますね。学校だなんて。僕感動しちゃいました。是非僕もお手伝いさせてくださいね」
ネロさんはそう言って私に右手を差し出してきた。
「だから学校じゃなくて……まぁ、いいかぁ」
私は言い訳をする事が面倒くさくなり右手を差し出しネロさんと握手をした。
「学校の話聞いて俺も驚いたよ。まぁジルが噛んでるんじゃ諦めるしかないね」
ネロさんと握手をする私を見ながらウツさんが両手を上に上げいた。
「アハハハ……」
もう笑うしかないかな。乗りかかった船だからやりきってみせるしかない。
そこで私はウツさんにお願いしているある事を思い出した。
「そうだ! 先日お願いした物は用意してもらえましたか?」
私はウツさんに尋ねると、ウツさんが大きく頷いてくれた。
「もちろんさ。はい」
そう言ってウツさんは脇にある引き出しを開けると、小さな木の箱を私に渡してくれた。
「うわぁ~ありがとうございます!」
私は両手を擦り合わせて小さな木箱を受け取る。
木箱の蓋をゆっくり開けると、そこには私がお願いしていたある物が小さいけれども一つ入っていた。私は中身を見て箱の蓋を閉じる。そしてスカートのポケットにきちんとしまった。
「お代は来月から払いますね」
私はウツさんの両手を握りしめて上下に振った。
「退屈なファルの町に沢山の話題を提供してくれるナツミだから、特別に無料にするって言ったのに。ナツミは強情だね。どうしてお金を払ってもらう事に俺が折れなきゃいけないのか分からなくなったよ。まぁ返済は三年計画ってところかな。それに、たまにはお代の代わりに俺のお願いを聞いてよね? 魔薬の研究にナツミの意見を聞きたい場合もあるかもしれないし」
ウツさんは呆れながら両肩を上げた。
「はい!」
私は力一杯頷いた。その様子を見たネロさんが片手をポンと叩いた。
「ああ~例の物ですね」
「そう例のヤツ。小さいけれども、とびきり上等なヤツで仕上げたからね」
そう言ってウツさんは私の手をほどいてワインの入ったグラスを持った。
「いいなぁザックは幸せ者だね……あ、噂をすれば」
ネロさんがしみじみ呟いた後、坂道を駆け上がる一人の男性を見つけた。
ザックが息を切らし、長い足であっという間に坂を駆け上がってくる。
「ナツミ!」
私の名を呼ぶザックの後ろの空は、オレンジ色に染まりつつあった。
応援ありがとうございます!
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