【R18】さよならシルバー

成子

文字の大きさ
12 / 95

<回想> 7月11日 別れたい、別れたくない

しおりを挟む
「え? 今何って言った?」
 私が発した言葉を理解できなかったのか、怜央は聞き返してきた。

 怜央はお昼から部活に参加する為の準備をしていた。大きなスポーツバッグに着替えやタオルを詰めていた手を止めてドアのそばに立つ私を振り返る。

 私は怜央の顔をまっすぐ見つめてもう一度一を吸い込みはっきりと伝えた。

「別れたいの」
 二階にある怜央の部屋に入るのは久しぶりだった。

 前に来たのは梅雨時だ。その時驚くほど深いキスをしたっけ。

 別れたいと告げに来たのに、キスの事を思い出してしまった私は忘れる為に首を左右に振った。

 二度目の私の言葉をはっきりと聞いた怜央は、切れ長の瞳をこれでもかと見開き、手にしていたテーピングを床に落とした。何事にも自信のある怜央はいつも余裕のある動きを見せるのに、珍しく動揺しているのが分かった。

 テーピングを床に落とした音で我に返った怜央は、いつもの調子を取り戻す。ゆっくりと身体の向きを変え部屋の中央からドアの側に立っていた私をじっと見つめる。

「何で?」
「何でって……」
 私は思わず口ごもる。

 そこで怜央がチラリとベッドを見つめた。怜央の部屋着が布団の上に散らかっている。
「この間押し倒したのが嫌だったのか? あれは思わずでさ。俺が悪かったよ」
 怜央がゆっくりと口を開いて瞳を細め、ばつが悪そうに呟いた。

 私が必死に思い出す事をかき消したキスの続きをあっさりと怜央に口にされ頬を赤くした。
「ち、違う」
 肩まで伸びた髪の毛を一つに縛るんじゃなかった。これでは顔が隠れない。
 私の慌てふためく顔に溜め息をついた怜央は落としたテーピングを拾い上げてスポーツバッグに改めて詰めた。
「違うなら別れたい理由は何だよ」
「理由は……」
 私はうつむいて自分の足を見つめた。

 別れたい理由はある。だけれどそれ伝える勇気がない。だって別れを告げているこの瞬間もやはり怜央が好きだったと思うから。

 怜央は部活に行く準備を終えスポーツバッグを自分の肩にかけると、ドアの側に立つ私の真正面まで歩いてきた。

 私の身長も百六十七センチと女子の中では高いが、怜央の身長に比べたら何でもない。あっという間に影になる。

 怜央は身体を倒して俯いたままの私の耳元で小さく囁いた。
「押し倒したのが理由ではなければ、もしかして足……膝の事が原因か?」
「……」
「膝の事に気がつかなかった俺が嫌になったか?」
「!」
 私はうつむいたまま目を大きく見開いた。私の膝に黒いサポーターが巻かれている。先日痛めた膝はすぐには元に戻らない。

 私は小さく溜め息をついて顔を上げる。上半身をかがめた怜央と視線が合った。私は怜央から視線を逸らす。そうしないと怜央の鋭い視線の前では、屈服してしまいそうだったから。

「膝の怪我は私のせい。怜央とは幼なじみの関係に戻りたいなって。だから別れて欲しい」
 私は出来るだけ声が震えないように、苦しい胸の内を知られないように声を抑えて話した。

 怜央はそんな私の様子を知ってか知らずか大きな溜め息をついて腰に手を当てて私を見下ろした。

「そんなの理由になるかよ。幼なじみに戻りたいなんて。原因は膝の事に気がつかなかった俺と押し倒したのが原因か。でもそれなら『却下』だ『却下』」
 怜央はひらひらと私の前で手を振った。怜央はかなりモテるので幼なじみの私に執着する必要はないはずなのに、全く取り合ってくれない。

「違うから。膝の事は違うし、押し倒された事も気にしていないの。私は怜央とは恋人ではなくて友達に、幼なじみに戻りたいの」
 押し倒された時に怜央の事を拒否をしておいて「気にしていない」と答える自分も矛盾している。

 決定的な言葉を言えたらどんなに楽だろう。でも言えない。未練たらたらだから嫌いになったなんて言えない。
 怜央は私の肩を大きな手で握りしめると強く呟いた。焦げ茶色の瞳が私を貫く。瞬きしない瞳で見つめられると動けなくなる。

「嫌だ。俺は幼なじみに戻りたくない」
「……」
 私は何も言えなくなってしまう。小さな頃からの積み重ねがこんなところで私を縛り付ける。幼なじみも考えものだ。だって、何故か強く言う怜央の前では従うしかなくなってしまう。そういう風に出来ている。

 怜央はそれから瞳をすっと細めて優しく囁く。
「俺は明日香が好きだ。明日香だって俺が好きだろ? 単純な理由だ」
 普段、私に好きと言う事のない怜央。付き合おうといった時だって好きだとは言わなかったのに。こんな時だけとびきりの言葉で私を優しく包み込む。

 明日香だって俺が好きだろう? だなんて、自信たっぷりだね。

 そうよ。好きよ。格好いいからとか運動神経がいいからとかそれだけではないの。幼い頃からの積み重ねで怜央が好き。怜央こそ──走る事しか能のない私の事を好きだって思ってくれるなら、それならどうして?

 それならどうして、最初に怜央の瞳に映るのが私ではなかったの。

 私は怜央の肩に置いた手をゆっくりとほどく。そして怜央から視線を逸らして呟いた。

「私は……怜央は幼なじみとして好きなの。怜央もきっと同じだよ」
 そう言って唇をかみしめた。

 だめだこれ以上話したら涙がこぼれそう。自分から別れ話を切り出したのに泣き出すなんて訳が分からないよね。そう言って耐えていた時、一階の玄関のチャイムが鳴った。

 勢いよく玄関のドアが開き怜央の部活仲間の声が聞こえた。
「おい! 怜央~ いるんだろ。迎えに来たぜ~」
 まるで遊びに来た小学生の様だ。何人か玄関で靴を脱ぎドタドタと家に上がってくる音が聞こえる。
「くそっ。早いなあいつら」
 怜央は歯ぎしりをして嫌そうな声を上げた。
 
「おっ。女物の靴って、もしかして巽さんがいるんじゃね?」
「あー! 怜央の奴エチエチな事しているのかっ」
「何だとぉ。美人の巽さんに何て事を突撃じゃぁ」
「馬鹿。ホントにそういう場面だったらどうするんだよ」
 そう言って二階に駆け上がってくる数人の足音。

 まずい。泣いている場面なんか見られたら何を言われるか。

「とにかく私は別れるから。却下なんて言わないで」
 怜央の部活仲間の前で涙をこらえる為に出来るだけ小さな声でそれでも強く言葉にした。

 怜央はそのクールと言われる一重で私を見下ろす。まるでバレーボールの試合で相手コートのライバルを見つめる様な刺す視線だった。

 二階の階段を上って怜央の部活仲間が顔を出す。そこに無言で睨み合う私と怜央の雰囲気を察して小さく後ずさりをしていた。

「あらら~もしかして俺達ヤバいところに立ち会った?」

 ぽつりと仲間の一人が呟くと、怜央が溜め息をついて首を左右に振った。

「話にならないな。明日香、何度も言うけれど『却下』だ。じゃぁ俺は行くから、鍵をかけておいてくれよ」
「怜央!」
 ちっとも動揺する素振りを見せない怜央に私は肩を落とすしかなかった。

 これを機に、学校で別れた、別れないの話が広がってしまったのだ。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

女の子がほとんど産まれない国に転生しました。

さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。 100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳 そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。 当面は2日に1話更新予定!

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

処理中です...