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013 7月23日 喫茶店にて 伯父さんの名は
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「そうか。塾、あまり良くなかったか。残念だなぁ」
博さんは七緖くんにコーヒーを差し出し眉を下げた。そして自分のカップに残ったコーヒーを注ぎ、カウンター奥の背の高いスツールに腰掛けた。
「も~全然やった。派手に強弱つけて説明したら分かりやすいって訳やないし。あれやったら個人授業もお察しや。残り四日も体験する必要ないない」
私の隣に座りコーヒーに口をつけようとした七緖くんだが小さく「あちっ」と言って舌を出すと仕方なくカップを置いた。どうやら猫舌の様だ。
私は飲むのをためらっていた。
(感想を聞かれた時にどう答えて良いのか分からないし)
コーヒーは好きだし、少し雨で肌寒いので温かい飲み物はとてもうれしい。しかし今の私は、味が分からない。
「辛辣なお言葉で」
博さんは肩をすくめてコーヒーを一口飲んだ。七緖くんの意見は厳しいと感じたのだろう。
「ほんでなんやけど」
グッとカウンターに乗り出した七緖くん。
「な、何だよ」
乗り出した七緖くんに仰け反ったのは博さんだった。
「夏休みの間だけでもええから僕の勉強見て欲しいんやけど」
低くて良く通る声で博さんに迫っていた。すると博さんは身体を斜めにして銀縁眼鏡の向こうで瞳を細めた。
「え~嫌だよ。俺から駿に教える事なんて何もないだろ」
「ほんな事ない」
「お前、下手したら俺よりずっと頭が良いと思うぞ?」
「僕がほんまに頭がええんやったら、夏休み補習に通う為に学校へ行く必要ないやん」
口をへの字にして七緖くんは頬杖をついた。
その台詞に私は思わず隣の七緖くんに振り向いてしまった。
「七緖くん夏休み補習を受けているの?」
(意外過ぎる)
と、言っても私の補習とは全くレベルが異なると思うが。
私が突然会話に入り込んだので、博さんと七緖くんは顔を見合わせ私をじっと見つめる。相変わらず七緖くんの瞳は前髪で隠れて見えない。
すると博さんは肩をすくめて笑うと親指でカウンター越しの七緖くんを指した。
「それがさ駿の奴、学期末テストの現国でやらかしたみたいでさ」
「やらかした?」
何をだろう。
「解答欄がずれとってん。気がついたら時間切れや」
七緖くんががっくりうなだれた。頬杖を止めるとカウンターテーブルに頭を擦りつけた。
「そ、そうなんだ」
それは残念な事だ。しかし解答が分からなかった訳ではない。本来は補習を受ける様な成績ではないのだろう。私は再び自分の目の前に置かれたコーヒーカップを見つめた。
「それはさ、駿のおっちょこちょいを直せって言う事だよ。良いじゃないか補習だって朝早く起きて気持ちが良い朝を迎えられるし、復習だと思えば」
「朝早う起きると灰になる気分になるから苦手なん」
「ヴァンパイアかよ……とにかく、俺は現役の講師ではないから。駿の期待には応えられないさ」
そう軽く笑うと博さんはもう一口コーヒーを啜った。
「ほんな事ないって言うてるのに。困ったわぁ。何て言うたら分かってくれるんやろか?」
うーんと、七緖くんは綺麗にウェーブのかかった髪の毛をぐしゃぐしゃと自分の両手でかき乱す。ゆっくりと話すので口元もそんなに大きく動いている訳ではない。
(灰になるって面白い表現するのね。それにしても話す調子に動きが合っていない。凄い勢いで髪の毛がぐちゃぐちゃになるのにゆっくり話すって。何かおもしろいかも)
そう思って隣でじっと七緖くんを観察していると、私の視線に気がついた様子で振り向いた。
(何だろう?)
長い前髪の向こうから七緖くんの視線を感じて、肩をすくめる。
「巽さんも博に勉強を教えて欲しいよなぁ」
「えっ」
私は突然話を振られてまるで頭のてっぺんから出す様な声を上げる。するとその声に博さんが困った様な声を上げたが、すぐに私の名字に反応した。
「そうなの? でも俺に勉強を教えて欲しいって言われてもなぁ。ん? 「巽さん」って……まさか「シルバーメダルコレクター」の巽さん?」
定番の呼び名はずっしりと重たく私の肩にのしかかった。
私はメディアなどで露出があったので陸上を知っている人には顔が知れている。大体「巽、二位!」「今回も手が届かない」と言った書かれ様なのだが。
始まりはいつだっただろう。表彰台上った私の顔が仏頂面だったので「シルバーメダルコレクター、無表情・無冠の女王」といったキャッチコピーがついたら、何故かそのまま定着してしまった。
単なる地方予選だと言うのに新聞や陸上競技の雑誌といったメディアに取り上げられるのは、いつも一位だった選手とのタイム差もある。実は一位の選手は全国でも一位なのだ。地方予選と本大会のタイム差を比べた時、地方予選の方が大抵良い結果を残しているので、実際は私が全国二位という様な文句が踊った事があった。
(現実は全く違うのに。二位と一位の差は秒数などで計る事は出来ない。一位を手に入れ継続するという事は、どんな努力と精神力が必要なのだろう。考えるだけで気が遠くなる。そこには天と地の差があるのに)
私は、嫌なあだ名を言われ心拍数が上がる。
(苦しくなる……息が出来ない)
選手時代は意識しない様にしていたが、改めて振り返ると何故かその呼び名に引っかかる。たまに息が心が苦しくなる。
私はシャツの上から、胸の辺りをぎゅっと手で押さえた。
博さんは七緖くんにコーヒーを差し出し眉を下げた。そして自分のカップに残ったコーヒーを注ぎ、カウンター奥の背の高いスツールに腰掛けた。
「も~全然やった。派手に強弱つけて説明したら分かりやすいって訳やないし。あれやったら個人授業もお察しや。残り四日も体験する必要ないない」
私の隣に座りコーヒーに口をつけようとした七緖くんだが小さく「あちっ」と言って舌を出すと仕方なくカップを置いた。どうやら猫舌の様だ。
私は飲むのをためらっていた。
(感想を聞かれた時にどう答えて良いのか分からないし)
コーヒーは好きだし、少し雨で肌寒いので温かい飲み物はとてもうれしい。しかし今の私は、味が分からない。
「辛辣なお言葉で」
博さんは肩をすくめてコーヒーを一口飲んだ。七緖くんの意見は厳しいと感じたのだろう。
「ほんでなんやけど」
グッとカウンターに乗り出した七緖くん。
「な、何だよ」
乗り出した七緖くんに仰け反ったのは博さんだった。
「夏休みの間だけでもええから僕の勉強見て欲しいんやけど」
低くて良く通る声で博さんに迫っていた。すると博さんは身体を斜めにして銀縁眼鏡の向こうで瞳を細めた。
「え~嫌だよ。俺から駿に教える事なんて何もないだろ」
「ほんな事ない」
「お前、下手したら俺よりずっと頭が良いと思うぞ?」
「僕がほんまに頭がええんやったら、夏休み補習に通う為に学校へ行く必要ないやん」
口をへの字にして七緖くんは頬杖をついた。
その台詞に私は思わず隣の七緖くんに振り向いてしまった。
「七緖くん夏休み補習を受けているの?」
(意外過ぎる)
と、言っても私の補習とは全くレベルが異なると思うが。
私が突然会話に入り込んだので、博さんと七緖くんは顔を見合わせ私をじっと見つめる。相変わらず七緖くんの瞳は前髪で隠れて見えない。
すると博さんは肩をすくめて笑うと親指でカウンター越しの七緖くんを指した。
「それがさ駿の奴、学期末テストの現国でやらかしたみたいでさ」
「やらかした?」
何をだろう。
「解答欄がずれとってん。気がついたら時間切れや」
七緖くんががっくりうなだれた。頬杖を止めるとカウンターテーブルに頭を擦りつけた。
「そ、そうなんだ」
それは残念な事だ。しかし解答が分からなかった訳ではない。本来は補習を受ける様な成績ではないのだろう。私は再び自分の目の前に置かれたコーヒーカップを見つめた。
「それはさ、駿のおっちょこちょいを直せって言う事だよ。良いじゃないか補習だって朝早く起きて気持ちが良い朝を迎えられるし、復習だと思えば」
「朝早う起きると灰になる気分になるから苦手なん」
「ヴァンパイアかよ……とにかく、俺は現役の講師ではないから。駿の期待には応えられないさ」
そう軽く笑うと博さんはもう一口コーヒーを啜った。
「ほんな事ないって言うてるのに。困ったわぁ。何て言うたら分かってくれるんやろか?」
うーんと、七緖くんは綺麗にウェーブのかかった髪の毛をぐしゃぐしゃと自分の両手でかき乱す。ゆっくりと話すので口元もそんなに大きく動いている訳ではない。
(灰になるって面白い表現するのね。それにしても話す調子に動きが合っていない。凄い勢いで髪の毛がぐちゃぐちゃになるのにゆっくり話すって。何かおもしろいかも)
そう思って隣でじっと七緖くんを観察していると、私の視線に気がついた様子で振り向いた。
(何だろう?)
長い前髪の向こうから七緖くんの視線を感じて、肩をすくめる。
「巽さんも博に勉強を教えて欲しいよなぁ」
「えっ」
私は突然話を振られてまるで頭のてっぺんから出す様な声を上げる。するとその声に博さんが困った様な声を上げたが、すぐに私の名字に反応した。
「そうなの? でも俺に勉強を教えて欲しいって言われてもなぁ。ん? 「巽さん」って……まさか「シルバーメダルコレクター」の巽さん?」
定番の呼び名はずっしりと重たく私の肩にのしかかった。
私はメディアなどで露出があったので陸上を知っている人には顔が知れている。大体「巽、二位!」「今回も手が届かない」と言った書かれ様なのだが。
始まりはいつだっただろう。表彰台上った私の顔が仏頂面だったので「シルバーメダルコレクター、無表情・無冠の女王」といったキャッチコピーがついたら、何故かそのまま定着してしまった。
単なる地方予選だと言うのに新聞や陸上競技の雑誌といったメディアに取り上げられるのは、いつも一位だった選手とのタイム差もある。実は一位の選手は全国でも一位なのだ。地方予選と本大会のタイム差を比べた時、地方予選の方が大抵良い結果を残しているので、実際は私が全国二位という様な文句が踊った事があった。
(現実は全く違うのに。二位と一位の差は秒数などで計る事は出来ない。一位を手に入れ継続するという事は、どんな努力と精神力が必要なのだろう。考えるだけで気が遠くなる。そこには天と地の差があるのに)
私は、嫌なあだ名を言われ心拍数が上がる。
(苦しくなる……息が出来ない)
選手時代は意識しない様にしていたが、改めて振り返ると何故かその呼び名に引っかかる。たまに息が心が苦しくなる。
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