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猫の街 Ⅲ
しおりを挟むその後、エリカさんは昼食の用意をしてくれました。
ポックルの部屋においしそうな料理が次々に運ばれてきます。ただよう香りに、リリアはうっとりしました。
「それでは、ごゆっくり」と一礼してエリカさんが部屋を出た後、クロルとリリアはポックルと向かい合うようにして食事を始めました。
「――ポックルって、エリカさんの前だといつもあんな感じなの?」
白身魚のムニエルを食べながら、クロルが尋ねます。
ポックルは猫用に作られた魚料理をガツガツ食べながら聞き返します。
「あんニャ感じって、どういう意味ニャ?」
「本心を隠して"猫かぶり"しているのか、って意味だよ。『領主なんてやりたくない』って伝えたことあるの?」
「ニャい」
ハッキリと答えるポックルに、クロルは苦笑いしながら、再び尋ねます。
「なんで言わないの?」
「言ったところで意味がニャいからだ。おれの親父も、そのまた親父も、代々領主としてまつり上げられてきた。領主の家系が続く限り、その飼い主であるステュアート家は街の実権を握れる。おれを自由にするわけがニャいんだ」
「でも、エリカさん優しそうだったよ? ポックルのこと、すごく可愛がっているみたいだし」
「だからこそだニャ! アイツはおれを領主に仕立て上げているクセに、しっかりペットとしても"猫可愛がり"しているんだ! だからおれはいい子のフリをして、逃げ出すチャンスをずっとうかがっていたんだニャ!」
「じゃあ……やっぱり、内緒で出ていくしかないんだね?」
クロルがもう一度確認すると、ポックルは真剣な目で頷きます。
「ああ。それにはお前たちの協力が必要だ。ニャにしろ、この首輪には発信機がつけられている。おれが一匹で列車に近づけば、怪しまれてすぐに連れ戻されるだろう」
言いながら、首に付けられた赤い革の首輪に前足をかけました。
キラリと光る金色のプレート……素敵な飾りだと思っていたそれは、どうやら発信機だったようです。
そこで、夢中で食事をしていたリリアが手を止め、首を傾げます。
「はっしんき、って何?」
「ポックルの居場所を知らせる機械だよ。つまり、ポックルが不自然に列車に近づけば、街を出ようとしていることがエリカさんにばれちゃうんだ」
「ふーん。自分の居場所がわかっちゃうなんて、ちょっと怖いね」
「だろう?! しかもアイツが鍵をかけているから首輪は外せニャい! おれ一匹じゃどうあっても街を抜け出せニャいんだ!」
そう叫んでから、ポックルはスープに映る自分の顔を見つめます。
「アイツは……ニンゲンたちは、猫を完全に管理をしたいだけ。自分たちの可愛がりたいものが、その手を離れニャいようにしているだけニャんだ。ニャに一つ、おれたちのためニャんかじゃニャい。おれたち猫は……自分の力で生きる自由を奪われたんだ」
耳をしゅんと垂らすポックルを、リリアは心配そうに見つめます。
そこで、クロルがこう尋ねます。
「領主という身分も、発信機も、君を守るためのものかもしれないよ?」
「ふんっ、守ってほしいニャんて誰も頼んでいニャい! おれは自分の爪で狩りをし、自分の力で縄張りを勝ち取る暮らしがしたい! お膳立てされた安寧ニャんてごめんだニャ!!」
「そっか……それが猫の本能なのかもしれないね」
リリアが「ほんのう?」と聞き返します。
クロルは「うん」と頷いて、
「誰に教わった訳でもないのに、『こうしたい』って自然と込み上げてくる気持ちのことだよ。ポックルはきっと、野生の本能が強いんじゃないかな」
「それだ! 『本能』だニャ! おれはそこいらの飼い猫とは違う! たくましく、ワイルドに生きたいんだニャー!!」
ポックルがヒゲをピンと伸ばし、叫びます。
その勇ましさにリリアは「おぉー」と拍手しますが、クロルは落ち着いた表情でこう尋ねます。
「ポックルの気持ちはよくわかったよ。でも……本当にいいんだね? 一度クレイダーに乗ったら、次にこの街へ帰ってこられるのは二年後になるよ?」
「ハッ、愚問だニャ」
ポックルは真っ直ぐに答えます。
「帰ってくるつもりニャんてさらさらニャい。それに、この街におまえらみたいニャ猫好きじゃニャいニンゲンが来ること自体めずらしいんだ。このチャンスを逃せば、おれは一生このまま……迷っている暇ニャんてニャいニャ」
縦長の瞳孔を持つその瞳には、強い決意が宿っています。
クロルは、それをじっと見つめ……静かに頷きました。
「わかった。それじゃあ、どうやってクレイダーに乗り込むか、しっかり作戦を練ろう。ご飯を食べ終わってからね」
そう言って、食事を再開しました。
――昼食を食べ終え、お手伝いさんたちがお皿を下げた後、二人と一匹は再びテーブルに集まりました。
ポックルを連れ出すための作戦会議が始まります。
「エリカさんに怪しまれずにポックルを連れていくにはどうしたらいいかな?」
「ポックルが僕たちを見送るために駅に行く、っていうことにすればいいよ。エリカさんは僕たちがすっかり仲良しになったと思い込んでいるからね」
「そっか。クロル、頭いいね!」
リリアが目を輝かせて言うと、ポックルが悔しげに言います。
「ふんっ、おれも最初からそのつもりだったニャ。列車の発車時刻は明日の午後五時。その少し前に駅へ向かって、出発と同時に飛び乗る。こうすれば捕まらニャいはずだ」
「ギリギリご乗車作戦! 私の時と同じだね」
「うん。あまり早くに外へ出ると、人や猫が集まってきて動き辛くなるはずだ。よそ者の僕たちや、領主であるポックルは、みんなの注目を集めやすいからね。このお屋敷から駅までは十分もあれば着く。発車時刻の十五分前にここを出ることにしよう」
「うわぁ、なんだかドキドキしてきた! ばれずに乗れるかなぁ?」
「おれは演技には自信がある。お前らがヘマさえしニャけりゃうまくいくはずだ」
「わ、私も自信あるもん! 映画だって観たことあるし!」
必死に言い返すリリアを微笑ましく思いながら、クロルが続けます。
「大丈夫だとは思うけど、念のため街を下見しておいてもいいかな? 途中でエリカさんにばれたとしても、いろんな道を知っていれば逃げられるからね」
「なるほどニャ。よし、おれが街を案内してやる。ついてこい」
そう言って、ポックルはテーブルから飛び降り、歩き始めました。
――お屋敷を出たクロルとリリアは、ポックルの案内で街を探検しました。
街には人間のための歩道とは別に、猫のための通り道がいくつもありました。
建物の隙間や高い足場、壁に開いた小さな抜け穴。
人間の大人には通れないような狭い道が、迷路のように張り巡らされているのです。
それらの道は、子どものクロルとリリアならなんとか通ることができました。
もしエリカさんに連れ戻されそうになったとしても、こうした"猫の通り道"を使えば逃げることができそうです。
クロルとリリアは猫になった気持ちで、ポックルと共に探検を楽しみました。
そうしている内に、日が暮れ……
再びポックルのお屋敷に戻ったクロルとリリアは晩ご飯をご馳走になり、久しぶりにお風呂のお湯に浸かって、それぞれに割り当てられた客室の大きなベッドへ横になりました。
リリアは疲れていたのか、ベッドにもぐるなりすぐに眠ってしまいました。
しかし、その隣の部屋にいるクロルは……少し考え事をしていました。
窓の外に浮かぶ、半分に欠けた月。
クロルはベッドに腰掛け、それを見上げます。
リリアもポックルも、自分の意志で、生まれ育った街を離れる決意をしました。
それは、とても勇気のいることです。
だって、他の街で受け入れてもらえる保証などないのですから。
クロルは、座っているベッドのシーツに手を触れます。
クレイダーの運転手になって、もうすぐ二年。
その間、列車以外で眠ることなどありませんでした。
硬くて狭くて薄っぺらい、列車のベッド。
それに比べて、この客室のベッドはふかふかであったかくて、三回寝返りしても落ちないくらいに広く、立派です。
それでも、初めて眠るこのベッドは、なんだかしっくりきません。
どうしてだろうとしばらく考え……クロルは、初めて気がつきました。
毎晩横になるあの狭いベッドが、世界で一番落ち着いて眠れる場所になっていることに。
それはきっと、ポックルも同じです。
リリアもそうだったはずです。
世界中のみんなが、一番落ち着く"自分の寝床"を持っているのです。
それを捨ててまで、別の街を目指そうとするなんて……
「リリアもポックルも、すごいなぁ」
純粋で、強くて、真っ直ぐで、そして――
とても愚かだと、クロルは思います。
「……きっと、すぐにわかるよ。この世界が……どれほど冷たく、残酷なのか」
クロルは、月を見上げながら悲しげに微笑んで――
ベッドにもぐり込み、無理やり瞼を閉じました。
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