氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

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〜幕間〜

天秤を揺らす風 1

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 この国には、八百万やおよろずの神がいる。



 一口に"神"と言っても、その特性や役割は様々だ。

 土地の安寧を護る"地主神とこぬしのかみ"。
 物に宿り人をたすくる"付喪神つくものかみ"。
 じゃを以て邪を制す"禍津日神まがつひのかみ"。

 そして、此岸しがんにおいて最も高名なのが……


 幸運を吹かせる、"福神ふくのかみ"である。





 ♢ ♢ ♢ ♢





 ファミレスで夕食を共にした翌日──

 汰一と蝶梨は、いつも通りの学校生活を送っていた。


 まともに会話するのは忠克ただかつくらいで、あとは基本的に静かに、目立たないように過ごす汰一と。

 多くの友人に囲まれ、頼られ、ただそこにいるだけで羨望の眼差しを集める蝶梨。


 クラスの誰もが、想像し得ないだろう。
 この対照的な二人が、昨夜一緒に食事をし……

 今日も放課後に、逢瀬の約束をしているだなんて。




「…………」


 休み時間。
 汰一は、友だちと談笑する蝶梨の姿を眺める。

『談笑』と言っても、笑っているのは彼女の周りの女子だけで、蝶梨は口元に小さな笑みを浮かべる程度。大口を開けて笑ったりはしない。

 汰一の知る彼女は、いつもそうだった。
 あまり表情が変わらない、クールで冷静で、凛とした少女。


 だが……

 それは、彼女の努力により造られたものだった。


 本当の彼女は、照れて顔を赤くしたり、悔しげに眉を寄せたり、弱々しく肩を落としたりする、表情豊かな少女で……



「うっ……」


 昨日の蝶梨を思い出すだけで、愛しさで心臓がぜそうになり、汰一は胸を押さえる。
 それに気付いた忠克が、牛乳パックに刺したストローを咥えながら、


「どした。いよいよ死ぬのか?」


 なんて、冗談っぽく言うが……
 汰一は、すぐには否定しなかった。


 ……嗚呼、そうだな。
 あんなに可愛い彼女の素顔を、自分だけが知っていると思うと……

 独占欲が、怖いくらいに満たされて。

 ただ遠くで見ていればいいと思っていた頃の自分は……もう、死んでいた。


 だから。
 汰一は、何も知らない忠克を見つめ返し、


「……そんなに俺を殺したいのか? 次のテストのことを考えたら胸が痛くなっただけだよ」


 と。
 自分に起きた変化を悟られぬよう、不機嫌な声を返しておいた。





 * * * *





 六月も半ばに差し掛かろうとしていた。

 昨日まで初夏の陽気が続いていたが、今日は生憎の雨。
 間もなく梅雨に入ることを思い出させるような、しとしととした雨が朝から降り続いていた。


 ホームルームを終えると、二年E組の生徒たちはバラバラと教室を出て行く。

「今日は中練かー」とぼやきながら部活へ向かう者。
「ゲーセン寄ってこうぜ」と駄弁る帰宅部連中。

 そして。
 蝶梨も友人たちと挨拶を交わしてから、生徒会へと向かった。


「んじゃ、今日もイベントで忙しいから」


 と、忠克もスマホゲームを理由に、早々に帰宅する。
 そうして十分足らずで、汰一は教室に一人になった。



「…………」


 誰もいなくなった教室の窓から、汰一は外を眺める。


 今日は、朝からずっと雨だ。
 これでは花壇に行けない。
 生徒会が終わったら一緒に花の手入れをしようと、彼女と約束したけど……
 何もできずに、解散だろう。

 ……仕方ない。
 今日のところは、大人しく勉強だけして帰ろう。


 せっかくの約束が初日から頓挫とんざしてしまい、汰一はため息をついて。
 鞄から課題プリントと、昨日買った参考書を取り出し、静かに勉強を始めた。





 * * * *





 一時間後。

 汰一が数学の問題と大格闘を繰り広げていると、教室の引き戸がガラッと開いた。


 来た。

 と、汰一は手を止める。


 はやる心を抑えながら、ゆっくりそちらを振り返ると……
 鞄を肩にかけた蝶梨が、立っていた。


「……お疲れ。もう生徒会、終わったのか?」


 本当は嬉しくて堪らないのに、落ち着いた態度を装って、汰一は言う。
 それに、彼女はこくんと頷いて、


「うん。刈磨くんはまだお勉強中?」
「あぁ。数学の問題に絶賛苦戦中だ」


 言葉を交わしながら、蝶梨は汰一に歩み寄る。

 彼女が近付いて来るだけで、汰一の鼓動はみるみる内に加速する。
 昨日、あんなに近くで話したと言うのに……一日経つとまた緊張してしまう。


『近寄り難い』からではない。
『好きだから』、だ。


 蝶梨は、汰一の隣の席に座る。
 そして、


「……雨、だね」


 と……
 無表情のまま、そう言った。
 それに汰一も、窓の外に目を向け、


「……そうだな」


 と答えた。


 しばらく、二人の間に沈黙が流れる。
 サーという雨の音と、吹奏楽部の演奏の音だけが、遠くから聞こえる。


『今日はやめにして、帰ろうか』


 その一言が言えずに、汰一は黙って雨空を見つめた。
 なら、せめて雑談でもすればいいのだが、昨日軽口を叩けたのが嘘のように、今は言葉が浮かばない。


 隣に座る彼女の気配に……喉が、つかえる。



 ……しかし、



「……どの問題?」


 先に沈黙を破ったのは、蝶梨だった。

 驚いて振り返ると、彼女は身を乗り出し、机に広げたプリントを覗き込んでいて……

 その近さにますます鼓動を速めると、彼女は、


「…………私で良ければ、教えるけど」


 と。
 いつもの淡々とした態度で、言った。


 しかし、汰一は知っている。
 このクールな声と表情が、造られたものであることを。
 その証拠に……
 よく見ると眉が少し震え、頬も赤くなっていた。


 嗚呼、本当に、クールを装っているだけなんだな、と。


 汰一は一気に緊張がほぐれるのを感じ、プリントの問題を指さす。


「これ。基本問題はできたんだけど、応用になるとさっぱりわからなくて」
「……あぁ、これね。応用になると複雑に見えるよね。でも、基本を押さえておけば大丈夫。この後の式は……」


 汰一からペンを借りると、彼女はノートにサラサラと解を記していく。


 半袖のワイシャツ。
 揺れる髪。
 長い睫毛。
 ふわりと香る、甘い匂い。


 息遣いや体温まで感じられそうな距離感に、汰一は意識の全てを奪われる。
 そのため、学年トップの成績を誇る蝶梨が丁寧に解説をしてくれたというのに、まったく耳に入らず……


「……で、答えがこれ。ね? そんなに難しくないでしょう?」


 そう言われて、ようやく汰一はハッとなる。
 そして、


「……ごめん。全然聞いてなかった」


 素直に謝罪すると、蝶梨はジトッとした目で彼を睨む。


「……この距離で聞いていないって、刈磨くんの耳はどうなっているの?」
所謂いわゆる『節穴』ってやつだろうな」
「それは目に使う言葉だけど」
「おぉ、さすが学年トップ。国語の知識も抜け目なしだな」
「馬鹿にしてるの? 真面目にやらないならもう教えない」
「すみません冗談です」


 いまだジト目で見てくる蝶梨に、汰一は笑って、



「……悪い。ずっと悩んでいたから、集中力が切れた。だから……わかるまで、教えてくれないか?」



 高鳴る鼓動を飲み込むようにして、蝶梨を見つめる。

 それに、彼女は唇をきゅっと閉ざすと……



「じゃあ…………雨が止むまで、特別授業ね」



 と、少し照れたように言って。
 彼に椅子を近付け、もう一度解説を始めた。
 
 
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